猫箱ただひとつ

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2014年を振り返るマイベストエントリー18記事

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2014年に書いてきた260記事の中から「もう一度読んでほしい」記事を18個選びました。もしまだ目を通してなかった記事があったら読んでみてはどうでしょうか。 

 

 

1)true tears

 

『猫箱ただひとつ』は2013年から2014年にかけてアニメの再視聴を行いAngel Beats!まどか☆マギカなどの作品を見なおしては大量の感想を投稿していったのが印象的だったのではないだろうか。

true tears』はそのうちの一つで以下は『true tears』は何だったのか?と迫る感想になっている。

「true tears」1・2・3・4話

 

読んでみれば分かるが結局「true tearsは何だったのか」という疑問には到達できなかった。だめだめ。

けれど書いた感想は4万文字に迫るため内容の詳細さと密度は他の感想ブログの追従を許さないだろう。…ただその分雑に書かれているため見にくさももピカイチでもあるが。

どうしても記事の性質上長くなっているので途中で読むための動機を保ちにくいのが欠点だが、一個人がどのようにtrue tearsを捉えたか?という意味では良い記事になっているはず。よければどうぞ。 *1

 

2)考察することは他作品を持ってくることではない


ここのブログが数多の感想ブログと違うことがあれば『作品を作品だけで見る』という姿勢に尽きる。

この姿勢は今年1月から強度を高めっていたように思えた。


作品を考察することは「☓☓のオマージュだ!」と言うことではないというお話


これは「ある作品を考察するには☓☓を読むべきだし本気の考察」とエアリプライをしさらに何を思ったか無遠慮にリプライを受けたことから端を発している。

こういう知識をひけらかしたい者――通称スノップ――に出会ったら「お前がやってるのは作品考察ではない」と切って捨てていい。スノップがやっているのは"考察"ではなく知識自慢をしたいだけなのだ。

関連作品・外部文献を持ってきての作品考察は正しいのか?と漠然ながら思っていた人にとって新しい視点を与えてくれる記事に違いない。

 

 

3)内在視点のススメ


「作品考察することは関連作品を持ってくることではない」なる記事を書いた7日後にその方法論を書いた記事がこれだ。

アニメをアニメとして、エロゲをエロゲだけで見る「物語の内在視点」のススメ。作者なんてものは存在しない


端的にいえばその「作品」以外の情報を意図的に切り捨てて作品を捉えてみようというもの。知識を用いることで作品を広げるんだとしたら、これはそれらを排し閉じてゆく。

一般受けしない内容だがそういう方法があるということは読者・書き手の選択肢を広げてくれる。一読をすすめる。

 

 

4)はつゆきさくら考察

 

『はつゆきさくら』の考察記事。

はつゆきさくら考察

 

『はつゆきさくら』はあたたかい風花に撫でられるような読後感があり、そしてどこか満ち足りた気持ちで終えられる作品だと思う。

世界構造が難しいわけでも、何かしらの謎解きがあるわけでもない。ただ彼女たちはそこにいて初雪も一緒にいたというもの。けれどよくよく考えてみると初雪は何がしたかったのだろうか? シロクマのあの返事は? 桜はなぜあんなことを? わからないわからないわからないことだらけだった。

この記事は、そんな疑問にほんの少し手を伸ばしてみたというものになっている。もし同作品をプレイし終っていたら読んでくれると嬉しい。*2 

 

 

5)感想記事の作り方

 

私が長年積み重ねてきた感想記事作成のまとめがこちら。

ブログ始めようかな? 感想記事を書いてみようかな?と思っている人にとっては参考になるかもしれない。

私が4年間書いてきた「エロゲ感想」の移り変わりと作り方のまとめ

 

記事の内容としては、あらすじ型感想と言われる物語の再構成方法と、それを読解方法論と組み合わせた「読解型感想」の作り方がまとめられている。

方法の難度は最後にいくほど上がっていき、最終的な作り方はちょっと難しすぎるような気もするが一度やってみると面白いと思われる。

 

 

 

 

 

6)エ口ゲ血肉化

 

