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吉田松陰・超訳「覚悟の磨き方」を精読してみた(6825文字)

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覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

本書『覚悟の磨き方』は幕末を駆け抜けた思想家・吉田松陰の言葉を今風に分かりやすく解釈したものです。本文は170以上の短文メッセージを羅列する形を取っており、読書に慣れ親しんでいない人でも読みやすいようになっています。

 

こんな感じに↓

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こんなふうに001~170以上のメッセージがぽんぽん表示されます。

しかしどういう背景で、どんな文脈で吉田松陰がこの言葉を紡がれたのかは書かれていません。なのでこの一つ一つのメッセージが心に響くか否かは、読んでいる当人の蓄積された経験や知識によって大分はっきりしてしまうと思います。

それと私は吉田松陰をそこまで詳しく知らないこともありすんなりと言葉を受け止められましたが、彼のファンかすればどこが吉田松陰なの?と思う人もいるみたいですね。

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰 (Sanctuary books)

 

 ここから先は私が本書を読んでどう感じたか? という感想を書いていきます。ではではどうぞ。

 

 

 

やり切るまで手を離すな

 

たいていの人はまだ序の口で、
いよいよこれからが本番だというときに、
自分の田んぼを放置して、
人の田んぼの雑草を取りたがるのです。

人の田んぼの雑草を取るというのなら、
まだいい方かもしれません。

一番多いのは人が懸命に草を取っている姿を傍観して、
その取り方がいいとか悪いとか、批評ばかりしている人です。
まずは自分が今いるところからはじめましょう。
人生の歓びを十分に味わうために。

――002

自分が着手していたことを「なんらかの理由」で途中で放り出し、相手の着手していることに手を付けたり、あるいは批評をはじめることはやめろと。

 

 

 

なにを選ぶか、どう選ぶか

 

自分にとっての利益。
これをなるべく増やそう、残そうとすればするほど、
判断基準がぶれ、迷いが生まれます。

反対に、自分の利益さえ一番後回しにできるなら、
やろうがやるまがいが、どれを選ぼうとも
物事は気持ち良く進んでいくものなのです。
自分のことを考えると、かえって自分のためになりません。

――008

 自分の利益を置いて他者に献身的であれ……とはまた違った考え方のような気がするものの、どう考えればいいのかちょいと悩む。しかしこれがなんらかの正解であることを私はなんとなく分かる。

自分の利益を増やそうとすると判断基準がぶれ、物事は停滞したり躓いたりしてしまいやすい。けれどその物事によって関わる人の益を増やそうと思った場合、物事は進みやすいと。

 

 

頭と心の関係

 

ご存じの通り、
すべての人の心には善と悪が同居していて、
その心がいいことも、悪いこともさせます。

では"性善"というのはどんなものかと言えば、
それは万人に生まれつき備わっているものですが、
やむにやまれず「いいことをしたい!」と思ったとき、
そうさせる心、それが"性善"に間違いありません。

ですが間髪入れず湧き上がる
「名声が欲しいから」とか
「得をしたいから」といった欲望が、「善」を邪魔してしまいます。

こういった欲望は、「善」を頭で考えるから、
生まれてしまうのです。
この頭から生まれるものを、
相手にさえしなければ、正義は実行できます。
頭のために、心をすり減らすほど愚かなことはありません。
頭は心を満たすものに使うものです。

「心から満足できる行い」にもっと敏感になりましょう。

――012

 
いわゆる「心のままに」行動をしろということなんだろう。理屈付け、理由付け、ロジックで行動するのではなく心のままに。心のままに行動するということは利益とか損得とか関係しなくなってしまう。だって感情で動いているのだから当然だ。

例えばいじめに合っている友人を助けようと思ったときに「これは得か?」「もしかして今度は自分がいじめにあうのではないか?」「友人を助けたら何かメリットが?」とか、「偽善か?」「私がやっていることは傲慢ではないか?」とかそういうごちゃごちゃしたことは考えない。

心が「助けたい」と思ったら助ければいい。

心のなかの声が「どうにかしたい」と思ったなら心のまにまに行動すればいい。きっとそういうことなんだと思う。そしてこれが「心から満足できる行い」なんだろう。

それが失敗に繋がるとか損するとか、そんなことはどうでもいいんだろう。

 

 

 

見失ったときに立ち返る

なにか新しいことをはじめようと思うなら、
その前に「なんのために、そうしようと思っているのか?」
はっきり言葉にしておいた方がいいでしょう。
はじめてしまってから
「なんのために、これおwやっているのか?」
あわてて理由を探したところで、負け戦になるだけです。

――016

自分の心の動機をちゃんと知っておこうねってことだと思う。
さっきの誰かを助けるうんぬんだと「見ていてやるせないから」とか「誰が不幸でなくても見ている私が嫌だ」ということをちゃんと認識しておこうねと。

 

 

 

 

甘えを捨てろ

 

