猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

作品を読み終わった後にその作品の面白さなるものを聞いても本質的な評価は変わらないんじゃないかな

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水月~迷心~
*6322文字

 

コメントを頂いたので返信します。

俺は水月は史上最高のエ口ゲだと思ってるんで☆5が付いてない事に正直がっかりしています。なので反論をその内書きたいと思っています。

――一人の水月ファン

私にも経験はあるんですが、自分が好きな作品が他の人にとって低評価だとすると文句をつけたくなりますよね。そしてその作品の良いところを相手に気づかせようとしてしまったり。

「ここがよくなかったですか?」「◯◯の部分についてどう考えてますか」「☓☓と△△の部分にコペルニクス的転回があるんですよ!」とかね。

でもこれって無意味だと思います。

私はこれまでずーーーっっと、ずーーーっっっと「物語を面白くするにはどうすればいいか?」を考えてきました。知識を蓄えればいいのか? 誰かと感想会をすればいいのか? その物語を内在的に読解すればいいのか? それともつまらなかった作品を徹底的にこき下ろせばいいのか?と。

そして行き着いた答えは「物語が終わってしまった後に面白くする」のと「物語を読んでいる時に発生する面白さ」は違うということです。


つまり物語が終わったあとに「読解」や「感想会」を行い物語の見方が変わった!こういう発見もあったんだ!……という面白さは、もともと物語にあった面白さとは別です。

そして「物語を読んでいる時に発生する面白さ」というのは、その時その瞬間の自分の体調・心象風景・心の状態によって大きく変動します。

ストレスで心がすり減っていれば物語に耽溺できませんし、心象風景が、心の形が、物語と合致しなければ感動はできない。そういうことです。

そして現在進行形で物語を面白くするには、一回性の回路を錬鉄しなければいけない―――。

ここはもうさんざん、さんざん、さざんかって感じに語ってきたのでで割愛します。詳しくは以下の10の記事群と、そこにある関連リンクを読んで頂けるといいかなと思います。

 

  1. 「読解モジュール」を駆動させるとエ口ゲは7倍面白くなる 
  2. 【決定版】アニメ・エ口ゲをもっともっと好きにできる9つの方法
  3. エ口ゲの「認知」の仕方は視覚優位と聴覚優位では大きく異なるんじゃ
  4. 表現と内圧
  5. 物語に感動するには【祈り】こそが鍵になる
  6. クンフー論。それは手段を目的化し「楽しむ」を追求すること
  7. 感情移入とは「幻肢痛」に似たようなもなのではないか?
  8. 感情移入が出来ないと、アニメやエ口ゲは楽しめないんじゃないか? 
  9. 物語は人生をぶっ壊し、修復し、オーバーライドする力がある。CLANNADは人生Fateは文学って言いたくなるのもこの体験があるからこそだ(17372文字
  10. どうしてこの作品を『好き』になったんだろう?それは心の傷のせいかもしれない。

 
(……書いてきたなあ……としんみり)

 

あ、あとこれもですね。(一見関係なさそうですが「感情の共有」についての視点は役立つと思うので)

物語は人生をエミュレートし多視点を獲得させる力を持っている

 

上述した11の記事を踏まえて語っていきます。

つまり水月ファンさんが、いくら反論を持ってこようが、『水月』の魅力を語ろうが私の評価である★★★(ふつうあるいはつまらん)という評価は覆せないということです。

2014年という時期に『水月』をやればこんなもんですし、あるいは私の心象風景とこの作品が合致しえなかっただけです。そこに後で知る水月の面白さなんてものは、後の面白さを拡張する後付で外付けなものでしかない。

別にこれが悪いとは言っているわけじゃありません。それはそれで楽しいものですから。

しかし本質的な意味で、私の『水月』への評価には加味されません。つまり★★★が★★★★や★★★★★になることは無いです。


私からすると、『水月』が史上最高だなんて評価こそが懐疑的ですしいやいやいやと思ってしまいます。

でも

別にいいんですよそれで。

私の評価が「水月つまらん」だったとしても、水月ファンさんの評価が「水月は史上最高」だったとしてもどっちでもいいんじゃないでしょうか。

逆に私が「水月のつまらない理由はですね以下略」と納得のある意見をあげたら、水月ファンさんは理解してくれるんでしょうか? 今まで『水月』という作品を史上最高と言ってきたが実はあれはつまらん作品だったのだ―――なんて納得することはきっとありえないと思います。

いくら私が水月のつまらない要素を並べ立てようとも、「確かにそうかもしれない、でも」という応答になるんじゃないでしょうか。切り返しに必ず逆説の接続詞がつくのではないかと想像します。

