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創作物に普遍的な正しさなんてないよ(4972文字)

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以前からTwitterでこの記事について呟いているので「またこの話かよ!」って感じではあるんですが……判ってますが記事としてまとめておきます。


激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子- - Togetterまとめ

 

微熱王子さんは「音楽批評にはバックボーンが必要である」と言い、プロである高橋さんは「参考資料がないと書けないのは素人。それを無くした状態で何を語れるかがプロでしょ」といった論争が上の記事でまとめられてます。(2012年)

どちらに肩入れするかといえば、もちろん私は高橋さんの側なんですが今回はそこは置いておきます。

私が気になるのは微熱王子さんが言われる「批評には正解がある」という考え方です。

 

 

 

 微塾王子さんの言っている事を完璧に理解しているわけではないですが、おそらくファクト(事実)としての正しさを積み重ねていった上での「批評としての正しさ」が批評には必要だと言いたいんじゃないかと思います。

そしてこの論戦に交わる安東さんは、「俺にはこう聞こえたからこうなんだ!」という開き直った批評は作品の持つ豊かさをそぎ落としかねないし、そういった批評は作品と自分の距離に無自覚なものが多いのではないかと指摘します。

これに高橋さんは「『俺にはこう聞こえた』にしがみつけ」と言うんですが、私はやっぱりこっち側の人間だなーと読んでてしみじみ思いました。

 

詳細な内容は本文を読んでもらうとして、私の疑問は2つあります。

1)なぜ他者の批評を「唯一の読み」として判断してしまう人がいるのか。(なぜ今から語ることは「一つの読みですよ」と明示化しなければそう読んでしまう人がいるのか?という言い方でも可です)

2)批評に正しさを求めるのか?


*批評の定義としては高橋さんが記事中で言われた「自分の言葉で『私は"こう"聞こえた』を語っていれば批評になっている」を使わせてもらいます。

 

 

創作物に"普遍的"正しさなんてない 

 

(1)については高橋さんも言われているんですが、わざわざ明示化する必要なんてない。誰もそんなことしていないんですよ。ブログや本にしたって「今から僕がいうことは一つの読みなんで真に受けないでくださいよ」って言うんですか? 

言わないと思うんですが、そう読んでしまう人がいるんでしょう。

私もこの手のコメントを以前貰ったことがあります。

作者を切り捨てるような読みをするなら、同時に作品のテーマや価値について考えるのも切り捨てたほうがいいと思いますよ。 なぜなら内在化させられた物語は大きく変容するはずで、そこには普遍性をもった作品など存在せず、そこにおいては作品の一貫したテーマや価値など存在しえないと考えられるからです。 それに、内在化した物語を語るのは、自分自身を語るに等しいため、個人の読者として素養や個人的な経験も語ったほうがいいです。

だから貴方も、「この作品はこうだ。私はこう感じた」などという文は使わず、「わたしはこれこれこういう事を考えている人間で、これこれこういう事を今までしてきて、故にわたしはこの作品をこう読みました。私のこの思いを知ってもらいたい、誰かと共有したいから、ここに書かせて戴きます」と書いた断った方がいいと思います。

――水月ファン

 

かの記事では取り上げませんでしたが、彼から送られたコメントはもう一つあってその部分的引用がこれです。

このコメントは要するに「内在的読解をすることは作品の普遍的な価値は存在しなくなる」というものです。

逆にいえば彼は「作品には普遍的な価値があると思っている」と言えます。 

彼のブログにこのコメントの返信をしましたがそんなものあるわけない、創作物に誰もが誰もこうだと思う価値なんてあったら怖いし異常ですよ。創作物に一貫する答えも、一貫するテーマも、一貫する正しさも価値もない

しかしこの人もまた「最初に自分の態度を示してから書け」と言っている。書かないと分からないのかな? 私の感想なんて数多ある解釈の1つでしかないと書かなきゃ伝わらないのかな?それをわざわざ明示しなければいけないってどうゆうこと。

なぜこういう人が出てくるのか私はとっても疑問です。 

 

『水月』感想

 

(2)について。

そもそも「創作物に普遍的な正しさがある」と幻想を抱いているほど、提示された他者の批評にたいして狭量なのではないかと考えています。

いわゆる絶対主義者、監督主義者、製作者主義者と言われる人たちです。

「監督が言うんだからこの作品は☓☓なんだー!絶対なんだー!」って人たち、あるいは「この作品の答えは1つだー!俺が見付けたヤツだけなんだー」って人たち。

【猫】男性はアーティスト本人を考慮するが女性は作品自体を評価する傾向にある←知ってたよ

 

そんな人たちからすれば、そりゃあ「普遍的な正しさ」「作品には一貫した誰もが納得する価値がある」って思ってしまうのも無理はないのかもしれない。

でもそんなの幻ですよ。幻想です。

だってそんなのどこにあるの?

