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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

■■が起こらない世界で。Charlotte第10話

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■Charlotteの考察記事を書きました。よければどうぞ。

Charlotte考察―もう僕たちに奇跡は必要ない―

 

歩未が死んでから乙坂は堕ちていった。


学校へ行きなくなり、心配しにやってくる訪問者を拒み、やがては誰かを傷つける事さえも躊躇わないようになる。倫理を踏み越えた。もちろん悪い意味で。なんの信念も持たずに。ただただ衝動的に行動し始めるようになった。

 

先のことを見通さず、未来を唾棄し、今だけを見つめていたと言ってもいい。


この時の乙坂有宇の行動は「奇跡」が起きない世界特有のものだろう。ああつまり"私たち"の世界と同様に、死んだ人は蘇らないし、過去はやり直せない、神に懇願した所で聞き届けてくれる全能はこの世にいない。時間は止まらないし、永遠だってない、氷の世界は顕現しない。

 

そんな世界で私たちは暮らしている。

 

人生上でやり直せないもの、やり遂げられないものはあまりにも多い。そしてそれを"実感"で体験してしまったとき人はどうするか? 大抵の者は自暴自棄になるのではないだろうか。特に失われたものが戻らないと知ったとき、前を向いて「明日から俺は頑張るよ」なんて言えないし、全てが嫌になり、どうでもよくなってしまう。立ち止まってしまう。

けれどもし目の前に「奇跡」がぶら下がったならば、そいつはひたすら走る続けるだろう。それを得られるならば悪魔とだって契約するし、古代の石を探す旅だってするし、特異点の研究だってやり始めるかもしれない。

しかしそんな幻想は、もう現代には無い。奇跡なんてものが絶対に絶対に無いとわかっているからこそ(少なくともそういう実感があるからこそ)、現実の重圧は肥大化し襲い掛かり、押し潰され、停滞せざるをえなくなる。

乙坂有宇がみたらし団子の串で人間を貫いたとき、彼は笑っていた。でもきっと泣いていた。あの一連の行動は――どうしようもないこの世界に耐えられなくて――歩未の死を泣き続けたように見えた。表情がほくそ笑んでいようとも、身体全体で悲哀を表現していた。少なくとも私にはそう見えた。

そして、友利奈緒が現れる。人の道から逸脱しようとしていた乙坂を引っ張りあげ、こちら側の世界へ戻した。

 

つまり6話-7話は乙坂が歩未の死(=現実の不条理)を受け入れ、かつ奇跡に手を伸ばそうともしなかったお話だ。

 

そして10話で乙坂隼翼の「タイムリープ」能力――まさに奇跡の力を――提示されることになる。乙坂はその能力を略奪し、使い、死ぬはずだった歩未を救い出すことに成功した。

 

なんというかそれは、奇跡が起こらない世界で、奇跡を使うことを許されたようにも見える。それも、奇跡が必要なくなった人間に対して奇跡の使用を強制するような形にも感じられなくもない。

8話とのサラとの出会い、友利の会話から、乙坂にはもうすでにそういった類のものなんかなくても前を向いて歩いている。端的に言って、奇跡なんか必要なかった。けれどそこに奇跡が提示されれば、やはり人はそれを使ってしまいたくなるのだな……と。そう思った。

 

サラは言った。「人生は一度きり」だと。乙坂は同意した。しかし今回のこれはそんなたった一度きりの人生を放棄したものだ。時間跳躍っつーのは、世界改変っつーのはそういうことなんだよ。一度きりの人生を一度きりじゃなくしちまう。人が「人生」という言葉に込める高尚な価値はこのとき崩壊する。

 

神の力を使った代償は、果たして視力だけで賄いきれるものかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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