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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

優劣の意識のまなざし

思考の種子
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最小限生活主義――それは物を持たない生活様式を目指し、いかにクオリティ・オブ・ライフを上げられるかを趣味とする人たちの事。(ここから派生していかに働かず最大幸福を得るという向きもあるそうで)

この様式自体はおかしくもなんともなく、この思想が気に入ればやりたい人がやればいいだけです。

ただ以前にこの最小限生活主義の方々が、「日本は働き過ぎだよね」という主張の(表現の仕方)が問題になってある界隈で批判された事がありました。(主張そのものが危うかったのではなくあれは文章表現が煽りすぎたことが要因だと思います)

その批判内容はというと―――「まずはお前のプライドを"最小限"にしろよ」「そもそもそんな事ブログに書いているのは"無駄"じゃないの」「自分達の思想が優れていると言いたいが為に必至になって働いている人を馬鹿にするのはどうなの?」などありました。

さて本記事で取り上げたいのは、この「自分たちの思想が優れていると主張するために逆思想を仮想的とする方法の是非」についてです。

結論から言えば、それが "できる" のならばやらないほうがいいです。↑の問題提起は言葉にしてみると「あーそれやっちゃいけないよね」なんて思いますけれど、実際それを実現できる人はどれくらいのいるのか疑問です。なにより上述のように批判していた人々は、過去のブログやTwitterではこれとは"違う"事柄でなんらかの自分の思想や趣味・信念を優れていると断言していたり、ほのめかしていたり、他者を見下していたり、はたまたネットストーカー歴3年以上の毎日匿名日記で毎日の鬱憤を汚い言葉でぶちまけている猛者もいますしねあこれは関係なかった。そんな風景を見ていると「彼らのどの口がそんなことを言っているのだろう」とやはり思ってしまうわけです。

中には「自分の思想が優れていると主張するために逆思想を仮想敵にしない」ことを実行し続けている人もいるでしょう。けれどその人は最初からできていたのか? と考えると疑わしいのではないかと私は思います。

というのも、その境地に至るには特定の段階・フェーズを乗り越えたからこそ出来るようになったのでは? もっというと「自分の思想が優れていると主張するために逆思想を仮想敵にしていた」過去の経験があるからこそ、今現在では「自分の思想が優れていると主張するために逆思想を仮想敵にしない」ことが出来るのではないんですかね。

自他への優劣の意識を踏ませず(あるいは無視して)「今日からそういうふうに生きるのやめなよ」と突きつけることがおかしいのはその過程を無視しているからです。そしてこの突きつける構造自体が突きつける側に突きつけた側への優劣の意識があるからに他なりません。

プロゲーマーの梅原大吾氏は「昔は格闘ゲームを本気になってプレイしていない人を見てイライラしてたけど、今は自分は自分、他人は他人と思えるようになった」という趣旨の発言が著『勝ち続ける意志』にあったと思うんですけど、これを読んだ時にゲームの歴史にこんなに凄い結果を残している人でもそういった優劣の意識はあったんだなと思ったことがあります。

 

以上を踏まえて私の結論としては「優劣の意識をなくせることが "できる "ならばやればいいが、今現在できないのならばできなくていい」となります。それが仮に「相手が劣り自身が優れている」という意識に絡め取られたとしても、そのフェーズが今必要ならばちゃんと踏みしめるべきなんですよ。それを無視してしまってはずっと優劣の意識から抜け出せないのであれば、余計に。

もちろん「自分の思想が優れていると主張するために逆思想を仮想敵にする」ことは、逆側の思想に位置する他者を不快にするので「するな」いう主張は正しいです。でもそれは正しいだけです。それを言っている本人すら出来ない無意味な正しさでしかありません。それくらい優劣の意識を表明しないことは「正しいけど、実践するのは難しい」領域にあると思います。これはいわゆる"言葉の世界"のお話なのでね、いくら「万物の優劣は全て観測者によって決定づけられている」「絶対的なものなどこの世にないからこそこんにち相対主義的思想に突入したであろう」「あらゆるものに絶対的な価値はない」ことを理屈で分かっていても、それを"実感"として認識し行動に移せるかはまた別問題でしょう。私も上述したことは知っているし、自分が好きなものさえもあらゆる意味において相対的な価値しか持たず絶対的な正しさなどないことを知っていてもどうしても逆側の思想がムカツキますし嫌悪を催しちゃうことなんてしょっちゅうですし攻撃することなんてざらなわけです。そしてこれは何も最小限生活主義ブログの文脈に限らず、全てにおいて当て嵌まるでしょう。つまり勉学、篤志、ビジネス、対人関係、趣味、あらゆる思想において「優劣の意識のまなざし」はそこかしこにあり、誰もが持っており、他者に向けて常時みんな投げつけているのです。

そんな「優劣の意識」を心にとどめておくか、誰かに向けて言葉にするか、不特定多数が閲覧する場所で表明するかは大きな分水嶺かもしれません。けれど上述したことを全て踏まえて――相応の批判を覚悟し――「やる必要がある」「表明しなければいけない」とその人が思ったのならばガンガンやってくれていいんじゃないですかね。ガンガンやってそのフェーズを噛み締めて乗り越えていけばいいと思います。そしてこれは『Rewrite Harvest festa! 』でミドウ達の境遇に言及するちはやの言葉を引き継いだ吉野へのアンサーアーティクルだったりもするわけです。つまり吉野が言っていることは正しいし分かるけど、それを実行できる人間は数%だよ! 多くの人間がその境地へ最初から到達できるわけじゃなくて、様々な時間を経過しながらようやく老衰しながら到れる地点だよと言いたいのです。

 

 

 

Rewrite Harvest festa!
Rewrite Harvest festa!
posted 15.07.23
KEY (2012-07-27)