猫箱ただひとつ

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島津朗 感想(8348文字)

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 妹のぴちぴちおっぱい!Yes!

……。

木洩れ陽のノスタルジーカ』の妹の島津朗(しまづあきら)。プログラミングなら任せとけ!ってくらいのオタクでオタクな女の子。ロジカルギークの天才ハカー!ハカーっ!

この溢れるおっぱいとちょっと残念な感じが可愛い。なにか困っていたら「……しょうがないな」と甘やかしてしまいそうになりつつもあえて放置し慌てる反応を見たくなってしまうような(しまわない?)そんな妹だと思います。ええきっと。

では朗√の感想どうぞ

 

 

 

 

 

 

手が届かなくて

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朗には理解出来ていなかった。相手が物理的な障害だからこそ、プログラムには手も足もでないことだってあるんだということを。

言語は回路を完全に模倣することは出来ない……そもそも、言語から生み出される命令は、回路の上で電気信号として走ってこそ意味があるものなのに。

ハードが壊れたときプログラムは本当に無力だ。プログラムではハードの破損を上回れない。いくら頑張ってもどんなにあがいても回路の機能を再現することは出来ない……。

それはまるでこの言葉のように、朗は絶望を感じていたんじゃないかなって気がする。

人の身では、届かない高みだったのよ

もどかしいでしょう? 目の前に、1%にも満たない可能性だけがぶらさがっているのは。
やりきれないでしょう? 無理とわかっていてもなお縋りたくなるのは。

――本堂沙也加

 そうそう……やりきれないよね……。人の身では届かない高みだったのよ……。

……

 

 

非合理的

「なんでこんな非合理かつ非効率に出来ちゃってんのかなあ、わたしの意識って」

――朗

兄にいきなりキスをかまし、兄妹の関係が変化しもうどうしよう!って唸っている朗の図。

非合理かつ非効率だからこそ(ノイズという名の感情があるからこそ)、人は人足りえるんだろうなと納得してしまった。機械的に自動的に行動するのはもはや人間ではなく機械にすぎない。揺らぎと葛藤があるからこそ、私たちの意識はその人を「血の通った人間」だと看做すことが出来るんじゃないだろうか。ああもちろん今の倫理観という前提だけどね。てへ

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――なんて、矛盾なのだろう。

翔太の作ってくれた朝ご飯を噛みしめながら、朗は内心で苦笑した……人間の感情、心のアルゴリズムというものは、あまりにも非論理的すぎる。

もしこれがプログラム演習の授業だったら、神さまは間違いなく落第に違いない。

 こういう言い方好き好き。

 

 

その無駄は本当に無駄なのかなあ

「やっぱり基本的にさ、無駄をなくして洗練する――つまり最適化こそがコーティングにおける至高の美学じゃない?」

「いやまあ日常生活では、わたしもこよなく無駄を愛してるけど、それは飽くまでコーティングの為のリソースを最大活用する為であって! 同じ機能を実現するならシンプルな方が美しい、簡潔こそが真理っていうのはギークの共通認識だと思うんだけど―――」

(中略)

「はい、店長さんも朗さんと同じようなことを仰有ってました。ただ―――その真理へ至る過程での無駄は、本当に無駄なのだろうか、とも」

「ああ……うん、それはまあ、確かにその通りだとわたしも思うよ。一見無駄に思えることと、本当に無駄なことって、ぜんぜん違うよね」

「全然すっきりしてない、めちゃくちゃごちゃごちゃした建て増しにつぐ建て増しー、みたいな造りなのに、いざ動かしてみるととんでもなくすごいコードとか、実際にあるし」

「ああいうのはあいうので、ひとつの美しさなんだってことはよく解る」

「はい。店長さんもそう仰有ってました。登山でも、一直線に頂上を目指すということはなかなか出来ないものだ。必要な廻り道というものが、世の中にはたくさんあるんだよ……と」

