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「スロウハイツの神様」物語を愛している人に贈る小説(8684文字)

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スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

―――断言してもいい
人間は触れてきた作品通りの人間になる

売れっ子脚本家、感情を描けない映画監督、優しい世界しか作れない漫画家、画家が共同生活をし、夢を語り、作品を創造しお互いを刺激しあっていく。ときには物語で救われて、あるいは物語でだれかを救ってをぐるぐると繰り返していくそんな現代のトキワ荘的物語・『スロウハイツの神様』。

この小説を読み終わったあと心がぽかぽかしました。死にたくてたまらなかった人を物語で救えってしまえること、そういう小説を書けてしまうことがどれほどに尊いものなのかっていうことが分かって暖かい気持ちになった。

「これ出会う為に生まれてきたんだ」
「あの物語の新刊が出るまでは死ねない」

そう思えてしまうことが本当に凄いんです。凄いことなんだよ。

現実がもう色々駄目で、色々苦しくて、色々死にたくて後悔でいっぱいで、嗚咽を漏らしながら真っ暗闇な世界に居るんだとしてもたった1つの物語によって全てを"書き換え"ることが出来る。認知が歪み視点が書き換えられこの世界を大事だと思えるあの瞬間を知っている。心が震え、涙で溢れ、泣き続けたあの夜を私は覚えている。例え現実の事象が変化しなくても「まだ大丈夫」って思える瞬間を私は知っている。そしてこれからも忘れない。絶対に忘れてなんてあげない―――。

そんな体験を、スロウハイツに住んでいる人達もまた知っていることがたまらなく嬉しかった。

私はオーバーライドって呼んでいるこの体験をしている人がいて本当に嬉しかった。この世界にはこういう体験をしたことが無い人が多いと感じていたので余計にそう思いました。

エ口ゲが好きでも「鮮烈な物語体験」をしていない人は実はいっぱいるという仮説。その理由とは?

この感覚を知っている人は『スロウハイツの神様』は響くと思う。あるいは物語を愛している人はこの小説はきっと好きになるはずです。

いいえ―――そんな人達の元に届いて欲しい小説でしょうか。


(ここから先は本書の感想です。部分的ですけどね。興味があればどうぞ)

 

 

 

 

子どもという概念

「『子ども』っていう概念は近代になって発見されたんだっていう考え方、知ってるか? それまでは単に人間が未成熟な状態であり、小さい状態であるとだけ考えられてきた。

今みたいに、保護したり、教育したり、慈しみ大事に守るという考え方は近代に入ってからで、それまでは大人と変わらなかった」

――正義

 人間が未成熟な状態で、ただ小さい状態として考えられてきた。だからこそ労働だってするのが当たり前そういう考え方。

 

 

 

チヨダコーキの情緒

 

世の中とはそういうものだ、とか、そんなのよくある話だ、とか。人間とは、年を取り経験を獲得することに伴い、実際の出来事を見るのに馴れきって、思い入れや、情緒が摩耗していく生き物だと思うのに、公輝には全くそれがない。類型化したり、他を貶すことで周りを平らにしたりしない。かけがえのない一人の人間が只中にある一個の現実なのだという、そこをきちんと踏まえてる。

――すー

 環の心模様を自分のことのように傷ついて、焦って、動揺する公輝。すーが言うように彼はきっと感受性を擦り減らさずにここまでやってきたのだろう。そういうのすごい好感が持てる。

 

 

 

現実と虚構が一体化するとき、大人になってもその感覚を持ち合わせていること

「私もあれ、大好き」

その声は、演技で作るにしてはいささかはしゃぎすぎていて、さっきまで不機嫌そうに顔をしかめていた女の子の口から出たものだとすぐには信じられなかった。あまりに明るすぎた。

「指輪の力で変身するんだよね」

さっきまでの取り澄ました顔と全く違う。そして彼女は右手の薬指を狩野の前に広げて見せてくれた。『レディ・マディ』の中に出てくるレプリカのキャラクターグッズ。赤い石のついた指輪。