「エ口ゲ血肉化」とタイトルにあるがこれはどんな媒体にも応用可能なので、アニメや小説で試すのも良いと思う。

おそらく作品の接し方が変わるはず。

エロゲを『血肉化』するにはこの2つを徹底的に繰り返すしかない

 
この記事の内容はまるで勉強のようだが、何でも追求していくとそういう側面が現れるんだろう。作品に本気で向かい合いたい人の方法だとも言える。

*3

 

 

 

 

7)思考の大本

 
このブログにはいくつかの造語が存在する。

心象強度、他者廃絶性、物語化、イデアに手を突っ込むなどなど、そんな言葉の意味を説明したのがこの記事。

管理人の「思考の大本」を説明をしていきます


造語の定義から、管理人の姿勢など多岐にわたる「思考背景」が記されておりこのブログが積み重ねてきた思考の道筋が追えるので面白いはず。

まだ目を通していなかったら是非に。 

 

 

 

 

 

8)ブログのレイアウト

 
ブログを運営しているならば一度は考える「レイアウト作り」。自分が使いやすいように組み込んでいくか、あるいは読者の目線になって作るか悩むもののその「読者」とは一体どの層を指しているのか?

以下の記事では「はじめてきた読者」の目線でブログレイアウトを整えたほうがいいと語られている。

過去記事の回遊率を上げて一見読者を常連にするブログレイアウト作りを考える


「最新記事を表示せよ」「まとめ記事を作る」といった具体的な内容になっている。Googleレポート表示も併記しており、実際そのアクションが有効だったのか?という疑問にも答えている。

 

 

 

 

 

 9)クンフー



クンフー論。それは手段を目的化し「楽しむ」を追求すること


ざっくりいえば、手段を目的化することで物事を継続できるようになることを目指している。ブログを続けること、作品考察すること、記事を書くこと―――それらの行為を深くしていくには? 長く続けるには? 

そんな疑問に外発的報酬の度合いを減らし、逆に内発的報酬の度合いを高めていくのがいいと語る内容になっている。これを身につけられたならどんな物事でもうまく回り始めるだろう。管理人は未熟なので今その道のりの真っ只中。

*4

 

 

 

 

 

 10)ゲーミフィケーション


現実をゲーム化してしまう試みを「ゲーミフィケーション」と言うらしく、私もまた日常生活にゲーム的な要素を取り入れてみたらどうか?という記事を書いた。

ゲーム特有の強力な「動機付け」を現実に持ってくるにはどうすればいいか?~Gameで世界を変える為に~


この記事で語られている「ミッション」という考え方は、面倒くさいけどやらんといけんなー……って時に大いに効果を発揮する。

ゴミ出し洗濯食材の買い出しに料理からお風呂の掃除メールの送信から荷造りなど……そういった面倒くさいけどやらんといけないものに対し頭の中でパパっと「ミッション内容」「難易度」「協力の要請」「join」という項目を洗い出すと「楽勝だぜー!」とすぐ行動開始できる。

なぜか分からないけど腰の重さをある程度軽くしてくれるみたいだった。 

関連記事ではアニメ・サイコパスなどを絡めて流儀についても思索している→何故この現実世界をゲーム化する必要があり、何でもありのこの世界で「流儀」が必要なのか? GALAXSystemとシュビラシステムで考える

 

 

 

 

 

 11)祈り論

 

人はなぜ物語に感動するのか? そんな疑問にようやく答えを見出したのが祈り論である。

物語に感動するには【祈り】こそが鍵になる


人は人の気持ちを読解することが出来る。表情、仕草、身振り、声のトーンから今何を思っているのか怒っているのか喜んでいるのかをまるでテレパシーのごとく高い精度で読み取ることができる。

この事実を起点にし、物語に感動する要因の1つを、祈りであるからと結論づけた。これを読んだFuさんはえらく気に入ってくれたみたいで私としても嬉しく思っています。有難うございました。

 

 

 

 

 

 12)無職転生

 
あなたはweb小説『無職転生』をご存知だろうか。無職34歳が1ページ目でトラックに轢かれ死亡し転生した先はなんと異世界だった!しかも赤ん坊からのスタートだと?!という物語である。

