猫箱ただひとつ

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アドバイスはどうしようもなく原理的に悪(5439文字)

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あきまん氏がネット上で立ち向かう『アドバイス罪』とは一体何か? - Togetterまとめ 


あきまんさんが語る『アドバイス罪』を箇条書きしてみます。

1、アドバイスされることで自分の考えるチャンスが奪われる
2、アドバイスが虚偽の可能性がある。
3、友人でも知り合いでもない赤の他人からアドバイスされて承諾しろというのが土台無理な話。(一緒の船に乗るという部分もここにて包括する)
4、同じ人間じゃない以上、良いアドバイスなんてものは存在しない
5、求めていないアドバイスは邪悪である


だいたいこの5つかな?「アドバイスは罪」という意見は非常に納得できますアドバイスは原理的にそもそも悪ですから。

あきまんさんが語るように他人からの「アドバイス」で自分の行動方針が決めらてしまう可能性があり、自分の頭で考える過程を剥奪される。さらにそのアドバイスが正しいとは限らない上に間違っている場合もあるし、嘘の情報でこちらを惑わす類のものなのかもしれない。

さらにさらにアドバイスとは、自分自身が今まで生きてきた「経験の蓄積」によって生まれるものです。10年?20年?30年?そういった長い時間の中から失敗して成功して躓いて立ち上がった実体験の元に生まれるものが殆どです。それは人生ハックから人生論、思考から芸術的思想や音楽的価値観などなど包括されます。

そう考えると果たして他者のアドバイスに、普遍性があるのかすごい疑問です。つまり自分にとって最適化された情報(=アドバイス)は多くの他者に適用可能なのか? 


他者の頭痛で培った経験は、果たして自分のケースと有効か?


他者の文字の見え方が、果たして自分自身と同一か?


やはりそんなことはないでしょう。

もちろん普遍的な情報・科学的根拠に基づくアドバイスはあると思いますし実践すれば有効なものだってあるでしょう。でも、それだってその人にとって「階層分け」「段階分け」を考慮されたものなのか分からない以上効かないことだって十分にあります。自分がいる"ステージ"に適していない情報は無意味ということです。

とは言え「アドバイス」行為がダメとは言いませんが、他者が有効だと思う情報が自分に有効とは限らない。というこを知るべきなのでしょうね。

自分と相手は"違う"人間で"違う"生き方をしてきたんですから、アドバイスだからといって価値あるものとは限らないんだと。

 



  

アドバイス罪の具体的なシチュエーション



それでは「アドバイス罪」の具体的なシチュエーションをゲーム攻略になぞらえて見ていこうと思います。

AさんはRPGをプレイしています。ゲームを進めていく中で少し手こずる局面を迎えてました、「XXで行き詰まってしまったどうすればいいんだろ」とそう、何気なくウェブ上で呟いたとします。

Aさんは上記の言葉に「解決法」を教えてもらいたいと思って呟いたわけではありませんでした。

そしてAさんの呟きを見ていたBさんが「そこはねこうすればいいんだよ」とアドバイスします。AさんはBさんの教えてくれた情報を元にRPGを再挑戦。結果一瞬でクリアできました。

   ◆

けれどちょっと待ってね。一見AさんはBさんのアドバイスによって問題が瞬時に解決され万々歳のように見えます。

しかしBさんのアドバイスによって、実はAさんは自分で問題を解決するチャンスが奪われ、問題を解決する考える楽しみを取り上げられてしまったんです。(ゼルダの伝説の謎解きを思い浮かべてくれればいいかなと)

Aさんはこのあと表面上は嬉しそうに「アドバイス助かりました」と言うかもしれません。でも心の中では「あー……ゲームの楽しみが減ってしまったネットで呟かなければ良かった」と思っているかもしれません。

そしてBさんはAさんのチャンスを奪ったことに気づかないまま、役に立って良かったと歓びを噛み締めているかもしれません。そんな悲劇が「アドバイス」という行為には内包しています。

 

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またこういう場合もあるでしょう。次のケースはアニメ・ergクラスタではよく見られるものじゃないでしょうか。

AさんはSNSであるアニメについて取り留めのない感想をばーっと呟きました。別段何かしらの誰かしらの意見を求めるために呟いたのではなく、ただ考えることを楽しんでいるだけでした。

そこにBさんはこう言います。「この作品は■■で考えてみて?」と。

これもまたAさんの気付きや楽しみを奪っているものです。

このようにアドバイスという行為は原理的に、悪なのです。この行為そのものが負の要素を孕んでいることを自覚して損はないでしょう。

 

 

求められていないのにするアドバイスというのは邪悪なんですよ、アドバイザーの願望に過ぎないですからね

 

 


ちなみに今までのお話は、Web上で起きた私自身の実体験です。

私は【物語に限って】は、自分一人で考えて、自分なりに納得する答えを見つけたいと思う人です。つまり(物語に限ってのみ)他者の考えを不必要としません。

なので物語に対する自分なりの答えを見つけていない時に、アドバイスをされてしまうと考える楽しみを奪われてしまったと思ってしまいますし、また何よりそのアドバイスによって自分の思考が「規定」されてしまいます。

