猫箱ただひとつ

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肉体面の時間と、精神面の時間を分けて考えると1を∞にまで引き伸ばせる可能性について

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

以前、紅茶さんに教えてもらった「享楽の瞬間」という動画をたたき台にして、時間について考えていきます。

動画内容を意訳すれば「生きているとある時ふとした瞬間にすごい分厚い層の「思い出」がぶわっと溢れるときがある。それはあたかも一千年が凝縮されたような時間だと、」yutojiさんは語ります。

んでこの動画を見て、私は思ったんですね。

人が生きている時間って「肉体面」で考えるとどうしても線上で捉えちゃうきらいがあるけど、「肉体面と精神面」という2つの線上構造で時間を捉え直してみると、私たちは別時間の旅が可能なんだということを。

どういうことかというと、「記憶を再生する」「想像する」といった行動をおこなったときに、肉体を置き去りにしながら、精神だけはあらゆる時間に飛翔することが出来ますよね?ってことです。(説明する気がないな?)

例えば、今ここに私がいるじゃないですか。そんな私がある瞬間に滅茶苦茶圧縮された記憶を思い出したとします。その記憶は現実世界を忘れちゃうくらいに、没頭するようなものです。

その瞬間、肉体的な時間は線上方向へ進んでいるでしょう。「→」矢印のように同じ方向だけを刺しし示しながら。

しかし"記憶を再生している主体的な自分"は、別の時間、別の線上構造の世界にいるのです。肉体のほうは確かに時間が一定方向に進みながら、精神的な主観的な自分は、時間を戻したり早めたり停止させることができる世界に身をやつしています。

これで思い出すのが『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』です。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)

 

 
ちょっとここからネタバレ入るので、未読の人は飛ばしてください。


 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の主人公は、現実世界と幻想世界をシームレスに行き来します。それと今回話してきたことって似ていると想うんですよね。


あとちょっと記憶が曖昧なんですが、最後、"ぼく"の肉体が死ぬ瞬間、その0.1コンマの刹那、彼は幻想世界で「永遠に生きる」みたいなこと言われてましたよね。

あれってつまり、肉体と精神の時間構造って別なんじゃない?ってことを考える為にいろいろ派生できそうだなと。1という時間を、精神世界では∞にまで引き伸ばすことが出来る。

私も思い出に浸ったりして、ふと我に返ることとかありますもの。「あれ何分経った?!」みたいな。あれも精神時間と肉体時間の乖離ですし、あれの究極系が、肉体が死ぬ瞬間が永遠にまで延ばされると考えるとにゃるほどねーと。

この記事は思考の粒なのでまとまりませんが、そういうのもたまにはいいよね。

結局何がいいたかっていうと、
1)肉体面で進行する時間と、精神面で進む時間は違う。精神面の時間構造は「過去/未来/今」すべて思いのまま


おわり

 

<参考>