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「本当」という言葉を付け足すことで、読む人は読む気を失くす(2540文字)

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本当の人生、本当の努力、本当の強者といった具合に「本当」という言葉があちこちに溢れています。疑問符がつく「◯◯は本当にそうなのか?」という意味の本当ではなく、断言口調での「◯◯が本当である!」「本当の☓☓」という論調のことです。

 

今日はこれを取り上げてみます。

 

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「本当」という言葉には、たった1つの正しい答え、真理という意味で使っている人を多くみかけます。あるいは、そういう意味が自動的に付随してしまいます。

しかし、それは「(自分が思う)本当」という意味でしかありません。その意味以上の言葉ではないのです。どういうことか。 

その人が、「自分自身で思っている『本当』なだけ」なんです。本当の人生、本当の努力、そういったものは千差万別に、個人個人によって違ってきます。会社に身をやつしそこに命を懸けることこそが「本当の人生」だ! と思う人もいれば、会社に束縛され肉体的精神的にストレスがかかり続ける状態よりも、ノンストレスで文化的生活を送ことこそが「本当の人生」だ! 思う人もいるでしょう。

 

「本当の」という言葉は、自分が正しいと思っている答えを

 

あたかも、皆が "ちゃんと考えれば" "ちゃんと経験すれば" 辿り着く答えと聞こえてしまいます。

 

自分自身が正しいと思っていることを、たった一つの答えだと、これこそが「本当の」ことだと―――そうやって、正当化したいだけのように私には見えます。

 

少し前に岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んだんですが、本書にも「本当の☓☓」が多くありました。

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
 

 

「自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。

そんな生きかたは安易で甘えがある。

本当に生きるためには、自分自身と戦わなければだめだ。」

―――自分の中に毒を持て

 

「孤立してもいいと腹をくくれば、本当の意味でみんなに喜ばれる」
―――同上

 

「才能のあるなしに関わらず、純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。」

―――同上

 

この考え方に感銘を受けて、「本当の人生とは戦うことだ! 命を燃やすことだったんだ!」と思う人はいいのです。しかし、私はそうは思えないのですね。

「本当の人生」なんて、無数に夢幻にあります。個人が「本当の人生」だと思えたなら、それらはすべて「本当」のことになるからです。隣人を愛すことを、家族を守っていくことを、誰かと歩んでいくことを、もしくはエントロピーに逆らい続けることを、過去に振り返ってしまうことを、立ち止まってしまうことを、走り続けることを、停滞すること、耐えることを、他者と感情を共有することを―――"本当"だと思えたならのなら、それらはすべて本当でしょう。 

岡本氏の思想が間違っている、正しいと言いたいわけではありません。岡本氏の思想も彼からしてみれば正しいのでしょう。けれど、それらが他人に適用されるかというとまた別の問題です。「戦い続けること」が無価値だと思える人もいるのですから。

 

私が言いたいのは、「本当の☓☓」と口にすると、相手に自分が伝えたいことをうまく届かなくなってしまうということです。

 

相手には相手の「本当」が無数にあり、それを胸の中で大切にしているわけです。しかし誰かから「本当の☓☓とはこういうこと!」と言い放たれると、その人が大切にしていた「本当の◯◯」は、それは相手の「本当の☓☓」から漏れてしまうんですね。

 

「本当の人生とは戦い続けることである!」

 

では、本当の人生を「耐え忍ぶ」ことだと思っている人は、この考え方を受け入れられるでしょうか? 「本当の人生」と付け足してしまったせいで、そのあとに続く、「なぜ戦い続けることが大事なのか」ということに耳をふさいでしまうんじゃないでしょうか?

ちなみに岡本氏の本書を読んでいるときの私がそうでした。ページを指でめくり、目で文章を追いたびたび見付ける「本当」という言葉。その単語が出てくる度に、「彼が思っている本当」と私は脳内で変換していました。

「本当とはいっても、それはあなたの中だけのことでしょうに」と。

じゃないと、とても耐えられないほどの押し付けがましい文章だったんですよね……。

 

他にはこんなのもあります。

 

 こういった質問をする人は、そもそもどれだけ本気で努力しているのかな?と思ってしまいます。本当の努力家は、こんな質問をしないで常に何らかの努力をしているでしょうから。もしある一面において才能が無いだけだったら、何か他のことやると思うんですよね。
―――memetaa2さん。「もっと努力しろ!」でもなく。「じゃ、死ねば?」でもなく。:海燕の『ゆるオタひきこもり生活研究室』

 

「ゆるオタ残念教養講座」さんのある記事の「コメント」です。コメント投稿者のmemetaa2さんは、本気の努力本当の努力家は~~しないと言っていますが、これも「memetaa2さんが思っている本当の努力なだけ」、です。

たった数個「本当の」と言葉にしているだけですが、そのせいで私にはこのコメントをちゃんと読もうとは思えなくなりました。*1

 

つまり、 

「本当の」と言ってしまうことは、言葉の伝達効率を大きく下げてしまうことに繋がります。他者に最も伝えたかった考え方を、「本当の」と付け足してしまったせいで、相手が理解しようと思う気持ちを削いでいきます、ガリガリと。

 

それも当然です。

 

そんな押し付けがましい言葉を紡ぐ人の考えなんて、聞きたくもないよ!と思ってしまいますから。

 

相手が思っている「本当」と、自分が思っている「本当」は違うのです。相容れないのです。まったくこれっぽっちも正しいと思えないことを、「唯一の答え」「正しいこと」だと言われても迷惑でしかなく、認められるわけがありません。

私も度々「本当の☓☓」と使い気味なので、自戒の為に書いておこうかなと思いました。…………これやっちゃうと、一番伝えたいことが伝わらなくなるよねー……って実感しましたですねはい。


またねっ。

 

<参考>

 

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*1:取り上げてはいるんですけどね