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エロゲの「認知」の仕方は視覚優位と聴覚優位では大きく異なるんじゃないか?(7395文字)

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穢翼のユースティア Angel's blessing (通常版)

 

先日、「視覚優位と聴覚優位って何?」という記事を書きました。

言及した『天才と発達障害』という本では、視覚優位と聴覚優位と2つのタイプに分けて、人間の認知の仕方を分かりやすく説明しています。私は視覚優位なんですが、まさか自分の物事の捉え方が人とは違うとは思っていなかったんですね。

程度の差はあれど、"前提"はみんな同じだと勝手に思ってきたんですが、それをぶち壊されたました。

つまり自分の認知の仕方は似ている人もいるのは確かですが(=視覚優位の方とは似ている事が多い)、聴覚優位の人では、大きく、大きく異なっている場合もあるんだなと分かったんです。

 

例えば、私という視覚優位者は


・曲を聴いている時、歌詞の認識が難しかったり


・物事を「映像」で記憶している為、"思い出す"という行為は映像空間、映像世界を作り出し、文字通り"見て"思い出を思い出しているのです。映画を見るように、そしてその世界にに自分を登場させることも可能ですし、その世界の物に触れたりすることも出来ます。

・客体視といわれる「三次元空間をモデリングし、カメラワークやパースを自由にぐりぐり動かせたり、思いのままに縮尺や伸縮したり、時間軸を持った映像」を脳内で再現したり

・昔の思い出や、小説で読んだ浮かび上がった映像をアニメーションのように早回し、コマ送り、逆回しなどで脳内で動かせることが可能です。

などなど。

正直、本を読み終えた後も、記事を書いた後も、上述した自分の認知の仕方が「他人とは違う」ってことが半信半疑だったんですどね。

それって単に程度の差じゃないの?と、映像で物事を捉えないってどゆこと?!とうまく理解できませんでした。

でも認知の仕方を周りの人に聞いてみたり、あるいはコメントをくれた方との会話を通じて「自分の認知の仕方を一般的だと思わないほうが良さそう」だなと理解しました。

 

 

 

 

視覚優位である私が見ている世界の在り方

 

10年前に『エウレカセブン』の小説を読んでいる時に、友達から「その作品の小説読んでいて面白いの?」と聞かれたことがあります。

彼が何を言いたいのかよく分からなかったんですが、どうも『エウレカセブン』のようなめちゃくちゃ作画が良く、ぬるぬると動くアニメをアニメとして見るのではなく、小説という媒体で読んでいて楽しいの?と聞きたかったようでした。

私は「? 自分の頭の中でぬるぬる動かせばいいじゃん」と答えると、彼は「そんなものなのかな」と言ってその話題は終わりました。でもこれって今振り返ってみると、文字を→映像化するのって人によって難しいことなんでしょうね。

おそらく彼は、文字媒体である小説を読んでも、映像化(=脳内でアニメーション化)することが出来なかったからこそ「エウレカの小説読んで楽しいの?」という質問が出てきたんだと思います。


私の中では「頭ん中でアニメ化」するのは、誰でも出来るものだと今まで思ってきたんですよ。生まれてから今まで何の苦労もなく、"習得"、"努力"ということをしなくても自然にできていることでしたから。

分かりやすく言うならと「頭の中でアニメ化」っていうのは、息を吸うとか、歩くとかそういった行為と同レベルだと思っていたんですね。

でも実はそれは違くて、出来ない人は出来ないんだなと、ここ最近ようやく実感しました。

(『天才と発達障害』の本でも書かれているんですけど、他人と自分の認知が違うっていうのは言われないと気づかないって書いてあったのでまさにそんな心境です)



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他にも、自分と他者の認知の仕方が異なりそうなものだと…………そうですね。

私は「自分と他者は絶対に分かり合えない」という言葉の不完全性について、このブログで何度も言及しています。

「言葉」というツールを使っている時点で、自分が本当に思っていること、言いたいことは100%の精度では伝わらない、それがもどかしいよねと。そして今の人類のコミュニケーションの限界でしかないんだとも。


手放さずにいたい『言葉』たち(4370文字)


