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人間の「本質」なんてありはしないということbyななついろ★ドロップス(2838文字)

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 ななついろ★サウンドトラックス

 

先日、『ななついろ★ドロップス』というゲームをプレイしました。

この物語は、ある日ぬいぐるみになってしまった男の子と、魔法を使うことができる女の子が協力をし成長するというもの。

人間からぬいぐるみになってしまった「ユキちゃん」。ユキちゃんは1日に1度、人の体からぬいぐるみの体へと移り変わってしまいます。

そんな彼を見ていると、「あれ? もしかして人間の『本質』なんてものは幻想にすぎないんじゃないのかな?」という疑問が湧きだしてきました、ので本記事はそれについて語ってみたいと思います。 


<!>(ここから先は同作品のネタバレアリ、注意です)

 

 

人間の本質って?


私が「私」であることを保証してくれるものって、「記憶」です。

使う言葉、口調、仕草、態度、雰囲気、思考の筋道、癖、好きなもの嫌いなこと……などなど、外見で判断できない内面的な「自分」は、どういう過去を経てきたか? どういう思い出があるか? どういう教育を受けてきたか? そういった記憶の集積によって確立されます。

いわゆる「人格」というやつです。

人が人を識別するとき、つまり「この人はAさんだ」と思うとき、そこには外見的要素、社会的要素がみじんも絡んできません。内面的な要素(話し方、考え方、思い出)によって人が人を最終的に識別するものだと、私は思います。

「人格入れ替わり現象(仮定)」や「記憶剥落(アルツハイマー病など)」が起こった人を見ていると、その人の本質って「記憶(=人格)」だよねと実感してしまうんですね。

つまり、私が思う「人間の本質」って肉体ではなく、「人格」といわれる精神です。どういう顔で、背丈で、声だろうが、それはその人の一部ですが、一部という名前の通り「部品」でしかない。 


CDに例えれば分かりやすいでしょうか?

 

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 「CD」という商品は見た目は一緒です。どれもこれも(多少の規格差はあれど)、まーるい円盤で厚さは数ミリしかなく、裏返すと虹色にピカピカ光る物体。それがCDです。 

けれど見た目は同じでも、CDの「中身」によって価値が変わってきますよね。例えばあるCDに「A楽曲」が収録されたもの。、また違うCDには「B楽曲」が収録されているとします。

 

metafysik

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スバラシキセカイ

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この時、「A楽曲」CDと「B曲」CDを同一だ、と見る人はいないと思います。なぜなら、その違いで、CDに収録されている曲で購入するかどうかを決めると思いますから。 


つまり、CDの価値はガワではなく「中身」ということです。これを人間に当てはめます。人間の本質はガワである肉体ではなく、中身に値される記憶とか精神とか意識とかといわれる「人格」です。



――――これを踏まえて「ななついろ★ドロップス」のユキちゃんを見ていきます。


ある日、ひょんなことから石蕗という男の子は、ぬいぐるみのユキちゃんになってしまいます。

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ユキちゃん(ぬいぐるみ)になってしまった石蕗。彼は、はじめは人間だったときのように振る舞います。自分を俺と呼んだり、協力者である秋姫すももを「秋姫」と呼びます。

しかし、時間が経つにつれ*1、ユキちゃんは「俺」という一人称を「ぼく」に変更し、秋姫すももの呼び方を秋姫ではなく、「すもも」と呼ぶようになります。

これは「ぬいぐるみのユキちゃん」としての立場上、仕方のないことだったかもしれませんが、私にはこれが大きな意味を持ったことだ見えます。

1日のあいだに、「人間」と「ぬいぐるみ」の身体を行き来することになる石蕗くん。彼は「人間の石蕗」のときは、自身を俺と呼び、秋姫を秋姫と呼び、自身の感情をうまく伝えられない存在です。

しかし、「ぬいぐるみのユキちゃん」になると自身をぼくと呼び、秋姫すももをすももと呼び、本来自分の考えや感情を伝えることが不得手なはずの彼は、ユキちゃんになると不器用ながらも伝えることに躊躇いさが無くなっています

「ぬいぐるみのユキちゃん」の時の石蕗は、すももの為に必死に応援の言葉をかけたり励ましたり出来ます。すももが落ち込んでいたら慰め、すももが嬉しそうならどうしたの? なにがあったの? と躊躇なく質問できます。

しかし、「人間」のときの石蕗は、すももに声をかけるのも躊躇い、すももが嬉しそうだったり落ち込んでいるときもとくに聞きはしません。石蕗という男の子は、そういうことが苦手ですし、なにをするにしても「迷い」と「悩み」が気持ちを占めています。


そんな彼を見ていると、「人格」なる本質は、肉体という器によって "規定" されてしまうんじゃないのか?という疑問が湧いてくるんですね。

ユキちゃんのときにも、石蕗特有の迷いや悩みがあるにしても、すももに対してちゃんとコミュニケーションを取ることができる。だけど人間のときには、躊躇や弱さが滲みでてしまい行動がうまく切り出せない。

自分という無形なる「人格」が、形の異なる器(=肉体)に入ることで、その器の形ごとに、「人格」も変形し変化するんだなーと思えてきます。

つまり、私が「私」であるソフトウェアは、肉体という器によって、具現し再現されるということです。その際、器の違いによって、自身の感情や行動、吐き出す言葉さえも変わっていってしまうんじゃないか?と。

人格は、それ単体では存在できません。媒介となる、肉体という器があるからこそ、外界に具現し操ることができるのです。

だとすれば、自分が自分である、「本質」なんてものは幻想にすぎないんじゃないのかということです。肉によって、本質が変質するんだとするなら、唯一無二、絶対的な要素なんてものはないんじゃないですかね……。それを「本質」と呼んでいいのか躊躇います。

不変的な「本質」もあるかもしれませんが、この現実では観測は無理なんじゃないですかね……。「あー……不変なものなんてやっぱないのかな……」とか、「観測できたとしても、現実じゃ無理だよなあ……」とちょっと気落ちしましたよ……。 

 

おわり


てことを考えて整理したかっただけですねハイ。

ちなみに『ななついろ★ドロップス』はギャルゲー初心者の人におすすめです。はじめの方にやったほうが確実に面白いと思えるタイプです。

またねー。

 

 

<参考>

 

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*1:様々な要因が重なり