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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

『良質な読者』

アニメ 批評行為
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このように、オタク文化の頂点に立つのは教養ある鑑賞者であり、厳しい批評家であり、パトロンである存在だ。

 それは作品に美を発見する「粋の眼」と、職人の技巧を評価できる「匠の眼」と、作品の社会的位置を把握する「通の眼」を持っている、究極の「粋人」でなくてはならない。つまり、僕がこの本の中で一貫していってきた一人前のオタク、立派なオタクということになる。

 立派なオタクはオタク知識をきちんと押さえていて、きちんと作品を鑑賞する。当然これは、と目をかけているクリエイターの作品に関しては、お金を惜しまない。逆に手を抜いた作品・職人に対しての評価は厳しい。

 これらの行動は決して自分の為だけではない。クリエイターを育てるため、ひいてはオタク文化全体に対して貢献するためでもある。そこのところをオタクたちは心得ている。

 もちろん、クリエイターたちやマスコミの中にはオタク文化を西洋のサブカルチャーの一部と勘違いしていて「クリエイターは文句なく偉い」と考えている連中が多い。「作品はクリエイター様の心の叫びだ。ありがたく拝見しろ。わからないのはお前が悪い。顔を洗って出直してこい!」ここまであからさまではないにしろ、多くのクリエイターはこういう風に勘違いしている。

 その勢いに呑まれている中途半端なオタクも多いが、実は違うのだ。やたら料理人を持ち上げたらその店はダメになってしまう。ちゃんと自分の舌で評価してこそ、よりおいしい料理が望めるというものだ。つまり職人の芸をきちんと評価する、という形が健全な文化の育成につながることになるということだ。

 

――岡田斗司夫の『オタク学入門』の引用文をさらに引用した孫引き。「オタクはクリエイターより偉い」。岡田斗司夫のロジックを考える。:海燕ハッピーエンド研究室



岡田斗司夫氏の引用文を見たとき抵抗感があった。

 

というのも私はクリエイターとオタクとどちらかが偉いかと問われればどちらでもなく、「作品それ自体」が最上位にあり誰よりも優れていると答えるからだ。

製作者やオタクなんて隅に追いやられる影でしかないし、超越しているのは作品そのものでしょ?と。これは作品が自律的なモノであるという認知からくるものだろう。

ただそれでも、強いてどちらかが偉いかと聞かれればクリエイターだろうか。創作できるものが圧倒的に価値があるし、読者はそれを消費するだけの存在でしかない。もちろん読者がいなければその作品は完了しないが、そもそも読むための作品がなければ読者がいたところでどうにもならないのである。

その意味でクリエイターの価値は歴然であるように思う。


けれどhomlaさんの↓記事を読むと、評論がいかに大切であるかを語られている。主観的に記事をざっくりまとめると、

高度化した作品にたいし解説し評論するオタクがいないと、新参者・にわか視聴者はついてこれなくなり十分な評価を下せなくなる。評論物があればそれを読む過程で新参者でも作品の見る目が養われ、どう読みこめばいいか、また作品の良い悪いのジャッジも的確になり、ひいてはその文化を育んでいく。

視聴者の中に理解できる者がいるからこそ、製作者側も、文献、作品の引用をねじ込むし、高度化した作品も提示していくようになる。

しかしそういった土壌がない場合、作品を見る目がない低度化した視聴者が多くなり、製作者もまたそういった視聴者のレベルに合わせた作品を創ることになりどんどん作品自体も低度化していく。

大事なのはクリエイターとオタク(=作品解説できる能力を持っている者)のバランスであり(閉鎖的にならず)噛み合った共生関係なのではないか、と。

 

 

 アニメが複雑なストーリー構成や設定でも受け入れられるのは(全てではないが)
もう読解、解読する前提で見ている人間が多いからである。

解説員の少なさがコミュニティレベルの低さになり、新しいコンテンツやレベルの高い
コンテンツを作っても買い手が理解しないためにレベルが上がらない、新しいものが
生まれない状態に陥る(J-POPは完全にこれである)。

多様な意見や解説、解釈を読み続けると自然とものの見方も分かってくるので、
観る側としての能力は向上していく。そうしたリテラシーが高く、長年見ている事により
過去の沢山の作品と比較しての選別能力が高いファンが人数として多いコンテンツが
生き残れるコンテンツだと思う。
そういう人が多くても閉鎖的になるとだめで、全く分からない人にも広く門戸を開いておく
必要がある。

岡田斗司夫が言うのはこういう事なのだけど、アニメ界隈の人は恵まれすぎていて
それがいかに重要でアニメの恵まれた状況を作り出しているかという認識が
薄いように思う。

 

――評論の必要性について(岡田斗司夫問題) - ”Notice" homla's blog

 