でもここまで言葉の不完全さに拘るのって、今考えると、視覚優位だからじゃね?って感じています。

視覚優位者は物事を「映像」で記憶し、思考し、理解するタイプの人間です。ゆえに自分が思っていることを話すときは、「映像→言語」に変換する行程が挟まれるんですね。

例えば頭の中にりんごというビジュアルを思い浮かべてから、「りんご」と発言するような感じでしょうか。りんごの場合は、自分が言いたいことがりんごという単純な食べ物だからいいんですが、これが「理解が難しい概念」だったりすると滅茶苦茶大変です。

私の中では「十全」に理解し、映像で把握している概念でも、それを他人に"伝え"ようとするときには"言葉"にしないといけない。

アニメーションという映像を、一秒一秒いちいち言葉に変換しながら話さなければいけないと言えば、その大変さが分かるんじゃないかと思います。それも相手が分かるように順番に、段階を踏んで、言葉を紡ぐのってもうね、めんどくさいわけですよ……。

そんな行為を続けていればそりゃ「言葉の不完全さ」に拘ってしまうのは分かるよねって感じです。「Aletheia」とか「イデアに手を突っ込む」とか伝わっている気しませんもの。

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この2つの概念は言語を超えた先にあるモノ(私には映像として映っているしそれを肌感覚(触覚)で感じられる)なので、いくら言葉を尽くしても、伝わるのは10のうちの半分である5くらいかなと思います。

これらの言葉の意味は、下の記事に記しました。

管理人の「思考の大本」を説明をしていきます。

 

この記事は私の思考の背景をこれでもか!ってくらいに書き綴ったものなんですけど、今振り返ってみると「視覚」表現が多いことに気付きます。

心象"風景"とか""景色"という言葉を多用している所や、造語ひとつひとつにイメージを書き記しているのもそうです。

あとは――――もしかしたらこれは誰でもそうかもしれませんが、ある概念を思い出そうとすると、そのもの"意味"が"内容"がぶわっと展開します。一つ一つ段階を踏んで、ある概念の意味を把握するのではなく、一気に「十を知る」ような感覚です。

結界師』で墨村良守が使う、白い結果――真界――のような展開の仕方です。良守を起点にして半径200mが一瞬にして、こう"ぶわっ"と結界が表れるように、"意味"が溢れだすイメージです。ぶわっと。(←つ、伝われー!

 

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私は「映像で見る」「映像で体感する」「きらきらした体感覚」というも体験できるのは当たり前だと、これは誰でも出来るものだと思ってきました。

でもそれはきっと当たり前じゃなくて、出来ない人は出来ないということを知るべきなんだろうなと思います。

私の感覚・感受・認知の仕方は、出来る人もいると思いますが、近い人もいるとは思いますが、出来ない人のほうが多いんだろうと。出来ない人はとことん出来ないんだということを認識するべきだと。

例えば、

<核>という表現を使うとき、私は真っ赤などろっとした原石を手で掴んでいる映像が浮かび上がり、それを"触覚""体感覚"として感じる事ができますが、それをいくらイメージしてみてよと言っても苦手な人はいる

(「読解モジュール」を駆動させるとエロゲーは7倍面白くなる)


世界を創造し、その"世界"に"浸る"感覚を味わうことが出来るかどうか。

小説を読んでいる人なら分かると思うんですが、文章という1情報を__自分の力で__100に近づけていくのが”文字を読む"ことだと私は考えます。

人間の声、表情、仕草、振る舞い、動き。 
月の光、風のざわめき、空気の匂い、太陽の暖かさ、雨の音、静謐な夜…………。

そういったことを、自分で想像し、創造することで、自分だけの「理想のセカイ」を具現化することができます。

――名作エロゲをアニメ化しても、満足することは無理かも? 

 

他者の痛覚感覚・体感覚を自分のものととして"感覚"でき、痛み・苦しみ・嬉しさ・怒り・喜び・切断される感覚などを体感できる。

(感情移入とは「幻肢痛」に似たようなもなのではないか?)