「原作だと左だけど、そこまで真似するとイタい人みたいだから」

そこまで言ってから、急に我に返ったようにはっと気づいて手をしまう。狩野が引くと思ったのかもしれない。だから笑顔で首を振る。

「それ、いいね」

恥ずかしそうに俯いて、環がこくりを頷いた。

――狩野、赤羽環

 赤羽環は気性が激しく性格がきつい女性だ。そんな彼女が『レディ・マディ』という漫画が大好きで、しかもその中のキャラそっくりの指輪を嵌めているという事実がきゅんきゅんきた。

この子も物語に憧憬を覚えたり、そのキャラを身近に感じる為に指輪というアイテムを身につけているのかなとおもうと親近感が沸いた。大人になってもこういう子ども心っていうのかな?そういうの持ち合わせている人は本当に稀有だからなんか嬉しくなる。

 *

話変わるけどよく「現実と虚構の区別がつかない」という言葉を目にする時がある。それはある暴力的なゲームをしていた少年が殺人を犯してしまったり、ある残虐なアニメを視聴していた人間が残忍な犯行をしてしまった時によく使われている気がする。

あるいはある一定の年齢を過ぎた頃にゲームやアニメを見ていると「そのうち現実と虚構の区別がつかなくなってくるよ」と嘲笑めいた揶揄めいた理不尽な非難をされることもあるかもしれない。

けれども思うのだ。

じゃあこの世界に「現実と虚構の区別がつかなくなって"いない"人」なんてものはどれくらい存在するのかと。キリスト教を信じ天国と地獄という概念を本気であると思っている人たちは紛れも無く「現実と虚構がごっちゃ」になっている人達だし、仏教でいわれるところの涅槃や輪廻転生を信じることもまたそれだ。お墓参りだってそうだろう。"幽霊である死者"なんてものはこの世に存在しない。けれどもお墓参りの時に供え物としてお酒やお菓子を墓前に供えるのはどういうことだ? 彼らは死者がそれらを食べるとでも思っているのか? 思っていないならなぜお供えなんて行動をする? それは習慣だとか伝統だとか言う声もあるかもしれない。しかしそれを"行う"時点で「現実と虚構の区別がついていない」ということにならないか?

そう。そもそも人間は「実体」と「観念」を同時に見ることができる存在である。だから現実と虚構が一体化しようが、ごっちゃになろうがそれは自然なことなんだよね。現実と虚構を区別できる奴はそもそも、私から言わせれば「人間ではない」んだよ。なぜって、「観念」の存在を感じ取れないものが人間であるわけがないそれはただの動物だ。

 

 

ただの小説として語ること

 

「コウちゃんは、だけど希望を希望のまま示すこともなければ、見せかけの希望の中に絶望を混ぜ込むことも、その逆もしないよな。絶望を、圧倒的な絶望のまま描いてた。すごいなって思ったし、そのうえ……」

その時の正義に、狩野が好感を覚えた一番の理由は、チヨダ・コーキの小説をただの小説として語った点だった。

普段、チヨダの話を誰かとすると、それは作品の中の哲学やストーリーを全く無視して、実際の作者のチヨダ・コーキの話になってしまう。ファンから『コウちゃん』の愛称で呼ばれる、彼単体への話へと。

よく分かる。小説をただの小説として、物語を物語のまま語ることができる人って私は好きだよ。好感を覚えるし、ああ分かってるなって思う。

アニメをアニメとして、エ口ゲをエ口ゲだけで見る「物語の内在視点」のススメ。作者なんてものは存在しない

 

 

 

赤羽環は欺瞞を許さない

「『誰か他人のために頑張ってる』って言い方は絶対にこれから先もしないでね。狩野はそうじゃないよ。勝手に自分で酔ってるだけで、かわいい姪っ子の気持ちは、そこでは全部ないがしろだよ。きちんと生きてる他人とぶつかれ」

「ないがしろってほどにはしてないと思うけど。会えないことを、本当に不甲斐なく思うし」

「思うなら、帰ればいいよ」

環が狩野の一歩先を歩く、部屋を見せてくれるつもりらしい。古いドアは、強い日差しにからからに干からびて見えた。塗られていたと思しきペンキがところどころ剥げ、絶妙な味を出している。

黙って後をついていく。彼女の背中に向けて言った。

「情けなくて情けなくて、しんどくて仕方ない時だってあるよ」

「だからぁ、それを自己陶酔って言うんだって」

振り向かないまま、環が答えた。

「狩野の漫画を読むと、よくわかるよ。徹底的に闇や残酷さを排除するせいで、逆に真実味に欠ける。都合の悪いことは絶対に起きないし、いい意味でも悪い意味でも優しすぎる。いくら児童漫画だって、そこと折り合いをつけた方がいい場合もあるんだよ」

