猫箱ただひとつ

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序盤部分を語らう。ギャングスタ・アルカディアによせて(36504文字)

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『ギャングスタ・アルカディア』の序盤から中盤までの感想をざっくり書いていきます。

 

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生き物を飼うこと

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「生き物の世話なんて、超めんどくさいし。シャールカには、責任取れないから」

――シャールカ

 生き物を飼うってなんなんだろうなと思う。そもそも生き物を育てたこと経験は限りなくないしもちろん飼ったこともないから「責任ってなんだ?」と思わずにはいられない。

そう責任。立場上負わなければいけない義務。猫を飼うということは猫を育てる義務が発生する。命を守るといってもいい。あるいは猫を「幸せ」にするという言い方でも可。

病気にならないようにワクチン打って、なんか動物の登録して、家に置いて、ご飯を与えて、水渡して……。そういうお世話をしなくちゃいけない。それはきっと超めんどくさいはずなんだ。誰かの命を自分の手でどうにかできてしまう―――それは責任感というものがないと相手を"濫用"し壊してしまう結末を生みやすい。

子育てしてる人ほんとすげーよなー(シャールカ風)

 

 

 

 

アネジュカさんの事情

「ママがいなくなって、せっかくお菓子食べ放題だと思ったのに~」

「それを監視してくれって、アネジュカさんから頼まれてるんだ。何回も言わせるなよ」

――シャールカ、希 

 今思えばのぞみんも先輩もアネジュカさんのことを知っていた上でのこの会話なんだよなってこと。

シャールカはシャールカで寂しいとは思っているとは思うんだけど、"そこまで"じゃない。泣いて喚いて泣き叫ぶほどに悲しい出来事だったわけじゃないのかなって思ってしまう。あるいはその段階はもうすでに経過したうえでの今の先輩なのかもしれないけど……やっぱりループ世界は悲しみが希薄してしまう傾向にあるのかな。

あと希んがいう「アネジュカさんに頼まれた」というのはどこまでの領域のことを言っているんだろう。お父さんがかえってくる間日本で先輩を預かる……以上のことだったりするんだろうか。もっともっと長期間の? いやそれはさすがにないか

 

 

叶のQ&A

Q. さいきん泣いたのはいつ?

A. トンボを追いかけていて転んですねを強打したとき

ほんと最高だなw

羨ましいというかなんというか輝かしいというかなんというか。そんな叶が好きだよ。

 

 

 

人類のループ獲得の起源はというと

ペンローズ解析でループの起源をたどっていくと、だいたい7万年くらいまで遡ることができる。7万年前に人類が経験したのは、トバ・カタストロフと呼ばれる地球規模の大災害だ。

スマトラ島のトバ火山の大噴火による火山灰が地球全体を覆い、日光を遮断して、地球を一気に寒冷化した。

人類はその危機を乗り越えるために、知能の進化の一環として、ループを獲得したのだといわれている。

 知能の進化の一環として、知恵の最大化をはかって、ループを獲得。ね。ふむ

 

 

 

 

ループは実際にどう役立つのか【だいたい同じで少し違う】

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さて、ループがどのように人類の生存に役立ったか。

まず、ループして同じ時間を何度もくりかえしているあいだに、試行錯誤をして知恵をつけることができた。

知恵をつけることは当然生存に有利だが、より重要なのは、世界の多様性を想像できるようになったことだ。

同じ時間をくりかえすといっても、そこで経験することはまったく同じではなく、そのたびに多少変化する。

だいたい同じで、少し違う。

そこが重要なところだ。

それは人間は皆だいたい同じだけど、それぞれ少し違う、ということと似ている。

人はループして、『だいたい同じで、すこし違う』時間をくりかえすことによって、『だいたい同じで、すこし違う』人間が存在することを理解するようになったのだ。

いろんな人間がいる。いろんな生き方がある。今の自分とは違う生き方がありうる。

―――人間は多様である。

そういった想像力をもった者は、もっていない者より生存に有利である。なぜなら、他人のことを想像できない利己的な人間より、他人のことを想像できる人間の方が助けあうことができるから。

 前作ではストレートに「多様性がどうの」ということは語られていなかったけどやっぱり『ギャングスタリパブリカ』は「多様性」の物語なんだよね。

人とは違うこと、変わっていること、失っているもの、ガラクタを抱えている者―――そういう多数派と少数派が世界を織り成しているし、そこには多様さがあるんだよ。っていうの。

ここは以前の記事でうんと語ったのでパス

↓ 

ギャングスタ・リパブリカ 感想_悪は世界を変えていく(13975文字)


『ループ』っていうのは、"実感"とて"手応え"として「人間は多様だ」という認識を染み付かせてくれるものなんだろうね。こっちの世界の人間は私も含めて、そういう認識が全然足りていない。まったく無い。

そもそも自分が「多数派」だいう認識すらなく概念すらなく、少数派の人を見て「異質」「変わり者」という目で見がち。そこには優しさがあることは少ないし、どちらかというと軽蔑や嘲笑の類のほうが多いのかなっていう気はする。

そしておそらく、このループ獲得世界では、そういう態度ってあんまり無いんじゃないかな。ループをすることで『だいたい同じだけど、少し違う』という感覚を大勢の人間が持っているから。

 いろんな人間がいる。いろんな生き方がある。今の自分とは違う生き方がありうる。

その想像力こそが、優しさというものを育むんだろう。

それでね、ここで「物語のエミュレート」という概念がリンクしてくる。そう、物語とはアルカディアでいわれるループととても似ている概念なのだ!!だっ!

だってそうでしょ。物語はいろんな人間がいる。いろんな生き方がある。今の自分とは違う生き方がありうるっていうことを理解させてくるもの。自分とは違う価値観があって、性格があって、生き方があって、個性がある。そしてその人を好きになったら、その「在り方」を認めることができる。

私にもそういう経験ある。私はあんまり女の子が女の子を男が男を愛こと好きになることがイマイチよく分からなかった。それはどういう原理で、そういう考えで起こりえるものだろうと考えていたことがあった。

でもそうじゃない。『処女はお姉さまに恋してる』を見てそう思った。ここでは「好きになった人がたまたま女性だったというだけ」という言葉が印象的に語られている。たぶんきっとそうなんだろう。女性を好きになる人は、"女性だから"誰でも彼でも好きになるわけじゃなくて、ある特定の人物を好きだからその人が好きになる。そしてそれが女性なだけなんだ。

乙女はお姉さまに恋してる Portable

乙女はお姉さまに恋してる Portable

 

 こういう認識の変化というのは、少しづつ少しづつ積層していって「世の中にはいろんな人がいる」という多様性の感覚を獲得していくものなんだと私は信じている。

私はそれを多視点と呼んでいる。いろいろな立場で、いろいろな視点から、対象を理解するということ。これが失われていると先入観や固定観念に囚われて、単純な世界解釈しか出来なくなるんだと思うんだよね。

例えばニュースで殺人犯が取り上げられていたらすぐさまその犯人を「悪い」と決めてかかってしまう。もしかしたらその人には情状酌量の余地がある犯行だったのかもしれないし、もしかしたら"ほんとう"の意味で悪いのは殺された側だったのかもしれない。そういう判断が出来ないというのはとても怖い。

あと「自分に置き換えて考えられない」人も同様にそう。すぐなんでもかんでも「意味分からない」と思考を放棄して他者を「よくわからないもの」とラベリングするのはあんまり納得できない行為。

もしそこに「自分に置き換えて考えられる」視点があれば、よく分からない相手の行動が、少しわかるものになったかもしれないのに。それを一瞬で放棄しちゃう人を見ると私はうーんとなる。*1

ループを獲得している人類は、そんな多視点と「自分に置き換えて考える」ことが大勢できているんだと思う。いいなーそれ。とても生きやすそうだもん。だよもん!

 

 

ループと客観的な時間

……人はそれぞれループするわけだが、それとは別に、客観的な時間も流れている。

この世界の「ループ」という現象の不可解さは、ここなんだよね。人はループしながらも、"でも"、客観的な時間も流れているっていうところが理解を妨げている。

これが「当事者の中で精神的な時間をループ(繰り返す)」というものだったらいいんだよ。客観的な時間はほとんど流れないということになるわけだから。そうすればクラスのうちの10人が同時にループに入ったとしても、現実世界に影響を及ぼすわけじゃない。

けれど、この世界のループは、「精神的高揚を覚えた(=アホ毛が立った)その周回が、"事実として確定する"」ということになっている。なんじゃそりゃー?!

例えばさ、叶が見ている世界がある。その世界で希がループに入ったとする。そのうち希はループを抜けたとしよう。

このとき、叶はループに入っていないわけだから、一日は一日としてそのまま過ぎていく。けれど希先生の場合は、2回3回4回とその一日を繰り返して、ある時、アホ毛が立った時にその最後のループ周回が事実として確定する。

つまり希先生が見ている世界の現実が最後の周回として反映するっていうこと。

でもそうするとおかしくない?

希先生が4回目のループ周回で抜けたとしよう。でも叶が感じているその一日はどうなるってんだってことになるんだよ!

ここで希先生のループが事実として確定されたときに、叶の見ていた世界の事実を"変化"させてしまうという可能性をあげてみよう。けどこれじゃ世界そのものがおかしくなる。

だってこの世界には希先生いがいにもループ者はいるんだ。お互いのあるいは大勢のループが"ダブる"ときだっていっぱいあるだろう。そうしたら全員の最後の周回が事実として確定したとき、世界は ど れ を 現実をして確定させるんだ?

