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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

「好きを諦める」というユリ熊嵐の逆的考え方

アニメ ユリ熊嵐 思考の種子
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「好き」という気持ちは尊い。

他者に親しみを覚え好意を寄せる恋から、思想や芸術、景色や土地を愛でることは素敵なことだと感じるし、何かを好きになること、何かを愛することはわたしがわたしであるために必要なものであり、わたしがわたしであると証明する自同律のようでさえある。

それは『ユリ熊嵐』が何度も何度も繰り返したように「好きを諦めない」という言葉に繋がるのかもしれない。

「好き」という気持ちは大切なものだから諦めちゃダメだ、捨てちゃダメだと。

例え何かを好きになることが辛く苦しいことであっても その好きを諦めてしまったら私は私じゃなくなってしまう。空っぽな存在になってしまう。そんなのはきっと嫌だ。

けれど同時に、そういった好きへの執着が懊悩を生み出す要因でもあるのは確かだ。好きだから痛い、好きだから悲しいことで現世はいっぱいになってくる。愛欲がすべての苦しみだと説く偉人もいるように、「好き」が全ての苦渋の根源だと最近思うのだよ。

愛は全にして一。この世全ての情念なのかもしれないが、しかしそれは同時に渇愛も生むことになる。アイカツ!アイカツ! もし多くの人間がそれを断ち切る事に成功したならば、悲哀や雪辱といった概念もまた霧散するだろう。

 

 

嫌い嫌いのディーラ・ドゥーラ

 

これは嫌い嫌いの"ディーラ・ドゥーラ"になれと言っているわけでもない。空が嫌い、水が嫌い、あなたが嫌い。嫌い嫌い大っ嫌い。彼女はそうして世界の最果てへここではない何処かへ旅立ってしまったけれど、そうではなく好きも嫌いもどちらとも諦めるというお話だ。

あらゆる気持ちを諦める―――それはたしかに衆生には無理だと考え、説くことを渋ってしまった彼の気持ちも分かるような気はする。

人間から「情」を取ってしまったら一体何になるんだ? そんなのは人間と呼べるのか? 闇があるからこそ生は輝くのではないか―――そう反論してしまうに違いない。それくらい好きとか嫌いとか、愛とか嫌悪とかは深く深く私たちの精神に根付いている。それを今更…………と思ってしまうのは無理もない。

でも周回する世界を望んだように、形式と内面が同じであることを知ったように、人間はどんな環境でも慣れるものだとは思うけどね。

"人間らしさ" なんてものはその時代によって生まれた価値観の1つに過ぎないわけで、あらゆる国、文化、民族によって"人間らしさ"は違ってくるもの。いつか「情を取り払った存在が人間である」という価値観が一般的になったとしても全然驚かないよ。

ペットボトルの水を自販機で買うことに慣れたように、そんな人間らしさに慣れる日もあるだろう。

その実現が良いか悪いかは別として途方もなく難しいけど。

 

 

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