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猫箱ただひとつ

物語追求blog。アニメ、マンガ、ギャルゲーを取り扱ってるよ

「木洩れ陽のノスタルジーカ」_心を持った機械の物語(23138文字)

ゲームレビュー ゲームレビュー-木洩れ陽のノスタルジーカ
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――それは、機械仕掛けの少女が叶える、

小さな夢と約束の物語

 

  プレイ時間   38時間
  面白くなってくる時間  んーとどうだろうなー
  退屈しましたか?   していない
  おかずにどうか?   使える
  お気に入りキャラ   フロゥ

公式HP│ HPは一応存在しているみたいだけれど?アクセスできない

 

木洩れ陽のノスタルジーカ」のポイント

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メトセラと呼ばれる自我を獲得した機械と人間が共存している世界

・あとなんだろな……


木洩れ陽のノスタルジーカ』って大きな起伏があってあっと驚くような物語じゃないです。どこか淡々として、でも懐かしくて、少し温くて、夜空に眠る星々のような綺麗さを持っている作品。

あるいは"木洩れ陽"のような陽光のきらきらした感じの作品といってもいいですね。雰囲気ゲーに近いところがあるので、まずは体験版をプレイして好きなキャラがいるか、雰囲気が合いそうかをチェックして購入するといいと思います。

おすすめしたい人はんーんー……。どうも私は『木洩れ陽のノスタルジーカ』を誰かに向かって「おすすめだよ!」とか「やってみるといいよ」と言って薦められないです。

人によっては面白いと思いますし気に入るタイプだとは思うんですけれど、個人的には「気が向いたらやってよ」みたいな作品です。

これが『true tears』だったら「いいかもう凄いんだって見てよみてみて!」となりますし、「新編まどか☆マギカ」だったら「ああもう鬱だったのでとにかく見て!」ってなるんだけど、本作品は「まあ時間あったらどうぞ」ってどうも煮え切らない感じになってしまう。

 

(この記事の感想文量が多いことからも分かると思うんですが別に嫌いじゃあないんですよ? 嫌いだったら2000字くらいで終わりますから)

それではここからはネタバレを伴った、感想を書いてきます。がしがし。

 

 

 

 

 

 

 

 

ボク達は何処にいるの?

「それで、キミはどこからそれを動かしているの?」

「え、脳から電気信号が出て、指の神経に伝達してる……って? すごい!物知りだね」

「じゃあ、その脳を操っている"キミ"は、一体何処にいるの?」

「そう、キミに聞いているんだよ! そのキミの脳みそを操っている……"キミ"は何処にいるんだい?」

(中略)

「ボク達が"心"えあることは解ってる。でも、それは何処にあるのか……?」

「これはまだ、それが何処にあるのか解っていない……そんな」

「そんな"ボク"たちの物語だ」 

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"私たち"はどこにいるの? 人格といったものはどこにあるの? 脳科学的に見ればそんな「器官」はどこにも存在しないに関わらず私たちは"そういうもの"を認識できている。けれどそれがどう発生しているのか分からない。

1つの答えとして「創発」という考え方で考えられる。脳の様々な機能・器官が有機的に連結し個別の機能からは予想できなかったシステムが構成されることがある。きっとそれが"心"であるはずなんだ。

うぅん、心だと思っていたものは、実は塩水の中を飛び交っているただの電気信号だったのです! きゃー!

――朗

 そんな電気信号の複雑な動作がより上位の段階にある「人格」にまで発展させてしまうんだとしたらなんかロマンチックだよね。(あれそうでもない?)

そして違う答えを提示するんだとすれば、私たちの"心"と呼ばれるものはきっと―――物語で錬成されているんじゃないかな? そう物語。映画。しねま。6000を超える映画がしねまの心というアルゴリズムを発達させているのに大きく役立っている、んだとすれば、物語という単位こそが世界を理解するための一粒であり、他者の心を読解するための鍵なんじゃないかな。

 

 

フロゥかわいい

カヤ「……あたしなんて自分が電気信号で出来た電気回路だなんて云われたら、もうそれだけで泣きそうだわよ」

フロゥ「私は比喩ではなく電気信号と電気回路の塊なのだが……それはメトセラに対して何か批判的な要素があるのか?カヤ」

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あれ私バカにされている?されてるの?ん? みたいな態度のフロゥがすごい可愛い。

おそらく少し前の私だったらカヤのように「自分が電気信号って嫌すぎる」と思っていたに違いないけれど、最近は「電気信号だというのなら電気信号だと受け入れましょうか」みたいな心持ちになっている。

たぶん人間ちゃんは「人格」や「精神」というもの神格化しすぎなのかもしれないねーって思っている。これらはもっと別の、もっと崇高で、もっと高潔ななにかに違いないけれどもそれがなんなのかは分からない。でもきっと人智を超えたものに違いないみたいな意識がある。それを「ばーか!電気信号なんだよたこ!」とアッパーを喰らえば「ナメんな!マキナなめんな!」と言い返したくなるよね。いやなりませんかはい。

 

「……人間はすぐに、五感以外の部分でその単語を使用とする習性があるな」

――フロゥ

 フロゥ曰く、「私たちの判断部分は中央演算部だし、人間もまた脳と脊髄がそれに当たるだろう?」と言う。つまりメトセラと同じで物事を判断するのは電気信号であっても構わないじゃないかという事なんだと思う。

けれどもそういった部分で人はあまり語りたがらないよねとも。心とか人格とか精神とかそういう「物質的にはない」もので語りたがる癖がある。

存在しない物、存在するかどうか分からないものを「あ」ると断定して、嗜好の迷宮に迷い込みやすい奴らだよなという指摘にも聞こえる。ほら「死の世界ってありますか?」とか「涅槃って存在するんですかね?」とかああいう質問もまた同じで、そんな答えられるわけがないものに「答えを求める」から私たちは不幸になるんだよみたいな(すごい脱線)

 

 

私といると詰まらないか?

