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藍井エイルに興味が無かったのに、ライブ行ってきました。「Special Live 2013 ~Starlight Reunion~」と生まれてきてごめんなさいという虚無問題について (6785文字)

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藍井エイル
Special Live 2013 ~Starlight Reunion~

2013年10月28日 19:00~21;00

■会場
東京/渋谷公会堂

 

 

に行ってきました!!

 

 

 

 

 

 

 

藍井エイルをあまり知らないままに当日ライブへ

 

 

藍井エイル」という名前は、さまざまなアニメのタイアップで知っていました。Fate/Zero、SAOなど。最近では「キルラキル」とかでも。

 

 

 

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ただ、CDを買って聴きこむほど好きなわけでもなかったんですよね。「良い曲だけど、買いたい!」とは思えるなにかを感じてはいなかったのです。

なので、上に挙げた三曲くらいしか知りませんでした。

 


そんな藍井エイルさんを好きでもなく、とくに興味があるといったわけでもない私に友達から連絡がきました。 

チケットが余ったからこない?」と。

 

 

なんでも友達はチケットを2枚入手したものの、行くはずだった相手がダメになったとのこと。急な申し出だからチケット代は要らないと言われ、

 

なにほぼタダだと?!(でも飯は奢れと厳命)」と棚から牡丹餅気分でライブへ行くことになりました。

 




 

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会堂前。

入場時間を過ぎていたんですが、まだ入れず待機している人の図です。待っている人の中には、「学校帰りで直接きたのかな?」と思わせる制服姿の人もちらほらといました。

 

 

 

 

 

1)ライブのお約束を守らなくても、楽しめる

 

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19時になりライブが始まります。



1曲目、2曲目はアップテンポの曲でリズムが掴みやすいものでした。もちろん一体なんの曲かそれすらも分かりませんでしたが。ただただメロディに合わせ拳を付き出していました。

既存曲を把握もしない、ペンライトも持ってこなかった人がいたら、たぶんそれは私です!



思ったんですけど、この予習もせず、ライブに必要だとされるアイテムすらも持ってこない行き当たりばったり感は、面白い!です。

これは見方が広がります。だって、「あーこういう"まわり”によって暗黙とされているお約束なんて守らなくても、楽しめるんだ!」と思えましたから。

私はライブ経験がそんなにあるわけではないんですが、それでもおそらくライブで歌われるであろう曲を「予習」することや、その場にあったアイテムをもって応援することは「楽しい」に繋がると分かります。

ただ今回のように、無計画でライブに臨み、今までとは違った「楽しみ方」を実践してみるのもなんだかいいなーと思えました。楽しみ方はきっと「1つ」ではないのだなと。

 

 

 

 

 

2)藍井エイルの歌による両義性



 コバルト・スカイ

 

3曲目にはいると、途端にさっきまでとは色が変わります。明るかったステージがいきなり暗いものとへ変化していきました。

曲そのものも、粘性のあるどこかドロっとした感じの悲しいものに。


そういった暗くも悲しい歌が、4曲目へとも続いていきます。この時、「藍井エイルさんは、こういうものも歌うんだ」と密かに思案していました。

 

なんというか私の中では、彼女は「明るい歌」を歌っているイメージしか無かったんですね。SAOの「INNOCENCE」やキルラキルの「シリウス」しか知らなかったので。

 

今までのイメージの対極をなす、どろどろした暗い曲は、「傷ついてる」イメージを強く抱かせます。そこに"立って”いることや、"歌って”いることで自分自身の体・心をぐさぐさとナイフで突き立てていくイメージが強烈に滲みます


私には、藍井エイルさんっていう人の心の内側が、とても、ひどくぼろぼろに傷ついているように感じられたのです。

「INNOCENCE」や「シリウス」といった世界を走っていこう生きていこうという希望を感じる歌を歌いながら、「絶望」の世界をも感じている――――そういうふうに。


そこに私は「両義性」を見たりしました。陰と陽という2つの要素を1つの肉体に抱え込んでいるようなそんなのです。

 

実際彼女がそんなこと思っているかは分かりませんし、そもそも私は歌詞すらも聞き取っていませんけど、ただそう感じてしまったんですよね……。 なんでだろ。

 

 

 

 

 

 

ライブは非日常への隔離

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ライブも前半が終わり、後半へと移っていきます。

 



難聴にでもなってしまいそうな音量、体表面を震わすほどの低い音圧、脳が拒否してしまいそうな複雑なメロディ、眩しいと感じる暇さえ与えないライトの連続点滅、ホワイトアウトを連想させる高輝度の光の波。

リズムに乗って突き出していく腕。

 



これを10分、40分、60分と絶え間なくし続けることで、脳の意識が"ズレ”ていきます。

時間が圧縮したり、いきなりスローのように緩んだり、または頭の中がふつふつとしぼーっとしていきます。


ピンと来たんですが、ライブのこういった刺激は、通常日常生活では感じられないんですよね。音楽に関わっているわけでも無ければ。

最大出力で繰り出されていく外部の刺激。それを強烈に受け続け(視覚、聴覚)、かつ自身も刺激を生み出していく(触覚)によって、加速度的に

 

日常から乖離していきます。
非日常へ隔離されていくんですね。

 

ライブ会場はそもそも「大きな箱」なので、その意識を強くもたせます。こういった日常⇔非日常の移動を繰り返すことで、どちらともに快感が生まれるんだなーと。

お祭りって大事だよねと。

 


例えば、日常(=劇的なことがない)を生き続けていれば、意識がズレ(=快感)のは難しいです。意識することもないはずなので。

そこを「非日常」へシフトさせることで、今まで感じていた日常を「日常」と感じられるのではないか? この2つを相互に繰り返すことで、意識がズレるコツを獲得できるのではないか?

