猫箱ただひとつ

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亡くなった方をブログ記事にするということ(1257文字)

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*ヴァルヴレイブ9話のネタバレあるので注意。


Web上の知人が亡くなった。

リアルではなく、インターネットを介して出会った方がつい先日亡くなった。その方は有名人ではないが、その界隈ではそこそこ名が知られていて色々な人と友好関係を築いていた人だった。

だからというべきか。いろいろな人がいろいろな思いを込めて思い思いに言葉を発していた。

「顔を合わせたのは1度ですがお世話になりました」「いいひとだったのに何で…」「このたびはご愁傷さまです」「心からお悔やみ申し上げます」「あまりに突然のことで信じられません」

そんな言葉が一日中ネット上では溢れた。

中にはブログで自分の思いを綴っている人もいた。故人との知り合った経緯から交流の内容。いつ交流が途絶え、こういうふうに思っていましたと語り、最後には感謝の言葉でしめられていた。

こんなのは今じゃよくある光景なのかもしれない。

けれどぞっとした。なんなんだ。なんだこれはと思った。「何故自分の故人への想い』をネット上にあげる必要があるんだろう?」。故人への想いを自分の胸に秘めたり、その方への想いを綴った手紙を手向けるわけでもなく、何故自分の想いを不特定多数の人に公開する是非はなんだ。

なぜこの人達は、故人をコンテンツにしてるんだ?

   ◆

 

アニメ『革命機ヴァルヴレイヴ』では戦闘の最中、亡くなった女子生徒を全校生徒で悼む場面がある。彼らは口々に嘆きと怒りの言葉を叫び、「追悼ボタン」を軽やかに押していった。

 

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安からに 

安からに 

安からに 

 


この回は狂気に満ちていて、黙祷tweetの気持ち悪さと醜悪さをこれでもかと表していた。

亡くなった女子生徒はコンテンツ化され、そのコンテンツを「みんなで共有」することに価値があるようだった。女子生徒の「死」は全校生徒が盛り上がる為の口実でしかなかった。

東北大震災の一周年で「黙祷ツイート」が何故叩かれたのか。何故賛否両論だったのか。―――震災を忘れないために。その目的の為だったら黙祷をコンテンツ化する事も厭わないことに違和感を覚えた人は多かったんじゃないだろうか。

これはリアル・ネットの関係に限らず亡くなった方をブログで取り上げるのも同じだと思う。「故人を忘れない為に」だったとしても、なぜブログというネット上に書き残す必要があるのだろう? 忘れない為だったら個人的な日記帳にでも書いていればいいと思う。

ここの理由に「綺麗な理由」はいくらでもこじつけられるけど、結局「不特定多数が閲覧する場所」に「表示する」理由がそこにはある。それはコンテキストを共有する快楽だったり、みんなで盛り上がる為だったり、承認を満たす為だったりいろいろね。

もうヴァルヴレイブの時代が来てるのかもしれない。亡くなった人すらも自分たちの「話題」にして、お喋りの「薪木」にしていく。故人をコンテンツ化・共有化することを躊躇わなくなってきているし、それが今後は自然な価値観にまで定着していくのかもしれない。

一度二度顔を合わせたくらいで、故人をコンテンツ化するインターネットを垣間見た。

 

 

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