猫箱ただひとつ

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焼畑農業をしよう、人生の。

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*1867文字 

 

人生を焼畑農業

 

自分の日常をネット上で開陳している人は多く見かけるし、私自身もまたやっている。

今日何があって、食べて、飲んで、会話をしてという情報を電脳の海に投下していき写真・動画・文字という媒体を適切に使ってブログ、SNS、匿名掲示板に日常生活を流し込んでいく。

流し込む動機は人によって様々だがコミュニケーションコストの低下、コンテキスト共有の快楽、自己顕示欲、承認欲求、所属欲求がぱっと挙げられるだろうか。

しかしどんな動機であれ「日常」レベルの情報共有ならなるほどーという感じで受け止められるが、これが少し深いレベルの「人生」のお話なら少し訝しむようになる。

それも「当人にとって大切(だろう)思い出」を「コンテンツ」として昇華してしまうことに疑問を抱いている。

プロポーズデートの一部始終、恋人とのセッ久、人生の転換期に貰った同僚の言葉、親友との馴れ初め、心を滲ませる過去の日々……などなど。

私から見て「それってあなたにとって大切な思い出だと思うのだけど……なんでネットで開陳するんだろう……」と思ってしまうということでもある。

そんな当人にとって「大切な思い出であろう」を不特定多数の人間に見せようとする動機がよく分からない。いや分かる分かるよ自己顕示欲と承認欲求が満たせるものねそりゃやるしかないよ自分にはこんな良い思い出があってお前らとは違って充実している人生送ってるんだよと見せびらかすことで悦に浸るものね。更にコンテンツの出来栄えが良ければイイネ!を押して貰えるしシェアだってコメントだって貰えちゃうからやるしかないんだよ!うりゅー!

自分の人生が他者よりも独自性に溢れるものならば市場から「有益」だと看做されPVだってバンバン増えることさえある。

だからこそ不特定多数形式の結婚式(かつネット放送)も行なわれるようになっており自分にとって大切な記憶に"なるであろう"ものまでも放散されるようになっている。

けれど、自分の大事な思い出や恥部までをもコンテンツ化しつづける事はある種の焼畑農業に近い

人生を焼いて焼いて焼き続けた後に残るのはエンタメとして供給する――骨の髄までしゃぶられた――哀れな自分なのではないか?……

 

……その過去記憶って誰にでも見せてよかったものなの?

キミにとって大事なものなんじゃないの? 宝物だったんじゃないの? そんな簡単に見せちゃって大丈夫だったの? その思い出を見せて得られるものは数字のパラメータである「イイネ!」とほんのばかりの賞賛と悪意ある侮蔑だけかもしれないよ。

 

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自分の大事な思い出は基本的には自分だけのものにするべきだし、もし共有するとしても伝える相手を選ばなくちゃいけないんじゃないだろうか。ネットなんかに公開していいものじゃないよほんとね私もまた後悔してる。このブログに関連するアカウントではない別のお話だけれど、でもだからこのブログでは「私自身」の事ってあんまり話さないようにしていて話したとしても濁して抽象的にするかあるいは普通の思い出だったりそもそもその思い出は価値が高くないものを選んでいる場合が多かったりする。(コンテンツに出来る程のものはないですしね)

例え「解釈の共有」を目的にしてコミュニケーションコストを下げるにしてもオープンにしていい事と、そうじゃないものをちゃんと区分けした方がいいのかななんて最近考えさせられる。

ツールの使い方は自由なので、焼畑農業的な使い方が「悪い」とは思わないけれど「大丈夫なの?」と問いかけたいなと思った。これは自分にも当て嵌まるので自戒用に書き残しておきます。

(終) 

 

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――次回予告(今日17時)

放課後ソードクラブ……っていう漫画あれもしかしてこれは……」