100人いたら100人ぶんの事実が出来上がるんだぞ。それをどう処理するんだよ分からん。

ここで一つの答えとして「ループ周期が一番長い者の事実を優先とする」というものがあるかもしれない。いわゆる「強者」だ。それは凜堂禊のような絶対的なループ時間を持っていることを指している。

この意見を採用するなら、「凜堂禊みたいなループ周期を持っているやつが"世界の支配者"だと言っても過言じゃない」という答えになってしまう。

そしたらもう「精神的高揚を覚えた最後の周回が事実になる」っていう言葉がなんかどうもうそ臭いというか、現実味がない言葉のように思えて仕方がない。

ここらへんもっと納得のいく解答を探している。んーんー。

 

 

あたりまえをあたりまえと認識し

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「退屈なら、別のことをしたほうが有益」

「ま、それが平均的な意見だろうな」

「退屈なのは当然。それは問題ない。ただ、あたりまえをただあたりまえと考えているだけでは、世界は理解できない」

あたりまえを見すごさず、正面から見据えてはじめて、世界を理解することができるんだ。退屈やあたりまえは、忌避すべきものじゃない」

「そして、世界を理解しなければ、世界をコントロールする術を知ることもできない」

「人間は、世界をコントロールすることによって文明を発達させてきた。私たちがこの文明社会を維持するためには、退屈を見据える必要があるんだ」

――禊、希

 人は投擲できる。狙った場所に高い精度で物を投げられる。それってとても当たり前のことだけど、真正面から考えてみるとちょっとおもしろいなとは思う。手、指、腕の筋肉、神経、脳、それらの複合的な結果として、「狙った場所に物が投げる」という結末が生まれる。

それはきっと当然のこと。でもその当然を当然とふまえ考えていくと、いろいろなものが理解できるようになっていくんじゃないの?みたいな話なのかなって思う。希ちゃんが言っていることは、当たり前を見据えることでよりこの世界を理解できるんだぞ、そして世界を理解できないものは世界をコントロールできないんだぞっていう言葉は「科学」を彷彿させるよね。

 

 

天使は気まぐれ、だからこそ共存可能

「あのようないい加減な存在だから、天使と人間は共存できている」

「もしも天使が人間と同じような考え方をして、同じような社会をもっていたら、きっと利害が衝突して、諍いが起こっていたはず」

「その結果、天使が人間を直接統治することになっていたと思う。もっとも、その方が幸福なことかもしれないけど」

「しかし、今のところはそうなっていない。天使と人間との魂のありようが別だから」

「だから人間は、天使のことを同種の存在として考えてない。『天気』や『自然』と同じようなものと認識している。それは天使の側も同じ

――禊

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天使は人間側からすると、「概念」のような存在なんだろうね。禊がいうように天気や自然といったように「意思疎通できるのそれ?」みたいな存在。実際に意思疎通できたとしても、その有り様の認識には変化は投じられないのかもしれない。

つまり天使といくらしゃべっても、人間は天使を『自分たちと同じ人間だ』と思えないんじゃないかってこと。

そしてそれが天使側も同じだとするなら、人間はなんなだろうなあ……。人間が蟻を見るような感覚なのかな……。

蟻ががんばって生きてるなー、でもこれは私たちとは違う存在なんだよねーみたいな。

「ふだんは今みたいな肉体をもってないんです。いってみれば精神だけの存在で、他の個体と混じりあって、群れとして生きてますから」

「個人の意識はあるけど、人間みたいにはっきり自分と他人の区別がついてるわけじゃなくて、その境界はけっこう曖昧なんです」

――アマネ

精神的な存在だと自己と他者の輪郭は曖昧になるのかもね。物理的な肉を持っている人間はそれを「境界」として他者を区別することが容易なわけだ。そしてそれは絶対的ともいえる「区別」になりうる。

人間が霊的に「他者を喰らう」のは、自分と他者を同化させたい――つまり交じり合わせたい――という想いからかもねとふと思う。ほらだってさ、好きな人と一緒にずーっといられるわけがない、交際しても結婚してもずーっとは一緒にいられないしどこまでもいっても人間の身体じゃ「一緒にはなれない」。

それを克服しようとして超越しようとして、「他者を喰ら」い、精神的に一緒になろうとする行為は、今ならなんとか理解できそう。 

水月 ~Portable~ ベスト版

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そして精神的な存在のアマネは、他人との区別があまりなくその境界は曖昧だという。そうすると「自分」とか「自我」というものも希薄になっていきそうな感じがする。例え意志があっても、ね。

 

 

 

 

 

 共有ループとマスコット

共有ループの獲得は、人類が動物を家畜化しはじめたのと同時期である。

そのときに、『マスコット』も現れた。

マスコット……つまり、共有ループが可能なメンバーの周囲に現れる、『喋る動物』のこと。初期のマスコットは、家畜化されて人間に馴れた動物だった。

人間の共有ループに巻き込まれて、結果的にそれに協力して、家畜はマスコットになったのだ。

 人間の共有ループに巻き込まれ……とあるが、人間主導の共有ループの中に動物たちがいるんじゃなくて、人間主導の共有ループに巻き込まれて、付き合わされている感じなのかな。

ちょっと気になるのが、なぜ普通のループではなくて「共有ループ」なんだろうか。んん、順番が逆なのか?……。

人間はループを獲得した、人間が動物を家畜化した時期と共有ループを獲得した時期は重なる。つまり人間がなんどもなんどもループしていく内に家畜化した動物が「マスコット」としての力を帯び始めるようになった。その結果、近似値の素数比をとれる相手と「共有ループ」できるようになったんじゃないだろうか。

マスコットの「近似」の素数比を整える力が発現したからこそ、より共有ループはしやすくなり、何かの偶然で人は共有ループできることを知った―――そういうことなんじゃないのかな。あるいは"知った"ではなく、マスコットによって"発現"したでもいいけど。 

マスコットは、人が共有ループに入る際、ループ周期の比を調整する役割を果たしている。

共有ループに入るためには、メンバーのループ周期の比が、近似的に素数比をとる必要があるが、マスコットが関わっているのはこの『近似』というプロセスである。

 うんうん。

 

動物はループできないが、ループを司るウルク器官自体は人間以外の脊椎動物にもある。

「 ループはできないけど、ループを司る」ってどういう意味よ? アルコールを分解する臓器はあるけど実際は使われないみたいな?  

なおマスコットが喋るのは、共有ループに関与した結果、人間の側からフィードバックされた知性が一時的に付与されているからだという。

 逆もありえたりするのかなー。動物の知性が(本能が)人間側にフィードバックされることが。いや難しいか。だってループできるのは強者だからおそらく受け付けないはず。

 

 

水柿こおりに嫌悪を感じなくなっているだと?

 

「たとえ叶のひねくれた理屈をそのまま受け入れたとしても、それでも叶は他人にいいことをしてるのよ」

――水柿こおり

こういう言葉を面と向かって言われているのに、こおりに嫌悪感を覚えなくなっていることに気づく。あれ、なんでだろ……。

以前はこおりのこういう「私がお前のこと一番分かってるのよ」みたいな傲慢な態度にイライラしていたはずなのに、どうしてこうなった。

↓ 


ギャングスタ・リパブリカ_凛堂禊 感想(16029文字)

 

 禊の記事だけど、後半はこおりバッシングに移り変わっていたりねふふふ(ぇ

こおりの立場や思想を一旦「内在化」したせいなのかなー……その可能性高いなあ……。だから嫌いっていう感情が湧きにくくなっているし、ぎゃくに親近感や好感を覚えるようになっている。それでも、前よりかは、っていう程度だけれどさ。

 

 

 

 事情を知らないヤツの上から目線

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「天使たちは、天気を操るくらいの大きな能力を持ってる。そんな奴らが、気まぐれで人間の世界に降りてきて、知識を与えたりする。パンドラとかプロメテウスみたいに」

「でも、そんなの、事情を知らないヤツの上から目線だろ? どれだけ能力があっても、どれだけ知識があっても、人間の事情を知ってるわけじゃない」

「自分の気まぐれで善意を押しつけたって、いいことなんかないさ」

――シャールカ

シャールカ先輩は「事情を知らないヤツの上から目線」 ってところがすんごーく毛嫌いしている。当事者性意識のないやつの施しにさんざん振り回されて痛い目を見たから。

「たとえば旅先で、みすぼらしい格好をした子どもと出会って、可哀相に思ってお金を与えたとする」

「けどその結果、分不相応なお金を持った子どもは、周りの子どもから妬まれてハブられるかもしれない。ひょっとしたら、盗んだと疑われるかもしれない」

知らない奴が施しなんかしたって、いいことなんかないんだよ

――シャールカ

 これは後の論戦のファクターなので覚えておこう。

 

 

 

摂理学と言葉

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「言葉は、学問で重要になる論理を支えるものです。ですが、言葉はそのためだけにあるのではありません」

「人が生きるうえで大事な、感情や信念、価値観……。そういったものが他人に伝えるためには、やはり言葉が必要です」

「……ですが、言葉で想いを伝えることは、かならずしも簡単ではありません。それは、皆さんにもわかると思います」

目に見えない想いや、あたりまえに思っていること。それを言葉にし、相手に伝え、そして理解してもらう。そのことを学ぶのが、今日の実習の目的です」

「そのために、『議論』を行うんです」

 バトルは、言葉を自覚的に使うための訓練か……。たしかに言葉を使うっていうのは難しい。自分の思想や価値観を「相手にわかる」ように切りそろえ整形し伝える。さらによりよくを目指すなら相手に「納得」してもらえるように言葉を使わなきゃいけない。

相手が最終的に納得するかは分からない。でも「納得するように」心がける。それがきっと言葉を使うということ。議論の経験値が低いので、ここらへんもっと経験踏ませたいの。

さらにアマネの言葉が面白いのは、「ロジック」が重要視されるわけじゃないという点。

「想いを乗せた言葉は、論理を超えて相手に届くのです。それが、言葉を使うということです」 

 議論とか論戦とか聴くと、辻褄の合う、論理の破綻がないロジカルな考えが必要―――という先入観がある。もちろんそれはそれで正しいよ? 論理的な主張じゃないと相手を納得させられない部分っていっぱいあるから。

けれどもそれだけじゃない。

論理だけじゃなくて、想いを込めること、想いを乗せること、そこに「言葉」の本質が隠れているんだと思う。

いくら論理を積み上げた言葉であっても、使っている本人がその主張を信じていなければ相手には届かない。

 

 

 

シャールカと傷つきやすさ

「ただ……そういう実生活上の話じゃなくて、シャールカって、けっこう傷つきやすいんだ」

「……えっ」

急に、先輩の声のトーンが変わった。

「シャールカって、身近な人間が、ママとパパしかいないから」

「そりゃ、イェドニアにはいるさ。親戚も、昔の友達も。……だけど、今シャールカは日本だから、そんなの、いないのと同じことだ」

「シャールカにとって身近な人間って、ママとパパしかいないんだ。3人だけで日本に来たからあたりまえなんだけど……」

「だから、身近な人間の大事さが、ぜんぜん大きいんだ。生まれた国にそのまま住んでる奴と比べてな」

 