確かに批判性のない市場は何も育たないし、形骸化していき、なあなあで消費され、なあなあで制作される低品質な作品が出回ってしまう界隈になる、のかもしれない。

アニメ市場はちゃんと育っていて、知識による応酬、視点開拓者が多くいて、さらに議論可能な言語空間もあって恵まれているのだろう。でも私はどっぷり浸かりすぎていてうまく気づいていないと言われればそんな気はする。

私自身が取ってきた立場は、Micro視点からの「作品(=《物語そのもの》)追求」である。それに乗っ取るならば「批判だけをしている評論」や「外在的文脈を持ちだして考察と謳う文物*1」は蹴り飛ばされるべきレベルの低いものだとしてきた。

ただ「市場(Macro)」という立場からすると、それらは許容されるのかもしれない。もちろん批判だけではなく、岡田斗司夫氏が言うような"粋の目"が含まれたものが一番いいとは思うが。

これは、MicroとMacroが相容れない類の奴だなとも思う。

 

 

良質な読者とカゲプロファン


(この流れの)オタクと、カゲロウプロジェクトファンのように作品を消費するだけではなく解釈し続ける読者は「良質な読者」と括られるのではないだろうか。

作品を解説する者と、作品を解釈する者。


多面的な知識や過去のアーカイブの比較で作品を広げていく読者と、読解し解釈しそれをオープンベースに開示し世の是非を問い物語の価値を押し広げる読者―――そんな2つの読者が増え、かつ閉鎖的にならなければ、その市場から生み出される作品もまた良質なものになっていくのかもしれない。

とはいえその関係図がじっさい正しいのか私には分からないけれど。ただそれが本当なのだとすれば、ここでいう「良質な読者」が増えるのは歓迎されることだろう。

 

 

 ここで哲学者・批評家のロラン・バルトが言った「作者の死」という概念を参照したい。

 我々が物語を読み解くとき、作者がそのすべてを生み出したのだから、作者の意図というものがあり我々はそれを理解する、という発想をする。日本の国語教育なんかはそうだ。「ここで作者がどう考えているのかわかりますか」などというのが典型だろう。

 だがバルトはそうではなく、物語(=作品)は引用の積み重ねで成り立っており、それを読み解くのは読者だ、と言った。物語は読者が作るものだと言ったのだ。

 つまり「解釈」とは「創造」なのだ。

『カゲロウプロジェクト』を「解釈」するとは、すなわち『カゲロウプロジェクト』の物語を作っていくということだ。なので、稚拙な物語であったとしても、受け手自身が作った愛しい子供なので好きに決まっているのだ。


(中略)

『カゲロウプロジェクト』は「解釈」が必要な物語だと言った。それはつまり、エンターテインメント作品のように、ただ受動的に見たり読んだりするだけでは楽しめないということだ。

 自分の頭で考え、世間に是非を問う。これはとても労力が必要ではないか。『カゲロウプロジェクト』のファンは、かなり良質な受け手だと言える。

 


――カゲプロをほとんど知らないひと(へ)の『カゲロウプロジェクト』批評 - 転々し、酩酊(太字は元記事ママ)

 

 

↑のうたげさんのカゲプロ記事を読んで、「カゲプロ」は良い土壌だなと感じる。

いろいろ問題を抱えているだろうしそう単純な話ではないのだけれど、見て終わり・読んで終了するのではなく、作品に向き合い物語の価値を引き出し続ける受け手が育まれているという点ではカゲプロ読者は評価されると思う。

 

そしてもし良質なカゲプロ読者がギャルゲー界隈にどっさり流れて込んできたら、(いろいろ揉め事は起きそうだが)多くの人間がギャルゲーを解釈した練度の高い批評物がどさどさ投下されることになるんだろうか。そしてそれを批評し批判し火花を散らす剣戟じみた様を見れるというのだろうか。なにそれ胸熱だ。

やっぱ私はそういうのが見たい。できれば内在的解釈であれば尚のこといい。

 

 

 

この意味で、Angel Beats!は恵まれた作品だったと思う。

賛否両論ある作品だったけれど多くの人間が考えて、批評し、解釈し、ネットで開示し続けるあの闘争じみた様は―――アニメ界隈に良質な読者が多く存在していることを見せつけてくれたのだから。

……

…………

………………………………

 

 

詩羽「大体シナリオがしっかりしないとクソゲーになるでしょ

英梨々「どうせ、ギャルゲーユーザーなんて絵しか見てないわよ!!


詩羽「そういうこと言う人がいるから、あの業界どんどん縮小するんじゃないの?

 


――アニメ冴えない彼女の育てかた4話

 

 

 

( ˘ω˘ )

 

*1:主にこういうスノップに成り下がった者のこと→http://eroge-pc.hatenablog.jp/entry/2014/01/12/094628、を言っているのでありただ外在的文脈を作品に挿入することとはここでは区別している