人にまかせきりにしないで、
自分にできることを見つけて、やってみましょう。
「まわりとうまくいかない」
なんてぼやいていないで、仲良くなる努力をしましょう

なぜって?
あなたは今日から大人だからです。

――019

 これはたぶん海斗っぽい在り方な気がするなあ。

他人が食事を持ってきてくれることに期待したり、喉が渇けば親父が水分を恵んでくれたりそういう甘えた考えを捨てろ。自分ができることをやって自分を救え。いつだってどこだって自分を救うことができるのは自分だけなのだから。

そしてそれは杏子を病気から助けるときもそうだ。彼女が死んだら自分が殺される状況で一体なにをすべきか? 自分じゃどうすることもできない「他人の病気」という運命にも近いそれを「自分が出来る限り」のことをして回避しようとする。もしかしたら、運が良ければ、そんな甘えた考えは出さない。「運」とか言っている時点でそいつはもう何もしていない。

人事を尽くして天命を待つ? なめんな。そもそも天命を待ってんじゃねーよ。待っている間にも最悪の事態を回避できるように努力しろよ、きっとそういうこと。

暁の護衛 トリニティ(通常版)

暁の護衛 トリニティ(通常版)

 

 そういえば拷問部屋で舞を対峙しているときも、彼は「天命を待つ」なんて行動は一度もしなかったよねと思い出す。

 

 

 

 

最高の一文字

 

誠。
この一文字をよく味わってみてください。
何度でも心に刻んでください。
私欲を捨てて、誠に生きましょう。
年齢とは関係ありません。
その覚悟ができた瞬間から、
ようやく本当の人生がはじまるのですから。

――026 

この人は「感情で生きる」ことをなによりも大事にしていた気がするよねん。だからこそ誠実さを求めているんだと思うから。

本当の人生がはじまるかは別として、「誠実に感情で生きる」という生き方はそれはそれでいいなとは思う。誠実に生きるってことは、素直に生きる、心のままに生きると同義なはず。

 

 

感情が人生

 

照れないこと、覚めた態度を取らないこと。
もっと自分の感情に素直になりましょう。
不安を聞けば泣けばいいし、
美しい景色を見れば、また泣けばいいのです。

感情は表現すればするほど、受け取る力が強くなります。
ありったけの心を動かして、人生を楽しもうじゃありませんか。

――036(?)

うんやっぱり感情を大事にしている人だったか。

感情によって人は見る景色が違ったものに見える。楽しい気持ちのままいった遊園地と悲しい気持ちのままでいった遊園地とじゃ、思い出に大きな差が生まれる。「遊園地」という対象はなんら変わっていないのに、自分の気持ち次第で良くも悪くなったりする。それが人間ちゃん。

だから、というわけじゃないけど、自分の気持ちに素直になったり、なにかを楽しくしようという気持ちを大事にしたいよねと。

それと「感情は表現すればするほど、受け取る力が強くなります。」という部分は、なんだか納得してしまった。ちゃんとした理由付けを提示していないにも関わらず「そういうものかもしれない」そう思ってしまった。

ということは感情を表現しまくっている芸術家は感受性が高いことになる。受け取る力が強くなっているはず。

だから「Artをしよう!」ってことにも繋がるんじゃないのかな。ええきっと。

アーティストになろう、今すぐに! 

 

 

 

得を考えるのが損

 

結果はさまざまです。
全力を出せたかどうか、それだけを振り返りましょう。

正解なのは、それだけですから

 結果は他者がコントロールするものであって、自分じゃどうしようもないからね。自分が唯一コントロールできるものは「全力でやったか」「出来る限りのことをやったか」それだけ。

 

 

自分にしか守れないもの

 

法を破ったら、罪をつぐなえますか。
自分の美学を破ってしまったら
一体誰に向かってつぐなえますか。

――043

これ流儀の話だー!って思って呼んでいた。自分の流儀をしっかり確立させてちゃんと貫き通そうよってことだろう。

 

 

人に影響を与えられる人

 

他人への影響力は、自分への影響力に比例します。
他人の考え方を変えたいと思うならば、
まず自分の考え方を変えてみることです。 

 これは本当にそう。無理やりアドバイスを聞かされ「それ私には必要ないですね」という態度を取ると「頑固だねー」という意見をどうにかしたい。なめんな、てめえの意見で私の生き方が変わるわけなんてないんだよばーか。

 

 

うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない

今、手にしている現実は、過去の選択の結果だ。

そして未来は、今まさに、心で決めたことによって決まる。

いつからでも。どこからでも。

松蔭の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」だった。

それは良い結果を出すためでも、周囲から称賛されるためでもなく、人並み外れて強く、心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった。

慣れ親しんだ場所から出たとき、自分にとって本当の人生がはじまる。

評判は傷ついても、生き方は傷つかない。

生き方を傷つけるのは自分だけである。

 

 心からの充実感を手に入れる為には、「うまくいくか分からないけど、これをやらなければはじまらない」という感覚を持てばいいのだろうねきっと。

心のままに行動して、心からの充実感を手に入れる。それは結果を出す為でも、名誉を手に入れるわけでもない。ただ心を満たすために動く。

ふむん。

 

 