「りつこの件で、気づいた。りつこって、シャールカにとって、けっこう身近な人間になってたんだなって。だから、いなくなると、かなり足元が頼りなく成る」

「具体的にどうってわけじゃない。だた、精神的に、その……あるべきものがない感じがして……」

 

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「――――寂しい」

それが、先輩が探していた言葉だった。

探し当てて、けどそれが適切なのかどうか迷っていた言葉だった。

 シャールカは言う。身近な人の重みがそのままの国に住んでいる奴とは違う。ママとパパはとても大事で、りつこや叶たちもシャールカにとっては精神的な拠り所になっているって。

そして今の気持ちを言い表すなら寂しいと語った。その言葉が正しいのか合っているのかほんとは分からないけどとも。

そしてこの時にはもうアネジュカさんは亡くなっている。先輩の大きな拠り所としての母親はすでに失われている。

けれども先輩はそれを悲しいとか辛いとか苦しいっていう言葉じゃなくて、「寂しい」って表現した。それはきっとこの世界が、もう過ぎ去ったことに価値を置いていないからこその発言なんだと思う。

私たちが思うような「身近な人の死」が、ここの世界では"そこまで"のものじゃないのかもしれない。

先輩のループ時間は100時間ちょっとだったはず。ならアネジュカさんが死ぬ瞬間を約3日間のループの中で何度も何度も、何度も何度も遭遇した可能性だってある。

そうならば、やっぱりというべきか、「死」という概念の重みは私たちとの認識と違うものになってくる。死はそこまで重いものじゃなくて、そこまで悲しくないもの。そんな世界。それはきっと優しい。優しい世界だけどそれでいいのかなって気もしてくる。いやきっとそれでいいんだろう。

 

 

 

 ループしない世界と、ループする世界

 

「いや……ループは知性の条件みたいなもんだ。ループがなければ、人間どころか、天使だって存在できない」

「そんな、知性のないところに論理が成り立つか?可能世界は、論理的に可能な世界だ。その定義からいったら、論理のないところに可能世界は存在できない」

「いえ、そうでもありません。そもそも、ループの存在しない世界の方が、はるかに多いんです」

「そうですね……可能世界を100ほど無作為に抽出してみれば、そのうち99まではループが存在しません」

「皆さんがあたりまえに生きているこの世界は、それほど特殊な世界なんです。そのことを、知ってほしいんです」

世界の特異性を知ることは、他者への想像力を養うことです。ループを獲得して、他者への想像力を獲得したこの世界の人間には、それができるはずです」

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 "世界の特異性を知ることは、他者への想像力を養うことです"

これいい言葉だな。自分達の世界が"他の世界"とは違うことを知ることで、自分達の世界の有り様を理解できる。そしてその差異によって、世界の多様性を知る事ができると。

そしてアマネがこの後に続ける「ループを獲得して、他者への想像力を獲得したこの世界の人間には、それができるはずです」という想像力という部分は、おそらく私の世界以上の意味を持つ言葉に違いない。 

それは物語で獲得できる多視点以上の、ものなのかな。感情の動機、立場の逆転、多様な視点、俯瞰によってその都度自分の中の価値観と考えを変えて、比較し、相手を判断する。ふむふむ

 ◇

そしてギャング部は「ループしない世界」について想像を巡らせる。

 

「だって、ループしないってことは、世界には、いろんな人がいるって想像できないってことでしょ?

「そりゃ、この世界にも無ループ者(ストレート)はいるけど、その人たちは他の人のことを考えられるよ。だって、この世界にループがあることがわかってるから」

「でも、ループがそもそも存在しない世界だったら、それって、すごく偏屈で不寛容な世界にならない? そんな世界に、社会って成立するのかな」

――こおり

 

「……まあ、考えにくいな」

「利用と衝突のくりかえしで、すぐに滅んじゃうだろ。あるいは、協力なんかせずに、てんでばらばらに存在してるか。どっちにしても、社会を構築してるとは思えないな」

――シャールカ

 

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「……均衡は成立するかも。力と力の衝突の結果として、ぎりぎりの均衡が」 

「協力が楽しいから成立する社会じゃなく、殴られるのが怖いから成立する社会が」

「うわ~~、すっごい殺伐としてるね~」

魚にも昆虫にも社会はある。それを殺伐としているととるかどうかは、おそらく趣味の問題

――禊、ゆとり

自分たちの常識から外れた世界を見たとき、どうしても自分が属している世界と比較してしまうよね。いやまそれしか出来ないんだけどさ。

禊たちの世界は協力するのが楽しいから成立している世界、優しさに満ちているそんな社会。対してこっちは殴られるのが怖いから成立している世界。暴力と利用の衝突でなんとか均衡を保っているそんな社会。

そして当事者の中からすれば「そこまで殺伐としているか?」と思ってしまう。そんなことないよねとも。「殺伐」という意味が両者にとって全然違うものになっているからここに認識の齟齬が生まれるんだろうなという気はする。

 

「それって、殺伐どころか、とんでもなく重苦しくて深刻な世界だぞ」 

「ループしないってことは、ありえた可能性を想像できない世界だ。あったことをあったこととして受け止めることしかできない」

「そうすると、成功するにせよ失敗するにせよ、1つ1つの出来事の意味がすごく大きくなる」

「ふつうだったら、成功も失敗もあるって考えられる。だけど、その世界の連中は、ありえた可能性を考えられないんだから、失敗をただ悔いることしかできない」

――シャールカ

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 失敗が重くて成功が輝かしくて、死が深刻な世界。ありえた可能性を想像できないそれが無ループ社会。

1つ1つの意味が大きくなるってことは、気持ちの切り替えが難しいってことでもある。きっとシャールカたちの世界は、失敗しても、別ループでは成功があったんだなって考えらえるしそれを手応えとして実感できる。だからこそ失敗は私たちが思うような重苦しさを持っていない。

誰かに告白して振られたんだとしても(例えそこでループしていなくても)、今までなんども行われてきたループの経験が「成功していた可能性」の手応えを残しながら失敗したっていう感覚になるんじゃないだろうか。

「ちぇー"こんかいは"失敗した」みたいなさ。確かにドキドキしたり落ち込んだりするとも思うけど、その後「よし次いこ次」とカチリと気持ちの切り替えが早いんじゃないかな。

ありえた可能性を想像できないからこそ、こっちの私たちの世界は失敗を悔やんでばかりだし引きずってばかり。そうさ、ロマンチックラブイデオロギーは崩壊したんだ。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

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深刻じゃないループ世界

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「……逆に、『向こう』の奴らは、私たちのことをすごくバカにしてるかもしれないな」

「私たちは、向こうの世界を深刻すぎると感じる。それを裏返したら、向こうの奴らは、私たちのことを、薄っぺらで平たい世界に生きてると思うかもしれない」

「変なたとえだが……好きな相手に告白して、失敗したらループしてなかったことにする――そんなことが可能なら、告白の言葉は軽くなる。そういう考え方をするかもしれない」

――希

以前、Twitterで『ギャングスタ・リパブリカ』の対談をレイシアさんとしたときに「ループしたい?」って聞かれたことがあった。私はその問いに「いいえ」と答えたんだけれど、その内容が希先生と言っていることと似ているなと思った。

つまりループするってことは、人によって数時間、あるいは一日を繰り返すことになるわけだからワクワクどきどきすることも自ずと減ってきちゃうよね。そんなふうに一回性が摩耗していくのはちょっと嫌だなって、その時そう思った。ゆとりちゃんのように数千数万回ループする(=シジフォス症候群)するのって、きっと私じゃ耐えられないなって。

こおりは私たちの世界は「ループなしで生きられる耐性がある」という趣旨の発言があったけれど、逆にいえば、私たちがループできる世界にきたら精神が壊れちゃうような気がしてならない。きっと耐えられないと思うんだ。

それは別の言い方をすれば「薄っぺらで平らな日常」ということでもあるんだなって思った。希先生が言うように。ループ世界とは軽薄な世界と言い換えてもいい。 

「え~、軽くはないよ。そんなシチュエーション、私だったらドキドキするな。すごく緊張する」

「それは私たちの考え方だ。今言ってるのは、向こうの考え方。向こうからしたら、そんなドキドキや緊張自体、すごく薄っぺらく感じるんじゃないか?」

「軽くておちゃらけてると感じるかもしれない。深刻さがぜんぜん足りないと感じるかもしれない。真面目に人と接していないとすら感じるかもしれない」

――ゆとり、希

 いや!そこまでは言わないよ!

そこまでは言わないけど、ワクワクドキドキするっていう観点から見れば、ちょっと退屈そうだなってそう思ってしまう。毎日がつまらなくなってしまいそうだなって感じてしまう。

退屈・つまらないって言うと、授業中に希んが禊んに言ったように「あたりまえを真正面に受け止めろ」っていう話とリンクしてきて面白い。退屈ってのもそんな悪くないことかもねと、思えてくるもの。

 

 

 

 

 

 

 失敗をなかったことにしないことは、無責任なこと

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失敗をなか ったことにはできない―――むしろ、その方が問題か もな

「心の奥底の失敗の記憶 をひきずって、引け目を感じながら生きる。もしかし たらそれは、失敗を無にしてしまうより、よけいにいい加減で無責任なことかもしれない」

「え ~~~」

――希、ゆとり

 最初、希ちゃんが言っているのは私たちのことを言っているんだと思っていた。無ループ世界の住人である私たちは1つ1つの失敗が重く、引きずってしまう傾向が強い。

だから「失敗を引きずり、失敗を無かったことにできないそれは、よけいにいい加減で無責任なこと」と言っているんだと思っていた。

しかしゆとりさんの「え~~」という発言や、この後に希ちゃんが「そして未来に対してもそうだ」と話題を繋げたとき、ああこの話は自分たちの"ループがある世界"の住人について言及しているんだなと気づく。

しかし……それではおかしい。

このループがある世界では、過去も未来も微温的だ。重さなんて私たちの世界にくらべれば希薄にすぎない。だから二つの世界を比較したときに「引きずる」という言葉がさすのは無ループ世界ではならなくてはいけないんじゃないか?

