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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

レビューの品質が一向に上がらないレビュアー

アニメ 批評行為
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レビュー・批評もまた創作物であり、アニメやゲーム、小説や絵画などの創作物と(その練度の差はどうであれ)同じだとみなす考え方があります。

これ感情的には受け入れくい人もいるかもしれませんが、我々が思い浮かべるアニメや小説といった「創作物」もまた過去の作品の潮流を汲み・引用・指摘・言及していることから「批評」をしていると言えますし、ここを突き詰めると「批評物=創作物」だと見做しても無理のない考え方だと思います。

 

こんにちの芸術作品は、批評行為もまた含んでいると誰かが言っていましたが、誰でしたっけ。

 

 

 

現在のサブカル界隈では、批評は創作物だと見做されてません。

なので的外れな評論・低品質な批評が出まわっても、さらなる批評は加えられませんし丁寧な批判もまた少ないです。(根拠を示さない非難とかはよくあるけど)

私も「レビュー・批評=創作物」だと見なすことが難しくて、理屈としては正しいとは分かりつつも腹の底では実感できていない感じで、す、がこの記事ではそういうものとして扱ってみます。

 

そしてそう考えるのであれば――批評=創作物だと見なすのならば――「レビューの品質が一向に上がらないレビュアー」ってすごいダサい存在のような気もします。(耳が痛い)

これはつまり、『小説家になろう』で小説を年単位で投稿しながらまったく面白くならない人や、web小説を公開している人がいつまで経っても小説技術が上がらない、数年前と練度が全く上がらいイラストを投稿するのと一緒です。

そういった素人の方でなくてもプロの作品を指して「あの作者同じ内容しか書かないよね」「マンネリ」「ずっと同じこと繰り返してる」、そんないつまでも向上しない人を見てうーんと思う気持ちと同じなのかなと思います。

 

そしてそこを指摘すれば、「嫌なら見るな」「趣味でやっているんだ」「そんなに言うならお前が書け」という言葉が返ってくるかもしれません。

特にプロではなく、素人で作品投稿している人はこの趣旨の発言をする人は多いでしょう。

 

ただこういうのを言ってしまうのって、小説を書いている人たちよりは、レビュー活動をしている人が圧倒的に多いのではないかとも思っています。

というのも、小説をネットに投稿している人は少なからず「創作物を生み出してる感覚」があり多少なりとも批判は受け入れる準備はしているのではないかと思います。

比べて、レビュー活動している人は自分が書いた作品に直接批判がくることって現状じゃあまりないですし、きたとしてもその批判を受け止めきれない。これは自分のレビューが創作物だなんて全然思っていないのが最大の要因でしょう。

故に、オープンスペースで作品を投稿しているのにも関わらず、ついつい「全然進歩しないね」という批判に対して「嫌なら見るな」「趣味でやってるんだ」「ならお前が書け」と口をついてしまう。

もちろん「レビューを向上させるつもりがない自由」も本人にはありますが、その批判が妥当か否か・受け止めるか否かは別問題です。


このお話は私としても耳が痛いですが、作品レビューを書いている人が

自分が書いているのも創作物なんだ。昨日のよりは今日、今日よりは明日というふうに少しづつ練度を上げていこう

となれば、レビューの質が全体的に底上げされその対象となる作品・ひいてはその界隈に良い影響を与えるかもしれません。

ただし、批評による正のフィードバックが実際生まれるかは怪しい所なのでそううまくいくかは定かではないとする声もあります。アニメだとその複雑な制作・製作行程からうまく反映されないだろうし、作家全員が自身に向けられた批評を読むかと言われればそうではないでしょう。

ただ質の低い批評が溢れるよりは、やはり高いもののほうが良いのではないかと思います。(とはいえどういった批評を"良い"とするのかは明確なものがなく個々人の裁量に依るところが大きいでしょうが)

 

あー、藤津亮太さん的なギャルゲー評論の書籍が欲しいこの頃。

彼の評論は外在的・内在的要素をバランスよく含み、「評論者」ではなく「評論される作品」を主に置いてることから読んでいて気持ち良いです。普段外在的要素が絡められた評論って私は忌避するところなんですがあまりそういう抵抗感が藤津亮太さんの文物には抱かないんですよねー不思議

 

 

 

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