それきり、二人は黙ってしまう。元々、六人の中では寡黙な二人だ……いや、フロゥは話し始めると止まらないというところもあるのだが。

「……やはり、私といると詰まらないか?」

「ん?ううん、そんなこともないけどね……ただ、改めて話すこともないかなって感じかしら」

「そうか。それなら良い……私と一緒にいると、何を話せば良いのか分からなくなる、と云われることがあるから」

――フロゥ、一姫

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こういうことをさらりと言えちゃうフロゥ、なんか好きだなあ。もちろん一姫と気兼ねない仲だからこそ、そう言ってのけてしまう部分もあるとは思うけれども。

でもさ、こういう素直な人はやっぱり良いと思うんだよね。素直に振る舞うことは出来るけれど素直になることは難しいものだから。

 

 

 

異分子・メトセラ

 

「人間と同じ姿をしている化け物だから……とは、一ノ瀬の言だが。云っていることは、私にも理解出来る」

「人の姿をした異分子……か」

「そうだな」

「それが私にも理解出来るから、一姫も、翔太たちも……私は好きだ。それでも私のことを人間と同じように扱ってくれるから」

――フロゥ、一姫

 人間とは違うけれども、ぱっと見の見た目は人間と同じ。そして人間と同じように扱われるようになっているメトセラというAndroid

自分は人間のようだけれども根本的な部分ではまったく違うと意識し、感じ、それを納得するフロゥはどんな気持ちなのかなって思わずにはいられない。この状況を人間側に当てはめるなら彼らは容易く劣等感を覚え、自己肯定感を欠落させていくものだといってもいい。それくらいきつい状況だよね。

自分を欠陥製品だと嘯いてしまうように。異物で異形であると納得し、心が壊れてしまっている彼のように。

けれどフロゥにはそういった"暗さ"が微塵も感じられない。嫌な思いはしているのかもしれないけれど、そこにそれ以上の負を引きずってはいない。それはメトセラだから出来る芸当なのかもしれないけれど、ね。

 

 

 

メトセラ・誕生

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24世紀ついにメトセラが生まれた。そのいきさつはある日、突然、ヒューマノイドに感情が生まれたことが発端だったらしい。これはさっきの「創発」という概念を照らしあわせて考えるとすごい納得できる。

つまり円熟したヒューマノイドは人間の脳と同じくらいに、様々な部品・機能・それを動かすためのアルゴリズムといった百や千では効かないくらいの動作によって「本来なかった機能」が生まれてしまったわけだ。そしてその本来なかった「感情」という機能はどこかの部品が司っているわけじゃない。全体としての総和としてそれは現れた。

これは違う味方をするなら、人間が人間を造ったと言えなくもないかもしれない。メトセラを人間と見れるならば、だけど。

こういう人間っぽいけど根本的に人間じゃない存在が現れると、みんな考えだす。「じゃあ人間ってなんだ?」と。

そう人間ってなんだ? 何があれば人間で、そうじゃないものと区別できるんだ。私の答えは決まっている。「狂気的な感情を有せるか」どうかが人間であるかどうかなんじゃないかな。

相手を懸想しながらも憎悪を持ったり、何が大事なのか解っていながらも最適解を出すのを拒み愚行を撮り続けたり、そういう矛盾で、狂気的な、感情を持てるかどうかが人間かそれ以外の動物かといってもいい。恋とか愛とかまさにそう。

そしてもう一つは「観念」と「実体」を同時に見れるか、が人間とそれいがいの動物の違いだろう。ありもしない神と悪魔を信仰したり、邪王真眼を本気で信じて目にカラコンをつけたり、そういう「観念」を見れてかつ物質的な実体をも見れる。これは人間にしか出来ないと思うわけだよ。その内側に抱えた幻想こそが、人が人たらしめるものと私は信じている。

そしてじゃあこの2つを踏まえてメトセラを見ると、たぶんまだ人間ではないと私は答える。

けれどおそらく遠くない未来にこの2つを獲得できるとも思う。だから「、まだ」人間ではない、そしていつか人間になるよ。きっと。

 

 

 

 メトセラを人間の上位種族として見れるかどうか

 他のクラスでは、先生がメトセラの生徒にやり込められたりといった場面も時々見受けられたりするらしいが、フロゥに関して云うならば、そういう話は聞いたことがない。

フロゥに云わせると、それは「分化過程の差異だろう」ということになるんだが、そういう意味では、メトセラってのは良くわからん存在ではある。

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まず思ったのが、人は「人以外」の種族と仲良くできるのかな?ということ。それも同じクラスで勉強をし、食事をし話すことを。

メトセラの存在が生まれた頃かありそれを受け入れる社会形成しか見てこなかった翔太達みたいな世代はそういうのをあんまり考えないとは思う。けれども、最初の最初にメトセラと邂逅した人間は、彼女らを差別しなかったのかな?と。(戦争が終わりメトセラの人格が保証された後の世界を想定)

いくら人間と同じ外見だからといって、彼彼女らを心よく受け入れたのかな。そういうこと出来る人もいるし、出来ない人もいるのは想像に難しくない。ただ受け入れることが出来なかった人のほうが多いんじゃないのかなと少しだけ思った。

いきなり現れた宇宙人と仲良くできるかって言われたら難しい。そんな感じに。

―――

ここはどうでもよかったんだ。えらく脱線してしまった。ちょっと考えたいのは「メトセラは人類の亜流進化」として見ている人もいるかもなーっていうこと。

メトセラは人間が生み出したものだし、それも人間の基礎スペックを遥かに上回る能力を有している。身体能力から記憶領域この2つはもう圧倒的だろう。その代わりというと変だけれど、「創造的な能力」と「難解な物事に対する判断能力」という点ではまだ劣っている。

けど、これもそのうち(メトセラ個体が100年200年と経験を積み、アルゴリズムが柔軟になったり、メトセラ全員がリンクしているシステムでそのアルゴリズムが共有できたりするようになれば)、人間と同格の柔軟な判断能力を有せそうな気もする。そう遠くない未来に。

そうなると、メトセラっていう存在は、人間の進化と見てもいいのかなと思った。亜流だけれどね、正当ではない。けれど人間が人間だというさっきの2つの基準を満たすことが出来るのなら、もうそれはそれで人間でいいと思うんだよね。人間より優れたならば尚の事。

けれどそういうのは生理的に嫌悪を感じる人もいそうだな……。

 

 

 

フロゥの時間間隔

私は時間を蓄積する感覚に乏しいから、昔、という概念を上手く機能しないが

――フロゥ

 へーって思った。

となるとフロゥの「時間」という感覚は線上ではなく、全部"今"的感覚なんだろうね。それは鹿野上悠馬的記憶連結と言ってもいいかもしれない。私たちが思っている「過去」は「今」とそう変わらないみたいな。

フロゥが感じている世界っていうのは「今」だけを強く感じている世界なのかもしれない。昔をうまく認識できないというのはそういうこと。

 

 

 

 人間をエミュレートするフロゥ

 「しかし、フロゥと付き合ってると人間との考え方の、細かいところとかが気になるようになるよな」

「私たちは人間を限りなくエミュレートした存在だからな。人間が無意識に手続き<プロシージャ>として持っている部分を求めようとするのは仕方のないところだろうか」

――翔太、フロゥ

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人間は複雑で煩雑なことを意識することなく、無意識にやってのけてしまう。転びそうになったときに反射で手を出し顔が顔面に当たるのを防いだり、風景を見て「美しい」と思ったり……、そういうのを「再現」するためにはどういう手順で、過程で、構造でそれが行われているのか理解しなくてはいけないんだろう。 

「私たちはそこまでしなければ、そもそも人間を真似ることが出来ない……というだけのことだと思う。何も難しいことを考えずに、それを自然にやっているのが人間という生物の凄いところなんだ」

――フロゥ

 ある何かを、自分の中で「再現」し「模倣」するってところに、ビビってくる。ここきっと大事なことが詰まっている。

 