いやいや、確かにさ、希ちゃんたちの世界でも失敗を引きずったり、過去の失敗がコンプレックスになってしまうことだってあると思う。けれどそれでも無ループ世界と比較した場合、そういう話にはならないはずだ。なのにどうして自分達の世界のことのように話しているんだ。解せない。

 ◇

ま、ここはいいのです。私が考えたいことはどうして

心の奥底の失敗の記憶 をひきずって、引け目を感じながら生きる。もしかし たらそれは、失敗を無にしてしまうより、よけいにいい加減で無責任なことかもしれない」なのか? ってこと。

私の感覚だと失敗を忘れてしまったり、あるいは引け目に感じなかったり、重みを与えないほうがより無責任でいい加減なことのように思える。逆に引きずってしまう程の失敗、いつまでも抱えている負い目というものは、責任を所有しているように思える。

しかしこれでは彼女の思考に追いつけない。なのでここでは順序を逆さまにする。つまり「失敗を無くしてしまうより、引きずってしまうほうが無責任」というのを肯定してこれを真実だとする。そしてそこから逆算して過程という「なぜ?」を考える。

んー、そうだな。

失敗を引きずるのは、その失敗を自分の糧にちゃんと出来ていないんじゃないか? フィードバックできていないんじゃないか? 反省できていないんじゃないか? 責任を感じているだけで、責任を所有しているわけじゃないんだ。

持っているという自負なんていらない。失敗を糧にできないなら、それはとてもいい加減で、より無責任だとは思わないか? 失敗に囚われているだけじゃないか。

―――ってな感じなのかな。

 

「たぶん、未来に対してもそうだ 。ループしているということは、すくなくともその最中は、未来に何が起こるのか、だいたいわかっている 。これには、2つのとらえ方がある」

「1つは、未来に何が起こるかわかっているから安心ということ。もう1つは、未来に何が起こるかわかっているから楽しみが少ないということ」

「向こうからすれば、夢や希望も少ないと感じるのかもしれない。未来を、未知の可能性に賭けることと考えるなら、ループする世界というのは、未来のない世界も同然だ」

「つまり、過去も未来も微温的ってわけだ」

――希

 

 

 

世界の多様性を認識しろ

「過去や未来について深刻に考えず、現在のこと ばかりをゆるく楽しむ、重みや深みのない、享楽的な軽い世界―――」

「――私たちの世界は、そんなふうに見えるんじゃないか?」

 希ちゃんが凄いところは、多世界の立場から、自分達の世界のことを考えられること。それも高い練度を持った考えで展開できることだ。

通常、自分達の世界ことなんて「当たり前」すぎて、それを問題として見れない。客観的に見れないんだ。なんでループがあるか? そしてそのループがない世界があるか?なんてことは普段考えない。

それもループがない世界を仮定できたとしても、その世界の"立場"から自分たちの世界を俯瞰できるのはそうそう出来るもんじゃないんだよ。 

みんな、ループしない世界のことについて話していた。

どうして そんな、現実とは直接関係のないことについて議論しているのか。それは、ちょうど梨都子さんの病気の後 だからだし、俺のことがあるからもである。

 叶は言う。どうして現実に関係ないのにこんなことを話しているのか?と。そうそれはとても凄いことなんだよ。

現実に、日常に、利益に関係ないことを大まじめに「想像して」「考えて」「会話」する。それを出来る人はなかなかいない。仮初なら誰でもできるけどね。

「……そのような想像が可能なところが、皆さんの美点だと思います。ループの存在しない世界の人間は、世界の多様性を認識できませんから」

――アマネ

アマネの言葉、そして皆の言葉から推測するにこの世界と、私たちの世界の「想像」という言葉に大きな開きがある気がしてならない。

おそらくアマネたちがいう想像とは、世界の多様性を認識でき、人の多様性を実感として手応えとして理解できること。私とじゃ想像力の"深度"の差が大きい。

これは……教育の差と言ってもいい気がするけどね。日本で暮らしていると「多様性」なんて言葉一ミリも理解できない気がしてくる。私は外国に留学にいったことはないけれど、ここは「画一的」すぎるんじゃないかな。中にいるとそういうことが全く分からないけど。

画一性の呪縛 

画一性について一方的に悪いなんて言わないけれどね、でも弊害を踏まえているのとそうじゃないのとでは見方が変わってくると思う。

 

 

ループのある世界、ない世界

「現在のこの世界では、ループがあまりにもカジュアルなものになっています。ループ が当然の前提になりすぎていて、その特異性を、ほとんどの人が疑わなくなっています」

――アマネ

 ループのカジュアル化っていう発想自体が「天使」らしいといえばらしい。人ルいがループを獲得したのは7万年前だから、もう現在の人間はループなんて「あたりまえ」のものだと思う。空気のように、いや空気より当たり前なんだっけか。

「ルー プがあたりまえであるという状況がさらに進んでいくと、人間の認識は、過去や未来ではなく『現在』のみへとフォーカスされていくことになるでしょう」

過去を振り返らず、また未来を見据えず、現在のみを生きる。それは、選択や決断を行わなくなることを意味します

「瞬間瞬間の快楽について、趣味的な判断を下すことはするでしょう。 しかし、自分や世界の未来を主体的に決めるということを行わなくなるのです」

「そして、選択や決断をしなくなった人々は、やがて人格を損失することになるでしょう」

 ループがもっともっと当たり前になっていく、人類は『現在』にしか生きなく成る。未来や過去の重さは軽く、決断や選択を行われず、瞬間の快楽によって生きていくようになる。それはつまり―――人格を失った人類。

人格を失いますよと言われると、反射的にそれは「嫌だな」「ダメだ」と言葉を上げそうになる。しかし……人格を失うからってなんなだ。別にどうだっていいじゃないか、っていう発想がでてこなかったか。なんでだろ?

人格を失うと聞いて、まず思ったのが「人格=人間足りえる要素」という考え私にはあった。アマネがいう人格ではなく、私が既存に持ち合わせていた人格という言葉の意味は「自我」という意味だった。つまり私が私であるということ。何が好きで嫌いでどういう選択基準を持っていて思想や価値観を育んできたのか。

そういう自分に根幹に関わるものがごっそり失われてしまったら、それはもう私は私じゃなくなってしまうし人間ではなくなってしまう。そう思った。

ただアマネがいう「人格」とは「未来を見据えて決断しなくなる主体的な動機」……とでもいえばいいんだろうか。

未来を見据えて、選択して、決断する。

でも、私はここ最近『今』にフォーカスして生きることしか考えてなかった。未来や過去はそう、やっぱり重すぎるんだ。だからそれを切り捨てて、一瞬一瞬の『今』を生きようといろいろ試行錯誤していた。

そうすると私の考えとしては、もう既に答えなんか決まっている。

 

「未来なんかいるかばーーーか!!!」

 

 そう未来なんか要らない。欲しいのは「今」だ。過去もいらない……わけじゃない。大事な想い出があるからね☆きゅるるーん

……と冗談は置いておいて、やっぱりどう考えても未来なんかより『今』を考えて生きていくほうが良いと私は決断している。暫定じゃない仮定でもない。もうそれは既に決まっていたことだ。

過去を振り返らず、また未来を見据えず、現在のみを生きる。それは、選択や決断を行わなくなることを意味します

それのどこがいけないことなんだろう?

 

 

 

 

それでは人は救われませんよ?

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「私は人間 から手を引くつもりはありません。手をこまねいてい れば、やがて人類は滅びます。このような状況を目の 当たりにして、手を引くことはできません」

「上から目線が気に入らないのとのことですが、 救うという行為は多かれ少なかれそのような性質をも ちます」

大人が子供を、医師が患者を、宗教者が信徒を救う。そういった行為はすべて、上から下へと行われるもの。その手をすべて払いのけるなら、救いは成り立ちません

「子供のこと は子供が決める。患者のことは患者が決める。信徒の ことは信徒が決める。……これで、誰が救われますか?待っているのは破滅だけです

――アマネ

当事者性のない上から目線は気に入らない! お前らはいつもそうだ、善意の元人を救おうとする。そういうのが傲慢だってんだよ。

傲慢は立場の同義語。強者が弱者を救うならばそれは仕方のないこと。救世主は衆生を救う。その手を払いのけるなら衆生は破滅するしかない。 

これのカウンターアタックとしては「破滅していい」と答えることだろうか。個人の問題なんだ。そいつが間違って生きる権利を誰ものにも奪えやしないんだよってね。(希ちゃんがいいそうな考え方だよね)

しかし……天使に勝たなくちゃいけないっていう発想を捨てて、アマネの言い分を見るととても理に適っている。アマネの言い分がとても正しくて、従わずにはいられない気がしてくるほどに……ああこれが天使の力なのね……。

だって、災厄から助けてあげますっていわれたら「お願いします~~」って言っちゃうようなもんじゃない? 危ないことから守ってくれるなら、多少の犠牲がでたって、守ってほしいと思っちゃうもの。

その犠牲が、個人に劣等感と、他者に優越感を与え溝が出来る可能性があるものだとしても、人類が人格損失するよりはまだマシ……そう思えてくる。この時は。

ただよく考えるとさっきも言ったように、私は『今』だけでいい思考の持ち主なので、「人間の意志を折ってまで勝っ手なことしてんじゃねーよ!!」って気持ちにはなる。

 

「大人も子供も、医者も病人も、教祖さまも信徒も、みんな人間だ。人間は、能力の高低で役割を分けることが許される

「だけど、お前は大人でも医者でも教祖さまでもない。天使だ。人間とは違う。天使が人間のことに介入するな」

「そもそも、人類が滅びるからって、それがどうした。おまえは天使だろ。高みの見物をしてたらいい。―――けど介入はするな」

――シャールカ

 アマネの「救いは常に上から目線ですよ」という反論に対し、「いやお前は人間じゃない。天使だ。人間じゃない天使は手出しするな」とシャールカ先輩は言う。

おそらくこれは「種族間の問題」として反論したのかな? うん。

同じ枠内の人間ならば、上から目線の行動をシャールカは是とする。でも枠外の奴からの上から目線の行動は拒絶する。という感情論に近い意見……のようにも思える。ふむ。

 

 

 

 かっこいい台詞だ。でもその言葉を信じていないと相手には届かない

「命より大事なものだって、世の中にはあるだろう?」

――命より大事なものがある。

かっこ いい台詞だ。そして、ある意味正しい台詞。

ピンチに陥ったとき、そういう台詞を吐いて敵に向かって行ってみたい。そしたら、ゼロに近づいてい るライフもちょっとは回復するし、攻撃力にボーナスもつくだろう。

だけど、いちばん問題なの は……、言った本人がそれを信じていないことだ。命より大事なものだって、世の中にはある―――シャー ルカ先輩自身が、そんなことをまるで信じていない。

怠惰に生きていける社会こそが至高。そん なふうに考えている先輩が、命より大事なものの価値なんて信じているわけがない。

 アマネは言った。想いを乗せた言葉は、論理を超えて相手に届くと。それはつまり自分が信じている言葉は、相手に納得させることが出来るということでもある。

ぎゃくに自分が信じていない言葉は、どこか嘘っぽく感じられて、納得なんてものは出来なくなってしまうんじゃないか。 

「シャール カは、ほんとうにそう思っていますか?」

アマネのシンプルな切り返し。

 いいね。こういうシンプルな切り返し。

あなたはほんとうにそう思っていますか?

