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ハーレムは純愛なわけがない。「神のみぞ知るセカイ」から見る複数ヒロインを愛すことの難しさ(4866文字)

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神のみぞ知るセカイ』の19巻までをからめてハーレムについて語っていくよ。

 
本作品のネタバレ注意。

 

 

 

 

 

ハーレムが純愛だなんてあるわけがない


女神編の小阪ちひろを話題にしたいので、あらすじをざっくり振り返りたいと思う。

神のみぞ知るセカイ桂木桂馬は6体の女神を復活させるため、以前に攻略したヒロインを再度攻略しはじめる。順当に女神を復活させていくのだけれども、最後の1体は高原歩美か、あるいは小阪ちひろのどちらかに存在すると結論を下すものの確定はできずにいた。

2人のうちのどちらかに女神はいて、いない。そして時間はない。ならば2人同時に恋に落とそうと"落し神"こと桂馬は再攻略を開始する―――。

紆余曲折があり、小阪ちひろを攻略するあと一歩、キスする寸前で、ちひろは女神ではないことが明らかになった。桂馬はちひろが女神持ちじゃないと分かった途端、ちひろを恋に落とすことはやめ、変わりに今までの恋愛の過程を帳消しにしようと「お前のことが好きなわけあるか。いつもバカにされているからからかっただけ」という趣旨の言葉を吐き出した。

桂馬のことを本当に好きだったちひろは傷つき、その場を去る。

ここまでがあらすじ。

神のみぞ知るセカイ 19 (少年サンデーコミックス)

この後、桂馬はことある毎にちひろの悲しそうな顔や、自分が言った言葉を思い出して頭の中がノイズでいっぱいになったような顔をするようになる。あの桂木桂馬がリアルの人間に悩まされるようになる。

ここで重要なポイントは

1、ちひろは桂木桂馬を「攻略前」から好きだったことを告白したこと

2、ちひろが女神持ちじゃなかったことで攻略を途中で中止にしたこと


この2つによって桂木桂馬がしている攻略は「実はゲームじゃないんだぞ」って強制的に実感させてしまうものだったんじゃないだろうか。

桂馬は駆け魂に取り憑かれた女の子を助けるとき、「恋愛」を使って心のスキマを埋め駆け魂を追い出し勾留する。このさい彼はまるで現実に存在する女の子を"ギャルゲーのヒロイン"のように扱い、エンディングを迎えることにまるで躊躇いがない。*1

ヒロインが自分を好きになること、そしてヒロインと自分がキスすることに頓着せず綿密にルートを絞り、慎重に攻略していく。

つまり桂木桂馬にとって、駆け魂に取り憑かれた三次元のリアルの女の子なんてゲームのような存在でしかないということだ。

しかし小阪ちひろの再攻略はゲームではなくなってしまった。何故ならちひろは一番最初の攻略前から桂馬のことを好きになっていたことと、そして駆け魂に取り憑かれたわけでも、女神持ちでもないただの三次元女と恋愛をしている事実。

トドメに「恋愛攻略中のちひろ記憶は改竄されない」というオマケつき。


1、ちひろは普段の桂馬が好きだった。(攻略時の桂馬を好きになったわけじゃない)

2、ちひろは駆け魂持ちでも女神持ちでもない。桂馬が好きでもない女の子を"攻略"をしても許されるのは、攻略しなければ自分が死んでしまうという契約をした悪魔たちのせいだからだ。そこには自分を免罪できる構図がある。しかし駆け魂持ちでも女神持ちでもなければ、桂馬がした攻略は免罪できないものとなる。少なくとも桂馬自身にとって許せないと思えるものになってしまう。

3、ちひろの記憶は改竄されない。ちひろは駆け魂持ちでも女神持ちでも無かった為、記憶改竄の対象にはならない。つまり桂馬の攻略中の記憶がずーーっと生きてる限り残り続けることを示す。

これじゃまるで、(それが例え桂馬にとってゲームのような恋愛攻略でも)、ふつーにちひろと学園祭デートして、ふつーに恋愛っぽいことして、ふつーにキスしようとしてた恋人そのものじゃないか?! それも恋愛につきものの傷つけ傷つけられという心に致命傷を負うようなやり取りもきちんとある。

目の前の小阪ちひろという女の子は、実際にいて! 実際に自分に恋して! 自分の酷い言葉に傷ついて!泣いて! 明日も明後日も自分がしたことを相手は覚えている!

そんな「現実感覚」を桂馬は味わってしまった。そう見た。

 

んでね、ここから本題(あー長い)。

神のみぞ知るセカイ 20 (少年サンデーコミックス)

女神は愛の力によって力を増幅する存在。今女神は力が弱っていてそれを強くするには誰かを愛さなくてはいけない。そして桂木桂馬は恋愛によって女神を6体復活させ、翼が生えるまでに力(=愛)を取り戻させた。

つまり6人もの女性が桂木桂馬のことを愛している

逆に彼は誰も愛してない。

このあと桂馬が全員を愛す徴候もなければ、1人を懸想する気配すらもない。むしろちひろとの「現実との恋愛」で頭んなかがノイズでいっぱいになっている。

そんな桂馬を見ていて思うのは、複数との恋愛関係を同時にこなすなんてのは難しいというレベルじゃなくて、無理なんだよ。

たった1人でも誰かを愛すことは難しいのに、複数人を、同時に、平等に、愛すなんていうハーレムはそもそも愛ですらない。世の中には「ハーレムは純愛」だという意見を見かけるけど、本気で言っているのかと疑わしくなる。ノリで言っているわけじゃなくて?