例えば『水月』にしたって駄作と考える人もいれば傑作と考える人もいるし、もちろんこれは時代によって評価の傾向も変わってくる。水月を空っぽな物語と見る人もいれば、幻想と見る人もいる。

一体個々のどこに"普遍的"な、あるいは"客観的"な、あるいは"一貫した"評価なんてものがあるのだろうか。ないでしょ。

  ◆

逆に言えば「普遍的な正しさなんてはない」と思っている人は、他者の批評なんて全部その人の解釈なんだなって思っているんじゃないかな。少なくとも私はそれです。

感想や批評なんてその作品をどう観たか、どう読んだかでしかありません。

さらに創作物に普遍的な正しさがないのであれば、それはもう主観的な正しさしか残りません。つまり個人個人が胸に秘める真実というやつです。

例えば私が『水月』を「"今"の連続体の物語」と見たとしたら、それは「私の中の正しさ」となりえます。もちろんこれは主観的な正しさであり、客観的なものにはなりえない。

しかしこれを起点として作品に散らばるファクト(事実)を積み重ねていき、過程を描き、論理を構築することで「私が見た『水月』」という記事が完成します。これは他者にも読めるようになっている為、そこにはある程度納得がいくようになっていますよね。

『はつゆきさくら』ではその強度が尋常じゃない為、多くの人にかなりの納得感を与えられていると思います。

しかしこれはあくまで「私が見た『水月』」「私が見た『はつゆきさくら』」なわけで、他者が見た水月とは違いますし、他者が捉えたはつゆきさくらの(主観的)真実とは相入れません。

こんなの当たり前なんです。
 

はつゆきさくら考察

 

「創作物は『見方』によって別物になる」
「創作物は観測次第でどうにでも変化する」
「創作物は普遍的・客観的価値や正しさなんてものはない」

ここを理解しないと音楽だろうが、映画だろうが、アニメ、小説、物語にしたって「それは正しくないいい!!」っていう人が出てくるんだと考えます。

もちろん論理の瑕疵を指摘して反論するのはありだと思いますが、「その批評を唯一の読みだと思いたくないので個人的な読みであるという態度を示してから書いてください」なんて意見はナニイッテンダってやっぱり思っちゃいますよ。

批評ってのは「私はこう思った」だけにすぎないのにね。

……

…………まあ…これは私が相対主義者からなのかもしれません。絶対主義者の人はここらへん理解がしにくいのかも。

 

ただねー……(嘆息)

水月』っていう作品を絶賛している人が絶対主義者ってどゆことー?って思いますもん。なんじゃそりゃーって。

水月」って「正しさなんてない」「どう観測するかが全て」「相反する真実が同時に存在する」という作品そのものでしょ? あなた何見てきたの?って言いたくなる。正しさなんてあったら雪さんどうなるんだよ、真実が1つだけならアリス達はどうなると思ってんのよ。

 

ないの! 創作物に一貫した価値も誰もが誰もこうだと思うテーマなんかないの! 

ここが全ての起点だぜ。

逆にいえばここを理解していないと「他者の批評を唯一の解釈として読んでしまう」・「創作物に普遍的/客観的正しさがあると思っている」という状況を生むんじゃないかって私は考える。

何度も繰り返してくどいなーって思うけど、これくらい繰り返さなければ「創作物に正しさがある」と思っている人には伝わらないのかなって思うので繰り返します。

  ◆

ここを踏まえて、「でも私は創作物に正しさを見つけたいんです」っていう姿勢はもちろん歓迎します。

それはつまり客観的な正しさではなく、主観的な、自分だけの真実を見つけたいと思っているってことですから。自分が観測することで見える作品の<核>に触れたいということですから。

私はこれをめっちゃくちゃ推奨しますよ。「水月を空っぽな物語」と断言してももちろんいいですし、「幻想」と見ても「伽藍堂」と置き換えてもいいと思います。

水月はあまり興味がないので『ゆゆゆ』や『Sessions』、あとは『SCE_2』などでの批評(=自分の言葉で私は"こう"思った!)ものが読みたい。

 

はいまとめ。

 

まとめ

 

  • (1)批評に正しさを求める人は、「その創作物に正しい価値/普遍的な評価/一貫したテーマがある」と思っている。
  • (2)他者の批評物を「数ある解釈」と判断出来ないのは、(1)という考え方を持っているのではないか。
  • (3)なぜ創作物に普遍的な価値(=誰もが誰も思う価値)を求めるのか? →相対的な考えが難しいからなのではないか。あるいは一方的な決めつけとして絶対主義者か監督主義者かの2つが考えられる。

とりあえずこれが私の今の暫定解。もしかしたら今後はこれを叩き台にして何か考えるかもしれないし、変化するかも。

ちなみに高橋健太郎さんの著書は近々読んで、感想書きたいと思っています。楽しみ。

これと

音盤時代の音楽の本の本

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 これですね。

ポップミュージックのゆくえ 音楽の未来に蘇るもの

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