猫箱ただひとつ

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TARI TARI_音楽はきっと私たちと共にある(5737文字)

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TARI TARIラジオ ゆったりまったり放課後日誌 Vol.2

満足度:★★★★

 

 ―――音楽はやるとかやめるとかじゃない。共にあるもんだ。

 

 
こういうの大好きなんだよ!以下、全話感想。

 

 

 

感覚型の人間はめちゃくちゃにかわいい

 宮本来夏ちゃん! こういう感覚型の人間わたし大好きなのだ。思考よりまず体が、手足が動くみたいな。周囲からは「ちゃんと考えて行動しようよ」と言われつつも、毎回直感で(自分がこれがいい!と思った事)を迷わずに行動してしまうような。


1話の最後で、宮本来夏が駅前(?)でヘッドホンをしながら歌っているのをみてもうすんごい可愛い!と思った。だって自分で駅前の広場で歌うことを選びつつも、友達に見られたら赤面しちゃうところとかがっ。

きっと友達に見られる可能性なんて考えず、「とりあえずやってみよう!」っていう計画の曖昧さが露呈している感じがして好き。

 

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↑あとOPで、ふわっと、飛び跳ねるところがあるんだけど、ここもまた可愛い!なにこれかわいい!!ふわふわ。

というOPの「Dreamer」いいですなー。これ聞く度にエネルギー湧いてきますうぐぐ!って感じに。スキップしたくなる曲かも。うんうん。

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 ヘッドホンしながら夢中で歌ったり踊ったりする様子がここまで可愛いなんて知らなかった。これは新しい嗜好に目覚めた……気がする……うっw


ら~ら~らら~~ららちゃっちゃ♪

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そういえば和奏のお母さんも直感/感覚型の人間だなーって。うんうん、こういうタイプの人ってなんかきらきらしている人多くて好きです。

小さい頃の和奏にピアノを教えているときの、たらららら~ん♪みたいに音楽を楽しんでいるお母さんの様子はすごいいいなあ……。そうだよ、これが音を楽しむってことなのよ!(音楽的経験値がほぼない私がいうだから間違いないよ!←どういうことだ)

 


1話でリフレクティアの合唱が!


「リフレクティア」という楽曲を知っている私にとってこのサプライズは良かったです。いきなり知っている曲がながれて「うおお?!」と興奮してしまいましたよ!

 

 

 

叶わない約束もいいものだよ

 

「でも私ね、今は約束叶わなくて良かったって思う」

「叶ったら終わっちゃうでしょ、約束があったからいつもお爺ちゃんのこと思い出すの。くっそー、叶わなかったーって」

「これも大事な思い出だから」

――こなつ 


約束は叶える為のものと、"所有"するためのものがあるんですよね。通常は叶える為に約束を交わすのだけれど、いつしか変質してしまい「所有」することで価値がます約束になることもあるってのはとても面白いのです。

いろんな約束を心のなかに込めて旅立ちたい。

 

 

 

作曲って難しいんだろうなあということ

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作曲に行き詰まる和奏。

というか「作曲」って一体なんなんだろう。それは哲学的な問いではなく、技巧的な意味で。音楽の知識とか経験値がぜんぜんない私は、音楽がどう"作られるのか"というのがもう全然分からない。

なにそれ、なんかもうとてつもない領域? というかディスコミュニケーションみたいな?感じです。

ドレミファソラシド?……。

お、音楽できる人は凄いのですよ!

 

 

 

10話 高倉先生、生きにくそうだよなあ……

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和奏が「お母さんの曲を作りたいんです。どうすればいいですか」という問いに、高倉先生はこう答える。

「作らねばならぬと思っているうちは無理です」

「それは作業です」

「歌というものは心の奥から自然に溢れてくるものでしょ」

……

「っ、坂井さん、こんなくだらない質問に私の手を煩わせないで」

――高倉直子

 
ここ見てあー……と思ってしまった。

高倉先生は「素直な言葉」を言ったあと、すぐ顔色を変えて「くだらない質問しないでくれない?」と言っちゃうあたりが、あーもう!ってなってしまった。

なんていえばいいんだろうなあ……自分の生き方(=他者への接し方、言動)って例えそれが悪いものだとしても、中々変え難い。なぜなら変えるのは大きなエネルギーを使うし、なにより面倒くさい。

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だから多少不満がある生き方(=他者への接し方、言動)だと分かりつつも、"それ"を選択してしまう。

