猫箱ただひとつ

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「分かる」と呟く言葉のまったくこれぽっちも1ミリも分かっていないことについて(1479文字)

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  きみとぼくの壊れた世界

何かに対し、誰かに対し「あー、うん分かる」「わかるよ」という言葉を私自身が呟くたびに、本当に分かるのか? 他人の気持ちが本当に私に分かるのか? と頭の中に問いが浮かんできます。

 

 

その問いに対して、「いや無理に決まってるじゃん」と返すんですけどね。だって言葉というツールはどこまでも不完全で、他者の想いを伝達できることなんてごく小さいなものです。

相手が本当に伝えたいことを、実は自分は何も伝わってなかった。あるいは違う意味に捉え、真意をそれであると勘違いしていたなんてざらです。当然です。

「言葉」というのは、自分の中にある膨大な量の抽象的な概念を、小さい箱に押し込めるようなものですから。伝えたいことが伝わらない。受け取りたい全てを受け取ることはできないものです。言葉はどこまでもどこまでも不完全です。

また他者の気持ちを読み解く個人の能力の限界について。人は人の気持ちを汲み取り、何を考えているか? どうして欲しいのか? が分かります。でもそれにもやっぱり限界とよべるものがあり、個人の能力差によって、他者の気持ちを読解できる量も変化していきます。

「わかる」と呟くたびに、いったいぜんたい相手にたいし一体なにが、どれほどに「わかって」いるのだろうか。

―――そんなキリがないほどに、「自分と他人は完全に分かり合えない」ことの要素を並べ立てて終わる。こういった自問自答の1セットを毎回毎回毎度のごとく、私は胸のなかで繰り返しているんですね。

そんな「誰かの心について分かることはない」と分かっているにも関わらず、「分かる」と言葉にしてしまったり、胸中で呟いてしまうのは、一体全体どういうことなんでしょうねまったく? 

1つの答えとしては、「他者を理解」するということは共同体を作るに欠かすことのできない能力であり、人間ちゃんは本能としてその力をある程度扱えるということでしょうか。誰かの気持ちを「分かる」と呟くのに出来る出来てない良い悪いの考え方など無用で、 "そういうものなんだよ" ということです。

"そう思ってしまうのは、自然なことだ" と。誰かさんはこのことを、社会複雑性の読解能力なんて言ってましたけど分かる気がします。

そして個人的に気に入っている見方は、『きみとぼくの壊れた世界』の病院坂の価値観、彼女が見ている景色です。


きみの気持ちは分かるよ、様刻くん

病院坂は言った。

「勿論僕ときみとの間には絶対的な距離、絶対的な障壁がある以上、きみの気持ちを完全に理解できるなんていうことはただの欺瞞に過ぎないのかもしれない。ここでは僕は『僕はきみではないのだからきみの気持ちは分からない』なんてことを言えばいいのかもしれない、それが本当なのかもしれない。

だがね、本当のことでも言っていいことと悪いことがあると、僕は思うのだ。そして同様に、たとえ欺瞞であったとしても、言わなくてはいけない欺瞞というものがあるのだと思う。

だから僕はこう言うのだ
『きみの気持ちは分かるよ、様刻くん』と」

―――きみとぼくの壊れた世界 

 

 

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

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他者を理解出来ないのは前提だ、欺瞞だろうなんだろうと『分かる』とぼくは言うよ


自身の感情を他者と"共有"できること、"共有"できたと勘違いできること。そう思えることが、重要だと思うんですよね黒猫ちゃんとてもクールですのん。

 

 

 

<参考> 

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西尾 維新 
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少女不十分 (講談社ノベルス)

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