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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

→老害化するオタクがエロゲ論壇を廃らせる思考掃き出し→

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こちらの記事が面白かったです。一連の話題を踏まえて少し考えたいことがあるのでばーっと書き出していきます。
 


オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ! - 脳髄にアイスピック

単純に長く生きている上の連中が若者を締め出したらもう終わり - エクスシードBlog ナモイさん上

2008年の話題なんですけど老害化するオタクによって様々な活動が死んでいく有り様はどこでもそうだよなと。記事では老害という言葉は出てないけど現象としては一緒かなとそしてここで言われている論壇(=当該記事の補足の記事では"「ネットで批評的に語る人たちの場」という程度"との意味だそうなので本記事でもこの意味で使っていきます)以外に限らずよく見かけるものだとすら思う。もちろん過去アーカイブを漁ることやそれらを示すことは悪いことではないけれども、やり方を間違えれば迷惑な奴にしかならんわけです。

CLANNADは○○」と語る人に向かって、「で、キミONEやったの?」と意味のない言及してくる阿呆は当然いるんだよね。

私自身もこういうスノップに幾度か絡まれたりしていてわりとうんざりしていて、あーこれって完全にDGという○ズ野郎だと完全一致じゃねえかと(苦笑) こういう人たちの行為ってその「真意」とかどうでもよくてその行為の「妥当性」を注視できないとただのスノップ野郎になるってことを理解したほうがいいんだよね。今でも同じ事を他の人にも繰り返してたら笑うしかないのだけども。

作品を考察することは「☓☓のオマージュだ!」と言うことではないというお話

 一連の記事から考えたいことがあって。手垢のついていない媒体であったerg→作品の絶対数が少なく語りやすい土壌であったが時間経過と共にアーカイブが増えていく→新規参入者「CLANNADは○○だ」→老害化したオタク「で、キミONEは観たの?」→新規参入者「ここはもうダメだ。違うところ行こ。ラノベだと兎や角言われないよな」→新しい媒体へ語りやすい場所へ移る。

当該記事で言われているこのサイクルによって「erg論壇が流行り廃れ」たと仮定する。そりゃこういうスノップが蔓延れば参入者の語りたいという動機を萎えさせてしまうのも直感的には頷ける気がします。

そして、この続きはこうなるのではないか?

ラノベへ移った人たちはそこに留まる→作品の絶対数が少ないので語りやすい土壌時間の経過と共にラノベの歴史が積み重ねっていく→すると留まった彼らの中の一部が老害化したオタクに成り果てる→ラノベ新規参入者「SAOは☓☓だ」→老害化したオタク「で、キミ○○見たの?」→以下ループ