どういうことかと言うと、ある作品に対し『哲学ゾンビという視点で考えてみてはどうでしょう』なんて言われてしまうと、哲学ゾンビという視点でしかもうその作品を見れなくなってしまうわけです。

本当はもっと別のなにか、もっと別の要素がその作品にはあったかもしれません。哲学ゾンビでは無い視点、考え方がありえたかもしれません。

しかし思考が規定されてしまった後では、どうしてもバイアスを掛けたまま作品を見なければいけなくなります。そんな状態では中々"それ以外"の答えを見つけるのは難しくなってしまうんですね。

私としてはそういう状態に陥ってしまうことは……嫌です。なのでもしウェブ上で「物語」について取り留めない思考を積んでいた場合そっちしてくれると助かります。

 

 


アドバイスが原理的に悪だからといって?

 

あきまん氏が語るようにアドバイスは罪なのでしょう。原理的に悪、そして悪はとても大衆的なんですくくく。(話脱線)

しかしだからといって、アドバイス行為を駆逐しろという話を私はしたいわけではありません。何故ならアドバイスによって助かったという人もいますし、素直に喜んでいる人もいるはずだからです。


先のRPGの例でいえば、Aさんは解決法を他者に求めていたケースだってありますから。その時にBさんがアドバイスをし、実際にその情報が有効ならばそのアドバイスは良いものなんじゃないですかね。

ならばアドバイスが原理的に悪だろうとも、Bさんのアドバイスは正しかったことになります。だってアドバイスを求める人がいて、その人に役だっているのですから。

それに「原理的に悪」なんてものはそこら中に転がっていますしね。ボランティア活動だってあれは悪そのものですし、"普遍的正しさ"で他国に介入する行為そのものや、異文化交流もまたその動機がとても悪です。

ボランティア活動に目を向ければ、組織で大勢で寄ってたかって一個人の自由を侵害しています。助けてなんて頼んでもいないのに勝手にその人の人生をどうにかしようとするそれは烏滸がましく傲慢な活動そのものと言えるでしょう。これが篤志という実態です。

また異文化交流も原理的に「自文化を愛し他文化を蔑んでいる」からこそ成り立っている活動です。自分たちが所属する文化が好きだからこそ広めようと思いますし、相手の文化が自分たちより(根本的に)下だと思っているからこそ興味を持ち交流しようとするんです。ね?とても悪じゃないですかこれ?

 

 


でもボランティアによって救われた人もいるでしょうし、異文化交流によって様々な人たちと友だちになれた人もいるでしょう。普遍的正しさによる介入で幸いを得られた人だっているものです。

ならばそれは原理的に悪だろうとも結果的には悪ではなかったということになるんだと思います。


 

 

ではどうアドバイスに向き合っていけばいいか?

 

原理的に悪。でも結果的には悪ではない(場合がある)アドバイス。

この行為に私自身がこうしたいな、こう出来ればいいな、こう向き合っていければいいなという方法を書いてみます。(ネット・SNS上限定で話しています)

 


1、アドバイスという行為が原理的に悪だと知る。(思考剥奪/行動規定/愉悦剥離)

2、アドバイス行為はそもそも無意味だと知る。(アドバイスとはそもそも自分の経験則から生まれた物。ならば自分じゃない"他者"に適用できるなんてことは夢にも思わないこと)

3、故に誰かにアドバイスするときは、上記2つを踏まえる。これは矛盾する行為そのものです。伝わらなくてもいいけど伝える、信じていないけど信じるそういう類です。アドバイスしても相手がアドバイス通りに動かないなんて当然、そういう意識があれば上から目線もなくなりますし、摩擦も減るんじゃないでしょうか

4、アドバイスを貰ったら一旦受け止めて考えて判断する。

5、自分のアドバイスの立ち位置を周囲に明示すると、摩擦が無くなる。



この5つを滅茶苦茶かんたんに言うと「謙虚であれ」ってことです。

他者にアドバイスをするときは、アドバイスがどんな性質をもったものなのかを踏まえた上で言葉を投げかける。すると上から目線という謎のアドバイスも自制できるでしょうし、そういうふうに在りたいなと思います。 

そして私的に大事なのは「4、他者からアドバイスを貰った時」です。このとき一旦受け止めてみると良いと思うんですよね。

ネット上で私に声をかけてくれる方は殆どの方が良い人ばかりなので、きっとお返事をくれたのは好意の感情ゆえの言葉だと思います。そこを勘案した上で一旦内容を受け止め、そのアドバイスを実行するか否かを自分の頭で考えていく。それが一番いいかなと思いました。

ちなみに【5、自分の立ち位置を明示する】は、つまりこの記事そのものです。私はアドバイスをこういうふうに考えて、こういうことに困惑してしまいますよと明言しておけば、余計な摩擦はなくなると思います。

 


おわり

 

さてどうだったでしょうか。

Palantirさんとアドバイス罪についてお話していたのを、ざっくりとまとめてみました。 やっぱりお話すると問題点が浮き彫りになって理解が早くなるので良いですね。

お話つき合ってくれて有難うございました。とても楽しかったです。(ってことをここで呟く私)

それではまた。

 



<参考>