 


今挙げた3つの認知の仕方って、さっきも言いましたが私は「当たり前」なものだと思っていたんですね。もしそれに漏れる方を見たとき「感受性が低い」んだなと理解してきました。

物語に世界に浸ることが出来ない、感情移入が出来ないのって、感受性が低くなってしまったからだろうと。

でももしかしたら違うのかもしれません。

かなり昔に、数多くのエロゲーをプレイしている人が「エロゲで泣く人いるの?」と言っているのを今でも覚えています。(ここで言っているエロゲとは物語性の強いNovel)

私からすると「この人何言っているんだろう? 泣くことが出来ない(ひいては感動することが出来ないのなら)何故エロゲをやっているんだろう?」と思わずにいられませんでした。

そして、そういう物語に感動出来ない人を感受性の低いタイプだと思ってきましたし、そういう方は少数派だと思っていたんですが、でもそれって「自分の感受・認知と比べて、そして自分の周りの人間と相対して」決め付けているににすぎません。

つまり、私が体験している上の3つ認知の仕方は、全然一般的ではないんじゃないの?ということです。多くの人が出来ているわけではないんじゃないのかなという疑問です。

私が普段見ていた、触れていた、観測範囲は"たまたま"、自分と似通った感じ方が出来る人が多かっただけで、物語を心から愛している人ばっかりで、物語に救われたり、心を震わせたりしてきた人たちだっただけで、それを見て「自分の感覚は普通なんだ」と思ってきたというわけです。

しかし実は私のような感じ方こそが少数派で、エロゲひいては物語に「センス・オブ・ワンダー」を感じることが出来ない人ってのが、一般的に言えばいっぱいいるんじゃないの?ってこと。

そういう芸術的盲人のほうが世の中にあふれているんじゃないの? 

その人達が多数派なんじゃないの?


芸術的盲目である彼らが言う"面白い"っていうのは、涙が出るほどに、心が壊れるほどの体験じゃなくて、ただの知的欲求を満たしただけの"面白さ"ってだけじゃないの?

 

彼らが言う"楽しい"っていうのは、目の前がきらきらして、多幸感でいっぱいになったり、胸がきゅーっと締め付けたりする体験ではなく、ただスロットの目が同じ柄で並んだときに感じる短期的幸福なんじゃないの?

幻想世界を創造し、その"世界"に、"浸る"、感覚を味わうことが出来なく、他者の痛覚感覚・体感覚を自分のものととして"感覚"できない人が、多く存在しているんじゃないの? 

という疑問がむくむくと浮かんできます。


それが実際のところ真実なのかは分からないけれど、自分の認知・感受の仕方を疑うってことは、そういうことなんだと思います。

そしてもし、もし、もしもそれが本当のならば、滅茶苦茶ショックです。結局物語を<従>としてして見ていない人間でこの世界は溢れているということですから。

ここで言っている認知の在り方ちが違うというのは、視覚優位・聴覚優位だからという枠外の話をしています。

繰り返しますが、自分の認知の仕方が人とは大きく異なっていることをキッカケを与えてくれたのは「視覚優位・聴覚優位」という考え方ですが、それをたたき台にして「じゃあ自分が今まで多数派だと、一般的だと思っていた認知の有り様というのは実は違うんじゃね?」という話をしたいのです。

―――物語にイデアを感じて、触れる感覚を持っている人なんて、本当に全然いないんじゃないの? 少ないんじゃないの?ってことです。

今まで上述した私の認知の仕方が、多くの人に当て嵌まると思って幾つかの記事を書いてきたんですが、「うんうんそうだよー」とか「あるある」と思ってくれているのはすごくすごくすごく少ない割合だったのかもしれません。


そう思うと、ちょっとショックですが、面白いです。

人間というのは、思想、価値観、信念、信条以外にも――――認知というものがそもそも大きく異るんだなと。そこが私には興味深く感じられます。

(補足すると、この話は視覚優位・聴覚優位に関わらず、「自分の認知の在り方が人とは違う可能性」を記述したかったということを念のため付け加えておきます)

 

 

聴覚優位の人の見ている世界とは?

