猫箱ただひとつ

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もし純粋な感想なんてものがあるとしたら(5052文字)

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感想

感想っていうのは読んで字の如く、"感じたこと想うこと"って私は考えています。

つまりある対象物を見たり聞いたりした感じたこと、想ったことを書くのが「感想文」や「感想記事」と言われるものなんでしょう。『SIREN』をやってもうほんっと怖かった!とか。『TARITARI』を見て音楽って素晴らしいよね!ガンガン突き動かすんだ~♪♪にゃはは

みたいなね。 

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そんな感想ですが、実は感情を表現することはとても難しいですよね。

「面白い」「楽しい」「怖かった」という単純な言葉で自分の気持ちを表してもいいんですが、しかしこれだけでは自分の気持ちを正確には伝えられないでしょう。

なにがどう面白かったのか? 楽しいといってもいろいろあるけれどどういう楽しさなのか? を掘り下げて自分の気持ちを正確に言い表す言葉を当てはめていけばスッキリしますし、なにより他者が見ても理解できるようになります。


でもま別に他者の為に感想書かなくてもいいんですけどね。

ただあとで自分の感想文を見返したときに、「この時一体なにが面白かったんだっけなー?」とか「どんな感情を有していたっけな?……」って思うこと私はけっこうあるので、出来るだけ具体的に感情を言い表しておくと後々見返すときお得かも。


ちょっと私的に気になるというか、注意しなければいけないというのは「自分の為に書く」のと「他人が分かるように書く」ってのは別々のものってこと。あまり後者を意識しすぎると、だんだん感性が死んでいくと思うんですよね。


何故かというと、自分の気持ちを自分だけが分かる言葉だけで書くっていうのは抽象的な表現が多くなります。これはそもそも感情なんていうものは本来言葉では形容できないものなので、あえて言葉で表現すると本人には理解できない言葉の羅列になる―――っていうのは体感的に分かるかなと思います。

そんな抽象的な表現を「他人の為に書く」意識が働いてしまうと、どこまでも万人に分かりやすく伝えやすくするために普遍的な表現を使わざるをえなくなってしまう。

例えばこんな詩があるんですが、

潮の匂いは世界の終わりを連れてきた。僕の故郷はあの日波にさらわれて、今はもうかつての面影をなくしてしまった。引き波とともに僕の中の思い出も、沖のはるか彼方まで持っていかれてしまったようで、もう朧気にすら故郷の様相を思い出すことはできない。

――文芸部|宮城県石巻西高等学校

これを「潮の匂いと失ったものを重ねあわせている絶望感に打ちひしがれている少年」と言ってしまうこともいいわけですが、それだとこの詩の魅力や大事なことはぼろぼろと零れ落ちていっちゃってるんですね。

また例えば『輪るピングドラム』で言っていた"ピングドラム"とは、一言で言い表すと『■■』ってことになるんですが、でもそうじゃないよねと。もっと本当は分厚い層の情報と感情で"ピングドラム"は形成されているのにそんな一言では決して言い表せない。でも言葉にしたら『■■』でしかなくなってしまう。

だからこそ言葉にしてはいけないものがある、みたいな話にも繋がってくるわけです。(あーすごい脱線したー)

ちなみに『輪るピングドラム』を見ていない人の為に、伏せ字を使っているわけですが、全部見た人なら個人個人によってマワピンの解釈が違えどひらがな2文字漢字1文字の言葉を推測できるはず!

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 えーと……。


つまりなにが言いたいかというとですね、他人に分かる言葉を紡ぐというのは言葉を明確に明瞭にしなくてはいけなくなる宿命なんです。本来抽象的である感情も、キチッと定義されている言葉に押し込めて、分かりやすく分かりやすく伝達するわけです。

でもね感性とか感情っつーのは、それに整合性を求めていくと壊れていっちゃうんですよ。そんな経験ってないですかね?

以下の記事はそんな感情の明確化について、苦言をもらしているものです。

・何も暴いて明確にしてゆくと、そこに感情は失われる。

・だが、何か息が詰まる、瑞々しくない、と考える人は全部解体して分析して、隅から隅まで認識しするのをやめた方がいい。それは感性を殺す。

・感動は理由づけした時点で死に絶える。批評は大事だが、それは二次的生産物であって一時的なものは誰にも説明できない。

――はてな脳 (誤字脱字は原文ママです)


この記事、私はすごいよく分かるんですよね。

感想(=感じたこと想ったこと)を具体的に説明するために突き詰めていったら、逆に熱量がぜんぜん無くなってしまった。感情の熱を感じられない冷たい批評になっている記事とか、けっこー見かけます。

それが良い悪いかではなく、どうしても他者に分かりやすく説明していくと、そうなっちゃうよねと。

その代わり感想(=感じたこと想ったこと)を自分の為だけの言葉で書くと、他者にはとても伝わり難い(=コミュニケーションコストが高い)文章になってしまいます。きっとはそこらへんはトレードオフなんでしょうねー。
 
  *

こんなイメージが私にはあります。

・論理的な文章の極は、統計や数字を参考文献を使った冷たい作品記事
・感情的な文章の極は、他人に伝わりづらい詩的作品記事

詩――――中庸―――――論理


論理的な作品の批評記事を見ると、私はどうも"冷たい"と思っちゃうんですけど、あれは感情というファジーな要素を切り取った結果そう感じちゃうんでしょうね。

んでんで、感情を突き詰めて書くと「詩」になるんです。隠喩や暗喩をつかった表現方法で自分の感情をきらきらと彩っていきます。

  *

それでは今までのを踏まえて、もし「純粋な感想」があるとしたらそれはどういうものなのか? 

