猫箱ただひとつ

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「四月は君の嘘」8話までの感想

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*3698文字

さあ、旅にでよう

 

 

 

 

 

4話。さあ旅にでよう

大丈夫
私たちなら出来る

弾かなきゃだめなの
でも君がいいの

私は全力で弾く
聴いてくれた人が私を忘れないように

私は演奏家だもの

――Again

この先は暗い夜道だけかもしれない

それでも信じて進むんだ
星がその道をすこしでも照らしてくれるのを

さあ、旅にでよう

(宮園かをり) 

 宮園はいつもいつだって「大丈夫」だって言う。大丈夫大丈夫だよ私たちならできる―――そう自分に言い聞かせるように音を並べていく。演奏を始める前にも自己暗示をするかのように「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」と宣言する。

エロイムエッサイムエロイムエッサイム。これは悪魔を呼び出す為の呪文だそうだが宮園の人柄を考えると「悪魔を呼び出そう」としているようには思えない。私にはなんらかの道筋を築きあげようとしているか、どこかに"進む"ための呪文のように聞こえてくる。エロイムエッサイム我は求め訴えたり。

この言葉を分解すると「全能」や「神」という意味合いも含まれているらしい。ならば宮園が世界に訴えかけている言葉は、呪文は、「大丈夫、私たちなら出来るよ」と同じ意味のものなのかもしれない。

――それでも信じて進むんだ

彼女がいう「旅」の意味がまだ漠然としていてよく分からないけれど、この言葉の音素がとても心地がいい。さあ、旅にでよう。それは停止することは叶わず前に進むことでしかない。自分を信じて、出来ると信じて、足をもう一歩前へ動かす。

――星がその道をすこしでも照らしてくれるのを

宮園かをりがいう「旅」とは祈りのように聞こえる。真っ暗な道が目の前にあっても星が少しでも照らしてくれるのを信じようと。それでも私たちは旅=弾き続けなければいけないんだと。

有馬公生が一時ピアノを弾くのをやめてしまい、その後を追うかのように宮園もまたヴァイオリンを弾くのをやめてしまった。その後2人はまたもや弾き始めるのだけれども、このとき観客席から「評価は0点なのにどうしてあの子は弾くんだろう」という趣旨の発言がある。

これはとても簡単で、宮園かをりにとってコンクールなんてものはどうでもいいんだろう。彼女に大切なのは「旅をし続ける」ことなんじゃないか?

自分が自分らしく、全力で、最高の演奏を弾くことこそが彼女の目指しているもの。だからこそコンクール用の弾き方をせず、観衆の心に音素を刻むような弾き方をするんじゃないか。

――さあ、旅にでよう

 

 

母親の幻想と呪い

 

僕の中にあるものを引っ張りだせ
集中集中集中!

――有馬公生

公生がピアノが弾けない原因は、ピアノの音が聴こえない、譜面が飛んでいるという2つにある。そしてこれは物理的に障害をもたらしているのではなく、精神的に現在の状況が作り出されている。

つまり精神的な問題が公生にはある。そしてその最もな原因は母親なのだろう。ほんとに?ほんとに母親なのか?

たしかにピアノを演奏している途中に母親の幻影を見て、そこから公正の演奏はおかしくなっていった。けれども公生が思い出す母親像は、杖を持ちて叩くストイックなものではなく、優しく温かいそんな女性だ。

(いい公生、そんなに乱暴に弾いちゃだめよ)
(ピアノはあなたなの)
(優しくふれれば笑ってくれる、強く叩けば怒り出す)
(赤ちゃんの頭を撫でるように)

そしてなにより公生自身が、母親のことを嫌悪しているわけでも憎悪しているわけでもなく、むしろ好いている。

音が聴こえないならイメージしろ
体中で鳴らせ
母さんが僕に残してくれたものを引っ張り出せ!!

