猫箱ただひとつ

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フロゥ 感想(6009文字)

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メトセラ」と呼ばれる機械少女・フロゥ。

メトセラというのは自立性を持ち合わせた機械*1。簡単にいえばマスターの命令をはいはいと聞くヒューマノイドよりも、より"人間らしい"存在です。

ただ人間らしいといっても、人間が到達可能な「美」「真理的体験」「恋」という複雑なモノはまだメトセラにはうまく理解できていない様子。数学と統計でもって人間を模倣している彼彼女らにはここに行き着くには先のことなんだろう……しかしー?

てことでフロゥの個別感想です。どうぞ

 

 

 

 

雑談ってじつは難しいものなのかもねと

「それは『意識化』での話だな。総てがそういう会話で出来ていれば、私ももう少し楽に会話が出来るのだが……人間の『他愛のないおしゃべり』というものには答がないからな」

「ん……ああ、そういうことか。与太話には計算結果も結論もないもんな」

普段何気なく思い付きでしている会話には『話題』はあっても、そこに『答』や『結論』が存在しない。元々機械であるメトセラにはそういう『答がないもの』は苦手なのかも知れない。

「そうだ。会話そのもので相手の感情を捉えるというメカニズムは、私たちメトセラにとっては難しい」

――フロゥ、翔太

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人間が議論や論戦ではなく、ただの会話、そう雑談をするのって「感情の共有」を行いたいからだと思うんだよね。だから感情が共有できることが目的なので、そこに議論めいた答えも結論もない。

そして会話で「感情の共有」を行える人間だけれども、それはきっと機械的なフロゥからすればとっっても難しいことなんだろう。

―――会話だけで相手の感情をはかる。

表情や仕草、声の強弱イントネーション様々なことで人は人の感情を知ることが出来るわけだけれど、こと「会話」という部分にだけ抽出してみると、たしかにそれのみで他者の感情をはかるのは難しそう。

ゴールがなく行き当たりばったりの雑談。それはフロゥからするととんでもないノイズの塊なんじゃないかな。

 

 

 

 

寓意的な存在と思考放棄

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「……翔太、なんでも寓意的存在に原因を求めるのは良くない。思考放棄に繋がる」

――フロゥ

寓意的存在って神話での蛇とか天使とか悪魔とか精霊とかそういうのだよね。「よく分からないもの」を「不思議な存在(寓意的存在)」に置き換えることは人間ちゃんはずーっとやってきたわけだけれど、それをロジカルなフロゥからすればやっぱり思考放棄であり思考停止に見えるんだろうなーと。

いやもちろん時と場合によってフロゥの答えは変わると思うし、この時だって明らかに思考放棄の考え方だから彼女は注意しただけなんだろう。いやまここはどうでもいい。

寓意的存在によって人は思考停止を促せることのほうが気になる。さっきも言ったけれど、「よく分からないもの」を「分かるもの」にしてしまうという点で寓意というのは力を持つんだろう。

「よく分からない」ものを人は認識すると、それに恐怖したり不安になったりあるいは思考がエンドレスリピートを起こしてしまいさあ大変。しかしそれが「分かる」ものになった途端、「そっかあれは妖精のしわざだったんだな」と納得し、もう考えなくて済むように成る。

朝起きたら仕事が片付いているのは妖精のしわざで、突然人がいなくなってしまうのは神隠し。そう理解するだけでその物事に心のリソースを使わなくて済むようになる。

 以下、関連記事。この記事でもそういえば「ラベリング」と「意味」の話をしたなーと。

アニメ声優とかもうどうでもいい、というより興味が無くなってしまった (3706文字)

 

 

 

メトセラではなくフロゥという存在

「私は、私をメトセラと決めつけるような結論を持たない人間と話をすること、そのものが好きなんだ」

――フロゥ

 メトセラは種族であり、フロゥを表しているものとはメトセラ=フローライトではないよねということなんだと思う。日本人だからお前は◯◯なんだろう、という主張をしてくる人なんかと友達になりたくないし関係を結びたくない。

逆に種族を引き合いにだして自分を解釈するのではなく、一挙手一投足を見て、話してその総合の和で自分を自分扱いしてくれる人が好きになるのは当然だよねーと。

 

 

ペリフェラルCSIとヴァルカン

結局ペリフェラルCSIの謎はよく分からなかったな……。というか解明されていないと思う。

なぜヴァルカン社が唐突に規格変更を行ったのか? なんでだろううーん。ここは保留。

 

 