それは自己の感情がありったけに綴られた文章のことではないでしょうか。嬉しい悲しい楽しかったといった一次元的な情報を大切に扱っている様子がビシバシ伝わる記事を、感情の純度が高い、純粋な感想と言っちゃいたいです。

ただその為他人が理解するのはちょっと時間がかかる代物になる、あるいは全く理解できない感想ですが。


具体例としてはこんなのですね。

 

ゼロの使い魔 (MF文庫J)

ゼロの使い魔 (MF文庫J)

 

ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!

(中略)

ううっうぅうう!!俺の想いよルイズへ届け!!ハルゲニアのルイズへ届け

――ルイズぅぅうううわぁあああああんとは (ルイズゥゥウウウワァアアアアアンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

これは2chのコピペですがもう最高ですね。筆者の熱い想いがリビドーが伝わってきます。

……ルイズ(ゼロの使い魔)が大大スキ!!ってことくらいしか伝わりませんが、でもいいんです!これが感じたこと!想ったことなんですよ!!!

 

 

あるいは

電波女と青春男 (電撃文庫)

電波女と青春男 (電撃文庫)

 

透明感あるブルーの髪に重心不安定な立ち姿、華奢で小さな裸足のつま先と鎖骨、対するアンバランスに成熟した肩のラインとふともも、上目遣いと唇の艶、心細さと肥大したプライド、消え入りそうに儚いけれど頑固そうな口ぶり。もう、藤和エリオにメロメロだ。(特にふとももがぐーっどである!)

――『電波女と青春男』がわたし得アニメだった - あとで更新しますぶろぐ

毎回こういう記事え紹介させて頂いてますが、「あとで更新しますぶろぐ」さんの電波女記事とかも"感じたこと想ったこと"の純度が高いです。*1

こんなふうに読者に感情の熱が伝われば、純粋な感想(=純度の高い感じたこと想った)ことと言えるんじゃないでしょうか。

もちろん読者によって熱が伝わないってことも多々あると思いますが、それでも感情をぶち撒けてるなこの人!くらいは多くの人に伝わるとは思うんですよね。




純粋な感想を書くには?


純粋な感想を書くにはどうすればいいか? 考えてみました。以下2つです。


1)そもそも論として感情がなかったら感想は書けない
2)他者の為に書かない


この2つを注意すればこの記事で言っている「純粋な感想」は書けると思います。…この傾向の感想を書く人いるか分かりませんがね……でもいいです掘り下げて行きます。


1)感情がなかったら感想はかけない

まずそもそも論として、アニメとか見て「感情が沸き起こらない」場合は感想なんて書けないってことです。だって"感じ"ることが無かったんですから当然です。


だから感情を覚えていないのに、その作品について語ろうとしたら物語の「外」にしか言及できないんですよね。本来、作品について感情が沸き起こった場合、人物やシーンに言及される場合がほとんどだからです。

だって物語の外の構造を見て、嬉しいとか悲しいとか思う人は稀有でしょうから。構造論とか比較論とかって知的好奇心を満たすことはできても、感情を沸き立たせることは少ないとは思うんですよね。

だから立木ひばりが氷細工の薔薇を探そうとしているところが無性に泣けたとか、狼子さんと龍平の『何故を赦さない存在』の議論が白熱して燃えた!とかねそういうの。

そんな人の感情を沸き立たせ時に、"感じ"、"想う"ことができる。

ゆえに感情が沸き起こらなかった(あるいは希薄)にも関わらず、その物語に言及すれば物語の構造とか、外部文献がどうとか言っちゃうんでしょう。全部が全部とはいいませんが要因の1つって考えています。

作品を考察することは「☓☓のオマージュだ!」と言うことではないというお話

感情を覚えるからこそ、「感想」は書ける、ってことですね。 

 

 

2)他者の為に書かない


他人の為に書く(=感情に明確な理由を与え)すぎれば、前述したように感情が死にます。

ただ完全に他者の為に書かないっていうのは難しいと思うので、パーセンテージバーで考えるといいかもしれません。他者が理解できる文章を書くのは42%くらいでとか、自分の為に書くパーセンは今回は86%くらいにしようかって感じに。

他者――――――自分 (%)

できるだけ、感情を殺さないように書くには自分の為に書く%を上げるのがキモです。


まとめ

・感想とは、感じたこと想ったこと。

・感想を突き詰めると詩的表現になり、論理を突き詰めた文章は冷たい印象を与える。(←感情が排除されているので)

・他者の為に書く(=感情を明確化する)ことは、感情を殺す要素を孕んでいるので取り扱いは慎重に。

・感想とはそもそも「感情を覚えて」いなければ書けないものである。

 

 

おわり

この記事、最初は思考の粒としてさらっと書こうと想ったんですが、書いていたら割と形にできたのでよしよしってかんじです。

そろそろ個人的に100%の純度で感想書く練習したいなとは想っていたり。(このブログは作品感想に限っていえばほぼ自分向けなんですけどね。それでももっと%上げたいのです)

ちなみにこの記事は他者度高めです。一応伝わるように書いてはいるんですが、どうですかね? 伝わっていますか? あーあー■■ている人いますか?(ああそれは黒須ちゃん風に)
…………。
……。


で、ではまた。



<参考>

*1:私はこういう感想好きなんですよね (そしてNANAさんのアニメ更新を待つ日々