 実は自分が思っているほど無駄というものはないのかもねと。一見無駄だと思えた時間や、出来事でも、後々役立ってくるかもしれないそう考えるとこの世界に本当に無駄なんてものは存在しなくなってしまう。

あるいは「無駄」という言葉に価値が生まれはじめてきたりね、そうすると言葉の意味の上での無駄は殺され無駄は無駄以上の価値を持つと(何を言っているんだ)

自分の身の回りに起きたことは全てなんらかの形で、自分の血肉になりうるんだ!うん!そうだよ!って考え方私は好き。

この考え方って真紅の言葉に近い。 

いま、この瞬間に解らないこと、
どうしても知りたいって思うこと、
その内容の全てを理解している、

そんなお前がこの先のいつかの時間に必ずいるから

――いろとりどりのセカイ

いつかその無駄が無駄じゃなくなる時がくるんだよ―――。そんなふうに。

 

 

 

スタンドアロンな状態ゆえに、止まることはない

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 「僕たちは、個々としてはどうしようもないくらいにスタンドアロンです。だけど、本当の意味で世界との接触をすべて断ち切るということもまた絶対に出来ないんです」

「どんなに世界と関わらないでいようと藻掻いてみても、それを赦してくれないほどにそれは厳しくて、そして常に流れていくものだから」

「だから―――例え自分が『止めて』置いたとしても、それはいずれ必ず『動く』ものなんですよ

「―――そのように、店長さんは仰有っていました」

[しねま]

スタンドアロン[stand alone]

コンピュータや機器などがネットワークに繋がっておらず、それ自体で完結・独立している状態のこと。この場合は孤立・孤独というような意味合いと思われる。

私たちは他者との関係性の中で生きている。そんな社会的動物。だからこそ自分が『停止』させたものもいつかは誰かの手によって、あるいは誰かの刺激された自分の手によって『動いて』しまう……そんな意味だろうか。

他者とのリンクという面もあるけど、もちろんそれだけではなく「時間」は絶えず流れゆくものだから完全に『止める』ことは不可能なんだよね。どんな悩みも、どんな想いも、いつかは変化していってしまう。

解決できない問題は寝かせよう

 「店長さんは、こうも仰有っていました」

「コーティングでも人生でも……迷ったり悩んだりして行き詰まったら、無理に解決しようとせず、思い切って『寝かせて』しまう。それもひとつの立派な『処理』なんですよ、と」

それってつまり、ほったらかして、そのままにする、ってことだよね……?

「はい」

――しねま、朗

 時間は悩みへの処方箋だよね。いや『処理』だったか。適切な処理。

 

 

 

速い方が偉い、でも昔のものを大事にしないということにはならない

「バイクについて話してた時も、乗り物っていうのは移動するための道具<ツール>なんだから、大原則としては『速い方が偉い』んだって」

「自転車よりバイクが、バイクより高速鉄道が、鉄道より飛行機が―――古いものより新しいものが優秀で、それを求めていくことは、基本的には正しいことだと思う、って」

ふぅ、と一旦そこで朗は言葉を切って、しねまのボディを抱きしめ直した。

「だけど――それと旧いモノを粗雑に扱うことは関係ないだろ、とも云ってたんだよ。旧くなった途端に、そいつの価値はゼロになっちまうのか、そうじゃないだろ――って」

――朗

「人間と同じで、機械との関係だって、適当に扱っていたら適当なものになっていく。そして、適当な関係は自分自身を適当なヤツにしていく……だから、大事にしなくちゃいけない」

「相手の為だけじゃない、自分の為にも――ってさ、オイルで真っ黒に汚れた顔で云うわけ。それも、もんのすごく真剣な表情で」

――朗

人間と同じで、機械やあるいは他の物にも経緯を持とうぜ。じゃないと1つを適当に扱っていたら、他のことまでもどんどん適当になっていくぞ。だから相手の為だけじゃないし、その物の為だけじゃなく自分の為に「旧いものを大事にしようよ」って。うーんこれは翔太の流儀なんだろうなって思った。

