猫箱ただひとつ

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異能バトルは日常系のなかで[最終回]。それがここにはあるってこと(3302文字)

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誰かにその言葉を言ってもらいたい時がある。

お前が考えている事実なんていうものが薄っぺらくそれこそが嘘偽りだと、お前が思っている真実こそとても下らないものんだと断言して欲しい時がある。

 

 11話。

 

てめえなにすんだよ
うるさいのよばーか!
はぁ?
バーカバーカバーカバーッカ!!

戯言ほざくんじゃないわよぉ! 虚構は確実に存在するのよ!

存在するわけないだろ、何処にもないから虚構なんだろ!

あるのよ
ねーよ
あるわよ!
ない!
ある!!
ないったらない!!

あるったらある!!!

だったら教えてくれよ、虚構ってのはどこにあるんだよ

(ぼすっ)

ここよ
フィクションはここにある!


――灯代、安藤

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世界は自分一人だけじゃ作り出せない。どうしてもあと"もう一人"が必要になる。自分の世界を維持するためには、それを共有し、理解してくれる存在がいなくちゃだめなんだよ。

自分が自分の世界を疑っているときに、論理をぶっとばして道理を蹴飛ばして「ある!!」って言ってもらえるだけでいいんだ。なんかもう泣いちゃったよ。別にそんなシーンでもなんでもないはずなのに、ぽろぽろとこぼれ落ちることを止められなかった。きっと私は灯代の言葉を待っていたし、いやだからこそ彼女のことが好きなんだなってそう思える。

だから今度は

今度こそは

 

 

 

 

中途半端な共感

 

「もっと他に言うことあるでしょ、ほ、ほら私落ち込んでるんだから慰めなさいよ」

「慰めたりはしねーよ」

「え」

「お前が一生懸命やってたことは知っている。だから、その苦労も悔しさもお前だけのもんだ。」

「中途半端な共感だけは絶対にしたくない」

「灯代はさ、別に励ましたり慰めたりしてほしくて俺は報告したわけじゃねえだろ」

「ただきっちりと義務と責任を果たしてくれただけだ」

「だから"ありがとう"だよ」

――安藤、灯代

 安藤のいいところは自分の流儀を他人に押し付けないところだよなって思う。

中途半端な共感は絶対にしたくないからの、中途半端な共感をしている人の批判はない。安藤は安藤だけの流儀を守って大切にしている。きっとそれだけでいいのかもしれない。

他にもこういう「安藤が価値を置いている流儀」というのは至る所にあったけれど、確か……それをしていない人の批判めいた文句って無かった気がする。「俺は◯◯はしない、だって◯◯をしている奴らは☓☓じゃないか」そんな言い方って無かったような気がする。

その代わり、自分にとって価値を置いている規律の「わけ」を教えてくれはしない。聞かれたら答えてくれるのかもしれないけれど、聞かれるまでは答えてくれないのかもしれない。それもまた安藤の流儀だったりするのかも。

中途半端な共感は絶対にしたくない―――なぜしたくないのか、それを話してはくれないからどうしてなのかな?と疑問を持つ。私にはほんのりしか分からないから。

人は人の気持ちを読解す、そして共有する。そしてそのことに意義と楽を生み出し続ける。それを悪いとは思ったことはないし、これを出来る力を持っている時点で凄いと思っているからだ。

確かにね……確かに中途半端な共感、されるのって辛いよ。ムカつくことだってある。でも仕方ないのかなとさえ思ってしまう。"そういうもの"なんだから。"そういうものなんだから仕方ない"と言ってしまえば自然的誤謬みたいになってしまうんだろうか。

人は人の気持ちを読解す、ここを踏まえた上で、だからこそ、共有を区分けする必要だってあるのかもしれない。共有するべきか、否かを判断するべきなのかもしれない。

中途半端な共有しているなと気付いたら、そのことを伝えることはせずそっとしておくとかね。

……ああ、もしかしてこれは「個」「聖域」について尊重しているからなのかな? 確かにそれはありえそう。しかしあんまりここを拡大してしまうと、共有という現象を否定してしまうとは思うけれどただそれは極端すぎだよね。ふむ。