概要だけ聞くとなんじゃそりゃという感じだろうが、これが実に面白いのである。そしてそこに登場する「エリス」という女の子を私は大好きであり、そんな彼女の想いを綴ったのが以下の記事。

「無職転生」のエリスを考えるといろいろ辛くなる

 
個人的には好きな記事だけどあんまり他人向けの記事ではないから読まなくていいが、ただ『無職転生』は面白いのでよかったら読んでみて。無料ですし。

 

 

 

 

 

 

 13)物語は人生をぶっ壊し修復する


物語は現実をオーバーライドすることがある。それに触れたら最後、人生の中心に物語があることを規定付けられるに違いなく、私自身「物語のオーバーライド現象」に触れたことを書き綴っている記事がこちら。

物語は人生をぶっ壊し、修復し、オーバーライドする力がある。CLANNADは人生Fateは文学って言いたくなるのもこの体験があるからこそだ


めちゃくちゃ長いし、常連読者さんくらいしか読めない記事構成にはなっているんだけれども面白いと思いますよ。

 

 

 

 14)永遠の世界の成り立ち


人はなぜ「永遠の世界」を求めるのか? そんな疑問に対し自然世界、人間社会、ゲーム世界という3つの世界のルールを串刺しに永遠の世界に至る動機のようなものを語ってみた。 

永遠世界は人が目指した「不条理がない究極の世界」である。暁の護衛からCLANNADまで


動物にできなく人間にだけできることがあるとしたらこのことだろう。

人は世界を創造するのだ、それは文字通りの意味で。

 

 

 

 

 15)鮮烈な物語体験


今までいろいろな感想を読み、いろいろな人に触れてきたが、私が当たり前だと思っていた鮮烈な物語体験をしている人は実は少ないのではないか?という疑問になっている記事。

タイトルにエ口ゲとあるが、「物語」という大きな枠組みで読んでもらって構わない。

エロゲが好きでも「鮮烈な物語体験」をしていない人は実はいっぱいるという仮説。その理由とは?


読むと後悔する内容の記事かもしれないし、または逆の感想を抱くかもしれない。

 

 

 

 16)文脈主義者を否定す


作品を語るときになぜあなたは「文脈」を使うんですか?


あなたは作品を語るときに製作者や舞台裏について言及するのだろうか? その実それらを取り除ければ何も語れないのではないか。という批判記事がこちら。

この一年間の集大成とも呼べる記事で過剰な文脈、舞台裏、その作品とは的はずれな知識を持ってきては語る文脈主義者・教養主義者を否定したものである。

「作品を作品だけで語れる」ということを今一度知ることに越したことはないだろう。

 

 

 

 17)物語は多視点に繋がる

 

物語を読むことはどんな効果をもたらしてくれるのだろうか? そんな長年疑問だった謎に「内在化」というキーワドを用いることでようやく合点がいった。

物語は人生をエミュレートし多視点を獲得させる力を持っている 


確か「いじめをなくすにはどうすればいいか」という疑問に、Empathyと呼ばれる『他人の気持ちや感情を理解し人の立場になってその人の心の痛みをわかること』を身につけさせればいいというTED動画がある。

私はこのEmpathyを身につけさせるのに物語の読み聞かせは大変効果的なんじゃないかなと考える次第である、なぜなら……という理由説明は記事を読んでみて。

 

 

 

 

 

 18)フリゲSCE2・考察


フリーゲームSCE_2』

この作品は複雑で珍奇で難解でとても言葉じゃ言い表せない可笑しなゲームであり、もちろん万人向けではないし一般受けなど到底されない気がする。けれども多くの人にプレイして欲しいとさえ思う。なぜならとっても面白いからである! 

