猫箱ただひとつ

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「声」が溶けた音楽の先にあるもの(1174文字)

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以前にも言ったけれど、私は音楽を聞いているさいボーカルの声の「意味」がうまく掴めない。

「瞳を閉じた」と歌い上げられれば、"瞳を閉じる"という言葉の意味を汲むことはできなくただただ「Hitomi wo tojita」というメロディに置き換えられてしまう。音の連なり、音素の重なりあい。

音楽を聴きながらボーカルの声をリアルタイムに反復はできるが、反復しているその声の「意味」について特に気に留めはしない。

声が溶けてしまっている。

 


「歌詞非認識」という音楽との接し方(3925文字) 


故に「歌詞」の重要性って私の中でどうしても低くなってしまう。言葉の意味を通じてその音楽を捉えているのではなく、「声」と「メロディ」の2つの重なり合いというかなり大雑把な解釈でしか音楽を聞いていない。

声は音でしかなく、メロディもまた音の連なりでしかない。

だから私にとって音楽ってイメージの塊であって、意味の流体物であって、無形のなにかになっている。それは見た風景を言葉にすることではなく、どちらかというと"感覚"を表現することに似ている。すごく難しい。

おそらく歌詞の意味を聞き取れる人は、その音楽の実像はかなりはっきりしているんじゃないかと思われる。歌詞とはすなわち物語のそれだから。音楽が物語そのもの*1であるならばその音楽に明瞭な「イメージ/風景」が宿るんじゃないかと考える。

私はその前段階の「意味」の流体なのである。この「意味」っていう意味分かるかな。言葉にできない、言語の枠組みをすりぬけた概念みたいなイメージで使っているんですが。

このまさしく『音楽そのもの』を自分の言葉で再構築できる日がいつかきたらいいなあ。

 

My Dearest
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『My Dearest』はちゃんと歌詞をみた音楽でもあったなと。

声の意味を(文字で読む歌詞)で知ると一気にその音楽の存在強度が高まるのは、その音楽が「言語」の領域に組み込まれたからなのかもしれないなーなんて最近考えています。

『アレセイア』に収録されてる『君に逢えたから』もよくよく歌詞読むと、すごい、やばい。とはいってもこれは『いろとりどりのセカイ』をプレイしたからこそだとは思うんですが。

 

 

 

 

*1:ここは『物語そのもの』とは別です。そのままの意味で