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結局、みんなが求めているのは他人の「肯定」だとしたら。ガッチャマンクラウズInsight第8話

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「いつもありがとう」「よちよち」「これからも大変だけど頑張ってね」「これでいいんだよ」「今まで頑張ってきたからちょっと疲れちゃったんだよね」

 

 と個人に同調し、共感し、肯定する「くうさま」が大量発生した。

 

多くの人はこの宇宙生命体を最初は怖がっていたが、しかし実際話してみると気のいい奴だわかり、気を許し、かわいいという声が出るほどに「良い奴だ」と認知するようになった。

あの光景を見ていると「みんな誰かに『肯定』してもらいたいのか」という考えが出てくる。自分の考えを、生き方を、人生を肯定してほしい。認めてほしい。そうすれば安心できる、幸せなんだ。

見た目に拘らない。多少変でも構わない。宇宙人でもいい。でも俺を肯定してくれ……。そんな気持ちが透けて見える。妄想かもしれない。とはいえ、累くんも最後にはそうして猿に成り下がり快楽に溺れていった。

 

FBもTwitterといったSNSが何故こんなに発展したかというと「気持ちいい」からだよね。現実世界では承認・肯定されない多くの人達が、似た境遇・似た趣味の人たちと繋がり、自分の発言が「肯定されつづける」環境が気持ちよすぎるからこんなにも拡大していった。

だからこそ、その世界は外から見ると"気持ち悪い"。

完全に「うちらの世界」に成り下がっているし、批判されることなんて殆どなく(あるいは過剰に少ない)、あるのはその人と繋がりたくて、適当に相槌を打ち、なんとなく肯定する繋がり方。嫌われないように好いてもらうように生まれた関係性があるだけだ。

 

その世界はそりゃ自分と似たような人ばかりで構成(=フォロー)したんだから、そりゃどんな発言をしても周りの人は肯定するさ。もし批判がきてもアンフォローしてよりよい「自分にとって都合のいい世界」を突き詰めていくだけだもの、なんにも問題ないよね。

例えばネット上に転がっている話題になっている記事に「コメント」して、そのコメントに「肯定」のリプライしかこなかったら危機感を持ったほうがいいはずなんだよ。

 

「わかります」

「私もそう思ってました」

「どうしてこういう事言う人がいるんでしょうね」

 

ましてや誰からも「指摘」も「疑問」もこなかったら、それは本当に本当に「猿を生むためだけの環境」だってことを証明している。

そしてそれを見て見ぬふりをするならば、肯定の快楽に溺れたいという欲求がそこにはあるのではないか。

 

 

 

 

ガッチャマンクラウズ世界に存在する 「ギャラックス」もいわばSNSで、そういう側面を多分に含んでいるように思う。今回、それが、現実世界で現れただけなんじゃないか。

くうさまの在り方は、私たちが肯定されいことを欲していて、"それさえ" あればいいことを突きつけているような気しかしない。

 

フキダシ様から現れたくうさま、私たちの名前を知っているくうさま、つまり彼らは私たちの気持ちを熟知していて、何を欲しているか最初から知っているってことなのかもしれない

だから多くの人間が、くうさまに癒やされる。欲しいものを提供してくれるから。幸せ。そういった行為に拒絶を示すものもいるのは先述したように「そんな在り方が気持ち悪い」という感情が先行するからだろうか。あるいはひとえに人間の多様性ってことなんだろうか。

 

ともかく、正直、私はこれ悪い光景だとは思わない。衆生はこうして人生を送ればいいよ。だって所詮(私も含めて)猿なんだから。猿は猿らしく生きて快楽を浴び、幸せだと感じ、そうして人生を全うすればいい。

難しいことを考えないでいられるSystem・アーキテクチャがあるならば、それを稼働させ続ければいいのだ。世界のアップデート? シャールカなら「そんなのエリートの夢なんだよ」と一蹴するに違いない。

 

でも。でも私は↑を認めつつも、やはりどこか"違う"感が否めない気持ちもある。

理想を言うのならば、人間は「誰とも繋がらず」生きていけばいい。一人で生きればいい。社会的に生きて、孤立はせず、けれど精神的な充足を他者との繋がりに求めず、一人で生きればいい。

 

孤独に。ひたすら孤独に。

 

彼方なら "それは人と関わらない、独り善がりの人間の発想だ" と言うだろうし、メルンなら "『奇跡』を否定するのですか" と言うかもしれない。猫神様ならば "人間っていうのは人との間と書いて人間と書くんだよ"と言ってくるだろう。わかってる。

それに私たちは究極的に孤独のシチュエーションに耐えられない。どうしても他者を求めるようにもう自我が出来上がってしまう。一人で生きようにも生きられない矛盾を既に生まれながらにして抱えている。