ネット上を見渡すと「面白かった」「最高だった」という読後感の人がいて私はさらに幸せである。

SCE_2』に一ヶ月半もの間のめり込み睡眠時間を根こそぎ削りきりながら何度も何度も地下世界を往復しいつか真相に辿り着けると考え続けた結果。

その結果が3万文字を超える考察である。

「SCE_2」考察。この世界の謎に迫ろうと思う(34106文字)


自分で言うのも何だが、かなり頑張って書いておりその内容の詳細さも際立っていると思う。SCE2をクリアしたなら一度読んで頂けるととても嬉しい。

そしてまだこの『SCE_2』プレイしていないのならば是非するべきだしその背中を押したい。

  

 

 

おわり


ちなみにこのを記事書こうと思ったのははこち→http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141222/p4らから。やっぱり自分が一番自分のブログを知っているのでこういう記事書きたいなと思いました。

ただちょっと時間かかった……。 どうせ記事をまとめて紹介文ちょっと書き足すだけの楽ちん記事かなと思いきや疲れました。「まとめ」って実はそんな楽なわけじゃないんですよね。

アニメまとめ然りエロゲまとめ然り。一個一個紹介文書くの面倒くさいので今度からはリンクだけ貼り付けてばばっと出そうかなと考え中。

おわり。

 

 

ちなみにtrue tearsはもちろん傑作なのでこれまた見ていなければぜひ。

 

 

*1:true tears』は大好きな作品。リアルタイムで見ていたあの当時、石動乃絵ちゃんがただただ可愛くていつも悶ていた。きゅんきゅんしてた。赤い実を手渡してくれたり、木から飛び降りる時にばさっと手を広げる仕草が、その仕草をする理由が皆目見当もつかなかったけど愛らしくて仕方がなかった。慎一郎~の靴の底にもあぶらむし~♪友人とtrue tearsについて話すとお決まりのように、「石動乃絵派」か「湯浅比呂美派」かで2分し対立したこともあった。もちろん私は乃絵ちゃん派で、友人が比呂美派。「true tearsで誰が好き?」「乃絵に決まってるでしょ!」「まじかよあいつ頭おかしいじゃないか」「ふざけんな」という永久機関も真っ青な会話が繰り返される。もちろん2人とも本気で言っているわけじゃないし怒ってもいない、寸劇に近いやりとり。そして友人が「比呂美のほうがどう考えても可愛いでしょ」と言うと「そうだね比呂美も可愛いね」と私は答え「なんだそれw」とツッコミをくらい終了する感じだった気がする。正直にいうと私は2人とも好きなのである(なんて優柔不断なやつめー)。意外とこういう会話が楽しかったりもする。え?愛ちゃんの話がひとつもないのはどういうことなの?(以下沈黙)2008年の私は愛ちゃんに特に惹かれてなかったんだよごめんね!  さて2008年に放送された『true tears』を、2014年1月に再視聴した私がまず思ったのは「全然覚えてない!」ということだった。もうほんとに内容を全然覚えていなかったのである!大まかな物語の展開はどっかいってしまい、はじめて見た時のような感覚ですらあった。詳細な内容を語るとネタバレに突っ込んでしまうので、ここは割愛。とにかく新鮮だった。人間の忘却機能はほんと高性能だなー(褒め言葉)そして最終話を見終えたあと―――最後のワンシーンがすごく良くてとても良くて―――ずっと泣いてた。結局true tearsとはなんだったのか?という答えには2014年になっても分からなかった。そう分からなかったんだ。true tearsは一体なんなんだろう。一体どういう物語だったんだ。でもそんなの関係なくて、理解できていなくても心に響くものはあるんだなと再認識した。理解の埒外、想像の外側にこそ、私が求めているものはきっとあるんだろうなとも思った。そしてもう消えたいとも思った。本当に本当に心に響くものに出会うと、Aletheiaのような感覚に浸かってしまうと私は自分を消滅させたくてたまらなくなるらしい。彼女が見ていた景色を思うだけでもう全ての現実の事象がどうでもよくなっていった。「私」という存在とかどうでもよくない? こんなに綺麗なものが世の中にあるんならもう何もいらないんじゃないかな―――っていう気持ちが先行した。新しい発見だった。んでんで~『true tears』をまだ見ていない人は見ちゃいましょう。