そう思っているんですか?

 

 

「心配するな」なんて言葉はな

「心配するなって言ったら心配が消えるとでも思ってるのか、お兄ちゃんは……」

――希 

んーこれはあるある。「心配するな」 といってもはいそうですか、ってならないのが人間の感情だよね。心配してね、ってい言われても心配するとは限らないし、心配するなと言われて心配しなくなるなんていうのは人間ではとても難しい。

 

 

 

 叶に自己犠牲の精神なんてないように見える

「悪や道化もいいけど、自分自身の価値を認識しろ」

「天使や、世界や、みんなより……かなえ自身のことを大事にしてくれ」

「……べ、べつに俺はそんな、自己犠牲の精神で生きてませんよ」

「そうそう、そういうの。自覚がないのが困ったところなんだ」

「……自覚、ですか」

「自覚がないから、自分を二の次にしてるって気づかない」

「自覚……」

自覚ねぇ……。

そう言われても、俺には自分を犠牲にして他人を優先してるって気持ちはない。

――叶、シャールカ

 シャールカ先輩は言う。「お前は自己犠牲の精神で生きてる」と。でも実際のところ、叶は自己犠牲の精神の持ち主かと云われれば首を傾げてしまう。叶は叶について自分について言うように「そんなことない」んじゃないかな。

客観的に観て、叶はいつ自己犠牲的な行動を取ったんだろう。んー?

確かに叶は曖昧で意見をはっきりいわないしどっちつかずな部分はあるけど、それを自己犠牲っていってるわけじゃないんだよね? だったらなんだろ……。こおり、禊、ゆとり、希……彼女と接してきた中で自己犠牲な部分なんて一ミリも存在しないように思える。

「自覚できない奴に自覚しろなんて、無理な話だもんな」

 それ言われちゃあおしまいなんですけどね。でもこれはシャールカ先輩の勝手な思い込みっていいかもしれない。だって彼女は具体例を示したわけでもないのだから。

そりゃアマネの言葉に納得しようとしていたのは事実だけれど、そのたった一例をあげて「お前は自己犠牲の奴だからなー」って言われるのは心外。 

「かなえが自分を大事にできないなら、周りが大事にしてやればいいだけなんだから」

――シャールカ

 なるほどそれは至言。叶は自己犠牲なやつじゃないけど、もし周りに自己犠牲の奴がいたら、周りが大事にしてあげればいい。周りというか、自分がその人を大事にすればいい。おそらくその人から数えきれなくらいのプレゼントをもうもらっているのだから。

実利的な面を観ても、等価交換の原則を持ちだしてもいいんじゃないかな?かな?

 

 

前に進みたくない。怠惰な社会を希望する

「誰だってわかってるさ。かなえが前に進みたくない奴なんだってことくらい」

「ずっと今のままでいたい。ずっと子供でいたい」

「……かなえはいつも、そんなふうに願ってるんだもんな」

「……そうやってはっきり言葉にしたら、俺ダメ人間みたいじゃないですか」

「はは、そんなことないぞ。すくなくともシャールカは共感する」

「やっぱ、前に進まずにいられる社会っていい社会だよな~」

と言って、先輩はソファの上で幸せそうにごろごろする。

「……先輩だけなのかもしれないですね」

「……何がだ?」

「俺にとって、基本的なマインドが同じなのって、先輩だけなのかも」

――シャールカ、叶

 やっぱ前に進まずにいられる社会は最高だよなー。もうみんな働なかくて済むようにベーシックインカム制度を導入してーそしてその制度で起きるもろもろの障害を取り除いてごろごろしたい~。

今の社会は窮屈なんだよな~。

よシャールカ先輩っぽい言葉が脳内でぐわんわんと大量発生し、ならばphaの日記のような生活もいいよね!って思わせてくれる。この現代社会。テレビはいつも健康番組の特集を組み、整体から食事、運動からペットの世話まであらゆる健康法を視聴者にプレゼントしてくれている。視聴率もそこそこいいみたいだけど、だから似たような内容の番組が乱立している。

でもそれって裏返せば、この社会はみんな不健康で、疲れているってことに他ならないかもしれない。だとしたら、それってなんだかとても嫌な事実を突きつけらているみたいだ。

ちなみにphaさんの著書「ニートの生き方」は、頑張れと口癖のように囀るように言われるこの社会で、「頑張らくていい」いやむしろ頑張るならないほうがいいというメッセージが多分に含まれているのでかなり面白かったです。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

 ごろごろ~

やっぱりソファの上がアルカディアなのよさ。

 

 

 

女子って前に進んでいく

「女子って、基本、前に進んでいく存在だから」

「考えて、ぶつかって、成長して……女子はみんな、俺なんか置いてけぼりにして先に進んでいく」

「ああ、知ってる。かなえはいつだって置いてけぼりだな」

――シャールカ、叶

 これすごい分かるなー……。女の子からロマンティシズムを削ればリアリストな部分しか残らない。だから前ばかり進んでいくしお金ことばかり気にかける。でも男はいつまでたってもロマンティシズムを抱えている奴ばっかりだし、お金のことは女より気にかけない奴が多い気がする。

夢を食って、生きている感じがとてもする。

みんながみんなじゃないけどね、もちろん。

 

「……だけどシャールカは、そんなかなえが嫌いじゃない」

「置いてけぼりにされたら、ソファの上でごろごろしてたらいい」

「置いてけぼりでいいじゃん。それだって、前に進むってことだ」

「ソファの上に、理想郷(アルカディア)はある。そう、シャールカは信じてる」

 シャールカ先輩の心象風景はいつだって怠惰だ。でもそれが心地いい。止まっても停滞しても置いてけぼりになっても「いいんだよ」っていう懐の広さがある。それはゆとりちゃんと似ている。なにかに縛られないで、何者にも制限されない生き方。

それはやっぱり憧れるし居心地がいい。

 

 

猫を飼うことはつまり天使のような存在なるということ 

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「猫は飼えないんだ」

「……やっぱり抵抗ありますか?」

前、先輩はそんなことを言っていた。

「それをやったら……、自分が天使になっちゃう気がして

「天使に……?」

「猫を飼うのって、天使が人間を観察して介入するのと同じような気がするんだ」

「べつに他人が飼うのは否定しないけど……」

「ただ、すごく抵抗あるんだ……。シャールカにとっては」

――シャールカ、叶

確かに。

猫と人間の関係って、天使と人間の関係と似ている。というかそっくりだ。どちらも種族が違うし、どちらとも上から目線から相手の人生に介入している。それはシャールカ先輩が唾棄するように、猫が猫らしい生き方を阻害しているし、猫という存在を人間用に書き換えているといってもいいんじゃないか。

人間から見れば。宿を与え、飯を与え、病気にならないように手厚く救済している。そしてそれがさも良いことのかのように人間は思っている。お前らはとても幸せなんだぞわかってるかと言っちゃいそうなくらいにそう思っている。

でもそんなのは人間の都合だ。当事者性意識が欠落した上から目線に他ならない。

でもきっと禊は言う。「幸せならばそれでいい」と。衆生(猫)が救われるのならば、それでいいと。

そして思うんだよね。そうきっとこういうのは「踏まえる」のが前提であり、そこからが分岐ポイントなんだって。ある何かを踏まえてから行動するのと、そうではないのとではなにかが違う。その何かを私は今答えることは出来ないけれど、でも「踏まえ」てから始まるものってきっとある。

踏まえなければダメなことも当然あると思う。

じゃあそもそも「踏まえる」ってなに?なんなの?それがどうかしたの?っていう疑問が生まれてくる。

踏まえる―――つまりそれを知っていること。知っていて尚決断すること。それがきっと踏まえるの本質。

そう選択して決断すること。それが大事なんだ。

何かを信じて覚悟することは、悪いことじゃない。

だけどその前提として、
疑問に感じ、みずから選びとることが必要だ。

でなければ、それは信じることにも覚悟することにもならない。この前も言ったように……ただ動作する機械にすぎない

――希

 

ギャングスタ・リパブリカ 時守希 感想 (15166文字) - 猫箱ただひとつ。

 

 

自己犠牲なんて愚劣

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「自己犠牲なんて……」

「大事な人を失うくらい、愚劣なことなのに……」

「唾棄すべきことなのに……」

「それしか残ってなかったら、そうするしかないんだろうな……」

――シャールカ

自己犠牲なんて愚劣なことなのに、唾棄すべきことなのに、それしか残ってなかたかったらそうするしかないかもしれない。

私は自己犠牲をそんなに悪く捉えていない。しなきゃいけないときはそうするべきだと思うし、そこに何かしらのネガティブな感情はない。

でもシャールカが言うように「大事な人を失うくらいに愚劣なこと」と言われたら、それも納得できる。自己犠牲しなくていいなら、しなくていいんだよ。というか殆どの人間は自己犠牲なんてできない。「自己犠牲っぽいなにか」ならできるけどね。

面子、名誉、建前、立場、そういうので「自己犠牲っぽいなにか」をする人はいるけれど、でもそれは自己犠牲じゃない。私が言っているのは、「相手の為に」を本気で願い純粋な感情で起こした行動のみをそう呼んでいる。そう呼びたい。

「純愛ゲーム」とは具体的にどういうものなんだろう? 

