猫箱ただひとつ

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手放さずにいたい『言葉』たち(4370文字)

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 空の境界 the Garden of sinners 全画集+未来福音 extra chorus

 

永眠人形さんの記事を見て、私も便乗してみようと思います。

 大切にしたい、背中を押してくれる気がする言葉 

 
記事タイトルどおり、手放さずにいたい言葉を幾つか紹介してみます。

 

 

 

 

 

自分と他者(=決して理解することの出来ない相手)

 

この言葉が大好きです

「……違うんだよ、禊ちゃん。できないの。
 共有できるのは……、気持ちだけ」 


――ギャングスタ・リパブリカ

 

『ギャングスタ・リパブリカ』のある女の子の言葉。この言葉を思い出すたびに私のハートはキュンキュンです。

なぜかというと、私達は言葉を使えますよね? 言葉を使うことで他者と意思疎通を取ることが出来ます。あいつむかつくとか、今日の夕飯美味しかったとか、今見ている夕焼けは綺麗だねとかそんな感じに。

自分の言葉が相手に届いていると実感出来ますし、さらには相手が何を言いたいかを理解できます。自分が言いたいこと相手が汲み取ってくれることもあります。でもそれは"思い込み"です!


その思い込みのせいで、「うまく会話すれば他者に、自分の真意を汲み取ってもらえる」というクソ大間違いない勘違いが起きてしまいます。


ちゃんと伝えれば言いたいことを他者に理解してもらえる? そんなのはただの幻想です。錯覚です。

自分が相手に伝えているのは、「気持ち」という感情だけでもっと複雑で入り組んだ思想とか感覚とか、理論とか、価値観とかは全然伝わっていません。

当然です。相手は相手の考え方、経験から「近い概念」を引っ張りだして、他者の真意を汲み取ろうとしているだけです。そして言葉を用いることで、自分と相手が何にも伝わっていないのに、"伝わった!"と勘違いしてしまうことが怒ります。

この説明もう通算4回めくらいなので、いい加減別記事に任せちゃいます。詳しくはこちらで。

言葉とはなに? それは概念の容れ物にすぎない (1597文字)
「分かる」と呟く言葉のまったくこれぽっちも1ミリも分かっていないことについて(1479文字)


結論だけ言うと、

人の形をしているから、同じ言語を浸かっているから、感情があるから、伝えたという実感を感じられるからといって、自分の思想などをを相手に理解させるのは絶対的に不可能です。それは言葉の不完全性においてどうしようもない事実です。


その事実は自分と他者は根本的に、絶対的に、どうしようもなく異質で異物で理解できない存在だと分からせてくれます。

そういうことがよりよく実感できるから、「伝えられるのは気持ちだけ」という言葉が私は好きなんですよね。 

 


あなたが私のことを理解できないも仕方ない、だって私もあなたのことを理解できないのだから。伝えられるのは気持ちだけ。そして伝えることしか出来ない。伝えたその先の「理解」は個人の及ぶ所ではない―――と、肌感覚で実感できますから。


「でも僕は君じゃないから、伝えることしかできなくて」

――君とのなくしもの

君とのなくしもの / 涙色の翼

君とのなくしもの / 涙色の翼

 

リトルバスターズRefrain』というアニメのEDに、こういう言葉があるんですけど、これまた "キミと私は違う存在なんだよ" ということを突きつけてくれるので大好きです。


そんな感じに。
そうそんなふうに。
私にとって「自己と他者」を、定期的に意識し続けるのは大切なことなんだと思います。

「自分の言いたいことが全然伝わらない!あいつの理解力が悪いんだ!」

 

そういうことを言わなくて済みますから。伝わらないのは相手が自分じゃないからで、それでも伝えようとするのなら言葉の伝達効率に気をつければいいと分かりますから。 

 

 

 

 

 

考えても仕方ないんだよ?

 

 

頭の中でずっと、埒の開かない、答えのでないことをぐるぐる考えているから心が重くなるんだ

 

「まあ『考える』という行為は、実際に『思い出している』だけだからね。どうしようもなく思える悩み事を考え続けたらいつかは解決に辿り着くなんてのは幻想だよ」

 

考えるのをやめる。

考えない。

思考停止。

それが悩みに対する解決法なんだと、このときの実験を経て私は確信したよ。 

――花物語

 

花物語 (講談社BOX)

花物語 (講談社BOX)

 

これは『花物語』のある女の子の言葉です。彼女がいうとおり、考えても仕方のないことを考えても、無駄で無為で無益で益体のない行為です。


考えて解決できない問題なんてたくさんあるし、わざわざ痛いを思いする事柄に思考なんてしなくていいんですよ。


「でも考えなきゃ!考えて考えて最善手を導き出さなきゃ」


そういう意見もあると思います。でも血反吐を吐きながらも前へ進むことを私は善しと出来ません。人は考えることで不幸になっていくものですから。

思考することは自動(オート)なんですよね。別に考えたいと思っているわけでもないのに好き勝手に脳内を駆けずり回る電気信号、幾何学模様の走査線にバチバチと火花を散らしているそんな感じ。


例えば、「5分間だけ思考を、考えるのをやめてください」と言われたらできますか?

