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永遠世界は人が目指した「不条理がない究極の世界」である。暁の護衛からCLANNADまで(6362文字)

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この記事は海燕さんの
なぜ、弱者を保護しても「自然の摂理」に逆らうことにはならないのか
を元に、私なりにどう解釈し、そこからどう永遠の世界へと繋げたかを書きました。

それではどうぞ。

 

 

1,人間社会

 

私達が住む「人間社会」は様々なルールによって運営されている。

法律や倫理、校則から規則、家族との約束から恋人との誓いまでさまざまなルールによって自分達にとって住みやすい社会を構築していっている。

例えば法律といったルールは、殺人・強姦・奪取といったことを禁じている。何故これらを禁じるのか? それはある日自分が突然殺されないように、ある日いきなり財産を盗まれないようにしたいからだ。

誰かの殺害を許せば、巡り巡っていつか自分が殺される事態を招くことになる。相手を嘲笑しただけで頭を殴られるかもしれないし、逆立ちをしただけで包丁で腹部を貫くかもしれない。しかしそんな世界は御免だ。簡単に死んでしまうのは困る。

だからこの世界はとりあえずそれはいけないと禁止するのだ。殺しは悪だ。と。

そしてこのルール(法律)が機能していることで私たちは隣人が自分を攻撃するのではないか?と常に疑わないですむし、安心して暮らせるようになる。身体的な安全から精神的な安全までもが保証されるのである。

また法律という大枠で縛れないものは、倫理によって拘束されることになる。

倫理と言われる「大勢の総意の意見」によって、あれをしてはだめ、これをしてはだめと大勢の価値観に働きかけるのがこれだ。倫理観とははいわば"可視化されていないルール"と言ってもいいだろう。

例えば電車では老人に席を譲るべき、目上の人には挨拶するべき、ポイ捨てをしない、歩きタバコをしない、クチャ食いはみっともないなどなど。

しかしこれは別に法律とは違い、破ったところで罰せられはしない。

しかしこれもまた巡り巡って自分の為にやっていることだ。

何故なら老人に席を譲るのは<自分が老人になった時に譲ってもらう為>であり、ポイ捨てをしないのは<自分が住んでいる街の衛生を保つ為>に、歩きタバコをしないのは<歩きタバコで怪我を負いたくないから>であり、クチャ食いをしないと決意するのは<クチャ食いを目の前でされるとイラッとするから>だ。*1

―――このように「人間社会」とは、明示化されたルールから、見えないルールによって人間にとって住みやすい世界であらんとしている。全ての人間にとってよりより社会作りを目指している。安心で快適で居心地のいい世界。それが人間社会の行きつきたい理想だろう。

だからこそ先天的に身体に障害があろうとも、精神的に欠損があろうと、セクシャルマイノリティであろうと、少数派だろうが"なるべく"救済しようとする。political correctnessといった政治的な正しさを訴えるのも、男女平等を掲げるのも、生活保護奨学金も全部全部そうだ。

理不尽と不条理がないことを可能な限り追求した世界。

人間がこうであって欲しいという願いが反映された居場所。

それが「人間社会」だ。

 

 

2.自然世界

しかしこの人間が作り上げた叡智の結晶である社会Systemから一歩抜け出すと、そこは誰も守ってくれない世界と様変わりする。それが「自然世界」と言われるものなんだろう。

「自然世界」は人間によって生まれたルールとは別のルールで駆動している。お金は使えないし、法律は通じないし、弱い者は強い者にカンタンに殺される。さくさくっと。ぐさくさっと。

そこは暴力と悪意で錬成された非道い場所だ。安心と安全なんてものは仮初めだろうとも存在してくれない。

そこには「理由なき悪意」といったものがごろごろと転がっている。天災や事故、強者からの捕食といった「理由なき悪意」は前触れもなく唐突に突然に襲い掛かってくる。明日には自分が生きているという保証なんてどこにもない。ただ、食べて、生きて、殺してを繰り返していく世界。

「自然世界」のイメージはいわゆる森林の奥深くで一人で動物を狩猟し生きていくことに近いのかもしれない。

でもそういうことでもない。

人間らしい服を着、言葉が通じ、徒党を組める仲間がいたとしても「自然世界」というものは存在する。悪意が唐突に襲いかかってくる世界は実現してる。

イメージが難しいなら『暁の護衛』の特別禁止区域を思い出してみて。あそこには人間がいるけれど、あそこの人間達は誰もが誰もを信じてない。いつも自分以外の誰かを殴り、奪い、殺すことが日常化してしまっている。

