猫箱ただひとつ

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しっきーさんの記事がとても良かった

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しっきーさんの記事がとても良かったです。

ゲーム好きな方が書かれた文章だなと伝わってきましたし、そしてやっぱり私は「対象を大切にしている」っていう人の記事好きだなと、珍しく1つの記事宛てにレスポンスしたような気がします。良い記事有難うございました。

当該記事のタイトルは「ソーシャルゲーム批判」と銘打っているんですが、それだけに留まらず和製ゲームと洋ゲーの比較からゲーミフィケーションまで様々に発展し読み応えのある記事です。

まだ読まれてない方は是非に。(ちなみに45000文字ありますのでじっくり腰を据えてどうぞ。読むのに一時間くらいかかったような……!)

 


ソーシャルゲーム批判 - しっきーのブログ

 

いつかのコメントでも言及させてもらったんですが、しっきーさんはSCE_2』やるべきですよ!と言ってしまいたいです。

"べき"なんて言うと押し付けがましくお節介にも程があるんですが、しっきーさんが追いかけている「夢」「祈り」「冗長性」「入力と出力によるゲームの超越性」などがぎゅうぎゅうに詰め込まれている作品なので恐らくクリティカルにHITするのではないかと。

そしてソシャゲーで歪に実現している「終わらない世界」を、SCE_2では別の形で魅せてくれます。これまた歪に、けれども純粋に。

そしてゲームを愛している人達に、「ゲームってこういうのでしょ?」と訴えかけてくるゲームだと個人的に思っています。


あと単純にしっきーさんの『SCE_2』の感想を私は聞きたいですです(・ω・ 。)  

よければぜひ。
公式HPのリンクを貼っておきます。

http://kawasakibu.web.fc2.com/sce2/

 

    ◆

 

ここからは当該記事の感想を書いていこうと思います。

とはいえ、しっきーさんに宛てたものというよりは、自分宛て、個人的な備忘録のような形を取らせていただきます。そういうふうに読んで頂ければ幸いです。(独り言的な感じですね)

 

 

 

1)いろいろ発展できそうな予感

 

今まで考えてきた「人間の理想が生み出した世界はゲーム」とか「ゲーミフィケーション(=現実がゲーム化)した後に大切なのは"流儀"じゃね?」というお話もいい感じにリンクできそうな気がする。

 


永遠世界は人が目指した「不条理がない究極の世界」である。暁の護衛からCLANNADまで(6362文字)

 


何故この現実世界をゲーム化する必要があり、何でもありのこの世界で「流儀」が必要なのか? GALAXSystemとシュビラシステムで考える(6335文字)

 

 

例えば、人間の理想の体現が「永遠の世界」だとするならば、現実世界で唯一それに近い形で具現しているのは「ゲーム」だと思う。そしてゲーム世界が理想だというのならば、人間ちゃんはいつか必ずそれを"社会に反映"させようとする。

その取組が「ゲーミフィケーション」というわけで、実際にもう研究し始めているし実施されているところもあるのかもしれない。

とにかく、「人間社会」がどんどん「ゲーム化」していく。近い将来本当に「ゲーム」みたいに社会は改変されていくかもしれない。

それはしっきーさんの記事で語られる「計画→実行→達成」の手順を持って成されるのかもしれない。そして行き着く先はおそらく……「実利重視」の社会だろうか。小説『ハーモニー』はいいかんじの社会だよね、そういう意味でさ。ふはは。またはシュビラでもいい。

そしてこれまた何度も繰り返しているけれど、衆生にとってはきっとそれが幸せなんだと思うよ。

"何も考えないことがか?"

そうだよ。

何も考えず思考せず信念を持たずMacroの視点を持たず超越者の立場を有さず立場を弁えた"人格"の無い世界こそ―――アルカディアじゃん?

ゲーミフィケーションによって実現される社会っていうのは要するには、「未来を良くしよう」とする社会だよね。そういった動機によってもたらされる社会は……どうなんだろうね。破綻をきたすような気がしてならない気もするわけで。

いつだって理想を具象化しようとしたとき代償として翼は持っていかれてしまうのです。

高等教育によって凡人すらも「世界の幅」を広げることができるようになってしまった。更に現代ではそれを追撃するように「インターネット」という道具すらも実現してしまった。ぐるーばるびれっじ? 人間の感覚・意識を拡張し続けていくそれらは果たして"手に入れて"よいものだったのかどうか。

莫大な情報を持ってもそれを使う"動機"と"思想"が無ければ、本当に意味がないんだよ。

ズレてきた。戻す。

ゲーミフィケーションを突き詰めていくと、おそらく本当に本当に「理想」を体現しはじめようとする。平和、効率化、品格、倫理……そういうのを究極的に人間に求めてくるだろう。社会全体がゲームそのものとして駆動しはじめる。

私の今の価値観だとそれはまったくもって幸せじゃないんだけど……その時代のその生活基盤を当たり前のものだと受け入れているかもしれない。でも考える事から解放されるというのならば、それはそれで幸いを得たのかもしれない。

「現実の冗長性」と「ゲームの冗長性の縮減」って私からすると、「現実」と「理想」のようにも思える。もしゲームではなく、現実を選ぶというのなら、「理想を捨てる」ということでもあり、先の「未来を積極的に良くしよう(理想を目指そう)」という行動も捨て去るということなのかもしれない。

現実を選ぶということは「今日を消極的に改善してこう(フィードバック)」ということになったりするんじゃないだろうか。ちょっとここは煮詰めきれてないけど。

 

 

2)ピース

今まで細切れにしっきーさんの記事を読んでいたんですが、当該記事を読むと「雑多だと思っていた話題がある一点に収束している」ように感じました。

つまり「アイドル論」「youtuber」「書籍の感想」などはあんまりゲームとは関係なさそうに見えていたんですが、実はゲームと関係しているのではないか? 中心な部分は関係してなくてもその話題の接点接点では関係している記事も多数あるんじゃないかなーと。実際どうなのか分からないのですけども。

あと当該記事の熱にあてられて、私もあるテーマでがっつり書きたい衝動がめらめらと燃え上がっている。けれど私の技量で書けるものってなんかあったけ?……物語論は……「線」に沿って思考を進めてはいないのでどちらかというと拡散しているんですよねうーむー。

「ゲームと夢」的な話題なら結構書けそうな記事もするようなしないような。でもでもいつか何か書きたい。


ここらへん基板にしつつ。


1つのソシャゲーを永久に続けられないのは何故だろ?

 

あとゲームについてもいつか何か書こう……。 

 

 

3)媒体包括記事の好悪

 

私は「媒体包括」的な記事って、あんまり好きじゃないと思っていたんですがいやそうでもないな?と。

「ゲーム」「ラノベ」といった媒体包括の話題は読んでて面白い。でもこれが「アニメ」「erg」に関係してくると途端に読まなくなかったり興味が失せてしまう。「愛着」ゆえにかなと考えてみるものの、どうも違う気がする。なんでだ。

 

作品批評は誰のために、そして何の為に(18205文字)

 

 

 

 4)冗長性

 

個人的にもっとも刺激を受けたのは「冗長性」の項目。ここすごく発展しがいあってワクワクする。「虚構⇔現実」「小説」「erg」とぐりぐり接続できそうなのでおいおい考えていきたいですね。

 

おわり。

 

 

 

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 ノーゲーム・ノーライフの「ゲーム」ってそういえば振り返ってみるとどういう性質のものだと言えるのだろうなーと思ったり。