一つの例外を許してしまうと、その例外はどんどん拡がり最後にはすべてが例外になってしまうあれは私にも覚えがある。だからやるなら徹底的にという気持ちも分かる、かな。きっと。

あとここでいう「価値」って、市場的価値・社会的価値ではなく自分の主観上での価値の話。翔太が載っている旧いバイクは新型に較べると欠点ばかりだしほとんどの機能が劣っているはず。でも翔太はそんなバイクを、そのバイクの乗り心地やメンテンナンスのしがいに価値を抱いている。だからこそ……だよね。

 

 

打算じゃない感情

「本当にね……自分で可能性を打っ潰してまわっていたら世話がないわ。つくづく物好きな女よね、カヤって」

――一姫

打算じゃない関係、感情的な行動、想い。たとえ自分にとって非合理的な判断でも「でもやってしまう」カヤはいいなあって思う。そう、いいなって。

 

 

関係性が変化するんじゃなくて、加わった

「置き換わるのではなく、新しい関係がひとつ加わった、ということではないでしょうか」

――しねま

 朗と翔太。妹と兄。兄妹。そこに恋愛感情がうまれ恋人になったとしてもそれは関係が「変化」するのではなく「新しい関係が加わった」という考え方はいいね。

ある対象者との関係は決して「1つ」だけじゃないし、「1つだけ」と視野を狭くしなくてもいい。家族・恋人・兄妹・親友・同僚……とかいうふうに様々な関係性が内包してもいいよね。ただ人間ちゃんはなんでもかんでも「単純化」させてしまうので、そこらへんが関係性を「1つ」にさせてしまう大きな要因になってしまってるんじゃないかな?とは考えてみる。

 

 

 

名前、ラベリング、固有

「いやいやいや、充分にでっかい手がかりだろ、そりゃ……名前ってのは本当に大事なんだって、爺っちゃんも云ってたぜ」

「ああ――たしかに云ってたな」

名前という『固有の意味』を与えられることで、初めてそれは『そのもの』になる、って

――翔太、清十郎

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名前を与えることで、それは『そのもの』になる。言い換えれば『そのもの』に規定されるってことだよね。

羽虫に蝶と名付けるか、あるいは蛾と名付けるかでそのものの意味が変わってくるし、価値も変わってくる。ただの石ころを地蔵と名づけたりあるいは神と名付けるのだって同じこと。「名前」によって「ある意味」に固定させてしまうことが「ラベリング」の醍醐味だよね。醍醐味というか性質というか。

「ラベリングによる具象化ね。本質を誤る危険性もはらむことになるけれど……」

――一姫

 はい。

そうなんだよねー……。ようは名前をつけるとその名前に"引っ張ら"れるので名付ける時は慎重に、ね。(そういえば猫を飼っている人で「ねこ」と呼んでいる人がいた事を思い出した。固有の名前を与えずただ単に「ねこ」という名前の猫。)

 

 

島津朗の暴走と

自分の人生が傷つく可能性が高いことを朗は行おうとしていた。それもほぼ確実に失敗することが予想でき、そしてその失敗は自分だけに留まらず家族や友人にまで被害が及ぶことになるであろうことも承知の上で、ヴァルカン社をハッキングしようとしていた。

そこで一姫は問う。

「一個人がヴァルカンに挑むなんて、蟻が象……いいえ、非生物が鯨に挑もうとするようなものよ? 無謀すぎるって自分でも思わない? あなた、そんな計算も出来ない莫迦な子ではないでしょう?」

 朗は答える。

「あは、そうだよね……無謀だって、自分でも思ってるよ」

「心配してくれてありがとう、一姫ちゃん……でももう、決めたんだ、わたし」

「中途半端はやだ。自分にやれることは、ぜんぶやりたい」

……どうしてそこまでするのよ

「私だって、しねまにきちんとした情報を教えてあげたいわ……でもそれは――失敗したときのリスクを考慮に入れて、なおチャレンジするほどの価値のあるものなの?」

「少なくとも、わたしにとっては。だって……」

 

だって、しねまはもう、わたしたちの仲間だもん!

