猫箱ただひとつ

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他人に一貫性を求める人は自分には一貫性があるとでも?(3133文字)

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『ギャングスタ・アルカディア』を援用した記事。自分なりにここの概念を落とし込めたいってだけの内容でもある。


他人に一貫性を求める人は、自分に一貫性があるとでも思っている。何夢見てんの?そんなものあるわけないじゃん。貴方にも他人にも私にさえ「一貫性」なんてものはないんだよ。

 

存在するのは「一貫性を求められる風潮」と「一貫性があるという幻想」だけだ。過去から今から連続する自分なんてものはないし、一貫して自分でい続けるための枠組みなんてものはない。私たちはそういうふうに生きていない。

だってそうだろ。自分が何をしているかいちいち気にして生きてなんていない。歩いているとき、話しているとき、行動しているとき「自分はこうあるべきだ」って気にしてそれに沿うようにして生きてはいないんだよ。

確かにそう感じるときもあるよ。誰かと会話しているときにこの言い方は自分の家訓に反するんじゃないか、上から目線の言葉はもうやらないって決めた事じゃないか自分は個人至上主義者だって宣言したのに今の発言はそれと矛盾するんじゃないか、そうやって気にして自己を規定するときってある。

過去に自分はこうだよって宣言したことに、今の自分を沿わせようとすることはある。でもそれはあくまで一瞬の一瞬の意識でしかない。

その場その場での意識がそうしようと思いそうしただけで「常に」そういうことを気にしているわけじゃないんだよ。そうやって自分を自分として形作ってはいない。だからこそ、ふっとしたときに、そのことを忘れてしまったり欠いてしまうことがある。

一年前にペシミストだと豪語したのに今ではリアリストになってしまったり、一週間前に料理は必ず味見してから食卓に出すって誓ったのに味見しなかったり、一昨日には歩きタバコする奴はクソだな!って言ったのに自分がしてしまったり*1そういうのだ。

人には「一貫性」たる人格なんてものはない。無いのにそれを責め糾弾する奴が私も含めて大勢いる。

「この間とは違うことを言っている」「過去に◯◯と言っていたのに今の発言は矛盾するよね」「昨日と言っていることが違うじゃないか」

こういうこと言っている奴はたいてい自分は一貫性のある人間だと思っているところが笑える。「俺の目の前にいるこいつは過去の発言と今の発言が矛盾する奴だけど、俺は違う。俺は一度言ったことは守るしそれに沿うよう行動する。そういうふうに努力したい

―――最後にはお決まりのように自分自身はそういう心意気があると主張してくる。その心意気さえあれば他者をぶん殴ってもいいというわけだ。自分のことは棚に上げながら他者を攻め立て攻撃するわけ。

自分のことを振り返ってみなよ。過去の自分と今の自分は果たして一貫性なんてものがあるのかどうか。一貫性を保ちたいという心意気があるかどうかではなく実際どうなの? 事実として結果としてそんなファクトが一度でもあったわけ? ないだろ。

無いんだよ「一貫性のある人間」なんて。

ううん。厳密にいえば一貫性のある人間はほんの一握りなんだ。一貫性のエリートでも呼ぶべき彼らを見て私たちは勘違いしてしまう。「あ、自分にもきっとこういう生き方ができる」と。ないないそんなわけない。一般人が凡人が衆生にそんなものは出来ない。ただそれが出来ると錯覚させられているだけだ。

「一貫性のある人間」ってのは美しい。美しいという価値観が世の中に浸透しているよね。40年以上鍛冶屋を続けてきた人のお話とか、50年も芸能活動ひとすじで働いてきた人のお話とか、何十年もある家訓を背負いその通りに生きてきた人の話を聞くと「すごい」と思うし「美しい」とすら思うものだ。

自分で決めた流儀を生涯に渡って貫く――それは言葉ではピンとこないくらいに険しい。だからこそ、それを成せた人はすごいんだ。

そんな人たちを見ていると「人間には一貫性がある」と思い込んでしまうのも無理はない。私だってつい最近そう思っていたわけだし頑張れば一貫性のある人生をおくれるとも考えていた。

でもあれは一握りの人種なんだ。俗な言い方をすればエリートだ。一貫性のある人間なんてのはエリートの夢でしかないんだよ。凡人にそんなものは出来ないし、凡人に出来ることは流れのまにまに生きることだけだ。未来を見据えて行動するのではなく、"今"だけを見つめ続けて生きることだけだ。

一貫性がある生き方というのは、人間らしさの極ともいえる思想でもある。より強く、気高く、より人間が人間らしく(=他の種族とは違うように生きる)為には意志による一貫性を求められる。感情のままに流れのまにまに生きるのではなく、ロジックを磨きぬいた理性でもって人生を歩もうとする発想なんだよこれは。

考えてもみてよ。「一貫性のある人間」っていうのは感情を優先するのではなくて流儀や家訓、主義、思想、信念という「自分の中のルール」によって動いている。つまり理屈で生きている。感情を押し殺しながら自分にとって最善の手段を常に選ぼうとしている。

けれど実際問題できない人の方が多い。だって一貫性のある人間をすごいと思うこと自体が、世の中にできない人の方が多いってことの証左になっているのだから。

もしみんながみんな一貫性のある人生を送っていたら、それは凄くもなんともない。普通のことで当たり前のことという価値観になるはずだ。けれどそうなっていないってことはそういうことだよ。

  ◆ 

さっきも言ったとおり「一貫性のある人間」というのはすごいし美しい。だからこそ尊ばれ、逆に一貫性の無いものを非難する風潮になってきたのかもしれない。

何故きみには一貫性のある言動が出来ないのか? と。

でも本来人間はそういうものじゃないと私は思っている。一部のエリートを除けばほとんどの人間は点のように生きている。その場その場の意識(=点)によって一日を過ごしている。

もしかしたらそれは遠目からは「線」のように見えているかもしれない。連続した意識があの人にはあるって、第三者からはそう見えるかもしれない。

けれど近くから見れば「点」の連続にすぎないのだ。私たちの意識なんてものは一瞬の点でしかなく、途切れ途切れにも関わらず離れて見ることで「線」のように見えてしまう。

そう見えるから、
そう見えてしまうから。

だからより一貫性を求めて非難する風潮は高まるのだろう。あなたは昨日と言っていることが違うじゃないですか!―――過去の発言と今の発言が矛盾するからといって芸能人や著名人をバッシングするのもだいたいこういうのだよね。

そりゃね、大きな立場や大きな権力を持っている人が意見を定めずあちこちにふらふらし成り行きまかせの流れのまにまに行動するのは困る。今日の気分によって「ポルノは有害だ規制しよう!」「隣国と戦争をはじめよう!」と言い出されるのは困る。

でも

もーいいじゃん。

ふつうの一般人のどこにでもいる人に向かって「あなたはこの前とは言っていることが違う」って非難するの、もーいいじゃん。馬鹿らしい。自分には無いものを他人に求める時点でいろいろおかしいんだよ。

 

一貫性のある人間なんてほとんどいない。あるのは衆生が一貫性を持てるように社会づくりがされてきたことと、でも実際それを持てた人はいないっていう現実だけだ。

そして一貫性を持っている人などほとんどいないにも関わらず(自分にさえもないのにね)その矛盾を突くのがさも正しいと思っている人が増えただけ。私も含めてね。*2

 

*1:ちなみに私は喫煙者ではない。あくまで一例ね

*2:この想いすらも「点」でしかないつまり