 

それにですね。水月がつまらないと言いながらも、私はちゃんと水月という作品に向き合っています。

全ルートを振り返って、その一つ一つに感想書いて記事を構築して組み立てています。自分の中で★★★というなんのときめきもなかった作品に10万文字打鍵し、一ヶ月近くかけて『水月』を読解している。

総括記事にしたって、例え他作品と比べて熱量が少なくても、うんざりするほどに水月とは何か?を言い表そうとしている。

これを考慮されてますか。

そして水月ファンさんは、自分がつまらないと思った作品、★★★の作品にここまで出来るのか聞きたいです。

つまらない作品に毎日時間をすこしづつ捻出し、気力を削がれながらも頑張って頑張って作品を読解しようとしたことがあるのどうか。面白い作品ではなく、自分にとってつまらなかった作品に。

  ◆

もちろん水月の面白さを語ってくれるのならお聞きしたいですが、それは私の評価を変えることを目的にしないほうがいいとは思います。

あくまで水月にはこんな面白さがあったんですよ、くらいの気持ちでいいんじゃないかと。

それと私が記事中であげられている20以上の列挙した謎に、もし答えをお持ちであればとても聞きたいなと思います。(特に廃校舎と、海の神殿についてあれば)

以上です。

 

  ◆

 

追記。

 

この記事に、シルトさんからコメントを貰ったのでここでお返事しようと思います。ありがとうございます。こういうの嬉しいです。

それではいつものように引用を少しづつ切り取って、コメントしていきます。

 

コメントした者ではないので横やりという形になりますが。
少しひっかかりを感じたのでコメントいたします。
べるんさんの言っていることを誤読していないか結構心配しています。
先に謝っておきます。
ここ勘違いしてるよ。とか論点が全くおかしいよ。とかあったらごめんなさい

作品に対しての評価が変わるということはそんなに珍しいことではないだろうと思います。

評価というものの原点にべるんさんは「物語を読んでいる時に発生する面白さ」というものを置いていると認識しています。

だからこそべるんさんは「水月ファンさんが、いくら反論を持ってこようが、『水月』の魅力を語ろうが」たとえそこに面白さを感じたとしても「物語が終わってしまった後に面白くする」ことにしかならないと言っているのでしょう。

基本的にはそうだと思います。

 

さて、水月を面白くない作品だと評価しているとき、
水月に「物語を読んでいる時に発生する面白さ」を見つける方法論として
水月ファンさんの話を聞いて、その考えと自分が水月に抱いた考えとを両方とも自分の踏み台にして、

あるいは11/3に記事にしていた「"今"の連続体こそが『水月』なのだ。」という考えとプレイ直後に抱いていた考えとをしたじきにして、
それらが水月にたいする考えであるということを頭の中から追いやって
もう一回水月をやってみる。というのはいかがでしょう。

つまり
水月ファンさんが言ってくれるであろう『水月』の面白さ」と
「今まで私自身が考えてきた『水月』への理解」

を踏み台にして

でもそれら2つを頭から綺麗にさっぱり忘れて再プレイすると捉えていいでしょうか。

……しかし、正直それは無茶というか、無理な気がします。

もちろんシルトさんが言いたいことは分かりますが、人間の脳は過去の集積、記憶、知識、スキームを"簡単"に取っ払えません。

アニメとかでよくこういう会話ってあるじゃないですか。

「今、見たでしょ?!ねえ?!見たよね?!!」
「いやいや見てない見てないから」
「今すぐ忘れろ(怒)」
「……」
「忘れないと殺す!」
「……はい」

みたいな。

けれどももちろん忘れてと言われて忘れることはできません。私たちは機械ではないですから。

もし「忘れる」ことを意図的に行うのならば、それは自然の忘却に、時間の流れのまにまに身を委ねることでしかないのかなと思います。

だからこそ、簡単に記憶や知識を忘れられないからこそ―――自分が知っていることで作品を語るのがネットで溢れているんだとも私は思っています。

・参考記事 

作品を語るときになぜあなたは「文脈」を使うんですか?(7601文字)【完成版】

既存の知識とか、文脈を、意図的に取り外すには絶えず自分の思考を監視するしかないです。

例えば『水月』を『水月』だけで語ろうと決めました。余計な文脈を使わないようにしようと自分に誓います。しかしふとしたときに「メーカー」について文章を練り上げてしまった、そんなとき「あ、これは関係ないものだ」と文章を修正していきます。これの繰り返しで、作品は作品のままで語ることが可能になると思います。