今からやるのは思考実験ですので、実際の人物に向けて聴覚優位だからあなたはこうだ、視覚優位だからこうだ……と押し付ける気はありませんのでそこは承知してください。

それでは始めてます――――


聴覚優位の方がどんなふうにエロゲを"視て"いるのか興味が湧いてきます。私は今まで語ってきたように視覚優位で、映像や、映像による体感情報を持ってエロゲ(あるいは物語)を楽しんできました。

じゃあ!聴覚優位の人は、どんなふうに、どんな世界を見ているんだろう? "音"中心にエロゲを楽しんでいるのかな? ボイスや、常時流れゆくBGMによってワクワクドキドキしているんでしょうか?


私、気になります!


ある方は良い映画を見ていると「頭の中で言葉(音)が生成される」と言っていました。ここから推測してみると、聴覚優位の方の物語の接し方というのは、「音に満ちた世界」なのかもしれません。

そして「頭の中で言葉(音)が生成される」感覚は私にはないものだったので。すごい新鮮な情報でした。なるほどー人によって、映像ではなく音によって世界を捉えているんだなーと。

私が見ている世界は、映像、ビジュアル、体感で満ちていますが、聴覚優位な方はは「声」や「BGM」といった音で満ちていて、それが何度も脳内でRefrainする……そんな感じなのかも?

だからエロゲで重要なのは、絵の質よりは「キャラの声」「プレイ中に流れるBGM」なんですかね。絵の重要度が音要素に比べれば低いというだけで、絵も大事だという人もいると思いますが。

あるいは10年前のエロゲ絵を我慢できる人、というのも聴覚優位者で、我慢が難しいというのが視覚優位者だったりするのかなと推測に推測を重ねていきます。

ちなみに私は『ONE~輝く季節~』のプレイがちょびっときつかったですね、、、よく見ると腕が折れてる絵とかありますから(震え声)

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 後「思い出の思い出した方」がとても気になります。

エロゲの思い出とかどうやって思い出しているんだろう。もちろん二次元的な画像(イメージ)で思い出しているとは思うんですが、さらに「声」や「BGM」も付属しているのかなー?と。

私がエロゲを思い出すときは、無音状態の映像が流れている感じです。『G線上の魔王』だったら、OPムービーに入る直前に宇佐美ハルと魔王が階段前で邂逅している場面ありましたよね。そこで雪がちらちら降っている映像とか、

 

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あるいは『Fate/stay night』だと衛宮士郎が両手に干将・莫耶(剣)を持ちながら、ガムシャラに腕がの骨が折れ、肉が千切れ、血が流れだしてもなお戦闘している風景とかです。

でも、よく観察してみると(自分の脳内を)あんまり音が付属していない映像なんですよね。意識すれば、その時流れていたBGMとか、剣戟の"ガキン"、ガキン"といった鉄がこすれ合う音とか再現できますが、逆に言えば「意識」しないと出来ません。

で、想像なんですが、聴覚優位の人の記憶は、意識しなくても豊穣な音の世界が待っているんじゃないのかなー?と思っています。

Fate』のさっきのシーンだったら、BGMの音が高音質で、剣戟の音もガガガガキンガッ!って感じに連続して聞こえるみたいな。そして同時に士郎やセイバー、アーチャーの声が自動再生しているのかも? 

アニメーション化されていないけれど、音の洪水みたいな。ふむふむ。


でもそれって私からすると、すごく想像が難しい領域だなー……と思います。高音質の音が、当時のまま再現されるって……概念の外側にある事象ですにゃ。

 

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 *


ってそんな感じで聴覚優位の方の「記憶の思い出し方」や「見ている聴いている?世界」を想像してみました。

実際どんなものなのか分からないので、

エロゲ・アニメ・映画・小説などのプレイしている最中の体感覚や、見ている、聴いている世界など、記憶の思い出し方などを教えてくれると大変喜びます。

コメントやリプライやメールでもなんでもいいので、自分の物語感覚を書いて送ってくれると嬉しいなと。

 

おわり

 てことで、オチなし山なし!


ここ最近Twitterでぐにーっと考えてたことをまとめた記事になりました。私としては大満足! この話題に付き合ってくれた方、ほんとに有難うございました!ヾ(>ワ<)ノ 

そしてここまで読んでくれた読者さんに感謝です(`・ω・´)シャキ

んじゃまたねー

ばいばい。

 

 

<参考>

 

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