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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

世界を「聴く」ことははてしなく遠い。Charlotte第9話

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※追記

Charlotteの考察記事を書きました。よければどうぞ。

Charlotte考察―もう僕たちに奇跡は必要ない―

 

TRIGGER

 

THE ENDの「音楽」を起点にして世界Aと世界Bの乙坂は"繋がった"。

 

そしてこれこそが「世界を"聴い"ている者」の景色だろう。

 

私は世界を"見る"ことしか出来ないから、音を映像に変換して視覚化してももらわなければそれが如何様か把握できない。どうしても景色、視点、見るという言葉を使ってしまうくらいに「音」で世界の在り方を把握できない。音素であふれた世界を認知できない。

それは果てしなく遠い。手を伸ばしても掴める手応えを全く感じさせないくらいに、そこには断絶がある。Charlotteもまた「音」だけではそれを表わ切れてはいないいやしかし感じる者にはその世界が広がっているかもしれないが。

 

「音」だけで捉える世界ははたしてどんなものなのか? 

 

少なくとも解っているのはそれは「点上の世界」ではないということだ。一瞬にして凝固し特異点のただなかだたよう世界ではなく、氷のそれでもなく、むしろ「線上」であり「座標軸を進んでいく」ものだろう。

そうそれは「時間」だ。

音素の世界はいわば時間の世界と言っても差支えない。そこには永遠はない。あるのは流動的ななにかだ。永遠と対抗するもの。繋がりが弱いもの。けれど流れてはいく。だから「永遠の世界」を元にして「音の世界」を理解しようとしても理解できない。両者は全く別のものなのだから。

それは現実の時間を同時進行で流れている世界なのか? はたまた現実世界とは区切られた(しかし点上の世界でもない)別の時間が流れる場所なのか?

おそらくこれは同時に成立できる。歌が流れる現実世界と、それとは別の音の世界が寄り添いながら並列しながら同時刻を刻んでいくと。

 

……はは、どおりで、継時処理ってそういうことか。奴等は時間に重きを置いている。いや置くことしか知らないからこそ、何にでも繋げていくのか。"繋げる"っつーのは時間だからだ。馬鹿馬鹿しい。馬鹿じゃないの。

 

 

パイプ椅子

 

ライブでパイプ椅子の所に行ったことなくて、そういうこともあるのかと思った。友利がいうようにキャパすっげー狭い。

 

 

 

薬の味がするカレー

 

どんな不味い食材でも臭いがキツイものもカレーにすればある程度は抑えられる。食えるものになる。けれどそのカレーでさえも「薬の味がするんだよ」と言わしめてしまうほどに"薬"っぽさの味がたんまりするってことなのだろうか。

うむむ。

 

 

乙坂隼翼

 

兄ちゃんの声を最初聞いたとき「んん??」となったけど、ちゃんと喋ってる所を聞いていると別段悪くない。いやむしろよい。こういう気さくで茶目っ気あり芯がありそうな人間は好感を覚える。

そしてコレ以上は言及しないでおこう。

 

 

 

考えないということ

 

うむ。やはりCharlotteは「考察するためのアニメ」ではなかったことがよくわかる回だった。

 

というより考える/解釈することってそんなに良いものではないんだけれど、Charlotteを見ているとそういうの再認識するよね。

"考えない"ことをコントロールすること、"考え"ることを抑止すること、そして意識的に「何について」考えるかを決めていくことは大事。

 

簡単にいうと「物語展開」「物語構造」を予見し、予測し、推測することは害悪ではないか? ということ。この"点において"の考察は考察している時は楽しいのだけれど、全体的に見るとその作品の楽しみを自分で奪っているんだよね。

予測するっていうのはそういうことなので。

特に全てを読了した後でやる小説・映画・ゲームなどとは違い、放送中のアニメはその傾向がとても強い。でここを理解しないままずっとやっていくと気づいた時には……というお話。いつかもっと詳しく書きま(いやもう既に書いて)あったり。

 

・死んだ人間は生き返られない

 

 

 

 

ECHO
ECHO
posted 15.08.30
ZHIEND
Aniplex (music) (2015-10-14)

 

 

 

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