猫箱ただひとつ

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その記事はまさに呪い(2447文字)

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「呪い」という言葉がある。

私はあまり詳しくはないが藁人形にごっすん釘を刺すとか、黒魔術で魔女と契約して憎きあいつを呪い殺すみたいなね、そういうイメージが「呪い」という言葉によって思い出される。

しかし呪いというのはそういうお伽話以外にも、もっと身近で、誰にでも出来るものも呪いと呼んでいいんじゃないのかなと最近思い始めてきている。

例えば言葉によって相手の行動、思考を制限したりあるい束縛したり促すというのもまた一つの「呪い」なのではないのかな?って。

母親に「おまえなんか生まれなければよかった」という言葉を聞いた子どもが、生きることを諦めてしまったり生きることに罪悪感を感じてしまったり。

嫌いなヤツから「お前は幸せになれない。ぜったいにだ」と言われてしまったとしよう。その言葉を聞いてから3年後、実際に不幸のどん底に落ちた時に「……ああ、あいつの言ったとおりだった。僕は幸せになんかなれるわけがなかったんだ」と思いつめてしまうのもある種の呪いだと言ってもいいんじゃないだろうか。

人生なんて不幸と普通の割合のほうが遥かに大きい。生涯という俯瞰的な目線でみた場合、幸せだと思える瞬間は半分も無い。いやむしろ2,3割あればめちゃくちゃラッキーだろう。そして不幸と幸福は「ずっと続く」なんてことはありえないのである。この2つはくるくると立ち位置を変えていくものだからだ。

なのに「あいつが言った通り不幸になった」と思ってしまうことが、既に思考に制限を掛けられ視野狭窄に陥っている証拠だ。

 

呪いの強度が高い記事

  

こないだこんな記事を書いた。

エ口ゲが好きでも「鮮烈な物語体験」をしていない人は実はいっぱいるという仮説。その理由とは?(9508文字) 


内容を簡潔にまとめると「エ口ゲが好きと言っても鮮烈な物語体験をしたことがない人が多いのかもしれない。冗談だよね?いやいやでもそうっぽいなー」というもの。

そしてこの記事をよくよく見返し、よくよく読み返うちにふと気づいてしまった。

 

あれこの記事、呪いの強度高くない?」と。


どういうことかというと、この記事は「鮮烈な物語体験」が""る人にとっては、厨二病やサンタクロースの話を楽しく読んでくれていると思っている(希望的観測)。

けれども「鮮烈な物語体験」が""い人にとっては、物語体験に劣等感を抱かせたり、気負わせてしまったり、背負わせてしまったのではないか? ということ。

前者の場合は呪いになりはしないが、後者の場合それは「呪い」になりうる。相手の思考の方向性を決定づけてしまうという意味での「呪い」に、ね。

当該記事はこのブログで最も強度の高い「呪い」の記事だと思う。

誰かのエ口ゲの興味や、楽しさを失わせてしまう程の、強い「呪い」だったんじゃないかと思う。

とはいってもあの記事に対してそういう声を聞いたわけではないし、直接文句が来たわけでもない。でもね「エ口ゲが好きでも「鮮烈な物語体験」をしていない人は実はいっぱいるという仮説」、この記事を4回以上読み込んだ私からすると、その可能性は結構大きいんじゃないのかなって思い始めてる。

もちろんだからって記事を消すこともなければ、今後ああいう記事を書かないというわけでもない。

たださ、自分の記事が「呪い」のように相手の行動・思考を制限する力があることを覚えておくべきだなとそう思っただけ。

 

でもま杞憂であればいいな。

 

劇場版 空の境界 第五章「矛盾螺旋」 画コンテ集 (講談社BOX)

劇場版 空の境界 第五章「矛盾螺旋」 画コンテ集 (講談社BOX)

 

なんというか、あの記事は「自分が当然だと持っている者が実は多くの人が持っていない」という疑問に対し、「ふざっけんなああ!!!」という気持ちによって生まれた記事だと思ってくれていい。

これは私にとっては「哲学ゾンビ」みたいなものだったんだよ。私は私のクオリアが分かるし、私は私の"感じ"ることを感じられる。そしてそれは私以外の人間にもあると思っていたし、みんながみんなクオリアを持っていると信じきっていた。

でもどうだろう? よくよく話を聞いてみれば持っていない人も実はいるんじゃね?という疑問が生まれてきてしまったというわけ。もしかしたら今私と話している人はクオリアを持たないゾンビなのかもと思ってしまったわけだ。

哲学ゾンビの比喩はちょいオーバーだけれど、似たような感覚だったということを理解してもらえればいいかなと思う。ははーんなんだ私が当然だと思っていた体験を多くの人はしてないわけか……ああどおりでね…………納得した……とそういう悲しみと疎外感が積もった記事ってわけ。

唯一救いがあるとすれば私の当該記事で語った物語体験を、他の人も経験したことがあるという事実だ。それが例え多くなかろうとも実質的に証明できなくても、自分と近いものを経験して、似た熱量を物語に感じている人が"い"るという事が私は嬉しいんだよね。

それは自分1人だけが感じているものじゃなくて、他者もまた自分と似たようなものを抱えているんだなって分かるから。

ということで今日はここまで。

それではまたね。

 

<参考>

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

 

 

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

 こういう「呪い」の話って、魍魎の匣の話で言われていたような気が?……なんかそんなつぶやきを見た記憶があるんですよね。ちなみに私はどれも読んでません。