この循環が正しければ地獄でしかない以前その趣旨(=ラノベ老害が蔓延ってきた旨)のツイートしている方がいたが腑に落ちた。じゃあラノベを諦めた人たちは今ならばどこに行くことになるんだろう?……。ここ最近新しい媒体って何か生まれたっけ? ボーカロイド? なろう小説? ……。何でこんな事が起こるかというと、批評(=私はこう見たを語ったもの)する時「歴史を参照することに価値がある」という価値観があるからなんだろうね。基本的に過去アーカイブを参照し歴史の連なりを俯瞰する事に価値はあるし当たり前だけども、しかしこれを「批評する上で最善手」「考察する上では絶対的」という価値観を持っている人は迷惑極まりない老害へとなりやすい。というか、高確率で"なる"(笑) そして自分たちの場所を自分たちの手で腐らせるのもこういう手合だからねえ。そう見るとJPOPのクラスタ分断化している状態はある意味幸せなのかもしれない。Macroの視点だとそうはならないらしいんだけどMicroならばという意味で。あとねー廃れる原因って私はこれだけじゃなくて(影響力低いのかもしれないが)単純に「ロールモデル」が居ないこともありえると思うよ。今ergの批評活動している中でロールしたいと思わせる人なんている?ぶっちゃけいないと思うよ。もちろん私自身も含めてね。「この人のような物語感想を書きたい!(=分かりやすく感想と言いましたが本ブログの批評という言葉の意味と差して変わらないです)」って人が存在しない。言いすぎか?単純に私の嗜好の問題か?9791さんが居ない時点でそんなもんじゃないのか。2015年erg批評活動している中でさらに誰もが認める批評物書く人なんて見渡してもいないしむしろいたら教えてほしい。ergではなく漫画やアニメ界隈ならロールモデルになりそうな人は幾人かパッと思いつくのにな……この差は単純にこれだけで飯を食えているかの違いなのかねともちょい思う。(閑話休題)思うにこういう、ある批評に対して(=先の例で言えばCLANNADは○○という批評を出すと)「で、キミONEやったの?」と応答する人は"そう言える自分が好き"なんだろう。気持ち悪いにも程があるけれど←というかねーその作品を批評対象している批評物に関連作品の視聴有無を問いただしたり確認する輩はその作品が好きなわけじゃないんだよ。だって関係ないでしょ?『物語そのもの』(=文字や絵で構成された表現物を、読んだ時に生まれる観念であり外部〈現実にいる私達〉への繋がれ保たれつつも、独立し確立してしまっている一つの"世界")という視点を挿入しなくても「単体作品を語っている批評」に対して「○○という関連作品はどうした?」なんて必要かと言われれば必ずしもそうじゃない。大きな枠組・媒体全体を俯瞰する際には必要だが、もう一度いうけど「単体作品を批評(=私はこう見たを語ったもの)」を語るときには必要なのは「その物語内部の情報」であって外部の情報ではない。(←個人的に思うに「過去アーカイブに頼らない語り方」というものが流布していないからこういうスノップが生まれるんだろうねとも思う。繰り返すけど教養主義が悪いというよりはそこから派生するスノップの「手段と態度」がクソすぎるというだけでもある)

でもスノップはそこらへんがよく分かってなくて彼らが誇っているのは「過去アーカイブを知っている」ことだけなのだから。だから過去作品を取り出して語ることしか出来ないのが殆どだよ。暴論?いやいやほんとほんと試しにその人に当該作品を「でその物語はどういうものだったの?」と問いただしてみれば"物語の内枠"で応えられないケースが多く、『物語そのもの』と関係ないものを接続しはじめる。くたばってね。結局そういう人は「その作品が好き」だからONEやったの?と言うのではなく「ONEやったの?と言える自分が好き」というね←ここを正当化するために綺麗な言葉を並べることはいくらでも出来るよでも本質的にはそういうことでしょ?「作品が好きで語ってる」のではなく「自分が好きで作品語ってる」ということは。こういう老害化したオタク(=アーカイブを盾にして偉そうにふんざり返り新規参入者に「で○○観たの?」と恥ずかしげもなく言える奴)が嫌いな人は多い。てか私自身嫌いだ。一般的なイメージの批評(critique)が嫌いな人がいるのもそのせいだと思うよ。『物語そのもの』を社会背景・関連作品のコンテクストでぶっ刺して"関係ない要素"をさも"関係あるか"のように絡めてグチャグチャにした上でしたり顔で語り始めるもののよくよく聞いてみれば「知識の連想ゲーム」というオチ。この流れでいえば矢張り"関係ない"ものでしかない。なもゆきさんの記事では「過去のアーカイブを知っているからといってニュートンより偉いと考えるべきではない」と語られているがまさにその通りで過去のアーカイブを知っているからといって「で?」としかならないのよね。参照し新たな価値として昇華することと、それを自己顕示欲の為に振りかざすのとでは全然違うわけ。ここを間違い続ける母数が増えれば増えるほど上述した状態になるのも必定なのかもねと。

あとここの話題は日曜にTwitterで話したことと強制接続するといい感じに楽しくなると思う。つまり学校モデル、学校空間、教育現場、貴宮忍、比企谷八幡とだーっと直結させてどうにかして突破口を見いだせるかも?……というね思考実験。