*2:2月は『はつゆきさくら』という作品にどっぷり浸かっていた時期だった。厳密にいうと「はつゆきさくらの考察」にどっぷり浸かっていたのである。一ヶ月半ほどかけてずっとひたすら読解をしてたんだけれど、とても楽しかった。もちろん辛かったけど、それと同じくらいには楽しかった。この作品はとくだん難解と言われる作品ではないんだけれど、ただ「人物の感情」に関しては難しい部類に入るんじゃないかなと個人的には思っている。ほへらーって読み進めてももちろん楽しくプレイできるんだけど、全部が終わったあとに「彼・彼女らは何をしたかったの?」って考えると途端に「なんだろ……」って悩んでしまう感じだ。シロクマの最後の気持ちをちゃんと考えてみると、じんときたり。ランの言葉のやさしさの裏側にある感情や、小坂井綾の情念、初雪の一人飯について(←お子様ランチ食べたいっ)2重に楽しめるんじゃないかなと。『はつゆきさくら』もまた大好きなやつらばっかりで溢れているのでおすすめです。sutaさんと感想会したのも面白かったなーと思うこの頃。そういえばsutaさんが言っていた隠しうんちゃらっていうのは結局無かったと思います!w あの後ちょろんと再プレイしたんですが多分Prologueのことを言っているのかなーと(・ω・ 。

*3:この『知』という体験は、今考えると「真理」と言ってもいいんじゃないかな。もちろんそれが他者からみればちっぽけな真理だとしても、錯覚だとしても、そういう体験に到れることはとてもおもしろい。今まで分からなかったことが、「わかった!」という感覚は脳が痺れるくらいにさ。そういう意味で物語を活用して、楽しみを得るという点でこの方法は役立つんじゃないかなって思うけど、ただ暗記して考えるというのはとんでもなく行動コストが高い方法なので好きな作品にしか出来ないよね。方法論を打ち出したのはいいんだけれど、前半の「物語を暗記する」という部分は未だにやっておらず挑戦していないという体たらく。おい……私!なにしてんださっさと暗記しろぉ!(Rewriteはよやり直したいです)後半の「物語を熟考」するという点はもうやり慣れているんだけれど、暗記とセットだとより楽しみ広がるんじゃないかなーと思うこの頃です。六畳間さんのようにやり通したい。とはいっても、正直ね、私がやっている物語を読み終えました→物語をもう一度振り返りつつ感想書きます→その際気になった事柄について考えていきます。この方法ってもう既に「記憶する」というプロセスだとは思うんだよね。(当該記事でも言ってますが)物語の気になる場面について、自分でフックを作っていくものなので。でもやっぱり本気で記憶の精度を上げようと思えば「暗記しよう」という姿勢とそれに見合った方法でやっていかなければいけないんでしょうね。この方法だと物語のリンク・リンクは確かに作られているんだけど意図的に思い出そうとするとぼやけちゃう。逆に意図的ではなく、何かをみた瞬間とかに自動的にリンク(=物語の過去映像がよみがえる)場合だけでいいならこれでもいいけれど……。ただせめて一度くらいは本気で暗記に取り組んでみたいですね。あとこの方法は、クンフー論の記事でも言っているとおり「プレイ後」の楽しみであることを念頭に置いておくといいかも

*4:この記事を書いてから半年、物語の感想を書いてを繰り返して自分なりのクンフーを積んでみた結果は―――特に変化なし。変化は無かったように思える。大きな変化も、良い変化も、悪い変化も無かった。私の感覚だとそういうものがあった気配は感じられない。んにゃ確かに感想を書くのは楽しいものだけれど、それらを積み重ねた結果なにかが起きたかといわれると何も起きはしなかったなと。正直、このクンフー論を投下したときからやっていることは全くといって変わっていない。物語を読んで、感想書いて、考えて、あるいは誰かと対談してといったもので、これ以上変化をつけられないような気もしている。あの時から変化を取り入れてないからこそ、あの時のままなんだろう。んーけどこれ以上どうすればいいんだろうねえ。クンフー論で謎だった「祈り」といった要素も後に(自分なりに)解明できるようになってきてはいるんだけれども、行動といった意味では変化を取り入れることがもう難しいのかもしれない。ただそう考えちゃうのは早計かも……。残響さんはクンフー論を今年振り返ってみてどうだったでしょうか。実りがあったかどうか感想とても気になりますます。私は変化なしという結果でしたが(汗