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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

レビューという行為は、アニメやギャルゲーをただの「実用品」として扱うようになるのでは

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レビューという言葉は多義的に使われていますので、ここではアニメ・ギャルゲーレビューサイトでよく見かける「作品を機能毎に分解し評価」することをレビューと定義します。

シナリオ、CG、作画、演出、音楽、キャラクターといった要素に分けてその一つづつに執筆者の評価が下し、★★★やS.A,B,といったクラス分けするのが一般的でしょうか。

「レビュー」という行為は市場形成において重要な役割であると考えているので、その行為自体を否定するつもりはありません。ただしアニメといった物語を「実用品」に落とし込めてしまう作用もあるのも確かでしょう。

私が危惧しているのは、アニメやギャルゲーといった物語をある種の「感覚」として今まで接してきた人が、物語を他者に伝えるためにレビュー(=機能毎に分解し評価する)という方法を取り「実用品」としてしか見れなくなってしまうことです。

 

「いやいや物語は商品であり、娯楽なんだから、実用品でしょ?」


と言っちゃう人は、風船ウサギに夢を詰められなくなった人、ナナミ課題がうまくこなせない方だと思うのでこの記事は無用に違いありません。

 

 

 ・参照

 

 

レビューは物語を実用品とみなしていく?

 

もしも作品レビューを書き続けてきて「なんか……違うなあ……」とか「自分がやりたかったことはこれなのかな」といった不和を感じているならば、すっぱりとやめたほうがよいかもしれません。

物語を分解し評価することは「日用洗剤を品定めし」「洗剤の機能の優劣によって購入する」のと変わりがなくなってきます。もちろん物語は機能毎に評価できますけど、けれど実用品ではないんですよね。あれは自分の感覚経験を追加するようなものなので。

そしてそういった実用品としての目線で書き続けることはだんだんとその価値観が自己内に定着していくので、段々とナナミ課題がうまくこなせなくなっていくのでは……と考えてます。

というのも、私自身、作品紹介する時、どうしても対象の物語をカテゴライズ・要素分解して紹介案内を書いてしまうんですが(=紹介する場合これが訴求力高いので)、ただそういうことをずっと続けていくとだんだんとその物語の"夢"みたいなものがなくなっていく気配がします。

 

それに、物語は分解しなくていいし、評価しなくていいし、言葉にさえしなくていいと思います。

ただただその作品から生まれる直接性を見て・聞いて・感じる。そういった感覚として十分に味わうことこそが肝要なので、「レビュー」することは正直物語快楽の目線でいえば不必要でしょう。別段、詳しく物語を語ったり、具体的に評したりする必要なんてなくていいと思うんですよね、これってある意味で毒なので。

私はこのブログで物語を語ってますけど、「物機能毎に分解し評価する」ことは限りなくやっていないのもこの為です。いや、ちょっとはやっている時もありますが、基本的にはやると毒されることを経験的に判っているので詳しく書くことはなくさらっと書くくらいに留めています。多分。

 

最近だと実験的にレビュー(=機能毎に分解し評価)したのは『好き好き大好き!』の記事くらいでしょうか。

 

 

・参照

 

 

レビューは市場的な目線で見るとわりと良い行為なんですけど、でもこれってMacroな視点であって、Microな視点ではないんですよね。

つまり個人・自分としての物語快楽的な利益を鑑みるとレビューなんてしなくていいと。

それでももし物語を言語化したいのであれば、写経か、物語の形式を共感を込めながら描写する、そういった方法がベストなのかもしれません。

というのが最近の私の考えです。