高倉先生は、「歌というものは心の奥から自然に溢れてくるものでしょ」と言ったあとに和奏ににっこり微笑むことや、なごやかに話すことだって出来たはずなのに、"しなかった"。

多分……出来なかった、んじゃなくてしなかったんだと私は思う。もうそういう生き方に慣れてしまったから、他人に対し刺のある言い方をし、ある一定の距離にまで保とうとしてしまう自動的反応みたいなのが見てとれた気がします。

あー……もうなあ……それってなあ……って思っちゃうんです。これって自分の内蔵を晒すことが難しい人に見えちゃうんですよね。だって内蔵を晒した上で(=自分の内面を晒す)「あなたの内蔵ぐろいですね」って言わたら、とても痛いですもの。あーあーあー。


歌とはなんだろう

「作らねばならぬと思っているうちは無理です」

「それは作業です」

「歌というものは心の奥から自然に溢れてくるものでしょ」

――高倉直子

 この言葉を見て思ったのは、多分歌というのは「感情」なんだと思う。

感情は心の奥から自然にあふれてくる。ただその「表現の仕方」がいろいろあるってことなんだと思う。

言葉を使うか、あるいは体で感情を表すか、それと同じ所にあるのが歌なんじゃないだろうか。

「言葉」の派生版みたいな。ここをちょっとイジると(=音程をつけたりすると)歌になるよみたいな。

つまり、心のままに、感情のままに、音を楽しむことが出来れば、作曲できるのかもしれない。もちろん作曲の為の知識や技術は必要だと思うのだけれど、その先にあるのは「心から楽しむ」っていうことなんじゃないか。

だとしたら、うんうんロマンチックだなーって思う。

 

 

場を支配する力、それが音楽!

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来夏のカバンをひったくった犯人を追い詰める、ガンバレッド。

彼はここでガンバライジャーのテーマソングを熱唱することで、犯人の動きを抑止することに成功した。

これを見て、あーなるほど音楽(あるいは単純な音)は「場を支配」することが出来る性質を持つんだなと思った。

誰もがみな、追いかけた夢はかんたんには消えない♪

必ずつかみ取ろういま~輝ける瞬間を~♪

 

そうさ!

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ガンガン努力が時代を♪

ガンガン突き動かすんだ~♪

 ガンバルキミの勇姿が熱いぜ~~!

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(ガンバライジャーのこの歌口ずさんでしまう魔力があるガンガン♪)

ひったくり犯は思ったでしょう。

「こいつらやばい」と。

いきなり歌を歌い始め、それも5人がシンクロしつつ我が身を包囲するその現実を見て、自分と相手との「価値観が途方にも離れていること」を。(←それが錯覚だとしてもいいのです、そう思わせれば)

自分と相手の価値観が途方にも離れているというのは、言葉も通じず、意思疎通もできず、ただ予測不可能な現実が眼前に広がります。こうなったら最後、凡人ではうまく頭を働かせることができず、その場に立ちすくんでしまう。一種の脳のオーバーヒートが起きちゃうんでしょう。

ああつまり、「場を制圧したいと思ったら、歌え」ってことですねええ()

(これは冗談でもなんでもなく、場を支配したかったらとにかく"大きな音"を出せば一発で鎮静化できます。)

 

思い出してくださいヴァルブレイブの歌う咲森学園を!そして翔子を!にーっはははは

 

 

届かなくても届けようとすること

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親愛なるヤン。
君もどこかで僕と同じように頑張っていることと思います。
いつかこの手紙を渡せることを信じて。

僕はやっぱり便りを書き続けます。 

――ウィーン

 ウィーンのこの「届かなくても届けようとする」気持ちって、とってもいいなあ……って思うんですよね。

それはある種の狂気であり、矛盾的行動なんですが、それでもその矛盾こそがああ人間だなって人間ってこういうものだよねって思えてくるので。

 

 

ED。合唱部ときどきバトミントン部

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毎回毎回、バトンミントをぽんぽんやる仕草に噴き出してしまう私がいますwこんなところで笑ってしまうなんて悔しい!!

(しかしEDを見るたびに、そうか合唱部、じゃなくて「合唱部ときどきバトミントン部」だったなと思い出しますうむw)

 

 

 

嫌われても相手の心に踏み込むこと<並列関係> 

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声楽部の人に嫌われても、相手の心に踏み込む宮本来夏。彼女を見ていると、どうしてそんなこと出来るんだろ?という疑問が浮かんできます。

だって自分のこと嫌っている相手がいたとしたら、私ならば興味が消え失せ関心すら持たなくなるから。はーもう勝手にしてよ、と。そして明らかに相手が"やりすぎた"行動を取れば、そこで即闘争してしまうきらいがある人間なので(=目には目を精神)すんごい不思議です。

どうしてここまでされて、辛辣な言葉を言われているのに相手の手を取ることができるのか?