ただこれは【プレイ後】だからこそ出来ます。

【プレイ中】では思考が無作為に、思いのままに進行していきます。いろいろなものに関連して拡張し連鎖していく。

そこに絶えず自分の思考を監視して、余計なことを考えないようにしようとなるととてもストレスで、『水月』という物語を楽しむどころではなくなってしまうと思います。

「物語を読んでいる時に発生する面白さ」というのは基本的には、心の触れ合い、あるいは感情の発露です。(ミステリ系の物語にある「考える楽しさ」ももちろんありますがここは話題と関係ないので割愛します)

なのでシルトさんの方法を、それでも頑張ってやると、おそらく私は余計『水月』をつまらんと言ってしまうんじゃないかと危惧します。

しかしそれを踏まえて、シルトさんの意見を読んでみたいと思います。言いたいことは分かりますので。

 

以前に水月をやった時に感じた「物語を読んでいる時に発生する面白さ」(感じてないかもしれませんが)と次に水月をやって感じる「物語を読んでいる時に発生する面白さ」は別物になるかもしれません。

なぜならば今年の4月のべるんさんと「水月は夢なんだ」という考えを自分の中に持っているべるんさんとは同じではないし、水月ファン氏の話を聞いてそれを自分の中の情報として持っているベルンさんもまた別人だからです。

ベルンさんの答えとしてある一回性の回路を錬鉄するというのと矛盾しているように見えるかもしれませんが、自分はそうは思っていません。
何回同じ物語を読んだとしても、文字が全く同じだったとしても、それを読んでいる自分が別物である以上、その物語に対する感じ方は同じにはなりえないと考えるからです

 はいその通りだと思います。

4月の私は、もう別人なので(=心の形や心象風景が違ってきている)、

その時に発生する「物語を読んでいる時に発生する面白さ」は、4月の私が感じたものではないはずです。12月にやれば12月の時の物語を読んでいる時に発生する面白さ」があるというのは自分の経験則的に分かります。

ゆえにこの記事で言っている「本質的な評価」というのは、「4月に『水月』を読んだ時に発生した物語を読んでいるときの評価」ということになります。

そして、この4月の評価を変えられるのは、水月ファンさんの言葉や気付きではないということでもあります。

この4月の時の水月の評価を変えられるのは、文字上の言葉、表層的なものである知識ではなく

 

実感がベースとなったものでしかないと思っています。

 

つまり私がもう一度『水月』を再プレイする――という実感がある行為――でなければ4月に下した『水月』の評価は変わらないということです。

水月』の「物語を読んでいる時に発生する面白さ」を発見したければ、この物語をもう一度読まなければいけないということですね。

知識や言葉の上での面白さは外付けで後付けなものなので、「実感」や「体験」がベースとなったものには到底覆ることはありませんから。


それはシルトさんが言うように、再プレイすることで4月には分からなかった、発見できなかった価値や面白さを見つけることができるかもしれません。

 

まあこんな時間使うことやるよりは、他にもっとやりたいことあるでしょうし
別に結局つまらないあるいは普通でしかない可能性も十分すぎるほどあるし、
べるんさんは既に水月に対して多大なエネルギーをささげてもいらっしゃるのでやらないという選択をなさるでしょうが。 

そうですね……

10年後くらいしたらやろうかなと思います……(なんてやらなそうな発言なのでしょうか) 

 

そして『こころ』のコメントをすこし飛ばしちゃいます。

「それを読んだ自分」がそれに引きずられることなく物語に対して新たな感じ方ができる

(どうやればそういうことができるのか。みたいな方法論を私は知りませんごめんなさい。)

のならそれを聞いてそれをしたじきとして「もう1回やってみる」(別に2回3回でもいいです)というのは「物語を読んでいる時に発生する面白さ」を新たに生み出すひとつの手段なのではないかなと思います。

 

まあこの考え方をしたとしてもおもしろさを伝えることの目的を他人の評価を上げることにしないほうがいいというのは正しいままですが。

あ、「水月」は大好きです。(未成年なのでポータブル版です。)

私としては、やはり物語の内容を自然に忘れることを待つといった方法が、

「物語読んでいるときに発生する面白さを新たに生み出す手段」になるでしょうか。

もうほとんど思い出せない、でももう一度読みたいなーと思ったときにその物語を読むと「あ、こんなことあったんだ」とか「当時の自分は違うこと考えてたよな確か」といったものが生まれると思いますから。

 

ということでコメント有難うございました。以上で私からのお返事は終わりになります。それでは失礼します。

 


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