猫箱ただひとつ

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アイドルに恋してる人は、自分で作りあげた観念を好きになっているだけなのではないか

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(イメージ画像。デレマスについて話したいわけじゃなく一般的なアイドルについて)


私にも言えることですが、アイドル(=声優でも芸能人でもいいですが)に恋したり好きになったりする場合、その人のことが好きなわけじゃないんですよね。

いや確かに美人でイケメンで綺麗な容姿、他人を思いやる良い人そうな人格、一生懸命な物事への姿勢、そこからにじむ精神性を見て好きになったらその好きは本物でしょう。

けれどそれはあくまでも「メディア上で表出」されたものでしかないです。テレビやラジオやネットで表現されたその人の「一部分」を好きなだけで、もちろん "それだけ" がその人の全部であるなんて事はありません。

アイドルは我々と同じくただの人間で、汚いとこも、気に入らない所も存在しますけど、ただそれはメディア上で表れないことが殆どんでしょう。

実際に言葉を交わしてみたら自己中心的な態度に辟易してしまうかもしれませんし、横暴な言葉遣いに眉をひそめてしまうかもしれない。心がぐちゃぐちゃに淀んでいて一緒にいると疲れてしまうかもしれない。

悪いだけの人間がいないように、良い人だけ、綺麗な人だけっていう人もまた存在しない。ましてや、可愛いだけの人間なんてありえません。

 

これはアイドルに限らず、あらゆる対人関係でも同じでしょう。最初は勝手気ままに相手に印象付けをし、好意、悪意、無関心をなすりつける。

けれど会話を繰り返し、何を自分は感じているか、考えているか、相手は何を感じているか考えているかを共有し続けてくことで「最初に肉付けた相手の印象」をそぎ落とし、「自分に都合のいい相手の姿」を破壊して、ようやく目の前にいる人をちゃんと見ることができる。

逆にこのフェーズがない場合は、ムカつく奴はずっとムカつくだけの人間ですし、悪い奴は悪いだけの人間、いい人はいい人だけの人間になってしまう。当人の中で相手の多面性を考慮されることはなく、一面のみがクローズアップされ続ける。


アイドルとそれを応援する私達に起こっているのはまさに↑であり、蜜なコミュニケーションによる自分に都合のいい相手への印象を「削ぎ落とす」機会が与えられていません。だからこそアイドルに恋人ができたり声優が結婚すると、泣き喚いたり怒ったりする人がでてきてしまう。

自分でこしらえた相手の印象と、現実の相手像が"ズレ"はじめて、その"ズレ"が決定的なものになってしまったから。

アイドルに抱いた「好き」は生身の彼彼女らに向けられたものではなく、自身がつくりあげた観念に向けられているというわけです。

そのつくりあげた観念化された相手はもうその人自身じゃないですし、ただのバービー人形であり、お伽話の住人です。

 

"私は、あんた達にとっては綺麗な肉なのよ"


――彼女たちの流儀

 

けれどアイドル(偶像)とはそういうものなのかも。

数多の人間の理想を押し付けられて、「お前はこういうキャラだ」とキャラを強要され、その理想を愚直に守ろうとする。

守ることが辛くなったり、守りきれなくなったり(そもそもただの人間が生涯貫き通すことは無理なんだけど)、守りきれなくなったことが発覚してしまうとただの人間に位を落とされ、アイドルではいられなくなってしまう。

幻想が剥がれ落ち、その人の生身の部分がが表れただけだというのに。

そして、もしそれを悲しんだり怒るのであれば―――(繰り返しますが)そのアイドルを好きだった人たちは、そのアイドル自身ではなく、自身が生み出した理想化された観念を好いていたということになるんでしょう。



恋に恋する、を地で行く感じで。

 

 

「人が変わった、とか そんな人じゃなかった、とか」

「よくあるけど……」

「そんな風に思ってなかった、私の思い上がりだった……」

「そういう自己の欺瞞に対する嫌悪が普通は先なんじゃないかな?」


――SCE_2