たぶん彼女は他者を<並列>として、並列な関係として捉えることが出来る人なのではないかなって思います。上とか下っていう上下関係(相手を見下す、あるいは卑屈になる)ことが少なく、出来るだけ常に自分と同列の世界に"相手を置く"ことができるのでは?と。

縦軸の関係性で人と接するのではなく、横軸(並列)の関係性で人と接することが出来るからこそ、来夏は誰かに嫌われてもこういった行動が起こせるではないだろうか。

なんつーかそれは"PC"に近い概念だよなー……。
相手の異質性、あるいは特異性、あるいは個性をすべて"PC"の名の下に、水平方向のセカイに参加させるみたいなね、そんな感じ。

この考え方は……正直すごく大好き。ただどういうスイッチというか、見方をもって獲得できるのか以前不明。いや相手と自分は対等だと見ればいいのだけど、現実そこらへん難しく、関わる人すべてにそれを適用するのはどうしたって無理なわけなのだけれども、やってみたいよね。倫理を超える……勇気か。


ふむ。なるほどこれは勇気の問題なのかもしれない。

 

 音楽に愛されるということ

 

教頭先生はよく「音楽を愛すことは出来ても、愛されることは難しい」と繰り返します。

音楽を愛すというのは、私という人間が音楽という概念を好きになればいいだけのこと。しかし音楽に愛されるというのは、音楽という意志を持たない主体性も宿さない<概念>そのものが、私を好きになってくれるということです。

正直、それってどういうことよ!音楽に命があるとでも?! というか音楽に愛されたとして、一体どういう基準を持って「音楽に愛された」と認識するわけ?!

と大分考えてみました。

まだ曖昧模糊な考えですが、今のところすこし形にできそうなので、残しておきます。

つまり音楽に愛されるということは、私個人が「愛された」と思えば愛されたということになると思うんですよね。もっと具体的にいうと、自分の行動に対して音楽が"応えて"くれるっていうことなんじゃないかなと思います。

本来なら命がない概念である音楽。でもその音楽が応えてくれたという実感、そして手応えがあったらどうでしょう。それは音楽に愛された体感といってもいいんじゃないかなって思います。

命がないのに、命があるように振る舞う。いえ……"私"が音楽に命があると"観た"からこそ、音楽が応えてくれるのです―――みたいなね。そんな感じがします。

これは音楽に関わらず、書物、劇、エ口ゲやアニメだって包括される考え方でしょう。アニメに愛されるってちょっと響きがいいですが、エ口ゲーに愛されるとなると「エ口か」みたいな反応があるよねと。

ようは自分がその対象物に本気で接したとき、何かしらの達成感、報われた感があればいいんじゃないのって。私はあるかな?……うーんどうだろうか。


 


おわり

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最後みんなでアカペラで歌うところがグッときます。

音楽ってほんと素晴らしい!

音楽的知識も経験もない私だけど、そう思える音楽こそがもっとも至上なんじゃないのかなって思ったりします。

知らなくても分からなくても、それが、その音楽心揺さぶられるものだと感じたなら全てオッケーみたいな!
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  そういえば「TARITARI」ってどういう意味だったんだろ。言葉の語尾にくる「したり」「やったり」のたりなんだろうか? なんというか曖昧みたいな印象を持つ語尾だよねーと。たり。

TARITARIは最初から最後まで満足度高かったです。音楽ってやっぱり素晴らしいんですよ!(←何度目だ)

そういえば校長先生はやっぱりあの後、解雇なんだろうなあ……。自分の肉体的利益を取るか、精神的利益を取るかの問いはやっぱり苦しいよねーって思います。

ただ芸術の道に両足つっこんでいる人は、精神的利益(校長先生のように老後の心配をしなくていいという肉体的利益をとるのではなく、自分が信じている音楽の可能性、生徒達が音楽を発表する場を守りたいという利益と取ること)を選んだとしても後悔しない人が多いと思うんですよね。

叶うなら校長先生の自分が選んだ英断を後悔したくほしいなという想いがあります。というかあれは【今】的生き方でもあるんですよね。


 てことで終わりです。

 

 

 

 <参考>