猫箱ただひとつ

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どんなに価値があるものでもメタ的に見てしまえば無価値になる(1628文字)

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「価値あるものでもメタ的に見てしまえば無価値になる」というのはよくよく考えてみるといくつも出くわす。

例えば「感情」とは最たるもので、自分の感情なんて一歩自分の枠から出てしまえば果てしなくどうでもいいことが多い。怒り、喜び、そんな感情も俯瞰してメタ的に見てしまえばただの一過性の気持ちにすぎず何か価値があるとは思えない。

逆にいえば全ての情緒は、「自分の枠内」にあるからこそ大事だと言ってもいい。己が抱える憎しみなんて一歩外から眺めれば、「なぜそこまで必死になって憎むの?」と思ってしまうものだ。

分かりにくければ自分の感情なんて、他人からすれば無価値だと置き換えてもいいかもしれない。

 「あいつムカつく」

そんな愚痴を聞かされてもハイハイそうだねーソウイウ状況だったらワタシもそう思うかもしれないーと軽やかに同意していくものだし、同意したからといってその「ムカつく」は私の「ムカつく」ではないからどうでもよかったりする。

そんなふうに。 

   ◆

他にも「学校内でのいじめ」というよく聞かされる話題でも同じことだ。その学校内で凄惨な事件があろうと非道な出来事があろうと、外側にいる私には何ら関与しないし寄与もしなかった。当たり前だ、当事者ではない私は部外者で第三者なのだから仕方がない。

もしかしたらそんなニュースを見て「怒る」人もいるだろう。自分の事のように被害者に同情することだってあるかもしれない。

けれど一日も経てばすっきりと忘れちゃうものではないか? 昨日のニュースに対してそれでも何かしらの感情を持ち続けている人は稀だろう。

そんなふうに所詮「誰かの出来事」なんて余程でもない限り無価値だ。それは自然とメタ的に見ているから。自分のことではないからだと思う。

 

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ネットで溢れる「ライブいってきました!」という報告から、「美味しいもの食べてきました!」という画像の投稿も「そうなんだー」で終わってしまうものだ。

これはどんなコミュニティでもそうなんだけど、そのコミュニティ内で起きる嫌なこと楽しいこと嬉しいことは、そのコミュニティ外の人間からすればどうでもいいことであり、大したことなさそうと思ってしまうものだ。

一歩引いたメタ視点から見れば、当事者が感じた価値は、非当事者からすれば無価値になってしまう場合が多い。(もちろん例外はあるけどね)

逆に言えば「他者の体験(感情)」にコミットできない(つまり他者に興味がない人)は、人間関係すらどうでもいいのかもしれない。居心地のいい人間関係は「興味」「関心」があるのが前提だと私は考えているので、これが無いんだとすれば自分から人から遠ざかっていっていると言えるんじゃないかな。

お互いがお互いに相手に興味がない上で会話し続けるのは、何故あんなにも苦痛なのかもこれで説明できそうじゃないか。つまり「無価値な情報」を嫌々ながらも取得しなければいけない空間にいてかつそれを実践しているからだとしたら……あれはほんと帰りたくなってくるので……。


また非当事者だったものが当事者になった場合(コミュニティに参入し活動し始めたら)、その世界で起きる物事はすべて強烈で鮮烈だったりするのも事実なんだよね。ものすごく楽しかったり、ものすごく痛かったりする。

 

ここから得られそうな教訓は、

 

(1)自分に絡まる諸現実はメタ的に見れば大したことなさそう(=無価値化)思えるし

(2)部外者には分からない当事者しか分からない事は沢山あるということであり、

(3)メタ的にみることで全てが無価値化していくなら「個人の体験の共有」もまた無価値になっていく。←相手に興味が無ければ始まらない。逆に言えば相手に興味があると無価値ではなく「価値」あるものになっていく。

っていうことなのかも

という思考メモ。

おわりです。

 

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