――一姫、朗

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まとめると朗の言い分はこうだ。

しねまは私たちの仲間なんだから、彼女のために出来ることをしたい。ゆえに巨大企業ヴァルカンにハックして彼女が求める情報を持ち帰りたい。例えこのことで法で罰せられようとも。

ということなんだと思う。

しかし「仲間なんだから」という動機で法を破って他者の財産(情報)を奪いとると? しかも仲間の為に取る行動がその仲間達を結果的に危険に遭わせてしまう可能性が大きいのにそれでもヴァルカンにハッキングすると? 

この行動は一体なんなのだろう。よく解からない。

客観的に利益とリスクの連れ合いが全然取れない。だってしねまの問題は、無視することができる問題なんだよ。わざわざ解決しなくてもいいことなんだよ、朗がいろいろなものを失ってまでしねまはそれを望んでいるの? 店長さんの情報にそこまで価値があるの?

それでも朗はいうんだろう。「だって仲間だから!しねまは仲間だからわたしやるよ」と。(完全想像)

おそらく客観的な価値観など意味がないのだろう。この時の朗の価値基準と、私が持っている価値基準は全然別物で合わせることが不可能なんだろう。

つまり朗にとっては「前科持ち・家族に迷惑をかけることになっても、店長さんの情報をしねまに届けるほうが価値がある」。

そして私は気づく。ああきっとこれは青春なんだ……と。

利益とか実利とか保身とかそういうの全部蹴飛ばして心のままに行動すること―――そう青春だ。

「今回お前がしたことを知ればきっといろんな奴がいろんな事を言うだろ。お前のしたことを正しいと言う奴もいれば、お前のしたことを間違っていると言う奴もいる。
だけどそういうことじゃないんだ。

誰がなんと言おうとお前は気にしなくていい。

だってお前は正しいことをしたわけでも
間違ったことをしたわけでもないんだから
お前は青春をしたんだ」

―――花物語

花物語 (講談社BOX)

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きっとそういうことなんじゃないかな。

 

 

 

 納得のいく後悔

 「結局さ、人生ってやつは、やってもやらなくてもなにかしら後悔ってのはあると思うんだ」

「だったらせめて納得のいく後悔をしたいと俺は思う……そのときの自分の本当の気持ちにまっすぐ向き合って、正直に生きたい

――翔太

 このあと翔太は「自分の気持ちに嘘を吐くのはイヤだ」と云う。そして(?)沼地蠟花が言うように神原駿河が言うように「やって後悔しないのが一番」なんだよね。やって後悔するなんてのは詭弁で誰だって叶うのならば「やって後悔」しないほうが絶対にいい。

でもそんな風に行動してもそうならないことの方が多い。やってもやらなくても後悔ばっかりだ。ならば「心のままに」行動するのが、せめての最善手だよねとは思う。それがいつだって後悔ばかりの人間が取れる最も後悔が少ない方法かもねと。

ただ問題なのは「自己欺瞞」が発生している場合は、どこまでもいって嘘ばかりの動機にしかならないから満たされるのかどうか?と問われると満たされないのではないかな……という気もしてくる。までもその行動の積み重ねで欺瞞は認識していくものだからどっちにしたって行動あるのみなんだけれどね。

 

 

「美」とは

 

「では、美とは個々に定義の異なる好悪の概念の便宜的な総称、ということでしょうか」

「そうですね。フロゥの分析は正しいと思います……ですが、一定の傾向があるのもまた事実。星空を見て『美しい』と感じる人はとても多いのです」

「それは人間の本能的なものに根ざしているということでしょうか」

「それとも社会的に多数はであるという価値観が形成されたためなのでしょうか」

「両方でしょう。おそらく割合としては前者のほうが大きいと思いますが」

――セレス、フロゥ、ゼオラ

なにを美しいとするかは個人差があるけれどそれだけじゃない。多くの人間が美と感じるものもある、そしてそれは本能的なものに根ざした感覚によってあるいは多数派の価値観の形成によって決定付けられたものだと。