 

人間の連想記憶の早さとメトセラの検索処理能力

「……みな連想記憶で思い出すのが速いな。検索するのに少し時間が掛かってしまった。なるほど、確かにシチュエーションがよく似ているイベントではあったな」

――フロゥ

こういう思い出を想起できるのって機械のほうが早いんだろうなっていう思い込みがあったんだけど、そうとも言えないんだろうね。

例えばこんな感じだろうか。

頭の中では「こういう料理のレシピあったんだよなー」と思いつくものの、そのイメージは曖昧でレシピ内容という詳細な所までは分からない。そこでネットあるいはEvernote、ブログで「キーワード検索」をして膨大な情報から少しづつ絞り込んでいき、最後にはその詳しいレシピが載っている記事をようやく発見するような―――そんな感じなのかな? フロゥの過去思い出し処理の過程みたいなのは。

人間の連想記憶はそういう検索方法よりは圧倒的に早いけれど、しかし過去にあった「全てを覚えている」わけじゃない。しかしメトセラは過去に経験した全てを思い出せる……しかし検索には少し時間がかかると。こんなところが両者の差異か。ふむふむ。

 

 

 

メトセラの子どもの頃

「今考えてみると、フロゥが黙って貝探しに付き合っていたのは変よね……ここで獲れない貝だってことには気づかなかったの?」

「まだ考慮範囲<フレーム>と識別能力が上手く組み合わなくて、そもそも絵の髪飾りがアコヤ貝を想定したものであるということに辿り着けなかったのではないだろうか」

「人間の子どもとは違うだろうが、メトセラの幼少期も、性格形成だけではなく、能力を使いこなせるようになる為の学習期間を兼ねているのだと思う」

――一姫、フロゥ

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まず整理しよう。

1、メトセラは法によって"人数"を制限されている。(確か)
2、メトセラは円熟した技術の末ヒューマノイドに知性や感情が偶発的に宿った存在。
3、メトセラにも子どもの頃があり、それは能力を使いこなす為の学習期間でもある。

この3つを考えると、今現在メトセラを"生み出そう"としたら「偶発的」にメトセラを生み出しているんじゃなくて、最初から最初からメトセラを生み出せることができているんじゃないのかなって気がしている。

昔はヒューマノイドの「偶発的」な結果としてメトセラという存在が生まれた訳だけれども、今じゃ人間の手によって?メトセラの手によって? 「最初からのメトセラ」を造れるんじゃないだろうか。

そしてその「最初からのメトセラ」を子どもの体として人間社会に送り込み、人間たちとの触れ合いによる刺激によって、集団としての倫理や自分の能力を使いこなせる為の学習していると。

ここで疑問が湧いてくる。

初期のメトセラヒューマノイドの偶発的な結果として生まれたものになのに、何故今では最初から「メトセラ」という存在を造れるのか?

おそらくこの答えは、メトセラという個体が全員がリンクしているネットワークシステム(名前なんだっけな)が鍵なんじゃないのかなって思う。あれはおそらくメトセラ一人一人の経験や知識を共有できるものだと思うので、円熟した技術を使って出来上がったヒューマノイドをそのネットワークシステムに繋げると、今まで積層してきたメトセラとしての機能を入手できるんじゃないだろうか。ゆえに「最初からメトセラ」という状態が出来上がると。

どうだろう?

 

 

幻想に包まれて

高松さんはヒューマノイドのを毛嫌いしている。それはただ生理的に嫌悪しているだけなのかと思っていたら、彼は二年戦争でヒューマノイドに辛酸を舐めさせられた被害者だと分かる。被害者でもあり加害者。その戦争で受けた首への裂傷がのちに彼の人生や仕事に大きな打撃をもたらしてくるとなると……憎まずにいられないという「気持ち」だけを私は理解できた。そう気持ちだけ。

こういう闘争の禍根は本当に埋められないものなんだろう。私はこういう経験をしたことがないから想像しかできないし、それを実感できない。皮膚感覚としてもさっぱりだし想像の中でさえもあやふやだった。けれどきっと、それは、本当に埋めがたい憎悪で溝が錬成されているんだろう。

与えられたヒューマノイドに辛く当たり、そのヒューマノイドが壊れて"死ん"だとしても気にも留めない。今の世代じゃ考えられなくらいに冷血な態度も少しだけ納得できた。そうせずにはいられない理由を持っていることを。

そしてそんな粗雑に煩雑に煙たく当たったヒューマノイドから、こんなメッセージを送られるというのは一体どんな気持ちなんだろう。

 「せめて最後にお手伝いをさせて頂きたく、メールを残させて頂きます。私が保管していたデータですが、ナンバー017を参照して下さい。高松さんが作業しやすいよう、まとめてあります」

「本当は最後まで、あなたをお手伝いしたかったのですが、至らぬ私をお許し下さい」

「どうかお身体にお気をつけて下さい。私は、あなたと一緒に仕事が出来て、とても幸せでした」

それは『彼女』の遺言―――回路が焼き付く寸前に、高松宛てに遺した、最後のメールだった。

私はいいなあって思った。

例え彼女が「機械的」にマスターに好意を宿し、「自動的」にこういう気遣いを出来るんだとしてもその隙間に幻想を見たくなってしまう。もしかしたら、このメッセージは、彼女の"心"がこもったものだったんじゃないだろうか? 本当に高松さんを心配して綴ったものだったんじゃないだろうか?と。

そんな幻想に包まれるとなんかもうね、どうしようもなく涙が出てきた。憎悪によって出来た溝を、もしかしたらこういう心のこもった触れ合いによって解消できてしまうんじゃないのかなって。高松さんのヒューマノイドに対する嫌悪を切り取ってあげることができるかもなって。

もちろんそんな簡単なことじゃないくらい、理屈としては分かる。人生を滅茶苦茶にされた怨嗟は綺麗には消えない。けれどもやっぱり私はそういう夢が見たい。

 

それと「可視光線」はほんと良い曲。ノスタルジーカで一番好きな歌だよ。 

 

メトセラは元々が人間の被造物ですから、そこからの関係を憎しみで立脚されてしまっては、絶対に赦されることが出来なくなってしまう……ですから私たちは、人を護りながら戦うという矛盾を孕まざるを得なかったのです」

――セレス

セレス様がいうように、2年戦争は高松さんのような「メトセラヒューマノイドフォビア」を生み出してしまったんだと思う。けれどもそれを多くの人間にまで波及してしまったら、もう和解や共生の道は閉ざされてしまう。でも戦わなくちゃ自分達が殺されてしまう……という状況の中ではやむにやまれずだったんだなって。

というかこの人頭良いよなあ……と。自分達が人間達に勝利し、権利を認めてもらうことそれ以上に「先」を見据えているから。

 

 

 