例えダメな行為だったとしても、それを「成すことが出来る」ことに尋常じゃないほどの価値が付加される。それはとても素敵なことだし、ああこれが人間だよと思える。人間らしさ、あるいは「人」の練度の究極先へと。ね。

 

 

人格を喪失しますよこのままじゃ

 

「人格とは、人間が生きるために必要な権利を持つ資格のことです」

「すべての人は、出生した瞬間から人格をもちます」

「しかし歴史をふりかえってみれば、人類はかならずしも人格をもっていたわけではありません」

「身分制社会においては、人は生まれによって差別され、人格をもつ人ともたない人に分かれていました」

「人類は長い歴史のなかで、多くの戦いのすえに、人格を獲得したのです」

中略

「選択や決断を行わないなら、人格など必要ないのですから」

――アマネ

 アマネの物言いはなんでか納得しちゃうんだよなあ……。でもよくよく考えると「人格とは人間が生きるための必要な権利をもつ資格」っていってるけど本当に?という疑問が生まれてくる。

人格の定義を"アマネ"が最初に提示することによって、人格とはそういうもので、なんだか失ってはいけないような価値観を与えている気がする。その次の言葉から察するように、別に人は最初から人格とやらを持っていたわけじゃない。これは基本的人権のように後から作られたもの、作られた概念、思想と考えたほうがよさそうだよね。

身分制社会に戻りたいとは思わないけれど、やっぱりそれはそれで不自由そうで窮屈なイメージが先行するからなんだけれども、でも「今の社会の状態で人格が失われた」としても別段困る状況には陥らない。世界中のみんなが一気に不幸になるわけでもないし、むしろ「今」という生き方がより顕著になるわけだからもしかしたらより幸福になる人たちが増えるかもしれない。

選択や決断を行わない未来は、怠惰だけれど、幸せな世界だと思うよ。

そして、みんなが人格を損失して不幸になるわけじゃないなら、人格なんてもはやどうでもいいのでは? アマネの天使的価値観からいえば「人格を失うなんて!」と思っているかもしれない。それはシャールカがいうように天使の勝手な美意識を押し付けているってことなんだろう。

そう考えると、アマネのやっていることは暴力に近い。勝手に人類の未来を悲観して、勝手に救済しようとして、自分勝手に誰にも相談せずにディスサイクリアを散布した。たしかにそんな「善意」とてもこわいな。

 

 

 潔癖主義は未来を狭める―――なんてな

「……利点はわかる。でも、敵の道具を使うのは、あんまり好きじゃないな」

敵の道具だからといって、道具自体は敵じゃないと思うの

「使えるものは使えるべき。そうじゃない?」

「……ちぇっ」

「知ってるよ、そんなこと。潔癖主義は未来を狭める―――なんてな」

――こおり、シャールカ

 ここ面白いって思う。

シャールカは「潔癖主義)は未来を狭める」ことを知っているにも関わらず、そしておそらくそれを自分の中で「納得」の域にまで昇華しているにも関わらず、敵の道具を使うのは嫌!って潔癖になっている。

最善だと思うことと、好悪はまた別なんだよなーってことだよね。理屈と感情は相反しやすいし区別されているって言ってもいいかもね。

 

 

 

 

 

 

 

天使と会話は可能

「能力の高低は、そりゃあるだろう。だけどそれでも、天使と人間は話すことができる」

「ここには、それなりの基板がある」

「いくら天使と人間の存在が根本から違ってても、それでも話はできるんだ」

「相手は、昆虫や石ころじゃないんだから」

――希

 そう……確かに天使と会話は可能。アマネは石ころでもなければ昆虫でもなく、私たちと同じように言葉を操り意思疎通をはかることができる。

でも会話が可能だとしても、こちらの意図を"汲んで"くれるかはまた別の話。こんなことを言うと「相手を自分の意向に従わせようとしてる」と捉えられても仕方ないけど、実際その通りだ。

自分の言葉で相手が納得する余地がない相手と喋る―――それは石ころと話すのと変わりない。私たちは自分の意思で相手の心を動かせることを理解している。だから会話するってことは、その可能性に賭けているとも言っていい。

でも天使はどうなんだ? 私たちの意思や言葉で、アマネの心を動かせることは可能なのか? あいつはもしかして「概念」じゃないのか? そんな気持ちが浮かんで来る。

人間と天使は違う。存在の在り方が違う。死と生の仕組みが違う。価値観が違う。こんなのに果たして"会話"は可能なのか?

そしてキュウべえを思い出す。あいつもまた人間と別の存在であり、異なる種族だった。話すことはできて意思疎通もでき返答もしてくれたが、結局のところ分かり合えなかった。いやそうじゃないな、そもそも"分かり合える"なんてレベルじゃなかったんだから。"分かり合おうともしない"対話だった。お互いにね。

「魔法少女まどか☆マギカ」総括_これは祈りの物語。(11613文字)


概念のような存在と会話できたところで、なんというか……無意味感が半端ないんだよなあ……。

『鎧武』の蛇のように、『まどか☆マギカ』のキュウべえのように、『fate』の言峰のように、『最果てのイマ』の灰村のように。

あいつらは"変わる"というフェーズをもうとっくに失くしている。思考を変化することがないのならば、それはもう人ではなく事象でしかなくなる。

人の形をして、意思疎通が可能だとしても、それは地震や台風といった自然災害に話しかけているようなものだ。彼らは絶対に変わらない。そして自分がこうだと思った行動を一貫として貫徹する。容赦がないほどに、機械的なほどにこなすんだよ。

 

 

話せばわかるってよく言うよな

「……あと、根本的なことを言わせてもらうぞ」

言葉で対話するのは平和的、物理的な力は暴力的。―――そんな区分け、べつに正しいわけじゃない」

「すくなくとも、天使にとっては成り立たない」

「話せばわかるって、よく言うような」

「けど、そんなのが成り立つのは、ごく限られた条件でのことだ」

「話せばわかるなんて考え方は、話すことの暴力性を隠蔽する手段なんだ」

――シャールカ

 話すことの暴力性って相手「納得」させちゃうことだよね。確かにこれもまた一つの暴力と言っていいのかもしれない。だって「納得」してしまうってことは、自分を"変えて"しまうことだから。相手の言葉によって強制的に今までの自分を書き換えてしまう行為だから。

もちろんこれが良いことだってあるけれど、別の側面では「悪」だっていうことを認識しておいたほうがいい。

論戦のように納得した分だけ、相手の命令に従うっていうのも実はそういうこと。相手の言葉によって自分の思想や価値観を書き換えられ、心の中に納得がうまれ、さらにはその納得の分だけ従ってしまう。言うことを聞いてしまう。

それは一つの暴力。

 

 

 

暴力に訴えることが『善』

 

「今アマネは、人間の事情に勝手に介入してる」

「アマネのことは、友達っていってもいいと思う」

「でもアマネは、他人のことに首を突っ込んできてる」

「だとしたら、それを暴力で振り払っていい。あたしはそう思ってる」

あたしの世界の利益を守るためだったら、暴力を使って戦うことも許される

「はっきり言うと、正義にかなってる」

――こおり

 アマネは自分の世界に介入してきてる。自分の世界の利益を損なうアマネの行動を暴力で振り払ってもいいとこおりは言う。それは善だって言う。きっとこの「善」っていうのは今までの文脈上の善ではなく、「自分にとって善いこと」っていう意味合いなんじゃないか?

「人の意向を汲んで、人の為になにかする」っていうリパブリカ的な悪の対義語ではなく。そういう意味の善ではなく。

考えが違うだけの相手に暴力をふるっても許される――あたしは、そう言ってるの」

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なにそれー! こおりこんなこと言う人だっけ?!

この後こおりは、「言葉でこっちの心が傷つき、暴力では相手の命を傷つける。それってアンバランスだけどそれを私は肯定できる。心の傷のほうが深いことがある―――っていう話じゃなくて、受ける傷が浅くても相手に深い傷をつけてもいい」

そう語った。ええじゃあどういうこと。根拠なくない?!

「これが許されることがあるのは、まあ、こっちの考え方が普遍的に正しいときかな」

なにそれ、普遍的価値の話をしているの? 自分の考え方は正義だって? 正しいって? だから相手を暴力で傷つけてもいいことを肯定するっていうこと? ああん?(クチナワさん!)

 

「こっちの考えが普遍的に正しいから、それが傷つけられたら、社会全体の不利益が大きい」

「だけどあたしは、そんな理屈は主張しない」

「考え方と命なんて、そもそも比べられるものじゃないから」

「『あたしと仕事、どっちが大事?』なんて、あたしは言いたくないな」

「それに、自分の考えが普遍的だなんて、それこそ正しくない世界に通じてるって思うし」

「だからあたしは、そういうふうには考えない」 

 自分の世界に介入してくるアマネに暴力を振るってもいい。その根拠には普遍的価値を出すわけじゃないよってことね。じゃあなんなの?

 

あたしの価値観は、普遍的じゃないからこそ、他人の命よりも尊重に値する

?! 

自分の考え方が「誰もが認める正しさ(普遍的に正しい)」からこそ、アマネの言葉によって社会全体の不利益が大きい。だから彼女に暴力で対抗してもいい。っていうのなら、まだなんとなく分かる。

自分が正しいから、相手を傷つけてもいい。それは……頷いてもいい理屈だと思う。とても危ない考え方だけど。

でもこおりはそうじゃないと言う。

自分の考え(価値観)は、普遍的じゃないからこそ、他人の命のよりも尊重に値されると言う。

ええ?!

自分の価値観は普遍的じゃない(=少数派)だからこそ、誰かの命よりも尊重されるって普遍的正しさを根拠にしたものよりマシだけど、危なさは変わらない気がする。

「これは、アンフェアじゃない。利己的でもない」

「だって、あたしはあたしの都合の上に成り立ってるから」

「あたしは、あたしが育った環境の上にいるから」

その環境で生まれた価値観を守ること。それは、許された責任を引き受けることだから

「それでたとえ、他人を傷つけることになったとしても」

「あたしは、あたしの育った場所とか周りの人たちのことを背負ってるから」

「あたしは、そこを離れることはしない」

――こおり

 こおりが言っているのは「自分のために相手を傷つけるよ」っていうものだから、当然利己的であると思う。でもよくよく考えてみると、こおりの言っていることが見えてくる。

利己的―――自分の為に利益を追求すること。それを彼女は否定した。

ならば自分"以外"の利益も追求しているということになる。こおりがいう「環境だろう。ひいては自分との繋がりがある人間たちのことだ。自分の世界の利益を追求することは、こおりに言わせれば利己的ではない。

「もしもそこから離れて、一般論をよりどころにして行動しちゃったら、それはほんとの暴力になる」

「根拠のない、ただの暴力」

「何の責任も背負ってない、むき出しの暴力」

「ただの、暴力のための暴力」

あたしは、あたしの生まれ育った環境を背負って、あたしが大事だと思う価値観をのために戦う

「あたしの世界を傷つけようとする相手を、必要に応じて物理的に傷つける」

「あたしは、正しいから戦うんじゃない」

「他人よりも自分の方が大事だから、暴力も辞さずに戦う」

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へー……って思った。

へーって。

こおりは昔、倫理観によって叶の行動を強制し規定させようとした。一般的な価値観に従って、よりどころにして、根拠にして「自分が正しい、でもお前は違う」と叶に当っていた。

私はそれがとてもむかついた。嫌だった。こういう倫理観を鵜呑みにして、それを正しさの根拠にする頭空っぽな女が大嫌いだった。自分の価値観の責任も背負わず全部他人任せにする奴に嫌悪を覚えた。

でも、こおりは変わったんじゃないか?

