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「神のみぞ知るセカイ」完結したのでざっくりと感想書くよ(2478文字)

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ネタバレされる前に読み切ることができて本当に良かったなーと、しみじみ思います。

もしかしたらこの結末に多くの人は納得できないかもな?と思いましたが、そんな瑣末なことはどうでもいいですねはい。私はこの結末好きです。こういうのっていいなって思います。

すっきりとしてあっさりとしていて神さまが作ったって妄言を信じてもいいそんな淡くも透明な青い空のイメージ。そんな読後感。伝わるかな?


本記事は26巻の感想を書いていきます。
もちろんネタバレだから注意してね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クソゲー

「現実(リアル)はクソゲー
「でも、クリアしなければクソゲークソゲーのままだ」

――桂木桂馬

リアルはクソゲー。でもクリアしなければ……クソゲークソゲーのままだ。か。

現実はクソゲーと呼ぶにふさしいほどに、「自分が思った通り」に進まない。不条理、エントロピー、ノイズ、そういうのが溢れて行動を阻害し意思をくじいていく。さらに互いが互いのゲームを進行しているから余計に進行が遅く、あるいは自分のゲーム(=理想世界)を毀されることだってある。

それが現実。リアル。

でもそんなリアルでも、クリアすれば、なにかが起きるんだろうか? 

「クリアしなければクソゲークソゲーのまま」

この言葉の外側にあるのは、クリアしたらクソゲーだったものが"変質"するというものがあるんじゃないか。クソゲーのEndingを迎えたらそのクソゲーは何か別のものに変わりゆくんじゃないか?

それともクリアしてもクソゲークソゲーのままなのだろうか。

桂馬はクソゲーなる「駆け魂にまつわる一連の出来事」をクリアして何が変わった? ヒロインのルートを全部破棄して、ちひろの恋路を進めにかかった。はじめて現実に本気になった。

でもそれはさしてすごい出来事とか、そういうことではない。ありきたりでありふれたあたりまえな光景だった―――ほんとに? たしかに桂馬は現実を見限ってとまでは言わないけれどそんなフシがあって、ゲームという理想世界をこよなく愛している。そんな彼が現実というゲームに本気(=挑戦)になったというのは驚くべきことなんじゃない?

そうかも、そうかもしれない。

でも私の認識ではそれって「そこまで」すごい出来事じゃないんだよ。

桂馬が「駆け魂クソゲー」をクリアして、そんな現実での障害をクリアして最後に手に入れたものは「現実を攻略する挑戦権(=本気になる)」だったってことでしょ。

それって凄いことなのかな?

桂馬の今までの事情や本質を踏まえても、それが凄いことのように私には思えない。

クソゲーをクリアしても、得られたものは本当に少ない。そう思わずに入られない。いやそんなのは当たり前か。実際、別に現実がどうのじゃなくて、本来のギャルゲーやRPGでのクソゲーも頑張ってクリアしても、何か得られたってことは無い。少なくとも私にはない。失ったものは時間と熱量と根気。得られたものは「頑張った」というちょっとした自身とすこしの誇り。それだけ。

そんなもんか。

所詮そんなものか。

リアルというクソゲーをクリアしても得られるものは、あまりない。そう結論づけていいのかな。そうはしたくないけれど、脳内では「そうだね」と木霊する。

いやそもそもそんなことはもう知っていたんだ。リアルを攻略してクリアしても――……―…………―――。

一瞬の光 (角川文庫)

一瞬の光 (角川文庫)

 

 もうこれ私の中の諦観だよなあ……「一瞬の光」のように登り詰めても幸福になれるとは限らない。

 

「にーさまは私といて、よかったですか?」
「大迷惑だよ!!」

「ボクは理想のセカイに生きていたのに、こんな不条理でいいかげんな場所にまきこみやがって……」

「全部お前のせいだ!!」

「ただ……こんなにやりがいのあるゲームはなかった、」
「ボクは満足だ」

――エルシィ、桂木桂馬

 たぶん、そう得られるものは「満足感」なんだと思う。そうか、それだけがクソゲーをクリアして得られるものなんじゃないか。

満足感、充実感、満ち足りた感覚。たとえクソゲーでも必死になって攻略してクリアにまで至れればそれは味わえる。現実もまたゲーム、か。

 

 

天理とのエンディングはない

ヒカリノキセキ|未来への扉(通常盤)

天理、最後に確認しておく。
ぼくとお前とのエンディングはない

――桂木桂馬

 

 

なんだか悲しいセリフだけど、これで良かったんだなって気はするんだよ。ほんとうにこれで良かったんだなって。

 

ボクらはすべてが終わったら、別々のルートを歩いていくんだ。

――桂木桂馬

 

けいま君はずっと苦しんでいたんだよ……

だから……

終わって……よかったよ……

―――天理

そうヒロイン目線から見ると「こんなのってありえない」ってなる。天理の気持ちを考えれば、桂馬は自分とくっついて欲しいと思うし、それでなくても、女神候補のだれかとせめてくっついて欲しかったんじゃないかな……。

だって競争していた女の子同士は、互いにライバルみたいなさ気持ちがあったように見える。そんな相手が自分の好きな人と結ばれるのなら悔しさとかいろいろありつつも「そっか」といろいろ諦めきれそうな気がするんだよ。

潔くというのは違うけど、気持ちの整理がつきやすい。

でも、でもなんだろうなあ……。

競争相手でもなかった、ちひろのことを桂馬が好きと宣言して、その後彼がちひろに想いを告げて、っていう展開は。

桂馬を愛していた女神持ちの彼女達は、なんだかとてもやるせない気がするんだよね。実際どうかわからないけど、そう見えてしまう。

 

でもさ、桂木桂馬の立場から、視点から、見るとやっぱりこれで良かったんだなって思うよ。好きでもない女の子を攻略したのは「彼の意思じゃない」から。好きでもない女の子と無理やりくっついて、あるいは「あいつは良い奴だから」と情にほだされてなあなあに、流れのまにまに交際をはじめるんだとしたら、それはそれで桂馬の心に重い負担をかけるんじゃないかな。

一度すべての関係をリセット――地獄の騒動の全てを終わらせて――しないとさ、新しい現実っていう名のゲームは始められないしね!

 

「女神ヒロインのことを誰も選ばなかった」という結果にもやっとする気持ちはなくて、これでいいっていう気持ちがある。最後はあっさりしていて天理が空を見上げて終わってしまったけれど、ああこれでいいんだよな、そうだよ、そう思えた。

あとまさか先生が、ドクロウだったなんてなー、あーもう!!かわいい!

 

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 アニメ一期しか見てないんですよねー。厳密には2期の一話くらいまで見たんですけど、その時アニメのモチベーションが低くて視聴中止しちゃったという過去がありましてね。