後世が歴史を見て「あのときああすればよかった」というのは一見正しいよね。でも

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「戦争という状況は、生死という否応のない選択肢を使用しながら、過剰苛烈な価値観を拡げていくものです……その時に正しい判断や、理性的な判断を求めたり、貫いたりするというのは、とてもむずかしいものなのだろうと、私たちは推測しています」

「その通りです。ですから、危機的状況が去った後で、あの時こうしたのは間違いだった……と指弾するのは簡単なのですが、問題なのは『そうしなければ生き延びることが出来ない状況』にあるのです」

――セレス

 後世の人がある歴史的事実を「それは間違いだったんだ」というのは、その時代に生きていた人達をすごい侮辱しているように感じるようになったのはいつだったか。

後世は既に「結果」を知っている。A選択をすればXという結果が生まれることを知っているからそんなことが言えるのだ。けれどもその時代を生きている人は違う。A選択をすればXになるなんて分からない。予測はできたとしても予知はできない。彼らは何の導きもなく選択をしている。それを結果を知っている人間が――それは観劇することを楽しんでいる神のように――「それは違うそうじゃない」と言うことがどれほど傲慢なことなのかと。そして気づいていないだけで私も同じことをうんとやっていると思う。

そうきっと後の人間が、当時の人間の生き様を語ってはいけないんだろう。

正しさは正しくない。

間違いは間違いだとしても、当時を生きていた人間がいつも美しい……か。

 

 

 

 

木洩れ陽のノスタルジーカ

 

「でも、きれい、です……これがとてもきれいなものだというのは、しねまにも解りますです」

――しねま

 

「とても大昔のヒューマノイドだなんて思えないよ……例えプログラムであったとしても『綺麗』なんていう曖昧な感受性を論理<ロジック>で形成できるなんて……あはは、ちょっと感動しちゃったかも」

――フロゥ

 

「きれい、か……言葉にするのは簡単だけれど、なぜかしら、しねまはきちんと理解していると思えてしまうのは」

――一姫

 

「しねま様を見ていて思ったことなのだが……木洩れ陽というのは複合的な条件で発生する条件だ。それを切り分けるのは私たちメトセラにも難しい部分が存在する」

「フロゥたちにも?でも、しねまは……」

「更に云うなら、それを『綺麗』などと感覚的な認識をすることは、自室性のないしねま様には、より難しいことだ」

――フロゥ、カヤ

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「木洩れ陽」という現象が複合的なのは、陽の光、陽の光を受けた木の葉のグラデーション、木の葉の重なりあい、そこから生まれる日差しを「判断」するのが難しいということなのかな、多分。

おそらくフロゥが云う「難しい」というのは、人間みたいに木洩れ陽を「木洩れ陽」だと認識することが難しいという意味なんだと思う。

木洩れ陽という現象を機械的に判断すると、先の5つ以上の現象を「そのまま」切り取って判断してしまうだけなんだろう、陽の光がある、木の葉がある、木の葉が重なっているそれだけ。それを複合的に組み合わった「木洩れ陽」とまでは認識できないんじゃないのかな。

そしてしねまは「木洩れ陽」と判断しながらもそれを『綺麗』と言ってのけてしまうアルゴリズムはどんだけ凄いんだよぴゃーっ!ってことなんだろう。ぴゃーっ!


しかし朗が感嘆したように「綺麗」と思える感情って、一体どういうものなのかなって思わずにはいられない。私たちは対象物を見て、ある方向に心が動いたときに「綺麗」って言うんだと思うんだけど、じゃあ綺麗ってなんだ?と問われると答えに詰まる。

それくらいとても感覚的で感情的なことなんだよね綺麗と思えることって。けれどもそれをヒューマノイドにプログラミングするということは「綺麗とはなにか?」を論理的に説明できていないと無理だと思うんだ。

つまり店長さん、あるいはあの黒マントの人は「綺麗」を言語化できたということ? だとしたらそいつは凄いな。

綺麗……綺麗ね。綺麗。

これもまた創発案件な気がするんだよね。喜怒哀楽という基礎的な感情とそれを応用化した様々な感情の創発的段階によって「綺麗」とか「美しい」とおもえる感情が生じるんじゃないか? だとしたらそれはロジックを積み上げるなんて到底不可能だし……ああでもそれが出来るから天才なのか。

 

 

 

人の思考背景を考えてみる

「うん?あはは、どうかなあ……でもねあーちゃん、誰かの仕事を調べる時は、その人の気持ちになることってすごく大事なんじゃないかな」

――篝理

店長さんの気持ちになって考えないと、しねまに施された暗号は解けないよと篝理さんは言う。いやそこまでは言ってないかもしれないけど、でもそういうことだよね。

誰かが成したことを、その人の気持ちになって考えてみないと真実*1は見えてこないんじゃないかな。

これもチェス盤思考と一緒だよね。相手の側になって、相手の立場になってみて考えるという点で。

フロゥ「しかし博士は『製作者の心情』という部分から、まず情報を集めようとした――私には思いも寄らない部分だ」

翔太「それは、篝理さんが人間だからじゃないか? 造った人間の側にヒントがあると思うのは、人間だったらそう思う部分だろう」

フロゥ「そうかも知れない。けれど博士は、まずデータそのものに当たらなかった……近道がそこにないと踏んだからだ」

――そうか。ヒントのない総当りでも、いつかは解答が引けるかも知れない。だけど、篝理さんはそれが非効率だと考えたんだな。

 メトセラはその圧倒的な超超演算能力で「総当り」を現実的レベルで可能でこなしてしまうゆえに選択的判断を疎かにしてしまうのかなと思った。

いやけれど今や将棋のフリーソフトでさえ、早々に不要な選択肢を刈り取り、深く読める選択を選ぶのだからメトセラにだって全幅探索などは出来るんだと思う。ただやっぱり将棋というゲームなんかと違い現実はノイズが多すぎてその難易度がめちゃくちゃ上がってるんだろう。

すべての選択肢について深く探索しようとすると、ものすごい時間がかかるため、「一定の条件を満たす枝(選択肢)しか深堀りしない!」と最初に決めてしまうのが、選択的探索です。

ボナンザ以前の将棋ソフトはこれをやっていましたが、条件設定がイマイチだったため、深堀りしないと決めた選択肢の中に最善手があることも多く、成果が上がっていませんでした。

――4段階の思考スキルレベル - Chikirinの日記

 この上の記事で言われている<レベル4稀代の名経営者や将棋のトッププレーヤー&洗練された高度な選択的探索>が篝理さんがやってのけたことなんだよねえとしみじみ。

それは才能という凡人より超越した能力値もそうだけれど、経験と知識によって生まれる「勘」を組み合わせた現象なんだろうね。「ここになんかありそう」という勘がずばずばと当たるプレイヤー。

 

 

 

宗教が無くなった世界で―――

翔太「……なんて云うか、今だと考えられない話だな。神さまの為に走るとか」

しねま「しねまから説明するのは難しいのですが……今この世界が手に入れた安定の為に、人間の世界はたくさんの争いを経て、また多くの犠牲を払ってきたものなのだそうです」

しねま「そんな世界では、宗教は今よりも大切なものだったのだと思います」

カヤ「そっか……なんて云うか、不思議な話だね」

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この世界には宗教ないのか!ないんだ!