もし母親のことが嫌いならば、こんなこときっと言えない。嫌いなものが自分の中にあって、それを肯定して、引張りだすなんてことは毛嫌いしている場合とても不可能だ。

公生にとって母親とは別に「呪い」ではないんだなとここで分かる。いや呪いなのかもしれないけれど、一面的には「祝福」でもあるんだろう。

呪いであり、祝福。って考えると、やっぱり本当に母親のせいでピアノが弾けなくなっているのか?と懐疑的になる。

  ◆

そしてこの「音をイメージ」して弾くところが、今まで作曲者の意図通り正確に弾くこととは一線を画すスタイルになっていくのかもしれない。だって精密にタッチするのって(音楽的知識皆無な私だけれど)、別段イメージなんかないでしょ。

メトロノームに合わせて、寸分も狂いなく、打鍵するのと、曲を、音を、音素をイメージして弾くのとはその演奏の豊かさが全然違ってくるんじゃないか。Artっていうのは計算じゃないんだよ。ロジックでも理論でもない。あれは"心"を介して行われるものだ。だからこそそこには言葉では伝達できない何かが生まれる。極めれば極めるほど複製不可、模倣不可という状況につながってくる。

芸術に理論を持ち込んだところで、それは"心"を究めた到達点には絶対的に叶わない。そういうものだよ。そしてそれが宮園かをりであり、対極が過去の有馬公生なのだろう。

 

 

 

8話。時間なんて関係ないよ

 

指が鍵に触れるまでの一時の静寂。躊躇いや戸惑いと決別する時間。

―――そいつの指が鍵に触れたその瞬間
―――私の未来は決まった

ドキドキが止まらなくて、涙がこみあげて、感情が一気に溢れ出したんです。ただただ感動したんです。

芸術に触れて、思わず泣き出してしまったり、心がおかしくなってしまったり、心が欠け落ちてしまったり、破損してしまったり、修復してしまったり、あるいは規定されてしまったりすることってよくある。

何で泣いているのかすら分からなくて、でも涙が止まらなくて、泣きながらああこれが感動なんだなって思う時って誰にでもある。そしてそこに時間なんか関係ない。たった4分足らずの演奏が、そこから長い人生の道を作ってしまうことだって往々にしてある。私はそれをよく知っている。

これがArtって呼ばれるものなんだ。芸術はとても素晴らしいんだよ。そこに神秘性を見いだしてしまうほどに。

ピアノが合ってる、指が軽い、私は今日ノッてる。きっと朝食べたスコーンが美味しかったから、新調したドレスが決まったから、髪が上手くセットできたから。

きっとそうだ。

違う
違うでしょ

子どもじゃあるいまし、自分に言い訳してどうするの。あいつがいる。2年ぶりにすぐそこに。背が高くなってた、少し大人になってた、でもすぐに分かる。

あの瞬間からテンション上がりまくり。
あいつがすぐそこで私を見ている

(君もそうなの)

(笑わせないで)

私は有馬公生を否定するためにピアノを弾き続けているんだから。

ここすごく詩的で素敵。紅茶とスコーンは優雅だよねなんとなく。朝に食べるとさ。

こういう感覚型の子すごい好き大好き。感情によって能力の高低がでてしまったり、むらっけがあり、でも感情のピーク時には凄いものを見せてくれるというのはもうそれだけできゅんきゅんくる。

この子のピアノを演奏する理由が「はじめの有馬公生を連れ戻す」というものだとしたら、それはもうなんだかこれから大丈夫なのかな?って気はする。だって彼女のモチベーションは全て"有馬公生"にかかっているのだから。

有馬公生がピアノの世界から退いてしまったらどうするのだろう、もう弾かなくなってしまったら、死んでしまったらどうするのだろう。

他人に自分の行動動機を預けているといろいろ後が怖い。

でも、もしかしたらそれはそれで公生を神格化してしまうのかもしれない。幻想に向かい、虚空に向かい、もういないはずの人間に手紙を送り続ける。そんなピアノのスタイルもあるのかもねと。

私はあんたを否定してやる。

負けたってぶっ飛ばされたって何度だって否定してやる。

コンクールの為に弾く有馬公生なんて聞きたくない。私のピアノで否定してやる。

私が聴きたいのは

(君もそうなの)

(そうだよ)

私がここにいるのはあんたのせいだ。たった4分足らず、たった4分足らずの演奏が私をピアニストにした。

戻ってこい
戻ってこい

私が憧れた有馬公生

響け
響け
響け

私のピアノ

響け
響け
響け!

 

――絵見

井川絵見は、昔の有馬公生のピアノ演奏を聞いてピアニストを目指した。

ならば彼女の演奏スタイルは、昔の公生のスタイルを踏まえているものなんじゃないか。つまり井川絵美が感動し泣いたあの演奏を、彼女自身が磨いてそこに至ろうとしているんじゃないかってこと。

きっとそれは、想いを乗せた音。響け。

 

 

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四月は君の嘘 僕と君との音楽帳

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