……

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ね、無理です。

私には出来ません。

 

こんなふうに考えようともしていないの自動で考え続け、過去の苦い出来事を再構成し、未来という曖昧な風景を経験によって再縫合し不安を増大化させていくのが思考というものです。


余談。


「考えたくない!でも考えてしまう……」という時は、運動で心臓強度を高く(心臓バクバク)するか、セルフマネジメントである瞑想とかで一時的に思考をストップさせればいいと思います。



 

片思いだ

 

だけど…… 

だけど、私はこの世界が好きなんだ 

そうだね 

だから苦しい 

片思いだ 

 
ある作品の言葉です。(ちょっとネタバレに踏み込みそうだなと思ったので明記しません)

「世界」というのは自分が観測できる範囲だけの現実のことです。その現実を見て、ふとたまに素敵だなと、多幸感を感じるときがあります。誰かのやさしさに触れたり、何気ない自然の営みにいいなーと感じちゃうのです。

そんなときに「片思いだ」というこの言葉を思い出しちゃいます。

そうです片思いです。だって世界はきっと人間のことなんか愛してくれていませんし、世界は私のことなんかどうでもいいとさえ思っている。だから片思い。

絶対に相手が好きになってくれないのに、好きで居続けるのは難しなーとセンチメンタルになっちゃうのです。でも片思いって素敵だなとも。

 

 

 

神様とか運命に

 

関係性を先取りするの。

神様とか運命とか、そう言うものに宣言するんだよ。 

私たちは幼馴染になりますよって

 

――いろとりどりのセカイ 

 

 

 

 

 

 持っている感情

 

「 無知でいることは必要なんだよ。コクトー。子供の頃は自分しか見えてないから、他人のどんな悪意だって気付きはしない。たとえ勘違いだとしても、愛されてるっていう実感が経験になって誰かに優しくできるようになるんだ。

―――人間は自分が持っている感情しか表せないから

 (空の境界

空の境界(中) (講談社文庫)

空の境界(中) (講談社文庫)

 

 
式(識?)の言葉は心にしみます。愛とか恋とか、憤怒とか憎悪とか、復讐とか憐憫とかそういうのって全部誰からから「貰ったもの」なんですよね。

私が今もっているありったけの感情は、ある人から教えてもらったものということです。愛されなかった子どもは、誰かを愛せないし、恋が出来なければ、恋する気持ちを貰えなかった―――そういう持論が私にはあります。

だってもし、この世に生まれた瞬間に、育ててくれる人がいなかったら? 私は感情を発達せず、未分化の人間だったんだと思うんですよね。獣のように本能ままに動き、食べ、生きる。ただそれだけ。

感情というのは環境がなければ顕現することがない。ここらへんは「最果ての荒野」といったら通じると思います。

(ここの解説もずっとずっと繰り返しているので、このブログをいっぱい読んでくれている方なら……理解してもらえるはずという放り投げ)

 

 

このように黙々と生を送っていく

ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。

どれだけ、深く致命的にうしなわれていても、どれほど大事なものをこの手から簒奪されていても、

あるいは外側の一枚の皮膚だけを残してしまってまったくちがった人間に変わり果ててしまっても、

ぼくらはこのように黙々と生を送っていくことができるのだ。

手をのばして、定められた量の時間をたぐりよせ、そのままうしろに送っていくことができる、

日常的な反復作業として。

――スプートニクの恋人

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

 

 最後はこれで終わりたいと思います。

とても悲しいことがあって、泣いて、もがき苦しんでも

翌日にはなんともなかった風で、日常を機会的にこなしていけることに愕然としてしまうことってありませんか……。そのとき、自分に純粋な感情ってないのかな?どうなんだろ……と思って悲しくなってしまう時があります。

そんなとき、『スプートニクの恋人』のこの言葉を思い出しちゃうなと。

 

 

おわり

 

ということでどうだったでしょうか。こういうのって作品を読まないと心に響かないものだとは思うんですが、自分のメモも兼ねて書いてみました。

もし気に入った作品があったら手にとってみてください。全部が全部面白いとはいえませんが、きっと何かの縁があるはず!はず!笑


んじゃまたね!


<参考>