それは2年戦争で引き起こされたインフォクラック(情報谷間)のせいだろうか。今から過去のデータ、歴史というものが全て失われてしまったからこそ「宗教」は無くなってしまったんだろうか。

その原因もあるかもしれないけど、大本ではない気がする。神を信じるのは「知識」ゆえに引き起こされることなんだろうか?……違う気がする。運命という出来事に出会った時、人はそこに有りもしない幻想を夢見てしまうものだからそこに「神」というラベルを付ける人が今の翔太達がいる世界でいたとしてもおかしくないと思う。

けれども、事実として宗教は存在していない。神さまという存在自体が「不思議だね、そんなことを信じている人いたんだ」と言ってしまう人がいるのならば本当に信仰している人なんていないのだろう。あるいはごく少数か。

……あるいは……宗教が必要ない世界……なのかもしれない。

翔太達が暮らすこの世界では、もう神に頼るほどの不幸を背負う状況が圧倒的にないのかもしれない。それならば納得できる気がする。

インフォクラックによって歴史が消滅し、「今」だけになった世界。過去から未来を予測することは技術的特異点(メトセラ)という事実を考慮しなくても難しいのだ。

そしておそらくメトセラの存在は経済活動が活発になる要素たりえたり、あるいはそんな彼女らを生み出す円熟した科学技術により様々な理不尽はすくい上げられているのかも。

それが重なったことで、宗教が消滅した?……やっぱり納得はしてもいいけれど、完全には難しいかな……。

 

 

 

しねまから映画データを読み出せないということはつまり?!

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「ですが、そのデータならわたしが呼び出すことが出来ますよね?どうして朗さんには読めないのですか?」

「うん。データそのものが暗号で護られてるだけじゃなくて、そのデータはしねまが読み出す為のモジュールも、同じ形で暗号化されてるんだよね……侵略行為<タンパー>をすごく警戒してるみたい

――しねま、朗

▼侵略行為[Tamper]

いかに暗号を複雑化しても、その複合過程を物理的に読み取られては意味がない。タンパーとは、例えば計算中のコンピュータが発する電磁ノイズを読み取って計算過程を解明するなどと云った物理的なハッキング行為を指す。防護策としては物理的に容器を密閉する、回路に外部からのアクセスが行われた際にその回路が持つデータを消す、などである。

 なんで店長さんはここまでして、しねまに内包している映画データを「しねま以外」の誰かが読み出すのを警戒したんだろうか。

一つ目の暗号を解除した時に、朗達はこんなことを言っていたと思う。しねまのことをよく知り好意を持っていないとこの暗号は解除できないと。しねまと友好的に喋ることが出来なければひとつめの暗号解除の鍵を握る「映画」「歌」というキーワードを引っ張り出せないからだ。

もしこの朗達の推測が正しい(しねまのことを好きな人間が1つ目の暗号を解除できる)のならば、そしてこのことを店長さんの思惑通りならば

なぜ「映画データを呼び出す」、ただそれだけのことに対してさらなる暗号を施すことんだろうか。

その答えは

―――「映画」というコンテンツが、しねまの根幹を成す部分だったからなんじゃないか。そう私は思ったよ。

もし悪意ある第三者がしねまに内蔵されている映画を改ざんしたり、あるいは消去したらしねまは、きっとしねまはではなくなってしまう。だからこそ店長さんはそれを嫌い、ここまでの暗号化を施したんじゃないかと考えられる。

こんな言葉がある「物語は理解の単位だ」というものが。知識でも教養でもなく「物語」がこの世界を判断する為の単位だと、必要だとそういう言葉がある。

しねまに蓄積している6000以上の物語が、しねまの"心"を形作っているんじゃないか。そういえばしねまは翔太や一姫、カヤ達の悩みに対し1つの映画のある出来事を捧げていた。

「この映画のですね、ここが、翔太さんに役立つと思います」みたいなことを言って。

そしてそれはしねまが映画によって、この世界を理解する手助けとしている事実にもなっていると思う。恋や愛、綺麗だとか美しいだとか、そういう複雑な出来事を解釈できるようになっているのもきっと「映画」のおかげなんじゃないかなって。 

カヤ「ほら、あたとしてはやっぱり告っちゃった手前、一応は期待してるわけだし?」

しねま「一応なんですか?」

カヤ「ちょっとむずかしい話かもしれないけど、翔太との距離感が離れるのはイヤなんだよ。そうなっちゃうくらいなら……って考えたりもするわけで」

しねま「恋する乙女心というものですね」

(カヤ√)

 機械でヒューマノイドであるしねまは、人間の感覚的な「距離」について、正確な答えを出しちゃったり。

 

「……翔太さん、今の翔太さんに観て頂きたい映画があるんです」

「映画?」

「はい。わたしが翔太さんのお悩みに答えることは出来ません」

「けれども、同じテーマを描いた映画があります。そのお悩みの答えや、考えていることの手助けになればと、しねまは思います」

――しねま、翔太(フロゥ√)

 あるいは自分で答えが出ない問題でも、それと類似する映画を提示して手助けを促したり。

 

「はい。ですがしねまには、少し難しい映画なので……機械であるわたしには理解しづらい機知<ウィット>を多用する登場人物が多いので、ロジックで筋を追いにくいのです」

――しねま(一姫√)

このあと翔太が見た「ラブ・ストーリー」映画。そこに出てくる女の子って、実は一姫さんとそっくりですよね!と言っちゃうしねま。

 

そんなしねまの在り方を見ていると「映画によって心を形成している」説は自分の中で確固なものとなってきているなあって思ったよん。

訓練でしごかれて家に戻り、ぐったりとソファに沈み込んだ俺を、しねまがキラキラした顔で覗き込んできた。

「すごいです。翔太さんたちは、まるで映画の主人公<ヒーロー>さんのようですね!」

いや、そんな期待に満ちた眼で見詰められてもなあ……そうか、しねまの感動基準というか、そういった情動行動は『映画』というものを軸に設計されているのかも知れないな。

――しねま、翔太

 

 

 

 

 

しねまの心を形づくるもの

「お店にいらっしゃって下さった、たくさんのお客様、常連さん……皆さんがしねまを、今のしねまにして下さったんです」

「みのりちゃんにゆうたくん、それから悪戯っ子のひろむくん。岩崎さんのおじいちゃんに、平井さんのおばあちゃん」

「他にもたくさんいらっしゃいましたが、そんなみなさんが私にとっての先生で、お客さまで、そしてお友だちだったんです」

「そうか。しねま様は、そんな人たちに教えられた言葉や感情を取り込んで、擬似的な人格に近いものを自分の中に作り上げた

――しねま、フロゥ

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人間との触れ合い、刺激、そこからもたらされる言葉、感情が今のしねまを形作ったと2人は言った。

