猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

表現と内圧(2970文字)

スポンサーリンク

f:id:bern-kaste:20141116034018j:plain
*たまにはダラダラとした駄文もどうぞ


自分と趣味、志向、読解方法が完全に一致する人なんてものはいない。

けれどマテリアルの部分では似ている人は結構多かったりする。パーフェクトマッチとまでは行かなくてもニアミスくらいには。

しかしそんなアジェスト型の人は中々見つけられない。見かけることが無い。少ない。

これは何故かちょいちょい考えていたけれど、単純に彼らは「表現しえない」んじゃないのかと思う。存在はするが、わざわざ作品に抱いた気持ちを書き残したりはしない。

ちょっとしたコメントはするかもしれない。Twitterニコニコ動画で100%の気持ちをワンフレーズで言い表したりするのかもしれない。でもそこまでだ。

わざわざブログを開設して、そこでうんと量のある長文なんて書かないんじゃないかな。『はつゆきさくら』の初雪が雪を魂だと言い表したところは物悲しかったねとか、『夜明け前より瑠璃色な』でリースの最後は詩的だったねとか、そういうことを丁寧に書き残したりはしない。

私はそれが見たいというのに。それが見たくて見たくて仕方がないというのに探しても探しても見当たらない。

 

 

夜明け前より瑠璃色な -Brighter than dawning blue-(初回限定版)

夜明け前より瑠璃色な -Brighter than dawning blue-(初回限定版)

 

何故ならアジャスト型は語らないから。

ただ自分の心の奥底に、記憶を、気持ちを、想いを抱いてそのままにしておく。それだけだ。だからネットではそういった彼らの心象風景を垣間見ることはほぼ無い。あったらとてもラッキーだし、無かったら無いで自然な光景だ。

かわりに単体作品を外部文献で参照して考察したものや、関連作品と合わせて語るものが溢れている。

"それ"について語って欲しいのに、"それ"ではなく、別のものを主体的に語りゆく。たとえ主体的に語らなくてもどっちをメインに語りたかったの?と思ってしまうもので溢れている。

きっと、そうでもしなければ語れないんだろうなとは思う。

簡単に分かった気になれるし、お手軽に通ぶれる。そして本当はよく判ってなくても「◯◯は☓☓のオマージュだったんですよ」と言っておけばなんだかそれっぽい。

この言葉は便利なフレーズだなぁと思う。ひとこと会話に添えるだけでたちまち博識っぽさとスノップっぽさがプラスされる。

魔法の文字列だね。

いつも心に「◯◯は☓☓のオマージュだったんですよ」だね。

メールだったら顔文字や(笑)でもいいね。*1 

作品を考察することは「☓☓のオマージュだ!」と言うことではないというお話


自分の周囲にいるアジャスト型の人たちは、作品感想はあまりしない。

いやするし、語る。語りはするものの短文的で表層的な言葉しか使わないのである。「おもしろかった」「楽しかった」「あそこの演出がよかったね」それくらいだ。極端な言い方だが間違ってはいない。

作品への想いは自分のなかに仕舞っておくんだ。

その作品を見た時に生じた言語化できない感情をどう語ればいいか分からないし、語ることよりは語らないことを"なんとなく"選んでしまうんじゃないかな。

私自身そんな感じ。なんで作品感想を"外部に向けて"書いているのか自分でも不思議だったりする。私はこっちのタイプだっけ?みたいなさ。いやいや違うよね?ってさ。

猫箱ブログの思想である「自分の気持ちを書き残す」って思っているのは本当だけれども、FC2ブログを開設したときみたく「自分向け」の要素がだんだん減っている気がしてならない。

それは単純にこのブログを通していろいろな人たちと接触し、交流し、縁が生まれてしまったからだろう。人との縁が生まれれば、それを気にして、沿って、文章を紡いでしまうものだ。ああ嘆かわしい。

他者に読まれようと思い書いていったが、そのせいでだんだんと喉元を締め付けるといった感じだ。*2

 

 

ブログをはじめたきっかけ

 

そういえば私が(趣味)ブログを始めたきっかけはなんだったか。

確か「うぱ日記」さんの『ハレ晴レユカイ速読方法』やシンプルにまとめられたラノベ一覧を見て好感を覚えたのがきっかけといえばきっかけだったと思う。

ブログって面白いなって思った。

更に自分の好きな作品に当時の気持ちを寄せて、書き残しておく。そういうことをしたかったんだろうなとは思う。大好きなものを心に秘めているだけでは「それがなんなのかは分からない」から。

言葉にしてようやく「それがなんなのか」分かるようになる。

(一見それは良いことのように聞こえるかもしれない。きっと事実だろう。でも悪いことだってある。観測することで猫箱に入っている猫が生きているか死んでいるかが確定するように――その作品は言葉によって規定されてしまうという弊害がある)

そんな気持ちがはてなダイアリーでブログを開設したんだとは思う。

ラノベから一般小説、エ口ゲ、アニメ、CD、オーディオについて感想を書き「レビューブログ」の体裁を整え始めた。しかしそのブログはひょんなことから友人にバレてしまい、消した。

当時、自分の内側を晒すことに抵抗がありそれを見られるのがどうしようもなく嫌だったんだろう。(まるで他人事のように書いているが昔の自分なんて他人事でしかない)

それにはてダというブログサービスはカスタマイズ性が低く、少し嫌気が差していたのでこれを機に違うブログを使ってみることにした。

おそらく知っている人はいないと思うが『posterous』だ。数年前にブログ界隈で「日刊」が流行っていたころよく使われいたブログサービスである。(ここはサービス停止してもう使えない)

そしてそれと並列で前ブログであるFC2で記事を書いていたということになり、今に至る。

何が言いたかったんだっけ?

あ、そうそう。 

語ることは好きだけれども、それは自分に向けてだからこそ好きなのかもしれない。特定の誰かに読まれることを想定しないからこそ、気軽に書けるものだしね。

それになんというか"内圧"が高まらない。

外に向けて書いていると、自分の心を圧する感覚がどんどん無くなっていく。これはまずい。内圧が低い文章なんて自分自身惹かれない。ならば他者も惹かれないのは道理だろう。

心が屈折して、鬱屈して、歪曲するくらいの圧が必要なんだよ。ぺちゃんこになるくらいに、潰れるくらいに、そこで必死に抗っている感情の発露が必要なんだよ。私たちには。

そう思わない? 

 

「夜明け前より瑠璃色な」音楽集 -Lunar Passport-

「夜明け前より瑠璃色な」音楽集 -Lunar Passport-

 

 

 

 

*1:俺たちに翼はないオマジュ

*2:もちろんそれは良い面があるからこその悪い面というだけのことだけれども