(中略)

「多分、狩野は今日私が話したことなんて、全部忘れるよ。唯一覚えてるのは、今の『狩野の漫画は優しすぎる』っていう、自分に都合のいい一言だけになる。その言葉なら余裕があって傷つかないし、何より耳障りがいい。優しすぎるっていう個性は、狩野が目指す理想の『狩野壮太像』にぴったりだもん。きっと今度は『僕は優しすぎるから』て、そこに陶酔しながら痛みに酔うんだ。

勘違いしないで。私が今言った『優しすぎる』は、『作者に優しすぎる』っていう意味だから」

――赤羽環、狩野

 もうね環の言葉はほんとうに辛い。きつい。自己欺瞞している身からすればこうストレートに嘘を嘘だといい、真実を突きつけてくるのはある種の暴力だよ。

自己欺瞞は剥がされるのが一番きついんだよねえ……。自分に都合のいい耳障りのいい誤魔化しの動機や嘘を与えたくなるのは、その真実に目を向けたないから。あまりにもキツイ真実をやさしい嘘で覆いたくなってしまうものだから。

環のこういうずばずば言うところは魅力ではあるのだけれど、言葉を吐かれる方としてはたまったものじゃない。ああでも言われなくなるものそれはそれで嫌だなと思う狩野の気持ちもよくわかる。相手がお世辞を言ってきたらもうオシマイだ。

 

 

 

エンヤの言葉、と赤羽環の思い出

「この人、本とか漫画とか、そういうフィクションの世界のために、現実の友達とこんな風に喧嘩するのかって思ったら、無性にいいなって思った。この人に自分の話が読んでもらえるんだとしたら悪くないなって。だから脚本を貸したの」

――赤羽環

 

「もう覚えてないかもしれないんだけど、エンヤ、いつかの放課後にクラスの男子と喧嘩してたんだよ。好きな本の話で」

「え、うっそ。誰と?」

「草野くんだったかな。とにかく大喧嘩で『読んでもないのに、適当なこと悪く言っちゃだめだよ』って、怒鳴ってた」

――赤羽環、エンヤ

 いいなって思った。私もいいなこいつって思った。

自分の大好きな物語の為に喧嘩したり、口論になっても必死になって啖呵を切る感じがとても良い。エンヤにとってその作品は現実と同じくらいの価値を持っているんだなって分かるから。そういうのいいと思う。

作品に作品以上の何かを見出している人は本当に最高なんだよ。娯楽に娯楽以上の価値を与えている人って正直、なかなかいない。もしかしたらそういう時期は誰にでもあったのかもしれないけれど、年齢を重ねるうちに皆どこかで忘れていってしまう。そういうのが無性に嫌だ。

 

 

共感できない連中が無理やり解釈する行為は

『チヨダさん、責任を感じますか』

十年前の、あのアパートのドアが開く。チヨダ・コーキが顔を出す。彼の姿が、強い光でそこに浮かび上がる。瞳には、ただ驚愕だけがぽっかりと浮かんでいた。彼はその日もずっと部屋でただひたすら小説を書いて、そのせいで、まだ何が起きたかを知らなかった。

思い出すと、胸が締めつけられるように痛んだ。お前らは何をするんだ、と悔しくて、涙が出そうになる。私の大事なものを、そこに価値を払わないお前らが分析するなよ。私はあの人が好きなんだ。理解を示さない、共感できない人達が無理やり彼を読んで、細切れにして解釈する。まるきり違う世界の文脈で、彼を語る。それは驚くほどアンフェな図式だ。

 すごい悔しくてすごく嫌だった。自分が大事にしているものを大事にしていない連中が土足で踏み込んできて訳知り顔で語る様が不愉快だ。奥歯を噛みしめて悔しさに耐える。ぎりぎりぎりぎりと。歯が欠けてしまう程の強さで悔しさを噛み締める。

私は大好きな物語を大好きじゃない奴に語られるのが嫌いだった。消えればいいとさえ思う。

 

 

いつか、みんな忘れゆく。でも私は!