となるともしかして映画(物語)というのは、それを補助したり強度を保つ為に一役買ってそうな気がする。んーとなんていうかな、例えば恋心という微細な感情をぽんと渡されてもしねまはよく分からないと思うんだよね。けれどそこに「違う視点からの解釈」を何通りも知ることで、あこれは恋心というものなんだな!って分かっていくんじゃないだろうか。

この「違う視点からの解釈」というのが映画で、物語が一番有効なんだと思う。人は、一つの人生を生きることしか出来ない。そこには必ず情報不足・経験不足・知識不足に必ず陥る。生涯"起こった"ことの無いものは、決して実感として理解できない。

けれどそこに多種多様な出来事が"起こる"ことが可能になるのが、物語といった映画なんだと思う。殺人を犯してしまった陰鬱とした気持ち、克己する感情の迸りを"経験"することが可能になる。そしてさらに妖怪でも神でも悪魔でもネッシーの立場にすらなれるのだ。様々な立場から、色々な視点から、物事を解釈する力を付けられるのって凄いことなんじゃないかな。

これをある人は「想像力」というのかもしれない。一つの事象は決してある側面によってのみ価値が決まるわけじゃない。いろいろな側面によって"視る"ことを知っていればよりその事象への理解が深まるものなんだよね。

  *
これを子どもの教育に還元してみる。つまり物語の英才教育を施された子どもはどんな人間になるのか?というのが私はとても興味がある。

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)

 

物心つかない1歳から絵本・映画・アニメを絶えず見させ、文字が読める頃になれば小説や漫画、歴史、ノンフィクション読ませて学ばせていく。するとどうなるんだろう。

おそらく先にも言ったとおり「多視点」という能力が強くなっていくのかもしれない。物事を様々な側面から考えて、答えを出し、視野狭窄に陥らないそんな力が身に付くんじゃないかな。

例えば、人が人を殺したニュースを見て一方的に「人殺しは悪だ」と断罪するのではなく、もしかしたら犯人にも酌量の余地があるのではないか? 殺した相手はもしかしたら犯人に殺されても仕方がないことをしていたのではないか? と思考する視点が生まれる。

……あんまりこれをやりすぎるとフロゥが云うような「フレーム問題」にぶち当たってしまうんだけれどね。でも自分である程度フレームを設定しておくと回避可能なので問題ないといえば問題ないとは思う。(いわゆる決断基準を明確に持っているかということで回避可能)

▼フレーム問題

人工知能における重要な難問の一。無限に出来事が発生する現実世界の中で、その何処までを情報として受け止めて、必要な情報を抽出出来るのか、という問題。

あとは、、、現実を解釈する補助プログラムとして役立つと思う。生きていれば「なんだかよくわからないもの」というものによく出くわすと思う。その「なんだかよくわからないもの」っていうのは今まで自分がそれを考えてこなかったりするものが殆どだろう。しかしその時に理解不能なものが理解できたり、理解しやすくなるときがある。頭のなかである物語の映像が展開されたり、言葉が浮かんできたりすることがある。少なくとも私にはある。

それが現実を解釈するときに物語が支えになっているなと感じる瞬間でもあるよねと。


そしてもう一つは、「色々な感情を知っている」ということ。未だに自分が知らない複雑で奇怪で機械的な感情というものはこの世に存在する。なぜその人はそういう行為を取ったのか? どういう動機で? どういう感情で? そう考えても分からないことはいくらでもあるけれど、物語はそこの隙間を確実に埋めてくれる。

誰かの幸せを望みながらも、その人を不幸の道へと唆してしまう気持ち。原始脳による「死にたくない」という生存本能を抑え「それでも死ぬ」ことを選ぶ感情を。結果なんかどうでもいいただ川に流した棒のように流れのまにまに選択肢を決める生き方を。

そんなちょっと考えただけでは「理解不能な」感情を知識ではなく、"実感"として理解できるのってのは凄いことだと思う。


まとめると

1、多視点の強化(多様な立場を知る)

2、物事の解釈の支えになる

3、多用な感情を知る

この3つが大きな力として現れるんじゃないかなー。もしかしたらもっと大事なものを見落としているかもしれないけれど、今のところはこれで。

そんな物語の英才教育を施された人間は、「やさしい人間」になりやすいのではないか?と考えみたり。そう、しねまのような、、、人の気持ちを想える、応援できる存在に"なりやすい"んじゃないかな。

 

 

 

動かなくて済むという環境は

「『動かなくて済む』という利便性は、生命体にとっては危険窮まりない麻薬のようなものだと云うな」

「耳が痛いわ。頭だけ立派になっても、身体が動かなかったら生きていくことなんて出来ないものね」

――フロゥ、一姫

「便利」というのも考えものだよねとそんなお話だったと思う。

このままいくと私たちのこの社会も「動かなくて済む」という方向に向かって進んでいるようにさえ思う。Amazonといった通販もそうだし、生協さえあればもうスーパーに行かなくて済むしね……身体を動かす仕事はどんどん減りデスクワークが拡がっていったように。

最終的にはドラえもんの(何かの映画)ような、身体が外気に耐えられなくなってほとんどの時間乗り物に乗っていけなくなるような事態がきそうだ。

 

 

 

サルベージに必要なのは「記憶」

「衛生から見た旧都の映像は、確かに今でも得ることが出来るが……旧都でのサルベージに最も大切だったのは、当時の人間たちが遺した生活していた頃の名残、その記憶なのさ

――酒匂

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酒匂のおっさんはサルベージに最も必要なのは、衛生で得られる地図的な情報ではなく、当時の人間の生活していた記憶だという。

そこの地域で暮らしていた人達の生活情報ということだよね? あるお店の口コミ、流行り廃り、SNSでの雑話……そういった「人の記憶」とでも呼べるものが必要だって考えていいのかな。

旧都のサルベージするさい、本来ある地点にあったはずのお店は海流などにより移動していたり、あるいは建物事態が崩壊している可能性ばかりだ。そこで必要になってくるのは「人の記憶」とでもよべる生活情報が探索するにあたって重要な要素を担っている……と?