〈A空間・B空間〉A空間に参入と退出がないとぐずぐずに腐っていく。なぜなら人間さんは他者を低く見て自分を上にあげ優越に浸りたがるというのもある。それと単純に"楽しい"。ゆえに"いじり"は"虐め"に移行していく。弱い個体は強個体に嬲られるのは必定。順序を壊すには、1強個体の権威を壊す。おそらくこの時1個体だけではなくその空間内の全員をできれば上々なのかな多分。おそらく強個体はその能力の強さゆえに権威を高めていったその権威そのものが空間支配の力として表出しているはず。

「ガキのうちは、足が早いだけでモテる。
 中防じゃ喧嘩が強い奴がモテ、そっから先は、頭が良い奴がモテる」

「つまり、走って殴って本を読めってこった。
 どうだ? 短くてわかり易い説明だろ?」

――師匠

強個体(=能力が秀でている)この能力とは単純に暴力でもいいし、政治能力でもいいし、親の社会的地位の七光とかでも可。とにかく「力あるもの」と周囲に認識させることが出来れば、自ずと空間内の権威を身につけていくはず。かつこの時権威の効果範囲は「所属する空間内」と限定していいとも思う。

なのでA空間に所属しているならば、A空間のみでその権威を十分に発揮できる。その権威力の範囲は所属空間から離れれば離れるほど(空間距離)下がっていく、ゆえにA空間で強個体が弱個体を嬲っている場合、A空間から→B空間へと移動させてあげれば(権威の力が弱くなる為)弱個体が嬲られるのはある程度防げる。

これを小学校の年代で出来るならば、Macroの視点がかなり強いと見ていいんじゃないかな。ざにがにー。いやほんとざにがに的な発想だよなあ……。

学校空間をモデルにすると、空間内を健全に保つ為にはこの「入れ替え」を実装できれば……もしや?(考え浅い?〉つまりメタ的な介入が必要ってこと。

 「物語を救える人間は……もはや目の前に居るヤツだけだしな」

――[???]

メタ的な介入ができるなら空間は腐らない。これは確定的と見よう。ここから考えたいのは「プレイヤーの入れ替えが起きない空間で、空間が腐らないとはどゆこと?」ということ。私はこの空間を実体験しているのだけれど、今考えてもよくわからない。どうしてあのとき「腐ら」なかったのだろうか? どうして5年以上もその空間実現できたのか?と。

いや考えればいくつかあるのだけれどもね。空間が腐る為にはいくつかの理由があって、その理由はおそらく簡単に実現しやすい為に腐るのだと思われる。多分

1、権威による空間支配は楽しい
2、弱個体を嬲るのは楽しい

これくらいか……まだあるかな。ひっくり返すと「順序による権威が発生しにくかった」さえ実現できるのなら清浄化が保てる。これは強個体が「順序確認」をしない―――というのでも出来るのかもしれないけれど、そういう話ではない。そもそも自分を「強個体」だと認識しない空間のお話と言えばいいか? あるいはもしレベル0がレベル5を殴り倒せる場面が発生すれば(禁書的なね)、ランキングは崩壊する。

つまりこういうことだ。まとめよう。

 

〈閉鎖空間・参入と退出・全個体を水平方向に均し双方向性のコミュニケーションの実装〉

・強個体(だと思われてる存在)が自滅or弱個体(だと思われている存在)で順序を崩壊させ続ける環境があれば空間は腐らなくて済む(はず)

・空間にメタ的に介入することで腐らずに済む(例えば個体の別空間の移動の実装)←メタ的に介入できるはこの空間モデルでいえば「教師」なのだけれども、一応参入者である「生徒」でも可能

ただしこの生徒には幾つかの条件が課せられる。
1当該生徒の自己空間が清浄
2当該生徒は自己空間から別空間へと「手を伸ばす」行動力が必要。
3空間が腐る構造を知っている

 

 

 

作品を語るときになぜあなたは「文脈」を使うんですか?(7601文字)

作品批評は誰のために、そして何の為に(18205文字)

Twitterがバカッターになりやすいのは「都合のいい世界」を見てるからなんだろうね

 

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