チヨダ・コーキはいつか、抜ける。

それは、青春のある一部分にだけ響く物語で、皆、自分のその次代が終わるとそこから卒業する。現代の諸問題、今を切り取る作家と呼ばれても、彼のそれは、所詮は人と触れ合った経験のない、完全な一個人の頭の中の産物であり、それ以上でも以下でもない。経験を獲得し、小説や漫画より現実が楽しく、そちらに惹きつけられていく人間を、これでは到底、引きとめることなどできない。

コウちゃんの話が、そう言われているのを、環は知っている。環はそう思わないけれど、そう言う人達がいることを知っている。

(中略)

チヨダ・コーキはいつかは抜けるのだ。皆がそうやって忘れる。

それがどうした! きつく唇を噛みしめて、環は車窓の向こうに広がる昼間の町を睨みつけた。

だったら、忘れてしまえばいい。私は絶対に覚えているから。絶対に、忘れたりしないから。あの心に響いた感じに揺り動かされながら、ここまでやってきた。これから先もきっとやっていく。

赤羽環が言うように、そうだったら忘れてしまえばいい!思い出さなくていい、振り返らなくていい。

けれども私は絶対に忘れない!

物語によって救われたのあの感覚を、震えを、慟哭を、衝撃を、感動を絶対に忘れたりなんかしてやるもんか。生きている間ずっとずっとずっと覚えてやる。忘れた時がきっと死ぬときだ。きっと絶対そうだ。

環と同じように私もまたあの感覚を胸に抱いて今日までやってきたんだ。だったらこれからもまた同じようにやっていく。そういう確信がある。

 

 

 

 ガカとサッカ。そして物語の真実

鍵を回す。あっけない音を立てて、きちんとまだ、扉が開いた。

サッカをを迎えるため、ドアに駆け寄ってきたガカに、サッカは何も言えず、涙ぐんで俯いた。

二人は食事を始める。長寿の亀は机の上でゆったりと眠り、まだきちんと生きていた。机の下では、小さなベッドの中で未来ネズミが蹲っていた。サッカの顔を見ると、短い足をバタバタ動かしてすり寄ってきた。サッカは大声を上げて、泣き伏した。未来ネズミは生きていた。ガカが生かしたのだ。

サッカはこの時もまだガカの弱さを許すことはなく、ガカもそれを知っていた。けれどガカは、それを許していること。それも、丁寧に描かれている。

食事を終え、二人はテーブルの上に模造紙を広げる。理想論を吐き出し、夢を唱えるサッカの横で、図面に線を引くガカ。

淡々とした声で、ナレーションが入る。

『人間は、「優しさ」か「強さ」か、そのどちらかを持っていなければ生きていくことなどできず、たいていはそのどちらか片方だけに目が行きがちだが、けれど人は意外とその両方を持ち合わせているという話。特に、ガカは』

映画が終わり、スーはしばらくそこを立つことができなかった。

物語に「真実」が含まれているとき、どうしようもなく心が震える。物語に真実が含まれるとき、この世界で大きな力を持つ―――その言葉の意味が少しだけ理解できた気がした瞬間だった。


きっとスーは『ガカとサッカ』の映画を見なければ、あのまま五十嵐の元に戻り痛ましい思春期の恋愛を繰り返していたように思う。筆を取ることもなく、絵をもう書くことも無い状態になっていたかもしれない。

けれどもスーの作り手としての存在を引き止めたのは、間違いなく赤羽環が作った『ガカとサッカ』に他ならない。この映画にはスーを絵描きとして引きとめるだけの「なにか」があった。

それは環の本音が込められていた―――というわけではなくて、そこに「真実」が含まれていたからなんだと思う。

『人間は、「優しさ」か「強さ」か、そのどちらかを持っていなければ生きていくことなどできず、たいていはそのどちらか片方だけに目が行きがちだが、けれど人は意外とその両方を持ち合わせているという話。特に、ガカは』

 あるいは物語の力によってスーという画家を「強さと優しさを持ち合わせている」存在にまで引き上げてしまったんだろう。

物語はそういったRewriteする力がある。現実を書き換え今をオーバーライドする力があるんだよ。

物語は人生をぶっ壊し、修復し、オーバーライドする力がある。CLANNADは人生Fateは文学って言いたくなるのもこの体験があるからこそだ

 