ハーレムなんてのは男の性欲処理に使われる女性の、体の良い耳障りのいい言葉でしかない。いや違う!中心にいる男は複数の女性をみんなきちんと愛しているの!という言葉が聞こえてきそうだけど、でもさ、それってそもそも可能なのか?

ここで言っている可能なのか?という疑問は、複数の女性が男1人を好きになるという状況(=ハーレム)が成立するか否かっていうことじゃない。

男の愛情が、複数人の女性に、平等に、同時に、注げるもんなの?っていうことだ。それって机上の空論とかじゃなくて実際に可能なのか?って聞いているんだよ。

誰か1人の女性を偏って愛すことがないとでも? 女6人のハーレム空間があったら、そのうちの1人だけをめいっぱい可愛がってしまって残りの5人のコミュニケーションを疎かにすることってないの? あるいは6人全員に"平等"に"均等"に愛を振り分けられるもんなの? 人間の心ってそんな単純なもんなの? 自分の意志一つで感情を操縦できるもんなの? なわけないだろ。そんなことできたらそいつは人間じゃない。

そりゃ一時的に自分の愛情が均等に"偶発的に"なることだってあるかもしれない。2人や3人くらいなら自分の持ち合わせている愛情を平等に振り分けられる時もあるかもしれない。けれどそれは長くは続かない。続けられない。

いやそもそも、人は複数の対象を同時に愛すことなんて出来ないんだよ。その領域にいるのは寓話上の神や天使だけだ。奴らは「人類」という単位で私たちを愛してくれている。6人とかそういうちゃちなレベルじゃないうんじゅう億人というレベルで皆を愛せる。

何度も噛んだガムみたく味気ない数字にしか聞こえない人数でも、それを実際の人間として、1人の生きている人間として彼らは接することができる。なんてたって神や天使だからな。

よくわかるキリスト教

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【HAPPYEND STORY】1999年ボストンに銃声ひとつ鳴り響きました

けど人間はそうじゃない。そういうふうには出来ていない。人には一人一人誰かを「愛せる総量」なるものが決められていて、それを超える場合それ以上はそれ以外の対象を愛すことが出来ない。

だから男が出来た途端に、今まで愛していた子どもを捨てる人がいるし、例え親であっても自分の子ども全員を同じ愛し方をする人はいない。目に見える形で必ずその愛情は偏るんだよ。

父親だったら息子より娘を溺愛するものだし、母親だったら娘よりは息子に尽くそうとする傾向があるようにさ。これは私の経験則だけどね。

だからハーレムなんてものは、「全員愛している」と言いながらも誰か1人への愛は薄かったり、あるいはもうとうに消え失せていたりするものなんだと思うんだよ。

あるいはその言葉は交接する場合での性処理道具としての「愛してる」かもしれないしね。本当に好きなのは肉体というヴィジュアルであって個人の精神性や人格は含まれていない。そんなEnding。

ゆえに「ハーレムは純愛」だという意見は寝言は寝てから言えばいいんじゃないかな。全員を愛すことが原理的に不可能なものに、純愛なんて言葉は大言壮語すぎる。*2

自分に置き換えてみればこんなの一発だよ。見た目が可愛く頭がよく性格も良くても、複数の人間を同時に愛せるかっていったら出来ないでしょ? なに、それとも出来んの? 愛という言葉がよく分からないなら、自分の胸に手をあてて相手に対する「好意」で推し量ってみなよ。そこには必ず偏りがあるし、量の大小すらもあるものだ。

浮気という行為だって浮気相手を本気で愛していないことだって多いし浮気しながらも本妻のようを大事に思っていることだってある。もちろん恋愛事情でも同じことだよ。

で、これのどこが純愛なんだろう? 純粋な愛でもなければ、純潔な愛でもない。純血でも高潔でもなくてただ冷血なだけだ。そこには偏った愛を振りまく男とそれでいいやと享受している女がいるだけなんだよ。

あるいはどちらも事実を幻想で隠蔽しているだけだ。

「ハーレムは純愛」だなんて寝言よく言えるもんだなってわりと呆れる。何故そんなあからさまに嘘の言葉を言ってしまえるのかと本気で呆れる。

 ◆

桂馬はこのあと女神6人のうち誰かを愛せるようになるんだろうか? もちろん今まで言ったきたように6人全員を愛するハーレムは存在しない。ハーレムは成立することはあるかもしれないけれど、純愛的なハーレムは無理だろう。

全員を愛すことはできなくても、1人ならば……桂馬は誰かを愛せるとは思うのだけれど……もしかしたらそれも難しいのかなって気もする。

彼はゲームの住人だ。現実なんてクソ食らえって奴だし、実際に三次元の女の子に興味はなくて二次元のヒロインが最高だと言ってのけている。幻想の住人は決して現実に執着することはない。さらに言えば現実に価値を見出すことも少ないのだ。

だから誰も愛さないという選択も十分にありえる。

逆に恋をしてしまったら桂馬はゲームから脱却してしまうかもしれない。

恋は幻想を殺す。観念を毀す。

恋は観念を殺す。戀は生を強く実感できるがゆえに幻想を消失させてしまう


私は歩美と天理がだいだい大好き(もう本当に可愛い『萌えー!』っていう使い古されたもう陳腐な表現を使ってしまいたいくらいに可愛い)なので応援しつつ期待しつつ最終巻まで読んでいく。

 

<関連>

 

ラブひな(1) (講談社コミックス)

ラブひな(1) (講談社コミックス)

 

*1:もちろん自分の命がかかっているからとか、駆け魂勾留したあと取り憑かれていた人の記憶は改竄されるとかいろいろ理由あるけどね

*2:ちなみにハーレムは純愛という意見は私は好きじゃないけど、ハーレムものは好き。決して嫌いなわけではないよん