多多数派の価値観は後付という点で「偽物」の印象を拭えないよね。まそれはどうでもよくて、気になるのは「本能に根ざしたもの」とは一体なんなのだろうということ。 

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 「不思議ですね。ですが―――」

「その不思議を尊ぶという気持ちが美に繋がるのではないか……私はそんな風に考えます」

「不思議を尊ぶ……なるほど、美とは対象を『尊重』するという概念である、というお話はとても納得がいきます」

「逆に考えれば、尊重したくなるもには美を感じている、そう云うことも出来るのではないかしら」

――セレス、ゼオラ

 「本能的に根ざしたもの」ってつまり不思議だと思うことなんじゃないの?とセレスは語る。そしてただ不思議なものじゃなくて「不思議を尊ぶ」ものにこそ美を感じると……(ってことでいいはず)

これって「わかるでもよくわからないもの」っていう考え方に近い。全く理解不能ではないけれど、なんだかよくわからなくて曖昧ででもそこに魅力を感じると。 

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)

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 例えばある事象に対して(絶景とか夕陽とか)、美しさを表現するときに「言葉にならない」っていうけれど、あれもまた「よくわからん!」ってことだよ。言葉で説明できるんだとしたらそれは理解可能なものなんだから。

んー……ここはアートの話に波及していく感じがするな……。以前『ヒカ碁』を題材にアートとはなにか?を語ったけれどそんな感じ。

『ヒカルの碁』で繰り返された「神の一手」って一体なんだったの?~最善手の一歩先~

 

つまり言葉では説明できないもの、ロジックでは追いつけない「よくわからない(不思議な)」所に美は宿るんだろう。あるいは美しいと感じてしまう。

ってか考えると「これ一回性じゃねーか!」ってなる。だから小さいころは世界を理解できず自然の摂理をよく分からなかったからこそ、いろいろなものに価値が生まれワクワクドキドキし美しいと思っていたんだろう。

年齢を重ねれば重ねるほどもしかしたら「美」って感じにくくなるかもね?

 

 

 

 

さあ、関係を並列にしましょうか―――

 

しねま「えっ……?私の所有権を放棄なさる、ということでしょうか?」

朗「あは、違うよ。形式上はね、そのままだけど」

朗「もう、しねまはわたしたちの仲間<ともだち>で――家族<ファミリー>なんだよ、ってこと!」

清十郎「おお、そうだな!」

カヤ「うん!」

一姫「……今のは素直に同意しておくわ」

フロゥ「私も、そう思います、しねま様――いえ、しねま」

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誰かに親愛の情を覚えたり、あるいは慈しみを感じたりすると相手との関係が自動的に並列なものとなってくる気がする。そしてそこに"応援"や"祈り"というものが生まれゆくんだろうなとも思う。

逆に極端な劣等感、優越感、憎悪、嫌悪が生まれているとどうしたって(見せかけは並列でも実際は)上下な関係になってしまいがち。それは客観的な関係ではなくあくまでも主観的な関係性だけれども。個人的に結んでいる相手との関係とでもいえばいいのかな。

あと物理的に(は無理か)、明示的に「関係性を宣言する」というのも効果的だなと思った。朗がやったように「今まではマスターとヒューマノイドの関係だったけれど、そうじゃなくて、わたしとしねまは家族なんだよ!」だよもん!みたいなね。

こういうのって方法やタイミングを間違えると「ぉ…おおう……」ってなるので、取り扱いは慎重に☆

 

さーて、ってことでそろそろ感想も終わりかなー。

うん、終わり。

 

余った言葉

 

「精緻に計算され尽くした完全なものは―――その完全さゆえに『可能性』を失ってしまう。だから僕は『まだどうなるか判らない』という余地を常に持っておきたい、と」

 

インセスト・タブー[incest taboo]

近親相姦を禁忌とみなすこと。近代文明社会において広く見られる価値観だが、掲載された原因については諸説ある。

 

 

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