楽しさの理由、なんてものは知らなくていい

その瞬間『楽しい』と感じることに対しては、不思議なことに、理由や理屈は価値を持たない――それを知ったら、その楽しみが何倍、何十倍になる、ということではないからだ

「面白いな。『楽しい』と思うってことは、『そう思うことが総て』でそれ以上はない……ってことか」

「だから私たちは、『楽しい』と感じたら、素直にそれを受け入れる……もしその根源を辿ってしまえば、最終的にそれがなんらかの命令コードや変数、分岐4季のひとつにぶつかって終わるという下らない結末が判り切っているからな」

――フロゥ 、翔太

 なぜ楽しいのか、なぜ美しいのかという理由を追い求めも仕方ないよねというお話だと思う。これは分かる。感情の理由なんて求めても、得られるのはちょっとした納得だけだから。それが楽しいときもあるんだけれど、だいたいはフロゥがいうように「下らない結末」を迎えることが多い。

いわゆる「考えないほうが良かった」といわれること。

 

 

 

シュミレートとエミュレート

「それはとても素敵なことです。わたしには『表面上の再現<シュミレート>』にしかならないことも、フロゥさんはそのほとんどのことを『内部からの模倣<エミュレート>』で実現なさいます。それが自立性の違いにあるのですね」

――しねま

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しねまがいう「表面上の再現」と「内部からの模倣」という概念いいな。理解が深まりそうだ。

人間で置き換えて考えてみると「表面上の再現」というのは、知識にたよった浅い考えや言動に近いと思う。例えば書物などで空手の技術や動作を知識として学び、それをいつでも頭の中で取り出せる状態を作り上げたとする。それで空手を"実際"に経験している人と対戦をしてみたらどうなるだろう。

そりゃやっぱり知識だけの動作では、実感として空手をやってきた人では敵わないとは思う。拳の振りぬき方、足捌き、反射などなど表面上での再現と、実感としての再現ではやはり分が悪いだろう。

ちょっと違う路線に入ったけれど概ね「表面上の再現」とはそんな感じ。って考えると「内部からの模倣」というのは、"実感"がベースになっているんじゃないかなあという気はする。

心の奥底で「納得」と「実感」によってもたらされる行動と言葉だからこそ、メトセラヒューマノイドより"より"人間らしいじゃないかな。

 

 

 

誇りに思ってください

フロゥは、しねまに『誇りを持って欲しい』と云う。迂遠なことではある……そもそも、しねまは『誇り』という概念を持たない。そういう感情機能や矜持といった概念を持つことは不可能な存在なのだ。そしてそれは、フロゥにも判っている筈なのに。

「――はい、解りました」

そのしねまの答は、驚くべきものだった―――一体しねまは、フロゥの言葉をどう理解したというのか。

「わたしは、しねまは――ヒューマノイドがフロゥさんのような進化をしたことを、とても嬉しく、そして誇りに思います」

 翔太の言葉を聞くに「本来のヒューマノイドは誇りを持つことはできない」という見識が広く浸透しているように思える。だからこそしねまの答に驚く。

 ◇

そもそも「誇り」ってなんだろう? 辞書をひくとイマイチ明確な言葉がなく曖昧ではぐらかされたような言い方しか載っていなかった。たぶん誇りという言葉は最小単位でもうこれ以上何かに言い換え不可能な言葉なんだろう。

そこで今度は「名誉」と言葉を引くと、これがまた「誇り」っぽい内容だった。

自身の業績、功績、態度、姿、振る舞い、あり方、生き方を讃えられ、それをすぐれている、価値があると自他共に認め、それを自らの尊厳、誇りと見なすこと。

――名誉

「自分がしたことに価値を持つこと」

これが誇りってやつなんじゃないか?

フロゥがしねまがいたから私たちメトセラが生まれたんです。だからそれを誇りに思ってください。というのもそう考えればしっくりくる。

ってことはヒューマノイドは、「自分がしたことに価値を持つことが難しい」種族ってことになるのか? あるいは意識的に「対象に価値を与える」という行為が難しいのか? 価値を与えるというのは「自分の中」で大事なものだとか、大切なものだとか、好きだとか、そういう感情を沸き上がらせるという意味でいい。

ふむなるほど。それは確かに機械的な判断ではだめそうだなとは。

 

 

 

相手との差異、影響、認められないこと

ビギンズ教授のように『メトセラは人間ではない、俺たち人間とは違う』と思っていたんだ……。

恐かったんだ。人間ではない"あいつ"(フロゥ)が、俺を好きだと云ってくれることが。

 

――フロゥの感情は、俺たちと異なるものじゃない。

それを認めるのが怖かったんだ……だから、勝手にそんな逃げ道を選んでいた。

もしもそれが俺達と同じものだったら……同じなのだとしたら、俺はとんでもなく卑怯な男だ。

「俺は……俺も、フロゥを好きになっても、良いんだよな」

 無意識に根付いた「あいつと自分は違う存在だ」という意識は、尊大な態度、傲慢な言葉、差別的行動に繋がっていくんだろうね。人間でも人間同士に能力の高低や身体的特徴、身元でそういう意識を積層させていくっていうのにそれが、もう「完全に存在の成り立ちから違う」メトセラとならば尚の事、そういう価値観を強まってしまうのかもしれない。