お腹が空いたらパンを買うのではなく、奪う。むらむらしてきたら風俗に行くのではなくそこらへんの女あるいは男を無理やり犯す。気に食わない奴がいたら歯を折り目を潰し殺害する。


そう。あそこでは「弱者を守ってくれるルール」なんてものは存在しない。不条理から、理不尽から、理由なき悪意から守ってくれるものは何一つないんだ。自分以外を除いて。

「海斗さまにはわからないかも知れませんが、あの場所では、弱いことが罪であり、仕方がないこと」

――暁の護衛

 

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おそらく人間という種族もはじめは自然世界の中で暮らしていたんだと思う。自然世界のルールと折り合いをつけながら日々の生活を営んでいた。

しかし、だんだんとこの自然世界のルールに耐え切れなくなり、この世界の仕組みそのものを書き換えようとした、んじゃないだろうか?

その結果が「国家」や「社会」といった自然世界とは独自のルールで機能するエリアが出来た経緯なんだとしたらどうだろう?

動物は与えられた世界に、無条件に従属して行動します。それは自然なことですが……

「人間は世界を観て、世界を変えるために行動するんです。とんでもなく不自然です」

――七枷琴子

猫撫ディストーション
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人間は自分の心の奥底にある"内在世界"(=理想の世界)を、現実に反映させようと行動してしまうものなんだと思う。 だから与えられた世界や、与えられたシステムに満足できなくてどんどん書き換えようとしてしまうんじゃないのかな? これじゃ嫌だー!っていいながら。

ある日突然病気になっても生活を保証してもらえるように。
ある日事故にあってもある程度お金を工面できるように。
少数派が多数派によって人間の尊厳を毀されないように。

人はそれぞれ違っていい。思想も信念も価値観も嗜好も。だからこそ画一的な管理はやめるべきだし多様性を尊重しようという行動が生まれ始めているんだろう。

また『運命が君の親を選ぶ 君の友人は君が選ぶ』では、理事長さんはこう言った。

『幻想』は歴史を変える大きな要因です。 人々の幻想は政治を変え、社会を変え、戦争を起こし、民族大移動さえも起こすのです。

『夢』はそれほどまでに多くの人間を殺します。

(理事長)

人はいつだって自分の夢を現実に反映させようとしてきた。それが「人間社会」が生まれる最大の原因だとしたら私はとても納得ができる。

 

そしてこの延長線上に「ゲーム」が存在する。

そうゲームだ。囲碁、将棋、チェス、サッカー、バスケ、トランプといったやつだ。

 

 

3.ゲーム世界

ゲームには必ず「ルール」があり、そのルールを参加者は絶対的に守らなければいけない。囲碁ならば1度碁盤に置いた碁石は動かしてはいけないし、バスケならばダブルドリブルしちゃダメよとかそういうのだ。

もし設定されたルールを破れば一瞬にしてゲーム世界からご退場させられてしまう。つまり強制的に自分の負けになる。

あるいはそもそもゲーム自体に参加させてもらえなくなるだろう。ずるばっかする奴と対戦したいか? 答えはNoだ。

だからこそ皆ルールを必死で守るし、ルールの枠内で最善を尽くし勝とうとする。

人間社会のルールは絶対じゃない。ある程度の強制力はあったとしても、その強制力(=罰)より上回る価値が当人に生じてしまった場合、軽々と犯罪を犯してしまうようになる。

もちろん人間社会でも法を破ればその社会からの参加資格を失い刑務所にぶち込まれるわけだけれども、しかしゲーム世界との最大のポイントは『世界から追放する』というアクションをノーコストで起こせることだ。

これがあるからゲームは公平性をに保つことが出来るのだ。*3 

ゲーム世界は人間が目指した理想の世界と言ってもいいだろう。

この現実世界にゆいつ「不条理がぼぼない世界」があるとすれば私はゲームだと答える。あー麻雀は知らん。でも囲碁や将棋でその世界は"ほぼ"実現していると言っていいはずだ。


