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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

声を吹き込むことでキャラクターに《力》が宿る

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声優に魅了される大きな理由は、彼らが吹き込む声が、吹き込まれるキャラクターにあたかも命を宿らせるからだろう。

実際それが真実かどうかはどうでもよくそう"見える"か"思える"かが重要なのだ。声を与えることで声がなかったキャラクターが生きているように思え、フィクション世界を飛び越えてリアルにまで侵食してくるような存在感を醸し始めるように感じられたのならそれは本物だ。

私は「声優」という人間に興味はないけれど、その「声そのもの」にどうしても強く強く惹きつけられてしまうこともあるのでやはりそこには大きな力があるのだと思う。

 

例えば、ギャルゲーではキャラクターボイスの「ON・OFF」はユーザーの判断に任されことが多く、設定画面で聞きたくない声であればOFFに、聞きたい声であればそのままON状態にすることが可能だ。

この時ボイスをOFFにしたキャラクターによく注意してみると――その断ち切ったボイスがいかに嫌いなものであろうとも――キャラクターから《力》(フォルス)といっても差支えないものが失われたように感じることがある。

というか殆どの場合そうだ。さっきまで存在感を放っていた登場人物がしぼくれ萎え萎えになりては干涸びたへちまのごとく生気を欠いてしまい虚ろになってしまう。

もちろんボイスがOFFだろうとゲームの進行に何の問題もないけれど、しかしやはりどこかに欠落感のようなものは出てくる。

 

いっそのこと全てのキャラクターボイスをOFFにしてみると、キャラクターに宿っていた《力》が掻き消えた手触りをより感じられるだろう。

例えばノーボイスで『はつゆきさくら』をプレイしてみるとより顕著だろう。正直憂鬱である……。もしもあずま夜にボイスが無かったら私はあそこまで彼女のことを好きになることはなかっただろうし、それは桜・綾・シロクマ・希・ラン・サクヤ・来栖と劇中内に登場するあらゆるキャラクターも同じだと思う。

―――バニッシュだ!!

あの透明な剣のようなサクヤの声があってはじめて「バニッシュ」という言葉は、ゴーストを突き殺すエネルギーを放つセリフになるのではないだろうか。


もしアニメ『Charlotte』の乙坂有宇や友利全ての人間の声がなくなり、無声音で、字幕観賞での映像作品であったならばどうだろう? SE、BGM、劇中歌の類はあれどボイスだけはないサイレントムービー。

そんなアニメを想像してみるとさきほどから指している《力》という言葉の輪郭をつかめると思う。そして私たちが実際に視聴していた声ありCharlotteと、声なしCharlotteの作品を想像し比べてみると両者が照射するエネルギーの圧倒的な差に気付くのではないだろうか。 (いやはや想像なんだけどさ)

それくらいに「声」というものは重要なのだと考えている。

 

 

声ひとつでキャラクターの好感度は変わる

 

先に「いかに嫌いな声でもOFFにすればキャラクターから《力》が失われる」と言った。確かに声があるのとないのとじゃ、声ありのほうがキャラクターの存在感は圧倒的に大きい。

 

ただ存在感があっても、そのキャラクターの魅力を台無しにするのも上昇させるのもその「声」ひとつで決まってくる

私には嫌いな「声」がいくつかあって、それは"otuboyuka"であり、この声によっていろいろな作品のいろいろなキャラクターがダメになってきたとも勝手ながら思っている。ファンの人はごめん。例えば『ビビットオペレーション』三枝わかばに何の好感も抱かずむしろその声によってキャラクターの魅力を簒奪しているようにさえ感じられ、あまつさえ「もうそのヘタクソな棒声はやめてくれ」と心半ば思いもした。それくらいにこの声は嫌いだし、積極的に聞きたいとは思わない。ビビオペは切ってしまった。

もしギャルゲーでこの声が搭載されたのならば速攻でボイスOFFにするだろう。これはキャラクターから《力》を失われるデメリットを踏まえてもなお"otuboyuka"声を遮断せずにはいられなく、私にとって許容しづらい出来事なのである。

逆に"fukuenmisato"なる声はどんなキャラクターの魅力も最大限まで引き出してくるし、こちらの情感にガンガンぶち込んでくるその発話に伴う熱量はすごいものがある。特にスマプリのみゆきは最高としか言い様がない。他にも『DTB』の銀、『のんのんびより』のひかげ、『ストライクウィッチーズ宮藤芳佳、『いろとりどりのセカイ』の二階堂真紅、『夏ノ雨』篠岡 美沙『暁の護衛』相馬楓…etcも負けず劣らず良い。

 

このように、「声」によってキャラクターの魅力を無に帰すものもあれば、最大限まで引き出してくれるものもあるのではないだろうか。

 

登場人物の印象も、感触も、手応えも、好意も、悪意も、エモーションも―――「声」によって大きく左右されるのだ。悪質な「声」が吹き込まれてしまえばそのキャラクターは死ぬしかなくなるのだ。

もしもそれとは違う「声」であったならば? もしもキャラの魅力を底上げしてくれる「声」が与えていたのならば? そのキャラクターはもっと生き生きしていたかもしれない。もっと可愛いかったかもしれない、もっとカッコ良かったかもしれない。

 

ある作品の、あるキャラクターが魅力的じゃないのは……もしかしたら吹きこまれた「声」のせいかもしれない。

 

 

ちなみに私はこの赤い子も……

 

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