社会的価値観、一般的な価値観を正しさの根拠にすることをやめたのではないか? そんな感じがする。この言葉は―――もしもそこから離れて、一般論をよりどころにして行動しちゃったら、それはほんとの暴力になる―――そんな思いを感じられる。 

「みんな自分のために戦って、自分の世界に対して責任をとる」

「それ以外に、正しいことなんてないと思う」

「暴力は、自分のためにあるときにしか、正しくならない」

「だからあたしは、断言する」

「あたしたちの暴力は正しい―――」

――こおり

 自分のために戦って、自分の世界に対して責任をとる。それいがいに正しいことなんてない……か。

それはつまりみんなが自分の「ゲーム」を持つことに、そしてゲームを「プレイ」することに臆病にならなくていいよということでもある。ゲームをプレイすることで、相手の幸福を奪い、相手を傷つけることを肯定したのだ。

 「暴力は、自分のためにあるときにしか、正しくならない」

 うんその通りだ。

自分の暴力の正当性を、倫理観に投げっぱしにすることを許さない。一般的価値観で正しいから暴力をふるうことを私は許さない。せめてふるうのならば、「自分」を根拠にするべきだ。

それは共感も得られないし理解も得られない理由だけれど、それしかないんだよ。自分がむかついたから殴る、自分の為に相手を傷つける。それを堂々と言えることのほうが「善」だ。

 

 

 世界の目

「天使と触れ合っても、泰然自若としていられること」

「天使とともに世界の行く末を左右する立場になっても、慌てたりのぼせたりしないこと」

「世界の秘密を知ってしまっても、それまでと同じ気持ちでいられること」

「自分に特別な資格があると思ったり、他人に対して優越感を抱いたりしないこと」

――アマネ

 これがアマネのいう「世界を見通しうる器」を持っている人物のこと。客観性の強度がとても高い人間のことのように見える。あるいは自分が生きている世界にそこまでの執着がない人間のことかもしれない。

世界の秘密を知ってものぼせず、自分が特別だと優越感に浸らない。それってふつーの人間には難しい。誰だって自分が大事だから、大事だから特別だって思いたい。自分が知らないことに出会ったら恐怖したり慌ててしまうものだし……。

どこまでもニュートラル。それって案外むずかしい。努力でなるものじゃなく環境による適応や天性によるところが大きい。

ニュートラルに客観的に、現実の在り方を解釈する。接する。その風景はどんなもの?

→主観が混じりにくい世界との接し方。それって「価値付け」が可能なのかなー? 難しいと思うんだよね。ある対象に主観独特の価値を与えもらすことができないんだとしたら、味気ない、無味乾燥な世界に近いのかも。

ふーん。

 

 

確率を味方につける

 「成功のために大切なのは、努力でも才能でもない。それは、試行回数を上げること」

「そのために、多くの人を使って、何度もトライする。そうして、確率を味方につける」

確率を味方につけることで、飛び抜けた能力をもった一握りの天才を超えることができる

「……パパは、人を使って何度も試せばいいって行ってた。だけど、ループでもいいよね」

――ゆとり

 この考え方好き。でもシジフォスを経験しているゆとりだからこそ「やろう」と思えるようなものでもある。

試行回数を万にまで上げ、確率を味方につけることで、才能を超えることができる。試行回数を上げる(=何度もトライ)っていうのも一つの努力だとは思うんだけれど、ゆとりの言外にある意味は「工夫しなくても大丈夫」ってことかな。

ただもちろん工夫したほうが試行回数は下げることができるよねん。

「何度も試せば、そのうち成功するんだよ。話の仕方を変える必要もないの」

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このあとアマネの天使的能力によって、策は瓦解するのだけれども、でも「ループによる優位性」ってまさしくこれだよなあ。

試行回数を∞(あるいは通常の人生では一度きりの出来事を複数回に拡張)

にまでできる。何度もでも繰り返すわ何度でも……!!(ほむちゃんん!!

 

 

 春日

 「僕、しばらく部活に出られないことになりまして」

――春日

 そっか。春日は優等生で、かつ家庭のしめつきが若干(?)厳しい環境にいたのか。知らなかった。

でもそんな成績優秀で、きっとずっといい子をしてきた春日が「ギャング部」に入って悪なる活動をしていた事実っていうのは胸にくるものがある。親や友人の共感を蹴って、自分がしたいことをするっていうのが、いいよね。うん。

他人の意向を無視して他人の為に何かをする―――けれどこれはもちろん自分に当てはめられるものでもある。私はどちらかというと「自分に当てはめる」ものとしてあの文章を読解していたんだよね。

つまり「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」っていうのは、「自分がそうしたいと思うのとは違うやり方で、自分がそうなりたいと思うことを実現すること」っていうこと。

他者から自分までの共感を排してでも、自分の為に何ができるか? そういうそう―――倫理を超えてっていう行為を実現するための言葉であると考えてきた。

実際にそれは正しいと思う。だってギャング部は「共感」なんてもの、社会的価値観から一般的価値観までの倫理観を重要視していないのだから。

とはいってもやっぱり「完全」に共感を蹴飛ばしているわけでもない。だって「ギャング部」を設立しているとはそういうことだから。

 

 

あなたと同じですよ

 「梨都子さんの体調の方はどうなんですか?」

「わたくし?わたくしは問題ありません。先日言ったとおり、ループがないだけのことです」

「あなたと同じ、ですよ」

――梨都子、叶

 「あなたと同じですよ」って言われたとき、胸キュンしそうなほどに嬉しかった。ああそっか、やっぱり誰かと「同じ」ことは嬉しいことなんだなって思った。

好きな人から「あなたと私は同じですよ」って言外にでも言われるのは、こそばゆくてえへへってなる。誰かと同じこと、同じことを実感できること、納得できること。それは幸せなことに違いない。

 

 

 

宮本のキーホルダー

 「デイノコッカス・ラディオデュランス。その生き物の名前だよ」

―――柳瀬

 デイノコッカス・ラディオデュランスってなんぞやってことで調べてみた。「放射線に耐える奇妙な果実」って意味の極限環境微生物のことらしく、また放射線だけではなく高温、低温、乾燥、低圧力、酸の環境下にも耐えることができるらしい……ってなんじゃそりゃ!w

宮本はどんな環境下でも耐えられる(=宮本らしくいられる)ってことなんだろうか? んーなるほどねー。

 

 

 

世界を受け入れる覚悟

 

「叶には、自分の考えを曲げないでほしいの」

「お、俺は自分の思念を曲げない男として有名だぞ」

「そうかな?」

「あたしは……叶が悪なら悪でいいんだ。叶が何であっても、あたしは叶を信じてる」

「アマネが言う難しい話はわからないよ?人類とか……災厄とか……そんな話は」

「だけど、あたしには、叶が選んだ世界を受け入れる覚悟がある」

――こおり

 こおりはやっと……でいいのかな。リパブリカの最後でも叶と悪を認めていたけれど、ここまで断言はしていなかったように思う。こんなふうに叶まるごとを受け入れるとは言ってくれなかった。

でもこの段になって、やっと言葉にしてくれたっていう気持ちが強い。

叶が悪であることを認めてもらえた、そんな実感がある。

そしてさらにその一歩先、叶が選ぶ世界も受け止めてくれると言ってくれる。ずっと叶についていくって取ってもいいと思う。

「叶に決めて欲しいって。叶の決めた道を歩いて行きたいって」

「……俺の決めた道、か」

「うん」

――こおり、叶

 好きな人が選んだ世界を受け入れたい、その世界を歩きたい、っていう気持ちはなんとなく分かる。それは他者に自分を委ねるものだし、精神的に相手と"交わり"たいっていう欲求だとも。

 

 

決める?俺が?

 

俺が決めるのか?
俺が何かを決めるのか?
ほんとうに、俺がすべてを決めてしまうのか?
いつもいつも置いてけぼりだった俺が。
みんなが前に進んでるときに、1人だけ立ち止まってた俺が。

だけどこおりは、そんな俺が何かを選ぶということに疑問をいだいていない。
それどころか、そんな俺の決めた道を歩いていきたいだなんて言う。

「うーん……」
俺は空を見上げ、、こおりに聞こえないようにつぶやいた。

「そんなこと、俺にできるのか?」

――時守叶

 ここすごく重要なことだと思う。いつもどこか中立的でどこにも肩入れしない叶が「選択」するっていうのはとても意味のある行為に違いない。

『ギャングスタ・リパブリカ』の二部でどうして、最後に、叶はヒロインを「選」んだのか?その謎もきっとここにある。

私はリパブリカでめちゃくちゃ疑問だったんだよ。何故2人のヒロインの前に選択肢が現れたのか? なんであのとき、あの場所で叶はなにかを選ばなくきゃいけなかったんだろう?って。

今まで叶の選択肢らしき選択がなかった状態で、ゆいつ叶の意思が反映されるんだろうってずっと疑問だった。リパブリカの中ではついぞ答えは出せなかった。

でも―――もしかしたらその答えがアルカディアにあるかもしれない。叶が「何か選ぶ」理由と意味が。

ギャングスタ・リパブリカ 感想_悪は世界を変えていく

 

 

 

 だからハッピーになってよ

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 「……でもかなえ、シャールカはべつに後悔とかしてないぞ」