それでも、一人一人誰からの価値観に呑まれず自己を表わし続ければいい。それが私が今思うひとつの理想だ。とはいえ、こんなの実現できないだろい。いくらなんでも難度が高すぎる。しかし望みが叶うならばそれがいちばんいいと思うのだ。

 

みんな繋がっているように見えて、その実、全然繋がっていない一個の点である―――そんな世界が。

 

くうは、その逆を行っていて、むしろ「ひとつになろう」と迫ってくる。しかも「ひとつにならないと困ったことになるよ?」と不安を煽り、考えることを放棄した人間ならば「困ったことになるんだったら……」と気持ちを引きずられていくかもしれない。

それにくうは、なぜ困ったことになるのか? を説明できない時点で、それがはったりや不安を煽る言葉でしかないことが伺える。

 

もしかしてその「困ったこと=ひとつにならないなら消し去るだけなんで」ってことを明言するのはヤバイって気づいてて言わないだけ? いやいやまさかねー、それは無いと思う。

だって、8話の終盤になって「ひとつになれない者をどうするか」の「解」に行き着いたのだから。もし最初からこの答えを持っていたのなら、はじめちゃんの質問の時に8話終盤の男性を呑み込んで消し去ったように「排除しよう」としたのではないか。

 

 

くう「はじめちゃん、そんなカタイこと言わないで、みんなでひとつになって安心しようよ」

はじめ「安心っすか?」

はじめ「てことは、みんな不安ってことすね」

くう「はじめちゃんのお話難しいっす」

はじめ「んー、そうっすかねー」

くう「はじめちゃん、ひとつにならないと困ったことになっちゃうかもよ?」

はじめ「困ったことってなんすか?」

……
……
……

 

――ガッチャマンクラウズInsight8話

 

 

 

「ダメだぞ、一人でいたら」
「はやく、ひとつになるよ」(※なるよ? なれよ? 音の判別つきませんでした)

「なんなんだよ!」
「放っといてくれっ!」

「なんだよあいつら」
「せっかく、くうさまが優しくしてるのに」
「あんな奴等、いなくなっちゃえばいいのに」

 

――追いかけられる民衆と、追いかけ回す民衆たち。ガッチャマンクラウズInsight8話

 

 

このままいくと、「ひとつになれない」人は差別され、排除されるな……と思ったら、くうさま率先してやりやがりましたネ、ハイ。

きっとはじめちゃんが言っていた「これ、ゲルちゃんじゃないっすね」部分はここも当て嵌まるのかなと思う。

 

 

あとあれだ。なぞなぞ。

 

 「いれるのは簡単だけど、だすのは結構難しい、みんなの大好物ってナーンダ!」

 

――カッツェ。ガッチャマンクラウズInsight8話

 

 

ベルクカッツェのなぞなぞは全然解らなくて、もう一度8話観直しても解らなくて結局「わからないことがわかった」だけだった。なんてコトダ。

 

でもそれじゃなんだかなって感じはするので、整理すると

 

・いれるのは簡単、だすのは結構むずかしい(性質)

・みんな大好物

・カッツェも大好き

・ゲルサドラは200万倍好き

・はじめちゃんが町を見渡す(=くうと一緒にいる人はフキダシ様が出てないけど、くうと一緒にいない人はフキダシ様がいる。一人目は緑。二人目は緑色)した後、答えがわかったと彼女は言う。

・はじめ「これ、ゲルちゃんじゃないっすね」

・はじめ「名前が一つじゃないってそういうことっすか~」

 

 

という感じ。問題とヒントはこんな感じ。

 

で全然答えな気がしないんだけど、でもあえてひねり出すなら、私は「他人の感情」だと提示してみる。

「他人の感情」は自分の中に取り"入れる"のは簡単だけど、"だそう"とすると結構難しい。苦しい、辛い、痛い、そういった他者感情を一度受け取ってしまえば、意識的に取外すのは困難。

そしてカッツェは人の負の感情が大好きだし、激オコな奴、泣きそうな奴を見て嘲笑う。ネットで炎上に加担している"みんな"もそういった感情は大好きだしさらに石を投げて遊んで「他人の感情」に群がっている。ゲルサドラは「みんなの感情」が知りたくてたまらないし、実際に彼はそれを体内に取り込んでいる。

「名前がひとつじゃないってのはそういうことっすか」というはじめちゃんの言葉は、「感情」というのはひとつのタームだけど、本当は幾百の情緒・気持ちの集合体の総称でしかない。だから「名前はひとつじゃない」となる。

 

……無理筋? あるある。

 

 

 

 

 

 

 

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