 

 

 ここからは好きなシーンと、言葉を列挙していく

 

「かっこ悪いことも承知の上で、だけどエンヤは潰れそうだったんだよ。ずっとそうやって耐えるのは、しんどかったと思う」

「それでも黙ってるべきだった。勝算もないのに口にするなんてどうしようもない。あの子はもうこれ以上かっこ悪いができなくなった。望む位置を手に入れない限り、不甲斐なくてもうここには戻れない」

「君があまりにエンヤを信じていないことに、僕は今驚いているんだけど」

「信じてる、信じてないの問題じゃないの。あの子はどうして、架空のゴール地点なんて作るの。なんでそれに私を選ぶの。私は友達でいたかった

環が歯噛みする。悔しくて仕方がないのだろう。全身から怒りがだだ漏れしている。

 ――狩野、赤羽環

 

 

「不幸に依存する人間は、誰かにその状態を見せるところまで含めてが、一つの儀式なのよ」

――赤羽環

 

 

世界と繋がりたいなら、自分の力でそれを実現させなさい

告げる途中で、それまで表情のなかった自分の声に力がこもった。喉が震え出す。ああ、本当にその通りだ。いいながら気づく。私は、彼女が許せない。

「すでに起きた事件に関わろうと、自分が主役になるための嘘を容易くでっち上げる。自分は特別なのだという周囲との差異化、その記号を獲得するために、世界に縋りたい、無視しないで欲しいというその気持ちは理解できるわ。だけど、だったらそれは、自分の力で手に入れなければならない」

洒落にならない悲劇にまで、自分のくだらない欲望を持ち込む嘘の回路。それは何も、莉々亜だけに特別な衝動ではないのだろう。

嘘により自己実現チキンレース。どこまでもいける、と崖か身を乗り出す。飛び上がり、行きすぎて、そして墜落する。莉々亜も、そして、環の母も。

世の中にはそういう人たちがいる。

「あなたにとっては、些細なことに映るでしょう。くだらないと、そう思うかもしれない。だけど、私の友達はみんな必死だわ。自分にとって何が武器になるのか。それを考えて、小説を書いて、漫画を描いて、必死に世界に関わろうとしてる。これが自分の武器なのだと考え抜き、これで訴えかけることができないんだったら、本当に自分の人生はどうしたらいいんだって、一生懸命なのよ。世界に自分の名前を残したい、それを一度夢見てしまった以上は、と今日も机に齧りついている」

――赤羽環

 

 

「僕の『マディ』も、環の名前に由来しているんですよ」

「私に?」

「はい」

(中略)

「マディは、左手に指輪を嵌めて、それに祈りを捧げて戦いますよね。格闘ゲームでも『参りますっ!』って指輪を掲げて威勢良く」

「ああ」

「環の名前は、つまりはリングですよね。環みたいに強い女の子になって欲しいって、そう思いながら書いてるんです」

「残念ながら騙されないわよ、コウちゃん」

吐息とともに含み笑う。

「あの連載、私が高校生の頃からやってるじゃない。それってつまり、私たちが知り合う前でしょ?」

「あ」

公輝が短く声を上げ、それから「うーん」と首を捻る。「後づけ?」環が尋ねると、あっさり認めた。

「後づけですけど、環と知り合ってからはそう思って書いてるんです。駄目ですか」

「駄目じゃないよ」

環は笑いながら首を振る。

――チヨダコーキ、赤羽環

 こういうのいいなあって思う。

 

 

「父さんは中にいる?」

こんなことの何が仕事か。

それに、今度こそ胸を張ってきちんと答えようと決めていた。失われ、止まっているとばかり思っていた時間。けれどそれを自分の力で動かした子がいる。だから、僕も見習わなくてはならない。何しろ自分は、十代のあの子の神様だったのだから。

 

 

断言してもいい。人間は触れてきた作品通りの人間になる。

 

 

最後に。

スロウハイツに出てくる「芸術で世界に関わろう」とするみんなが本当に好きです。私はみんなが大好きだよ! 

チヨダコーキも赤羽環もスーも正義も狩野もエンヤもみんなみんな!(りりあは知らない!)

 

 

 

 

 

 

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 少しづつ読んでいこう。