「これくらいのことだったら、どうってことないしな。……それで、かなえが助かったんなら」

「あとのシャールカの気持ちとしては……」

「シャールカの主観としては、かなえを助けたんだ。だから、かなえはハッピーにしててくれ」

――シャールカ

 私はお前を助けたかったし、実際に助けたんだ。ならハッピーになってくれなきゃ困る。その通りだよねん。誰かを幸せにするために自己を犠牲にしたんだ。ならそいつがアンハッピーだったら立つ瀬がない、為す術がない。失敗だったなんて思いたくない。

叶うのなら叶には幸せでいてほしいって思うのはとても納得的。

 

 

 非合理性からうまれる文化

 「こういう非合理性が文化を支えているということを、忘れてしまいそうになるんです」

――アマネ

 ジャンクフードは合理的な食べ物じゃない。カロリー高いわりに栄養価低いし、かつなんか体に悪そうなものいっぱい使ってそうだし。

でもかといってそれって「悪い」ことじゃない。非合理的なものが有益だなんてこといっぱいある。というかこれは人間の本性に根ざしたものだからこそ、文化として成立するんだろうね。

人は怠惰で惰弱だから。無知で無能で蒙昧な衆愚だから。だから正しくないものが好きだったり、合理的じゃないと分かってても欲しくなる。それが文化を発展させる―――というよりもそれこそが文化になる。

 

 

シャールカの恋愛体質

「シャールカは、そういう体質じゃないから」

「日常に、恋愛を持ち込めないから」

「隠れ家にいたときは……できた」

「あれは、ああいう状況だったし、かなえと2人きりだったから」

「そうするのが自然だって思えたくらい」

「でも、他人がからんできたら無理なんだ

「……いや、日常に恋愛を持ち込めないって表現自体、シャールカにはオーバーだな」

「シャールカには、恋愛ってやつがわからない」

「もちろん、叶に対して好意は抱いてる。でも、恋愛というのがわからない」

――シャールカ

 シャールカは叶と2人きりじゃないと2人でいちゃいちゃできないという。皆の前でいちゃいちゃすること、日常に恋愛を持ち込むことが出来ないという。

それは「嫌い」だからしないんじゃなくて「出来ない」って言ってる。なんでだろ? なんでシャールカは皆の前で叶と恋人っぽいことを出来ないんだろ。

それはシャールカが「恋愛ってやつがわからない」だからというわけじゃないだろ。ここは別個の問題だ。

シャールカが恋愛が分からないのと、それを日常に持ち込めないのは別の話。けれどもどういうことなのかさっぱりわからない。

 

 「だけど、かなえがシャールカの世界を作ってくれる。そんな、淡い期待はまだしてるんだ」

――シャールカ

 

  

 

運命に流されているだけだけどね

「よかった。お兄ちゃんでも、最低限の仕事はできるんだね」

「俺は、流されてるだけだけどな」

「もう、運命みたいなものだよね……。運命なんか信じてないけど……」

「でも、そんなお兄ちゃんのこと好きになっちゃって」

「アマネは、このままじゃ人間が選択を失うって言った」

「それって、お兄ちゃんみたいな方向に向かってるのと同じだよね」

――希、叶

希ちゃん最高。(関係ない)

全く持ってその通り。人格を失うってことは選択することがなくなるということで、それは叶のような存在なんだよね。運命に流されて、流れるだけの存在になる。何かを選ぶことを積極的にせず、出来れば何も選ばないで、選ばないことを選んで流れのまにまに人生を歩んでいく。

「じゃあもう、覚悟を決めた方がいいのかな。運命に身を委ねる覚悟を」

――希 

 ええきっと。

 

 

 希ちゃんの許せないものの一つ

 「言葉にせよ武力にせよ、今までおまえに戦いを仕掛けるのは、ちょっとばかり気が引けていた」

「悪意のない奴と戦うのは、やっぱり嫌だから」

「だけど、今おまえの本性がわかった」

「そういうふうに、場面によって立場を入れ替える奴だったってわけだ」

「だったら話は違う。もう、遠慮する必要なんかないってわけだ」

――希

 アマネは2つの精神に分裂した。アマネAとアマネBに。人類を救済したいAと、人々と仲良くしたいB。

そのことを聞いて希ちゃんは啖呵を切った。そして私は思ったんだよ彼女ならここ怒るなって。でも改めて考えてみると、どうして希ちゃんはここまで怒っているんだろう?

場面によって立場を入れ替える―――ここがポイントなのは間違いない。でもこんなの私だってよくるしやってしまうものだ。何故なら絶対主義ではなく相対主義者であり、一つの事象に対して何が良いかのか悪いかのを識っているからだ。

それが一般論としての場合は、良いか悪いかを知っている為、どちらの側にもつかないけど、それが個別対象になった場合どちらかの側につくことになる。それはとても当たり前で、一般化できないからこそ個別の対象を見極めて立場が違くなるだけの話だ。それは彼女が怒るほどに悪いことでも無いとは私は思っている。

でも私のこのスタンスを希ちゃんが糾弾するとするかといえば、なんかどうもそういうわけでもなさそうな気がする。希ちゃんが実は怒っているのは、「個人を内面に2つ抱えている」ことなのかな?……。

あるいは「悪意のない奴じゃない」ってことなのか? 希ちゃんからすれば立場を入れ替える奴は悪意がある奴になる。それは何故かというと、……なぜだ?……。

いややっぱり希ちゃんは「立場を入れ替える奴」に怒っているのか。アマネという特殊な精神機構の持ち主とかそういう意味ではなく、一般論として、立場を入れ替える奴が嫌いなのか。

 

 

人間は人間を所有してる

 

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 「自由、平等、独立……おまえが大事に思ってるものも、人間がつくり出したものだ」

「だからこれは、人間のものなんだ」

「それがなくなることに、危機感があるんだろうな。だけど、おまえが手を出すことは許されてない

「おまえは知らないかもしれないから言っておく、他人のものに手を出すのは犯罪なんだ」

「人間が人間の所有物をどうしようが、人間の勝手だ」

「別に、それで天使に迷惑かけてるわけじゃないからな」

「だから、人間に介入する権利なんか、天使にはないないんだ」

――希 

面白い。

アマネが大事に思っている人間の価値観、美意識、あり方はすべて人間が"自分たち"で"作った"ものと言う。これが物質的なものなら「作った」という概念は当てはまるし理解がしやすい。逆に希ちゃんがいう思想や価値観については「作る」という意識を全然していなかったんだなって今更に思う。

そうだよ。価値観も思想もすべて人間が造り出したもので、人間が所有しているものだ。ならそれを侵害し介入する権利なんか多種族にあるわけがない。異文化交流で(おそらく)持っともやってはいけないのがこれだ。他文化に対して「お前らの文化は間違っている!」&「お前たちの文化を守る!(介入する)」ってのはしちゃあいけないんだ。

相手が持っているものは相手のもの。ならばそれをその文化の中でどう使おうが、どう捨て去ろうが相手の自由なのだ。個人の自由を尊重してしすぎている希ちゃんだからこそこの言葉に価値がでてくる。

信頼関係かあ……希ちゃんに信頼がないとだめってことだよねこれ。エトス的な意味でさ。

「人間のあり方を恣意的に書き換えることだ。天使の望む存在へと作り変えようとしてるだけだ」

「言ってみれば、人間を天使の劣化コピーにしようってわけだ」

「自分の味方を増やして、自分の権力を強化しようとしてるだけのことだ」

「おまえ自身がどう考えてるかは知ったことじゃない」

「だけど客観的に事実だけを見たら、そんなもの、ただの搾取だ」

おまえがやろうとしてることは、絶対的な非道なんだ

――希

 清々しいほどにかっこいいなあ……惚れそう。

希ちゃんが問題にしているのはアマネの「行為」そのもので、行為を引き起こす「動機」には微塵も注意を向けてない、そんなのどうでもいいんだよって言わんばかりにアマネの気持ちを斟酌しない。

そしてアマネが人間を大事だと言うのなら、お前がやっていることはその侵害だと主張する。アマネの「行為」を抑止する為に、制限するためにアマネの「動機」に殴りこみをいれる。

アマネは救済したい思いと、仲良くしたい思いがぶつかりあい分裂してしまった。ならばこの希ちゃんの主張は、その葛藤をつくいい一手だと思う。

ただアマネはこの主張に対し、人類救済の立場で戦うのだけれども・・・。

 「だいたい……ほどよい介入なんかありはしないんだ

「天使の能力は、人間よりずっと高い。である以上、搾取はエスカレートするしかない」

「権力は腐敗する。政府は肥大化する。それは歴史が証明したことだ」

「天使の搾取は、絶対的に進んでいく」

「ちょうどよい介入なんか、存在しない。そんなもの、夢か嘘かのどっちかなんだ」

――希

 これは「リパブリカ」でゆとりとの対話のとき「お互いが攻撃すれば自ずと抑止の力が働く。つまり争わなくなる」って言ったときの延長線上にある主張だ。

同じ力を持っている者同士ならば自ずと抑止力がはたらき「これ以上は危険だ」となり、争わなくなる。けれども相手が一方的な力を持っていた場合それは敵わない。相手に蹂躙され搾取されるしかなくなる。天使はそういう存在なのだ。

 

「人間は人間自身を所有しているかもしれません」

「それでは、人間が自分を天使に譲り渡したらどうでしょう」

「人間は自分を所有している以上、それを誰かに譲渡することもできるはずです」

「人は人に贈り物をすることがあります。超越的な存在に供物を捧げることもあります」

「それと同様に、人間が人間自身を譲渡した場合はどうですか?」

「あなたが自身を私に譲ってください―――私が呼びかけたら、応える人もいるでしょう?」

「あなたは……それを否定できますか?」

――アマネ

否定できない……・

希ちゃんは自分の信念を持っている限りこれに対抗できない。個人の自由を誰よりも尊重している彼女だから、彼女自身がアマネの意見に同調してしまう。同調し同意し頷いてしまった意見は、自分の中に納得を生んでしまう。

そして希ちゃんにカードはもうない。これ以上切れる主張がないのであればここで終わり。

 

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中途半端な終わりですがここまで一旦終了します。文字制限……orz

残りの終盤までの感想は後にUPしますのでお待ちください。

んじゃまたね!

*1:時と場合によりけりなんていう話をしているんじゃなくて、傾向としてもうそういう行動様式が身についている人のことを言っている