猫箱ただひとつ

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百合に目覚めそうな波動を感じる、えラブコメではなくて?(2441文字)

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Twitter見てたら一連の『ゆゆゆ』絵を発見してしまいました。
(えちーなヤツなので閲覧する場合はリンク先飛んで見てください)

https://twitter.com/yutakamagika/status/549518291698323456
https://twitter.com/yutakamagika/status/548104978846326785

 
友奈ちゃんと東郷さんのイチャイチャコミュニケーションが良すぎます。この絵いいなあ……なんだか百合に目覚めそうな波動を感じてきてああもう可愛すぎです。

 

 

 

 

百合作品と好きの感情

 

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そういえば私は男性女性の同性愛にあまり興味がなくその手のえ○ちな絵を見ても何の感慨も抱かないままスルーすることが殆どです。

百合と呼ばれる作品を見ても性的な想像はしませんし、逆に『ゆるゆり』や『きんいろモザイク』の女の子達でカップリングとかH.な妄想している人を見るとどこらへんにセクシ.ュアリティを感じるのだろうか?と疑問に思ったりもします。

同性愛の感受性・視点がうまく自分に備わっていないのかもしれません。

だからerg『カタハネ』をプレイしては同性愛って重いな……と思ってしまったり、『桜trick』を開始5分で切ってしまったりするんでしょう。とはいえ『青い花』は*1好きだったなあという思い出があるのでよくわからない。

百合作品と呼ばれるものに面白く感じることもありますが、恐らくそれは「百合だから面白い」という感じ方をあまりしない人で「物語自体が面白いから見る」人なんじゃないかなあと思います。

 

 


私にとって「好き」という感情はすぐに恋愛に行くのではなく、どうやら「家族愛」の好きに移行する傾向にあるっぽい。

だから例えば女の子同士が抱き合っていてもこの人を大切にしたい!っていう強い感情しかそこには見い出せないわけですし、あるいは"憧憬"の念に近い情念がそこにあると思ってしまう。

恋情がそこにあるといまいち思いにくいのです。これは同性に関わらず、男性女性の異性愛でも(私の中では)同じです。

この前提があるからか、明らかに本気の同姓愛を見せられると拒絶反応が出てどういうふうに理解したらいいのか判らなくなってしまうのかもしれませんね……。『カタハネ』の時はまさにそんな感じで、ベルとアンジェリカの愛をうまく手元に置くことが出来ませんでした。

(でも良い作品です。賽は投げられましたよ?)

 

 

そもそも異性愛でも同じことで、男性と女性がいちゃいちゃしててちょっとスキンシップ取ったくらいでそれを「二人は愛している」「好き合ってる」と断じてしまうのはうーん……思考が飛躍すぎなのではないか……と思ってしまいます。

*百合(=女性の同性愛、またはそれに近い友愛のこと)byWikipedia

 

言っている人はノリで言っているだけでそこに特別な意味とかないんでしょうけれど、とはいえ何でもかんでも色恋に結びつけるのはいかがなものなのかなと。

 



 

そして本編『ゆゆゆ』を振り返ると友奈と東郷さんの関係は「友達」より強いと思います。

私風にいうなら家族愛のレベルにまで行き、ただのお友達・同級生という関係性では言い表せないまでに発展しています。友奈パンチや、友奈ちゃんを待ち続ける東郷さんを見るとあれはもう友達の域ではないですし、友奈と東郷さんが恋人関係でも全然おかしくないです。

そんな本編の土台があるからこそ――ここまで2人の「好き」の強度があるからこそ――そこから派生する二次創作の百合描写を見せられても、私はすんなり受け入れられるのでしょう。

 

逆に本編の土台がない(=好きの強度が低い)作品の二次創作だとしたら、例えその二人の百合シーンを見せられてもピンとこない可能性が高い。冒頭でも言ったようにです。

逆に言えば何らかの作品による二次創作で男女のH.シーンを見てすんなり受け入れられる自分がいます。これはつまるところ同性同士と異性同士の「好きのなりやすさ」みたいな距離感覚が違うということですね。

私は異性愛者なので、自分を起点にしてしか同性愛をはかることしか出来ません。だから「同姓を好きになる」ことに対して異性を好きになるのよりずーっと好きの距離が"遠い"。

あらゆる心理的プロセス(社会的通念や無意識にインストールされた価値観)を経過した後の「やっと同姓を好きになる愛しているという状態」しか分からないからこそ、その愛は"遠い"んでしょうね。

 

 

おわり

 

Twitterの『ゆゆゆ』の絵を見てそんなことを思ったなーという記事でした。

 

百合に目覚めそうかも?と思いつつ、実際は友奈と東郷さんという恋人同士のイチャイチャが良かっただけなのかもしれません。

つまり同性愛(百合)だからいい、異性愛だからいい、とくくるよりは「好き合ってる同士がイチャイチャしてる」というのが私の中でポイントなのかもしれません。

―――とはいえ「なぜ自分はそう感じるのか」を分析してところで大抵の場合意味ないんですけどね。ここまで語ってきて何言ってんだという感じですが、自分がなぜこのゆゆゆ絵に惹かれたのかなんて分かるわけないんですよ(ぐるぐる目)

 

関連記事→結城友奈は勇者である[最終回]。この冷たい世界を受け入れよう、そして 

 

*1:その概要を殆ど忘れてしまったんですが