ともよの苦労と悔しさは彼女のものだけ―――というのはまさに。

中途半端な共感っていうのは麻薬のようなものだよね。それはSocial世界の現状が結果として出ている。中途半端な共感、中途半端な解釈、しかし私達にはリソースが圧倒的に不足しているし、きっとそれでいいんじゃないのって気もする。でも気には留めておこう。

 

 

鳩子

本来、鳩子みたいな女の子って私は傾向として馴染めない場合が多い気がするんだけ(アイマス雪歩、水月泉水、羊飼白崎)ども鳩子はほんと可愛いし、いいなって思うもん。

……共感ができない相手に好意を持ってしまったら私達はどうすればいいんだろうね? 対象を理解したくとも根本的なところで上手くいかない分かり合えないでも分かりたいでも理解不可能。

もどかしいでしょう? 目の前に、1%にも満たない可能性だけがぶらさがっているのは。
やりきれないでしょう? 無理とわかっていてもなお縋りたくなるのは。

――沙也加

あーそうかここから始まるんだな。それでも届けようと思ったとき―――"届かなくても届けよう"と思ったとき手を伸ばし続ける。行き過ぎれば狂いへと繋がり、正常を保ち続けると美徳とされる。なるほどね。

そしてここに「戀」が混じることで、狂いの段階は飛躍的に高まる。狂いは怖いよだって大抵愛情が起源だから。

もし人が「理不尽」というものを肯定的に捉えた場合、社会のありようがどう変革するのか少しだけ興味がある。つまり絶望を絶望と思わないのなら……ば。

脱線。つまり鳩子は好きなんだけど、これから彼女が待っている道はとても険しいんじゃないかってこと。安藤のことを理解したくても、心の在り方がまるっきり違うし価値観の拠り所も別の場所にあるから根本的なところで彼のことを理解できない。手を伸ばしても伸ばしても理解することはなしえない。

それを深いところで理解してしまったら……。今はまだ「もっと寿君が好きそうなことに触れていけばいつかわかるかも」と希望的観測を持っているように見えるけど、けれどももしそれが本当に無理だと判断してしまったら。

それでも、それを理解してもなお、彼女は手を伸ばすことが出来るのかなって。

価値観様式が根本的に違う人を好きになるってことは殆どの場合ありえないからあんまり考えたことがなかったけど、これって実は……すごく……難しいな……。

 

 

 

ここから12話最終回。

 

異能は最高に

「俺思うんだ」

「異能ってのは人を傷つける為の力じゃない そして誰かを幸せにする為の力でもないない」

「じゃあなに?」

(中略)
「異能は最高にカッケえんだよ そしてただカッケえ、だけでいい」

「うん」

 ――安藤、千冬

 安藤は異能は誰かを傷つける為でも幸せにする為でもなく、ただカッコイイだけでいいと言う。

そして私は思うんだ。

安藤が言いたかったことはこの先にあるのではないかと。

異能は夢を見せてくれるものなんじゃないかって。人に幻想を、虚構を、それらがこの現実世界には"ある"って思わせてくれるものなんじゃないかって。異能はただカッコイイだけでいい、何か目的に使ったり、自分の人生を豊かにするためのものじゃない。

ただただここにはあるっていうだけでその存在価値は完了する。

 

 

 

だったら教えてくれよ 虚構ってのはどこにあるんだよ
(ぼすっ)

ここよ
フィクションはここにある!

 

  ◆


毎話毎話面白くて、でももう最終回を迎えてしまって、悲しいかな……もう終わりなんだよ。終ってしまった。好きだったアニメがまた一つ終ってエンドロールが流れ寂しさが募る。俺ガイルの最終回もどうしようもなく郷愁感で溢れてしまって、なんか、あー、そうだよ、これか。って思った。

虚無感や寂寥感、郷愁そのほかいろいろが混ざり合い生まれる感情。それらが発生すること。発生することはそのアニメが良かった時だけなんだ。

灯代と鳩子、千冬ちゃん、先輩、会長みんな好きだなーと思いつつ、これってヒロイン皆好きってことじゃないか珍しいって思った。ヒロインが全員好きだなって思えるアニメはやっぱり良いアニメ。 

 

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