猫箱ただひとつ

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物語解釈の障害である「スキーマ」に対抗するには?(1972文字)

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 スキーマとは

認知心理学では、物事を理解するために利用される知識の枠組みのことをスキーマ(schema)と呼ぶ。人は様々な経験の中で様々なスキーマを形成する。そして、話題によってさまざまなスキーマを切り替えてもいる。特に難しい話ではなく、誰もが無意識にやっていることだ。そして、何かを理解するためには必ず必要なことですらある。
――トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する - Skepticism is beautiful


物語を理解するときにもこの「スキーマ」が邪魔してきて、分かった気分になることって結構あります。

 

例えば私だと『ガッチャマンクラウズ』の「群衆がヒーロー」という文脈で、『サムライフラメンコ』1話を見てしまったことです。羽佐間正義という市民がヒーローを目指すところ似ていたのでついついその文脈で考えて興奮していました。

「あこれもわかる!これもわかる!」みたいな感じに。*1

そんなふうに「スキーマ」を使うことで短時間で作品をある程度解釈できますが、無理やり解釈した感や、分かったつもりになってしまう、"誤読"が発生してしまうのが難点でしょうか。


"誤読"は「ユニークな読み方」として面白がられる面もあるので、悪いことばかりではないですが「物語をちゃんと見て考えた結果なのか?」といわれると「違う」と言わざるをえないと私は思います。

スキーマ的物語解釈はただの知識の連想ゲームにすぎず、その物語を見て考えてはいません。知識の枠組みをガン無視してこそ「考え」るということじゃないでしょうか。

ある情報から楽観的なことしか読み取れない、反対に悲観的なことしか読み取れないのは、読み手に最初からバイアスがかかっているからです。

なんらかの固定観念、既成観念、すなわち「もともと知っていること」に影響されているのです。

――『自分のアタマで考えよう』(著:ちきりん)

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

 

 でもこれ滅茶苦茶難しいんですけどね!



スキーマ(もともと知っている考え方)をガン無視しする方法としては、


・物語内部で解釈を構築する(=常にはじめから考える)


くらいかなあ……今私が思いつくところは。

 

どういうことかというと、その場その場で、その物語だけのオリジナルの解釈を生み出していこうってことです。他作品の文脈を持ち出さずに、目の前にある1つの作品だけの固有の文脈を生み出せれば、スキーマをガン無視できたと言えないでしょうか。

スキーマ的物語解釈をつかってしまうのは、物語を読み込むのがめんどうだからです。だからこそ使い古した思考の枠組みを持ってきて、物語を理解しようとしまう。それを打破するためには「物語をちゃんと読み込め」ってことですね。

あと何故、物語「内部」で考えなくてはいけないかというと、外在的な情報で考えるとスキーマが発生してしまうからです。

外在的な情報である作者、メーカー、歴史的位置づけから物語を読み解いてしまうと、それって元々知っていることで解釈しているよね?となっちゃいますから。


下の記事を見てください。 

アニメをアニメとして、エ口ゲをエ口ゲだけで見る「物語の内在視点」のススメ。作者なんてものは存在しない

 

この記事では物語を内在的に見ることを書きました。あとはこれに沿いながら、物語の内枠で思索を巡らせれば、スキーマをガン無視した物語解釈ができると思います。

ただ2つの問題があります。それは毎回毎回舐めるように物語を読まなきゃいけないので、精神的に辛くなる+時間圧迫がきついということですね。


故に、その物語が好きじゃない場合は苦痛になっちゃうかも方法といえるかもしれません……。(腐り姫とか水月とか私にはきつかったorz)

だからたまーに「物語をスキーマで考えるのは楽だなあ……」って思っちゃうんですよね。私は極力使わないことにしていますが、たまにならいいよね……。。。(ゴールしてもいいよね的なニュアンスで)

水月 ~Portable~ ベスト版

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物語の細部までを覚えている「記憶力/思考力が高い人」は、プレイし終わったら脳内でぐりぐり弄り回すだけで、スキーマガン無視したうえで物語を深く理解できそうな気がしますが……

 

果たしてそんな人はいるのかなーと、でもいそうですよね。
ちょっと憧れます。

 

 

<参考>

 

*1:しかしサムライフラメンコには「群衆がヒーローになる」要素は少なからずありますが、全話見るとは「ヒーローを追求した結果」の物語だなと思っています。