累くんは、まず人類から仕事を奪ってみたらどうだろう? ガッチャマンクラウズInsight

ガッチャマン クラウズ ノベライゼーション SUGANE NOTE 2015-2016

 

爾乃美家累(にのみやるい)の理想は、人類が自分で考え、選び、決断するといった内発性の獲得であり、そうして世界がアップデートすることだ。

 

しかし日本国内に限定しても――2:6:2の法則で考えると――その内の2割が賢くクラウズを有効に活用できるかもしれないが、残りの8割はうまく使いこなせないだろう。彼らは自分で物を考えられない、空気に流されるだけの猿だからだ。下手をすれば現社会を壊滅的にまで破壊するようなクラウズの使い方をする可能性が高い。

もちろん賢い2割が危険な使い方をしない、なんてことは言えないのだけれど、残りの8割よりはその可能性を低く見積もれるのではないかと思う。「賢い」人間は自分の生活基板を揺らがす事などしないだろうし、ニヒリズムではありえないのだから。


そう、累の理想が実現するのは途方もなく難しい。


8割に属する人間は「考え」るなんてことをしたくはないからこそ、世間に流されるし、空気に飲まれ、意思決定を放棄するのだ。エリートは「考える」ことを自然にできるかもしれないが、衆生にとってそれはとてもキツイものである。

ここで言っている「考える」とは、頭の中で同じ問題をただループさせることや、勉学によって詰め込んだ知識を再生することではない。「問題に対する解を自ら結論付けるまで」のこと「考える」と言っている。

人間は「考える」ことをぶっ通しで2時間も3時間もできないし、出来たとしても相当に疲れるものだ。本当に本当に疲弊する。ましてや一日中考え続けられる人など存在しないのだがもし出来るという人がいたら、その人は考えることを履き違えているか勘違いしているだろう。


それくらい「考える」ことは行動コストが高い。

 

これは7話でゲルサドラが「みんなが望んでいたこと」と言い、「サドラにおまかせボタン」を国政の決定基準に実装したことからも伺えよう。となれば6割の普通な人、2割の愚かな人が、「考える」ことそれそのものに取っかかるのは果てしない願望だと理解できるのではないか。

 

しかしそれでも爾乃美家累が「人類の内発性の獲得」を望むのならば、まずは人類から仕事を奪い「考えるための時間」を創造してみたらどうだろう? CloudsSystemを導入するのはその後かもしれない。

すなわち、多くの人は日々の生活を送るために仕事をしている。家賃、電気代、食費、水道、ガス、住民税、健康保険、国民年金その他多くにお金はかかり、だからこそお金が必要で、お金を得るために働く。じゃなければ生きれない。そういったメインスケジュールの他にも知人、友人、家族、恋人関係といったものに時間を注ぎ込み、人によって更に趣味にまで注いでいくことになる。

こうなると毎日毎日あらゆるタスク・スケジュールに追われてヘトヘトになり、精神は疲れ、考える時間があっても考えられない状態に陥るだろう。いや、そもそもその時間が圧倒的に無いわけだ。

だから細切れの時間を有効活用する意識が芽生えてくるし、趣味に対してまで「◯◯をしなければいけない」「いついつにまで☓☓消化しないと」という言葉がぽろりと出る。この時点でなにかおかしい。

おそらく今や、娯楽が義務化してしまっている人なんて珍しくないんじゃ? そうして生活への負担になっている人も多いのでは?

そんな中で――一見自分の生活とは縁遠い――「社会」「政治」「世界」にたいしてまで「考える」ための時間を割くことができるのは一体何%になるのだろうか。おそらく全然いない。上述した3つを趣味にしている人だとしても、それより優先すべき仕事と人間関係が圧迫してくれば手が出せなくなってしまうし、過密になればなるほど"生活する為"だけの毎日になっていく。

 

繰り返すが、圧倒的に時間が足りないのだ。みんな忙しすぎる。

 

だから、そのボトルネックである「仕事」をまず簒奪し、しかしその上で「文化的生活」とよばれる水準の衣食住を人類に提供できたら、人はさまざまなことを精神的余裕を保ちつつ「考えるための時間」が生まれるようになる。

 

 

技術革新によって「考える」ための時間を増やす

 

 

下のリンク先はそんなお話。

石黒浩氏が言うには人間はでっかい脳を持っているが、それを十全に使用できてはいないらしい。

日々やっていることは犬猫でもできるようなもので食べたり、喋ったり、テレビを見たりといったもので、人間だけができるものは世界を抽象化し客観視したりする「考える」こと。けどその為の「時間」がない。ロボットなどの技術発展によってそのでっかい脳を使うための「考える」時間を増やしていくことが未来なのではないか?と語る。


石黒浩氏(以下、石黒):(前略)技術によって人間の定義が変わると同時に生活は楽チンになるわけですよね。楽チンになればなるほど、自分に問いかける時間が出てくると。技術によって進化した自分の生活とか自分の体とか、そういったものを見ながら自分について考えるっていうのが未来だと思ってて。

だからロボットも必要だし、チームラボの展示みたいなのを見て「芸術って何かな?」とか、「何で感動するのかな?」とか、そういうことをもう少し考える時間をみんなが増やすというのは僕は理想だと思ってるんですよ。

 

――チームラボ猪子寿之氏が家族のつながりが不幸をもたらす理由を語る - ログミー

 

 

