猫箱ただひとつ

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今更ながらに「スクールランブル」読み始めてます

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School Rumble
通称スクラン

タイトルは一応知っているものの漫画版もさることながらアニメ版もほぼ未読という状態だったんですけど、布教を受け今更ながらに読み始めてます。漫画のほうです。

内容はいうと、「主人公・塚本天満の片思いから始まるどたばたラブコメディ」とざっくり捉えられるでしょうか。私の感覚だと「ストーリーはあるようでなさそうであるような」感じで、どちらかというとストーリーよりコメディ要素が強いですね。 

*2860文字

 

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複数の視点の交差・スクラン

 

それとどうも「主人公」は塚本天満だけではなく、他にも主人公と読んで差し支えない人物が幾人もいて群集劇ぽいような印象も受ける。

1巻か2巻ではストーリーの合間合間にキャラ紹介がされるているんですけど、そこでは塚本八雲(天満の妹)が「本作の主人公」というふうに本編内で表記されていて「あれ天満じゃないんだ」と思ったのを覚えています。

八雲は一人だけ(?)人の心を読める力なる、枷、を持っている子ですし、幽霊との接触もあるし確かになんだか「特別」っぽい雰囲気がある。

もしかしたらこれからこの子を中心としてストーリーが始まるのかな?と序盤では思っていたこともありましたがでも今20巻目ですがそんなことなかったですよね。

あと何巻か忘れてしまったんですけど、播磨拳児というキャラクターも本編内で「主人公」とさらっと表記されていたと思うんですがどうでしたっけ。

   ◆

――播磨拳児の物語、塚本天満の物語、八雲の物語、沢近愛理の物語、周防美琴物語...……「いろいろな人物の視点が絡み合う」「ごちゃまぜ」といった意味でスクールランブル→Scramble(引っ掻き回す/奪い合い/先を争う)という意味かもなーと。

普通の高校生活がいきなり「サバゲー」になったり「時代劇風」になったりするコメディ展開もScrambleという意味に違わないしなるほどとひとりでに納得。

しかしよくよくタイトルを見ると「School R"u"mble」になっていて、若干スペルが違うのは何かあるのかな。それとも「Scramble」という由来ではないのかなと悩む等。どうなんだろ。

それと個人的に「塚本天満→烏丸大路」よりかは「お譲渡と播磨拳児」の恋路のほうがすごい気になるので最終巻まで早く読みたい。(今20巻目)

 

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スクランのアニメ化は2004-2005にかけて放映されたようですが当時の記憶があんまり無い。

ぐるぐるまわーるぐるぐるまわーる♪というフレーズを覚えているし、お嬢と播磨拳児がラブコメの波動を出していたり、八雲と猫(伊織)が夜、木の下でなにかしらしているシーンも微かに覚えている程度。たぶん途切れ途切れにしか見ていなかったのかなと思う。

当時まだDVDレコーダー(一度設定すれば翌週翌々週と自動的に当該番組を録画してくれる機能という意味でここでは使う)というものは普及していなくアニメはリアルタイムで見るものだったのも関係したのかも。

夕方・深夜問わず放映する時間には家に帰りてテレビの前に座り番組が始まるのを待つ。その時間に間に合わなかったり、ついついうっかり忘れて見逃した時は大変ショックを受けていたっけ……。

でもビデオ録画はなんだか面倒くさいし、無くなればいちいち買うのも嫌だしで遠慮していたのでその結果は当然なるべきかな(涙)

今でもアニメはリアルタイムで見ようと思えば見れるけれど、レコーダーという圧倒的な録画機能の簡便さがそういった不合理な行動を抑制しているとさえ思える。気のせいかも。いやそんなことないよ。

"リアルタイム性"っていうのは結構バカにできなくて、「いつでも見れる環境」と「その時間を見逃したらもう見れない環境」では後者のほうが切迫感が違うよね。

この切迫感は「一秒すら見逃さないようにしなければ」といった集中力にも繋がるので、一回性にも関係してきそうだなと思う今日このごろ。

放映時間を優先するのってもう今の私じゃ考えられないけど、好きなアニメだったらそれくらいはしてもいいのかもしれない。『Angel Beats!』や『まどか☆マギカ』は当時レコーダーを持っていながらもリアルタイムで見ていた数少ない作品だったり、今度放映するKeyの『Charlotte(シャーロット)』も同じようにリアルタイムで観てみようかなと思っています。わくわく。

 

 

 

スクランを読んでて思ったのは―――本編と全然関係ないですけど―――「主人公」が「地獄の責務を負わされストーリーを強制的に進めなければならない存在」だと考えるならば、「メインヒロイン」はこの視点でいうならばどういう存在になるのだろうか? と。

「主人公」というポジション、役目、存在って結構いろんなところで言及されるのを見かけるんですけど、個人的には「メインヒロインの存在」を扱った意見とか題材にした作品とかを読んだことが少ないような。観測範囲の問題かもしれんですけどね、ずんじゃかずんじゃかじゃーん。

確かなろう小説群にそういった作品あったような気するんですけどね……んー、なんだったかなあ。


とりあえず、言葉の厳密な定義をしないまま思考をすすめてみるとしましょう。

「メインヒロイン」という概念をスクランで考えれば、(私が思う)メインヒロインって存在しないような気さえする。天満?八雲?お嬢? 確かに物語の出番多いしキャラ立っているしラブコメしているけど、"メイン"なのか?と言われるとなんだか違う。

そう考えるとこの"メイン"って誰にとってのメインなのかという疑問に生じてくる。そもそも主人公という存在がスクランは無い(ように感じる)ので、そのせいかもしれない。

メインヒロインとは主人公にとって「物語の中心にいる恋せし相手」であるならば、主人公という物語の中心的なキャラクター、あるいは物語を進める担い手語り手が存在しない(あるいは希薄)ならば「メインヒロイン」という概念さえも希薄になっていくかもしれない。

ヒロインという言葉には必ずしも「恋」の要素はつかないかもしれないが、私が考えたいのは「恋」がからむヒロインであり、そのポジションなんだよね。

この思考はスクランとは関係ないのだけれど、少し煮詰めていきたいなと。「メインヒロイン」という概念についておいおい考えていきたい。 


今日はこんなオチもなにもない感じでおしまい。

 

 

―― 次回予告(明日7時)

「おもしろいと言われてるダンジョン飯の感想はというと……?」

 

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