大事なのは、それに気付いて、それを克服しようとすることなんだろうなとは思う。んー難しい。

 

 

メトセラの誓い

「翔太……これから私は人間に害を加える可能性があるが、そこに至る事実関係と必然性の把握を人間であるお前に求めたい。承認してくれるか?」

「そうか。メトセラは不必要に人間を攻撃出来ない『掟』があるんだったな。了解した……俺がお前の行為の証人になってやる」

「ありがとう翔太。だが『掟』ではない。『誓い』だ」

――翔太、フロゥ

 面白い。

「誓い」っていう概念はけっこう高度なものだと思うんだけれど、フロゥたちメトセラはそれを自覚的に行えるってことか。ははーん。

決まりだから、規律だから、そもそも出来ないからそれを行うのではなく、"自分達で決めたこと"だから"しない"っていう行動を取れることが凄い。

フロゥが人間を攻撃する際、翔太に「確認」を取ったのもこれもまた彼女たちの誓いの一つなんだろうか? 人間を害さないという誓いのもとに駆動している私たちだけれども、それを破る時、人間に確認を取り了承されることが条件だみたいなね。

おそらく人間に了承を求めるのは、「公共的判断」ではないな、えーと第三者の価値基準をいれることで人間を害することの「間違い(社会的判断)による」を極力なくそうとする目的があるんじゃないかな。

 

 

√なんてそもそもないんだ

「ごめんなさい、フロゥ、しねまさん……もう少し時間があれば、障壁破りをしねまさんから切り離して、単独作動にすることも出来た筈なのだけれど」

「いいえ、店長さんが仰有っていたことがあります……『時間や材料の不足によって消えた選択というものは、初めから存在しないのと同じこと』なんだよ、と。今は、出来ることをするべきだと、しねまは考えます」

――セレス、しねま

 時間や材料の不足によって消えた選択としうものは、初めから存在しないのと同じこと、というのはいい考えだよなと思う。これは無ループ者(ストレート)が必ず陥る「重い過去」を払拭することができるから。

もし、していたら、というたらればというのは「別の世界」「別のルート」を想像してしまうからこそ起きる問いかけと云ってもいい。もしあの時ああしていたら―――なんて考えても、もちろん過去は書き換わらない。けれどもそう考えて、不幸を重く受け止めてしまうのがストレートなんだ。

けれどここで(しねまの言とは少しずれるけど)「この選択しかなかった」「これが最善だった」という認識を持つことは、過去を重くせず、今を頑張ると思えるようになるんじゃないかな。

 

 

消えた記憶、

朗とカヤではしねまの記憶を探すことにやっきになり、フロゥではしねまは自分の記憶を削除して戦い戦いに勝った。そしてその失った記憶をふたたびしねまの中で戻す作業が始まる。

 

篝理「これから……しねまちゃんは短い間に、生まれてから昨日までの記憶をもう一度体験することになる」

篝理「時折、欠如した記憶<メモリー>を埋めようとして、行動や言動を再現すると思うから……その時は、みんなで答えてあげたり、返事をしてあげたりして欲しいの」

一姫「でもそれって、欠けた部分と一致しない人間が、一致しないリアクションを取ることになりますよね」

篝理「厳密にはね。でも積層した記憶だし、情報の取捨選択によって正確さと意味は薄れているから……あなたたちがしねまちゃんの為にって答えれば、そこからきっとお互いを結ぶ矢印<トランスクルージョン>は修正されるの」

 記憶の空白を、「想い」によって、結ぶってことなのかな。いやこれは情緒的な表現すぎるけれどさ。

もうちょっとロジカルロジカル♪に行くと、欠損した記憶を、受け答えによって埋める。もちろんそれは間違っている記憶なんだけれども、それを強引に結びつけると。でもおそらく篝理さんの補助によってそこらへんにほころびをあんまり感じさせないようにしているのかね。

 

 

 

しねまの心の柔らかさ

色々な人たちが、色々な答をしねまに与えていたんでしょうね……だから、こんなにもしねまの心は柔らかいんだわ

――一姫 

 色々な視点からの、色々な立場からの、色々な答え。

これはあんまりやりすぎる相対主義でなんにも決められなくなるという懸念はあるけれど、柔軟性という点でみればとてもいいよね。

 

 

 

「誤解というものは、気が付かずに始まっている。それに気づくことが出来るのは幸せなことだと……店長さんは仰有っていました」

――しねま

 

おわり

 

 

 

 

*1:であっていたはず