ふむふむ。

「……だが今となっちゃ、そんな貴重な過去のネットデータは総てこの世界から失われちまった。それだけじゃねえ……ネットに遺されていた貴重な文献や、色々な研究成果なんかもごっそりとな」

「情報の谷間<インフォクラック>……かあ」

「そうさ。機械人<メトセラ>共が自分たちの優位を主張する為に、人間を過去から切り離しやがったんだ……あいつらさえいなけりゃ、こんな死んだみてえなクソな世界にはならなかったってのに」

――酒匂、カヤ 

過去が消滅したこの世界をおっさんは「クソな世界」だと吐き捨てる。

対して、翔太達の世代はクソな世界というより「真っ白い世界」だと認識しているふしがある。平和だけれどどこかなにが不足しているようなそんな感慨をたしか翔太は覚えていたはず。

過去が無くなるということは、ここでいえば「過去を参照できなくなる」ということだよね。知識としてもう引張りだせない。そこから未来を予測したり今に還元することが不可能になってしまっている。

それは……(実感がとてもしにくいけれど)……どういうことなんだろうなあ……。

「今」だけの世界、過去が失われてしまった世界。歴史を参照することが不可能な世界。

しかし過去から受け継がれてきた財産だけはある。円熟した技術、倫理、市場や国づくりのノウハウとかも含まれるかもしれない。けれどある年代以前の情報はすべてもう無い……か。

難しい。

翔太がいる世界は、歴史がないことで教養レベルが下がり、犯罪が多くなったとか、モラルが低下したことで居心地が悪い社会になっているわけでもない。

けれども酒匂のおっさんは「死んだみたいな世界」と云う。うーん。どこがどう駄目なんだ? どこらへんが死んでいるんだ? 

私にはよく分からない。

"死んだ"雰囲気が全然ないから余計にさ。

 

 

 

性別の取り替えは可能だが、しかし

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「興味本位でテスト的にというなら、それは人間でもメトセラでも行ってみたいと思うだろう。だが、私たちも人間と一緒で、一度生まれ育ってしまえば関係性の環の中に存在する。そこから故意に外れるような真似はしたいとは思わないな」

この身体にいる限り、私はフローライトだ。私を知る友人たちも、私がフロゥであるが故に、私を知る……そうだろう。翔太?

――フロゥ

メトセラは本来なら「性別」というものはない。人間みたいに生殖器の差異によって男か女かと分かれるのではなく、後付で性別を決められるみたいなところがある。

だからフロゥは今は女の子の姿をしているけれど、男性になってみたいとは思わないのか?と聞かれたときの答えが「いいや思わないよ。だって私はお前たちの環のなかにいるからこそ"フロゥ"なのだから」と云う。

これってなんとなく社会的動物うんぬんの側面なんじゃないだろうかと思った。彼女が云うように社会的に存在する自分を、個体を、自分だって思えるところが特に。

 

 

私たちだけじゃもったいない!

「ね? やってみようよ! わたしたちだけじゃ、きっともったいないよ!」

――朗

そう言い文化祭でしねまおすすめの映画上映会をはじめようと提案する朗だった。

この実利度外視で非利益的活動にも関わらず朗という女の子は、心から溢れだすなにかの感情によってそう言っている気がする。「みんなの為に」とかそういうのでもなく、「面白いのは広めなきゃ!」みたいな感じに近い言葉なのかなって気もする。

それはミーム拡散にも見えてくる。自分とこの気持をまた別の誰かも持ってほしいという「共有行為」。それが「わたしたちだけじゃもったないない! みんなにも観てもらおうよ!」っていう気持ちに繋がるんじゃないかな。

 

 

映画を見て疲れるかどうかで面白さをはかれるという説

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「映画を観て疲れたかどうか、というのは、ご覧になった映画が面白いものであったかどうかを表している……という説があるそうです」

「へえ、そうなんだ……なんで?」

「はい。ご覧になった映画が楽しかったり、引き込まれるものであった時、人間のみなさんはその映画から皿に情報を得ようとして集中し、脳を多く使うようになるのだそうです。それが疲労に繋がるのだとか」

このあとしねまは「ただ面白くない映画は忍耐と苦痛をともなうものなのでこれもまた疲労を覚えるので一概にそうとは言えないんですけどね」と云う。

個人的には面白い面白くないに関わらず「映画は脳みそを使う」と思っている。なんというか集中しているせいなのかやたら頭が「熱」を持つ感覚が多い。頭がじんじんしてぼーっとするような……けれども高速に思考しているわけでも鈍重になっているわけでもない……あの感覚。

たしかにあの状態にシフトすると疲労感が高まる。んー……なんでだろうなあ……集中していたという解答もありっちゃありだけれど、別にそこまで集中しているわけでもないのに起こることを確認しているのでそれではないと思うんだよね。んー。

 

確かに文明は進んでいて、今の時代は驚くほどに平安で……それは、俺達が学んでいる教科書にも書かれていることであって、否定するべきところはなにひとつなくて。

それなのに―――。

「例えばさっきの映画の中にしても、確かに技術水準は低いし、周辺国との軋轢とかもあって大変みたいだったけど……不思議と出てくる人たちがみんな活き活きしてるように見えたんだよな」

「そんな様子を較べると、なんか今の時代が不思議と面白くないような……そんな風に思えてくる」

――翔太

昔の人は今よりも活き活きしている……か。

動かない世界。動かない社会―――それはきっと、安定という名の奇蹟がもたらされた結果としての社会であって、詰まらなくしようとして生まれたものじゃない筈なのに。

この世界が「安定」した「平安」な時代だからこそ、そこには「変化」が生まれにくいんだろう。変化がないところには停滞しかない。停滞すればゆるやかな死と同じ?……。少なくとも詰まらない原因にはなりうるんだろう。変化がないから詰まらない。動かない世界だから詰まらない……ふむ。

「新統合政府が出来て、戦争をする国が失われて……五十年よりも昔の歴史は総て消えてしまって。だから、お兄がそんな風に今の世界に疑問を持つことってきっと当然で。不安なんだと思う」

――朗

「この世界は今、世界そのものが記憶喪失になってるんだと思う……それがこの世界を真っ白に感じる理由なんじゃないかな」

「多分ね。難しいことは良く解からないけど……でも、世界中が記憶喪失なら喧嘩のしようもないし。国が分かれている理由もきっとないよね」

――朗

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そうか。おそらくこの世界では「歴史が失われた」ことで、国同士の争う動機、ひいては国が国である動機が無くなってしまったのか……。国民国家思想が崩壊した所なのかも……しれないな。(一応エリアの区分はあるから完全に崩壊したわけでもないのかもしれないが)

国っていうのはつまり「境界線を引く」からこそ、国は国たりえる。けれどもそこの国民が自分の国に帰属意識やら従属する理由を持たなくなってしまったら制度的には国は存在していても認識という面ではとても希薄なものに成り下がるんじゃないか?

――動かない世界。静かな世界。

そうか。『争いのない世界』ってのは、詰まるところ『考えるのをやめた世界』てことなのかも知れない。

別に戦争がしたいわけじゃない。しなくて済むなら、それはとても素晴らしいことだと思う……だが、考えなくなることとは自ずと別の話である筈。

 思考停止した世界……。けれどもどうして「争いのない」=「考えるのをやめた」という結論を弾き出したんだろう。

争いがなくなっても思考停止したということにはどうも結びつかないような気がする。

んー、こういうこと?

