猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

アニメブログで見かける画像連打スタイルは、もしかしたらグルーミング型のブログなのかも(2900文字)

スポンサーリンク


アニメブログでよく見かける「画像貼り付けてコメントしてまた画像連打」っていうスタイルについて考えていきます。

ちなみに画像連打スタイルていうのは

こういうの  

f:id:bern-kaste:20140930025112j:plain

 っていうのね。

ではどうぞ。

 

 

 

 

アニメブログと、画像連打スタイル

 

このスタイルって私が思うに「感想記事」ではないと思うんですね。あれってアニメの場面場面に反応しているだけで、管理人の感じたことを想ったことを書いてるわけではない。

厳密に言えば「www」や「きゃわわ!」「◯◯がきたぞー!」といった突っ込みもまた"感じ"たことなので感想なのかもしれません。ただやっぱり"反応"という単語がしっくり来ます。

(中には画像連打をしつつまとまった感想文章を書いている管理人さんもいますが、ここではそのことには取り上げません。あくまで「画像連打」+「反応型」のブログについて語っていきます。)

それが悪いとい言いたいわけではないです。ただこのスタイルというのは私からみると他のブログと上手く差別化出来ないですし、個性が滲みにくい。けれども画像連打スタイルで人気なブログは存在します。

そのブログが「人気」だと結論付ける理由は2つ。

  1. コメントがよくついている
  2. アクセス数がとんでもない所がある

 

1,コメントがよくつく

このスタイルの記事は、コメントがよくつきます。おそらく「コメントがしやすい」からコメントがつくのでしょう。

場当たり的なその場その場のツッコミ(=画像連打スタイル)は、要するに「意見」じゃないんです。

意見ではないからその記事の意見を考慮したコメントをしなくて済みます。それに本編のアニメだけを知っていればコメントが可能なのも敷居の低さに繋がっているのでしょう。

つまり管理人の感想を汲み取ったコメントをしなくて済むからコメントがしやすいとゆことです。

逆に主張が色濃く出ている記事は、コメントがつかない印象があります。恐らくこれは「コメントがしにくい」からコメントがつかないのでしょう。

画像連打スタイルと違い、「感想」記事にコメントを付ける場合、ちゃんと読んでコメントしなければいけません。あるいはそういう考えが強くなるはずです。

例えば「アルドノアゼロのカイヅカイナホは哲学ゾンビかも!」っていう感想記事があったら、その感想をちゃんと読んで、考えて、それに沿ったコメントを返そうと思うものじゃないでしょうか。

記事の意見に受けて立たないコメントは「私はちゃんと読んでません」と表明するものですし、あるいは「俺はあなたの考えなんか知ったことじゃないけど俺の話を聞いて!」と利己的な発言になりやすいです。

ALDNOAH.ZERO アルドノア・ゼロ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

ALDNOAH.ZERO アルドノア・ゼロ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)

 

 つまり

画像連打スタイルは管理人の意見が無い(or希薄)なため彼らの意見を汲む必要がなく、またアニメ本編を知っていれば簡単にコメントできる構造にある

逆に「主張が色濃くでている感想記事は、その感想に沿ったコメントをしようと思うためにコメントの敷居が高くなってしまう。すなわちコメントを躊躇う

 ってことです。

 

2、アクセス数がとんでもないブログがある

画像連打スタイルのブログは、とんでもないアクセス数を稼ぐ所が存在します。*1もちろん画像連打スタイルだからといって、全部が全部とんでもないアクセスを稼ぐわけじゃないですが、そゆところは実在します。

私から見ると、言葉がきついですが画像連打スタイルは「中身が無い」ブログです。

だからこそなんで人気なのかなー?と思うわけです。あるいは中身がないブログなのに、何故一握りの場所では人気が出ているのか? その原因を知りたいなと思いました。

考えられるのは

アニメ記事に中身なんていらないと思う人が多いのかもしれません。強烈な意見、独特な解釈、確固とした感想なんてのは大多数の人は求めていないのかもしれません。それならば納得できちゃいます。

アニメブログに求められているのは、自分が昨日みたアニメの「振り返る」ために機能しているのかもしれません。過去を振り返るように楽しかった出来事を思い出すように振り返ることができればいい。

ならば意見なんてものは要りません。欲しいのは「振り返れる場所」なのですから。

あるいは「アニメを見ている人達が集まる場」として機能しているとも考えられます。そのアニメについて皆でわいわいがやがやとコメントをつけるのが楽しい、そんなグルーミング型のコミュニティとして成立しているのかも?

パケット型とグルーミング型とは?

パケットモデルだと、内容が重要になります。ブログなどで本名を出している人や、ネット上で議論するようなもの、あるいはgithubでお互いのコードに対してpull requestを送るなどの行為は、内容が大事なパケット型といえます。

逆にいうと、内容の質以外は、そこまで問われないわけですね。言葉遣いに問題が多少あっても、言っていることが正しければ、比較的容認されたりします。

一方で、グルーミング型では、繋がり感が大事なのです。

――コミュニティサービスを考える時に意識したい「パケット型」と「グルーミング型」の違い : けんすう日記

(太字は本校管理人がつけました)

 グルーミング型のコミュニティっていうのは、「内容が重視」されるのではなく「繋がりを重視」されるわけです。身内間が大事であり仲間意識が必要とされるわけです。

だから記事の質はどうでもよく、その記事を媒介にして「みんな」と接続できることに価値があるブログなんじゃないかな。

グルーミング型のコミュニティっていうのは、ブログだと成立するのが難しいみたいですけど、それが成立するならば「とんでもないアクセス数」が弾き出されるのもなるほどなーって思うわけですよ。

そして記事の質もあり、グルーミング型のコミュニティとして成立している『トリガーハッピーエンド』さんはほんと凄い。グルーミング型のブログ(だと私は思っているんですが)だけど、記事も読ませるものになっていますし画像連打スタイルってわけでもないですから。さらに1記事に対して常時コメントが100付いてるとかもう唸るしかない。

ここのブログは『とある魔術の禁書目録』系統をメインに扱っているのですが、私自身禁書はそんなにこの作品を読み込んでいるわけでも好意的な印象を持っているわけでもない・の・で・す・が、たまにふらふらーっと読ませてもらってます。

コメント読むのが実は楽しかったりするんですよね。コメント自体がコンテンツになっている気さえしますもの。うんうん。

おそらくこういうコメントが楽しめるっていうのが、「みんながいる」感覚ってやつなんだと思います。みんながいる感覚があるからこそ、人がよく集る場所として機能するのでしょう。

この感覚を、<場>として自力で作ろうと考えると滅茶苦茶途方も無いですし――いやというか正直方法が分からなくて私は匙を投げちゃう―――いやというかそんな方法論なんて分からないからこそ難しいんだと思うんですけどね。

 

<関連> 

 

*1:そのブログが自らアクセス数を公開、あるいは他ブログからそのブログのアクセス流入が分かる「逆アクセス」から「そのブログはとんでもないアクセス数がある」と判断してます