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京騒戯画4話_あなたには大切な思い出ってあります?(976文字)

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これヤバいなあ…毎話ウルっとしてしまって…もうね……いろいろ胸にぐっときます。

 

はい4話ー!

 

 

何も捨てたりできない。
どれもママとの大切な思い出だもの。
捨てることなんか―――

(八瀬)


なんで人ってこんなにも「形ある」ものに拘ってしまうんだろうと思った。

八瀬が大事にしているのは「思い出」そのものなだけなハズなのに、それに所以している「ティーカップ」を失くしてしまうと烈火のごとく怒りだしてしまっている。

一度失った大切な思い出は、二度と元には戻らない。二度と。

 ――八瀬

例え「ティーカップ」がなくなろうとも、「思い出」には傷一つ付かないし、無くなりはしないだというのにも関わらず、なんで人はこんなにも「形ある品」を大事にしてしまうんだろう? 

もっとも大事な思い出はそのままだというのに、ねえなんで?


1) 形ある品を「思い出」を呼び起こす"トリガー"として使っている為、無くなってしまうと困る。

2)人は「形無い物」を(つまりここでは思い出を)うまく実感できない為。それを"肌"で"実感"できる形ある物(=ティーカップ)が必要

3)思い出=品物、という図式に自分の中でなってしまっている。思い出の価値は、その物の"存在"の価値に接続しているせい。

 

この(1)(2)は要するに、思い出という観念を"実感"する為には、物質を媒介にし拠り所にしないといけないということ。物質であり物体である思い出の品がなくなってしまえば、もっともっと大事にしている思い出もまた"実感"できなくなってしまう。……ということなんじゃないだろうか。

何故なら人は、実体ないもの、触れられないものは肌感覚として上手く認識できないから。実感できないから。その体感覚が希薄になってしまうから。

だからティーカップがあれば、それに触れる度に、それを見る度に、簡単に思い出を想起できる。逆に無くなってしまえば、思い出を想起するのがだんだん難しくなってくるかもしれない。


(3)は「思い出の価値」と「物の価値」が等価値になってしまったこと。等価値というより「=」(イコール)で結んでしまったが故に、片方がなくなると、もう片方まで失って"しまうような"感覚を生み出してしまう。

それは錯覚のような、あるいは幻肢痛のようなそんな感じに。

 

<参考>

 

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