争っていた時代では「常に考えさせられてきた」んだと思う。相手をいかに鋭く攻撃し、いかに自分達の利益を上げられるかそういう否応もなく思考を加速していた世界。しかしそこから争いを取り上げてしまうと、その加速されていた思考は鈍重になってしまうものなのかもしれない。

今まで最大の考え事がなくなったのだから、スローダウンしてもおかしくない……か。そしてこの翔太達がいる世代がまさにそんな「一時的に思考が遅い世界」なんじゃないかな。あと数十年すれば鈍くなっていた思考は平常運転に戻るような気もする。

そのベクトルは「争い」に向かわないだけで、もっとべつの「技術」だとか「メトセラ」のことだとかに向けられていくんじゃないかな。

 

 

メトセラの声ってどーなってるの?

この時代ではカーボンナノチューブを利用した、音波信号を熱に変換して薄膜導体から再生するサーモホン型のスピーカーが一般的であり、その大きな箱型のスピーカーを見て清十郎たちが首を傾げるのも無理はなかった。

「声」ってすごい重要な要素なんだよね。人間は声帯を閉鎖させることで声を出すことが出来る。それもただ音が出るわけではなく、声帯から口腔までの空間や骨格によって倍音ので具合が変わってくる。これが個人特有の「声質」になってくるんだけど、いやいやそういうことじゃなくて

スピーカーで出力される声と、声帯という肉によって生まれた声ではもう「全然違う」んだよね。音の広がり具合や、濃度が。

だからもしメトセラを人間に近づけようとしているのならば、この「声」という要素もどうにかして肉声に迫るものを創りださなくてはいけない気がする。

けれども今現在この私の)世界にある(スピーカーでは、肉声に迫る音を出すのってあまり無い(と思う)。無指向性のスピーカーだろうが5.1chだろうがスピーカーは「スピーカーから出る音」を超えることが出来ていない。

いくら高品質な音声データがあっても、それを生音にまで匹敵するスピーカーはないんじゃないかな……。だからこそオーケストラ・ライブは現地に行って自分の耳で聞きたいっていう人は多くいるわけだし。

フロゥ達がいる世界では、「スピーカーはスピーカーの音にすぎない」限界を超えることができたんだろうか? それもメトセラという人型の中に収納できるくらい「小さい」スピーカーになるまで技術が円熟しているのかな?

この時代ではカーボンナノチューブを利用した、音波信号を熱に変換して薄膜導体から再生するサーモホン型のスピーカーが一般的らしいけれど、それは「肉声」に迫るレベルなのかな?

だとしたら、それは……もうほんっとーーーに凄い凄い!欲しすぎるぞ!!  自宅で生音が再現できるなんてああああ至高!!

 

 

 

人類に歴史はいるのかな?

「しかし、光一郎には迷いがあったようです……それを取り戻すことは、真に人間の為になることなのだろうかと」

「どういうこと……?」

「人間にとって、必要なのは果たして伝統や歴史なのか……そういうことを彼は考えていたようです」

――セレス、カヤ

 光一郎は、ヴァルカン主導によっていとも簡単に転がっていく、世界と云う名の人間の集団というものを見続けていた。遥かな旧世期の映画たちを好んでいた光一郎にとって、今の時代は真っ白で、そして頼りなく見えていた。

歴史はその力を失い、民族は広く世界中に散ってその出自を失い、既に宗教も往時の求人力を失っている。

まるで、理想郷<ユートピア>だ……光一郎は、今の世界をそんな風に考えていた。

 ▼ユートピア

日本語では多く理想郷と訳されるが、「現実に存在し得ない理想的な社会」という比喩として存在する世界観で、決してポジティブな意味合いではない。イギリスの思想家トマス・モアが出版した著作「ユートピア」に登場する架空の国家の名前である。

 「歴史」「過去」「記憶」「想い出」というものが失われた世界というものは、光一郎が言うように頼りない世界なんだろう。完全には停止しているわけではないけれど、どこか、止まっているかのように思える世界。

真っ白で、平安な日常。

宗教が失われ、闘争が減少した日々。

誰かはそれを「世界が記憶喪失したみたいだね」と云っていたが、そう考えるとこの世界の有り様がとても理解しやすい。頼るものがないからこそ頼りないんだろう。進むべきみちがはっきりしないからこそ立ち止まってしまうんだろう。

店長さんはこの世界を一応は「よし」としたんだと思うんだよね。なぜならしねまの機能を使い世界に記憶を最後まで返さなかったから。そして記憶を返還することが果たして真に人類の為になるのか?と思ってしまうほどに、この真っ白い世界は幸福が漂っているんじゃないかな。

争いが無くなったわけじゃないけれど争う理由がほとんど無くなったこの世界では、争いが結果的に少ないと思うしね。悪意や憎悪といったものも前世紀と較べるとかなり現象しているのかもしれない。そんな事実を目の当たりにしてしまえば――真っ白い世界が幸福だと認めてしまえば――記憶を返すことに一体どれほどの意味があるんだろう? そう考えても不思議ではないように思える。

 

「お前が……俺達をそこまで信じてくれたんだ。これで……俺達がお前を信じられなかったら、それこそ嘘だろ……」

そういえばここの翔太の言葉ぐっとくる。 

 

 

 

世界の記憶を返還

「この世界には、記憶が……想い出が欠けている、ということではないかとしねまは考えます。そして、それはとても悲しいことだと思うのです」

――しねま

世界には想い出がない。それはとても悲しいこと。

しねまは人類に歴史を返してその効果、メリットを斟酌するのではなく、感情的な側面で返すことを選んだように見える。

人類に歴史が必要か否かではなく、世界に想い出がないなんて悲しいから返そうよ、と。

そしてしねまは、世界の想い出を"見"終わる。

そこには自我を持った第四世代のヒューマノイドがいた。

「……私は、みなさんのことが『大好きです』」

――にっこりと、そう云って、笑った。

「しねま様が、断定した……もしかして」

「――そうだよ。自立した思考回路を、手に入れたんだ」

(中略)

これはマジだ……しねまはきっと、大量の情報から学習して、とうとう自立性を――自我<こころ>を、手に入れたんだ。

 そして私は思ったんだよ。

「想い出(=ノスタルジー)」を持っているからこそ、人は人たりえるんだなと。あるいは想い出こそが人を人らしくすると言ってもいいんじゃないかって、そう思ったんだ。

何百、何千年という膨大な歴史(=想い出)を得たしねまは、だからこそ自我を持ち得たんじゃないかな。心を。

「人が古いものを愛するのは、それが自分の生きてきた証<ノスタルジー>だから――なのでしょうか」

――時代遅れの人型機械に<ヒューマノイド>に、『心』という贈り物を。

「ふふっ、そういう側面はあるかもね」

(セレス、篝理)

 

それは旧い世代<むかしむかし>から贈られる、新しい世代<とおいみらい>に向けての――、

――ほんの小さな、追憶の夢<ノスタルジーカ>。

 

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end

 

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*1:真実というものがあやふやで観測によって移り変わるとても脆いものなんだと承知の上でこの言葉を使う