ひとつのことに狂え

「私は絶対こうする」という思想を保てる精神状態は、
ある意味、狂気です。おかしいんです。
でもその狂気を持っている人は、幸せだと思うんです。

そうだねその通り。私もそう思う。ひとつのことに狂気的に接することができるというのは傍から見れば異形だけれども、自分のなかでは幸せなことだろう。

そしてひとつのことに熱中できないんだとすれば、私は絶対にこうするんだと曲げない思想がないんだとすれば、それは充実感があまりないのかもしれない、

 

 

 

どう生きたいか

他人から馬鹿にされたくない。
皆そればかり気にするものです。
家がおんぼろだとか、服が時代遅れだとか、
ろくなものを食べてないとか、
しかし、人はあやういものです。
生きているときは生きていますが、
死ぬときは、もう死んでいるわけです。
今日はお金があっても、明日は一文無しかもしれませんし、
今日は皆から愛されていても、
明日は皆の心が離れているかもしれない。

ですから、私が大事だと思うのは、
ただ「自分はどう生きたいか?
その方針に従って生活することなんです。
それが人の道というものじゃないでしょうか。

――086

自分はどう生きたいか?

どういう規律を持ってい生活したいか?

どういう美徳を持って人と接するのか?

そういう「流儀」を持って生きる。

それがきっと自分の為になるんだろう。

何故この現実世界をゲーム化する必要があり、何でもありのこの世界で「流儀」が必要なのか? GALAXSystemとシュビラシステムで考える(6335文字) 

 

 

思い出すべきこと

 

能力の高さや、評判とは関係なく、
あなたにもひとつくらい、
得意なことがあることでしょう。

いったん他のことは中止して、
その得意なことに、
使えるすべての時間とすべてのエネルギーを
集中させてみてください。

忘れているのは、その覚悟ですよ。

――097

 世間的に能力が低かろうとも、自分のなかで得意なことはある。あるいは得意だと思っていること。

それにすべてのエネルギーと時間を費やしてみろよと、そういうことか。たぶんこれもまたそのことによる結果を出す為ではなく、「心からの充実感」を得るためにこれが最も一番いい方法なんだと思う。

能力が低くても得意なことって、つまり「好き」なことと同義だから。好きなことを必死で全力でやるのはそりゃ充実感高いわな。

 

 

 

憧れの人の精神をつなぐ

私は何度もしくじりましたし、
自分のことを、賢い人間だとはとうてい思えません。
ですがこの世の中を救ってきた偉人たちの精神だけは、なんとか引き継げるんじゃないかと思っています。
自分を育ててくれたものを守るために
できることはそれだけです。

――102

 この感覚はほんのちょびっとだけ私にもあるような気がする。私の場合は「偉人」ではなく「物語」だけれども、その違いは微々たるものだろう。自分を育ててきてくれたものを守るために、その自分を培ってきれたくれた流儀をひたすら繋ぎ守る。きっと出来るのはこれだけだし、これだけでいい。

 

 

 

 

知識だけを伝えても意味がない

松蔭は「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じていた。

だから一人一人を弟子ではなく友人として扱い、お互いの目標について同じ目線で真剣に語り合い、入塾を希望する少年には「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」と話したという。

教育は、知識だけを伝えても意味はない。
教える者の生き方が、学ぶ者を感化して、はじめてその成果が得られる。

 流儀を確立させることが出来れば、そこから学ぶ知識や経験、つまり人生そのものが学問に変わるというのも分かるような気がする。これは一本の樹を育てる為に「どうすればいいか?こうすればいいのかな?」という実践が勝手に行われるんだろう。

自分の最大のテーマを決める。そうすると自ずとすべてがそれを肥やす血肉になる。きっとそういうことなんじゃないかな。

 

 

よく失敗しよく動く

よく行動する人は、知識は必要最低限でいいと考える。

なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないと知っているからである。

だからよく失敗する。だがそれで「順調」だと思っている。

そのように私たちの脳は、自分の行動をうまく正当化するようにつくられている。

小さくても「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる。

吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた。

大切なのは、不安をなくすことではない。

いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか。

そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、休むことなく生み続けることなのである。

 
よく失敗するために、知識は最低限のままでよく行動する。すると最適解みたいなものが素早く習得できるのだろう。頭でかっちではいけない、やっぱり行動しなくては。

そして「自分の手で未来は生み出す感覚」というものを身につけることができれば、きっとよりよい人生が送れるんじゃないかな。私はこれを聞くたびに朝霧海斗のことをどうしても思い出してしまうんだけれどもね。

 

おわり。

 

<参考>

未来記憶

未来記憶

 

 

吉田松陰一日一言

吉田松陰一日一言

 

  

暁の護衛&暁の護衛 ~プリンシパルたちの休日~ ORIGINAL SOUND TRACK 初回限定版

暁の護衛&暁の護衛 ~プリンシパルたちの休日~ ORIGINAL SOUND TRACK 初回限定版

 
暁の護衛 トリニティ(通常版)

暁の護衛 トリニティ(通常版)