 

 

4.永遠世界

そしてここから現実から観念の世界へと一気にシフトしていく。

「永遠世界」はその先にある究極だ

ONE ~輝く季節へ~ Vista動作確認版

死、老い、生きることの苦しみ、いつか全てが壊れてしまう悲しみ、諸行無常。そういうのはエントロピーが0の世界では絶対に起こりえない。時間の矢が壊れてしまった世界ではそういった不条理が根こそぎ失われている。それが「永遠の世界」のグランドルールだ。

そして人間が夢見る、幸せな、究極の世界でもある。

キリスト教の天国や、『コードギアス』のCの世界、『CLANNAD』の幻想世界、『ONE~輝く季節~』の茜色の世界、『猫撫ディストーション』の氷世界。『スマイルプリキュア』のなまけ玉。

ここでは皆が笑っているし、幸せな日常が永遠に続いている。そんな苦渋と慟哭にお別れした場所。私にはそんな永遠世界は「幸せ」に見えるが、人によっては「地獄」に見えてしまう人もいる。

ギルティクラウン』の結晶世界はまさにそんな感じ。あれは私は幸せな日常に見えるけれど(=とはいっても誰一人ぴくりとも動かないんだけどもね)、あの暗く失われた風景は多くの人がこんな世界嫌だ!と思ったんじゃないだろうか。

また永遠世界に行けたとしても、ずーーっと居続けることで飽きてしまいうんざりしてしまい抜け出したいと思う状況が多々あるのも、そういうことなのかもしれない。

つまり永遠とはもうなにも変化が生まれないことと同義だ。そこは退屈で退屈で仕方ないのかもしれない。死にたくて死にたくて仕方のないところなのかもしれない。

長い時間が経ったんだ。

いろいろな人と出会って、いろいろな日々に生きたんだ。


ぼくはあれから強くなったし、泣いてばかりじゃなくなった。

消えていなくなるまでの4ヶ月の間、それに抗うようにして、ぼくはいろんな出会いをした。


乙女を夢見ては、失敗ばかりの女の子。

光を失っても笑顔を失わなかった先輩。

ただ一途に何かを待ち続けているクラスメート。

言葉なんか喋れなくても精一杯気持ちを伝える後輩。


駆け抜けるような4ヶ月だった。


そしてぼくは、幸せだったんだ。

(滅びに向かって進んでいるのに・・・?)

いや、だからこそなんだよ。

それを知っていたからぼくはこんなにも悲しいんだよ。


滅びに向かうからこそ、すべてはかけがえのない瞬間だってことを。


こんな永遠なんて、もういらなかった。

だからこそ、あのときぼくは絆を求めたはずだったんだ。


・・・オレは。

「永遠世界」は人間が夢見る不条理がない究極の世界だが、ここまで極端な場所に行き着いてしまうと幸せな場所から地獄へと様変わりしてしまうのかもしれない。そう私は思った。


 

・不条理の度合い

自然>>人間社会>>ゲーム>>超えられない壁>>永遠

 

 

おわり

一ヶ月前のネタをようやく記事にできたー!って感じですね今。

もっとはやく形にしろよという声も聞こえてきそうですが、中々ね。てへり。

海燕さんの記事には感謝です。おそらくこの記事がなかったらここまで「ルール」「不条理」「ゲーム」「永遠」の要素を自分の中で繋げることが出来なかったと思いますので。

あとはここから「戦い続ける」という概念を自分なりに落とし込めればいいなあって思ってます。これはもうちょい先になりそうです。海燕さんと同じ結論になりそうな予感がしますが、それでも自分で考えて臓腑に落としこんで行きたいなと。

それでは今日はここまで。

またね!

 

<参考>

*1:もし倫理による働きかけが<自分にとって不必要>だと判断したならば、もちろん従わなくていい。倫理なんて大勢の価値観が反映された結果にすぎないのだから自分の価値観とずれていることも多々ある

*2:もちろんそこから漏れてしまう人もいるし、リカバーできない部分もある。だからこの社会はいまだ完璧ではないのだ。

*3:ちなみに絶対的な公平性でない。ゲームでもズルしようと思えばズルできるし、見つかなければそのズルもありといえばありになってしまう。例えば麻雀はズルを公に認められている節がある。