石黒:でも、いずれにしても、だからそう考えると、要するに人間って、こんなに大きな脳を持ってても、ほとんど役に立ってないんですよ。唯一、これは客観視というか、自分を第三者的に見るために、シミュレーションするために、こんな大きな脳を持ってるわけで。

その脳、もっとちゃんと生かさないといけないんじゃないかなという気はするんですよね。だから、まだまだ脳、使われてないところたくさんあるので。

内田:もっともっと使われるようになると思う。

石黒:と思ってはいますけどね。でも、要するにこういう、物事を客観視する機能を持っちゃったがゆえに、そこしか行くとこないんじゃないかっていう気がしてます。

内田:なるほど。

石黒:自分について考える以外に、人間ってもう存在価値っていうか生きていく目的がないでしょう。もし、そうじゃなかったら脳は小さくなるはずなんですよ。

でも多分、これからどうなるかわかんないですよ。大きくなる人と小っちゃくなる人、出てくるのかもしれないですけど、でも少なくとも人は人で、人とは何かって考えるために生きてるように僕は思ってるので。そういう時間が少しでも増えるのが未来だと思ってる。

 

――チームラボ猪子寿之氏が家族のつながりが不幸をもたらす理由を語る - ログミー

 

 

 またAI研究者の一杉裕志氏も、人口知能による失業について、この先「自動化賛成派」が選挙で勝つこともありえるだろうと言う。

 

 

松田 人工知能による失業についてはどう考えていますか?

一杉 日本では少子高齢化が進んでおり、今後は労働力不足のほうが深刻な問題になってくると思います。いままで世界はアジアの労働力を使ってきたわけですが、アジアの人たちもどんどん生活水準が上がってきて人件費がかなり高くなってきている。今後はやはりロボット化、人工知能化が重要ではないでしょうか。つまり、いまは失業のほうが問題ですけれども、今後は労働力不足のほうが深刻な問題になるので、その対応をいまからやっておく必要がある。そのために人工知能開発を進めるべきだと思います。これについては、違う意見をもっている方もいるかもしれませんが。

それに、いま現在でも、日本人の半分くらいは働いていないんですよね。定年退職した人以外にも、社会保障で暮らしている人や、学生も大学院まで進む人が増えました。自動化によって仕事を奪われる人たちは反対するわけですが、その一方で働いていない人たちにとっては、社会福祉の原資を増やすために生産性が上がってくれたほうがいい。その闘いになるわけです。いまはちょうど拮抗していますが、今後は働いていない人たちの方が優勢になります。「自動化賛成派」が選挙で勝つ時代も、そんなに先ではないと思います。

 

――人工知能に恋をしてはいけない:AI研究者・一杉裕志が語るAI社会の倫理、雇用、法律 #wiredai Page2 « WIRED.jp

 

 

上述したリンクを提示したのは「人工知能」「ロボット」の技術発展によって人類は働かなくても済むようになるかもしれないね、ということ。とはいえ、例えそれが実現したとしても働きたい人は働くだろうし、働くことを生きがいにしている人はそのままになるだろう。ただそれでも「過密さ」の部分が大幅に削減されて働いていても精神的ゆとりのある時間的資源が豊富な生活になるのではないだろうか。それは簡単なことじゃないだろうし、今すぐ実現するわけでもないし、人工知能、ロボットによる技術革新に限らなくてもいいが累くんが目指す理想はまずここからではないか。

 

 

もちろん「考えるための時間」を増やしたからといって、普通の人・愚かな人が「考える」ようになるかはまたすこし違ってくる。

彼らは増えた時間を人と話す時間に使うかもしれないし、これまで以上にサブカル産業に注ぎ込むかもしれない。けれど本を読む人はこれまで以上に本を読むだろうし、政治や社会について考えたかった人はより考えるようになるのは間違いないのだ。

「考えるための時間」がなければ、いくらみんな考えて!って言っても誰も考えることなんてしない。考えたくない、ということもあるが、それ以上に「考えるほどの余裕がない」から。

だからその為の時間を増やすことは、爾乃美家累の理想である「人類の内発性の獲得」への必要な土台部分を果たすものだと考えるのである。

そしてこの土台を実現した上で――「考えるための時間」を人類に提供した上で――CloudsSystemを導入するか再度考えればいいだろう。

人間は「考えるための時間」を得ても2:6:2の法則に縛られるのかどうか、多くの人間が内発性を獲得できるか、"空気"に流されないだけの意志を有すか否か、慎重に見極めていけばいい。

 

 

 

 

Insight (TV size)
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posted  at 15.08.25
VAP (2015-07-05)

 


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私的にはそういった社会が実現したら「哲学者」と「芸術家」がバンバン生まれるのではないかと思う。先述した記事でも語られているが、仕事も、それ以外も、全部創造的になって、娯楽が一層充実するに違いない。それは「ゲーム」が生まれ普及していった事情と似ている。「時間」がなかったら「ゲーム」は皆やらないのでね。そしてゲームに熱中しているのは学生が多いのもその為。そしてそのための時間が増え、多くの人っ言がこれまで以上に娯楽をやるのなら娯楽はより多様化するし、コンテンツは一層多様性を帯び、市場は複数乱立する。

とはいえ、いくら哲学者や芸術家が増えようと、それらと「内発性」ある人間が増えるかは全然関係ないんだけどね。さてどうなるだろうか。人間は果たして考える為の時間を得ても、内発性の無い猿ばかりのままだろうか? もしそうならば、今度はそういった「猿」を前提にした社会を目指すのも、いやいやていうかそれがゲルのやり方なわけで。