 

ライブに行くと、このことをいつも考えちゃっているかも。

 

 

 

 

 

「生まれてきてごめんなさい」

 

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ライブもほぼ終わり、

アンコールが終わり、

アンコール曲を歌い始める前に、


藍井エイルさんはファンに向けてとつとつと想いを語っていきます。

 

 

 

「生まれてきてごめんなさい」
「存在していることが間違いだった」

 

ということを昔、昔に感じていたと泣きながら独白していきます。 でも今はファンによってとても支えられていることを実感しているとも言っていました。

言葉に詰まったり、嗚咽を押し殺したとき、必ずファンの方が「頑張れー!!」「大丈夫だよ!!」と声を投げていたのが印象的でした。


私は今まで彼女のことを知らなく、ファンでもなく、思い入れもなかったので、ただただその一光景を眺めていました。 

 


「生まれてきてごめんなさい」という言葉が、あまりにも鮮烈だったため、そのことをずっと考えていました。

 

 

・自己否定による実存感覚の欠損 

・絶対的な肯定者は、自己だけ、自分自身だけかもしれない。
・外側に絶対的な肯定者を作ってしまうと危うい可能性。
・心の内圧によってもたらされる独自性(オリジナル)。
・虚構問題に対する対処。

・人の気持ちはどこまでいってもわからない。断絶されている。でも「わかる」といってしまうその気持について。「欺瞞であれ」と肯定する感情について

・歌によって共同体は作れるかもしれない。

・もし世界に希望を持ちながら、絶望を抱えているのはどんな風景なのだろうか。




そんなとりとめのないことをぐるぐると考えていました。
せっかくなので思考を煮詰めていきます。


ここからは、彼女に関係ないのでスキップ可能です。

 

 

 

1.自己否定による実存感覚の欠損

 

「生まれてきてごめんなさい」「存在していることこそが間違いだった」そういった、思いは、自己否定だ。

自己を否定し続けると起きてしまうのは、世界という現実に価値を見出さなくなってしまうと私的に思う。

生きること自体が苦しみで、なんでもない日常こそが痛みの根源である。正直私だったら耐えられそうにない。少しづつでも確実に実存感覚が失わていってしまう。現実に対する執着が欠けていってしまう。

痛みの反比例とともに。


心のベクトルが常に内側向きで、捻れていってしまうとこうなってしまうかもしれない。それは外部的要因がすべて。けっして自分自身の"せい”でなることは無い。

精神的外傷(トラウマ)と聞いて、なんで「外傷」なの?と疑問を持つ人はいるかもしれないけど、全部の痛みは、外部的要因だよ。

心は形のないものだし、自分の肉体に収まっているというイメージがあるので、どうもそこが曖昧になってしまうけど……。


心がメビウスの輪になって悪循環してしまっている。どうにかして外側への道を作り穴を開けるのがいいとは分かるが、実際問題としてそれは難しくケースによっても対処が違ってくる。

 

 

 

2.虚無問題に対する対処

 

「なんで生まれてきてしまったんだろう」とか
「なんで生きているんだろう?」とか
「ほんとうの友達はどうしたらできるのだろう?」とか

そういった「答えのない問題」、もしくは「答えを出してはいけない問題」のことを虚無問題と私は呼んでます。


「私はなんで生きているんだろう?」なんてもうまさしくこれです。最初に言っておきますが、自身が望んでいる答えなんて絶対にありません。

ただ親がいて自然の摂理として、ただただ生まれてきただけです。そこに面白みのある価値や意義なんてものはありません。

「自身が生まれたことに価値を見つけたい」というのは分かるんですけど、けど実際そんなものないじゃないですか。世界の命運を握っているわけでも、終焉を迎える鍵でも、誰かに出逢う為に、誰かと恋をする為に、何かを成し遂げる為に生まれてきた、ワケないんです。そんなものあるはずないんです。

そもそも答えが"ない”のに、"ある”ことを見つけようとするからいつまでたっても答えがでない、そして無限のループを続ける問題提起です。

もしくは自身の内側に関係する、「触れちゃいけない領域」なものに答えを見つけようとしちゃダメなんです。だってそれを導き出してしまったら、壊れますから心が。

そういったどこまでも空虚で意味のない「問題」を"投げかけて”しまった時点で間違いだと私は思うのです。ゆえに虚無問題だと。

 

こういった問題に対する方法としては、「なにもしない」のがベターかなと思います。

わからないことをわからないままに、しておいていいんです。
答えがないことを見つけようとしてなくても、いいんですよ。

 

 

3.絶対的な肯定者は、自己だけ、自分自身だけかもしれない。

 

 

自分だけが自分を肯定できる。

 

これが理想なんですけど、すんげー……難しいんですよね……。外部による圧力や刺激、痛みによってたやすく自分の心は揺さぶられますから。

だから自立(=自己肯定の力を養いつつ)、適度な依存(=相手により掛かる)ことを覚えていったほうがいいのかなー……と。

心が内面的に向きやすいひとは、、依存相手を見つけないといつかぽきりと折れてしまうような気がします。

逆に心が外側に向きやすいひとは依存しがちだったりするのかもなと。

 

4.心の内圧によってもたらされる独自性(オリジナル)

 

 

心の方向が内側に向いていると(行き過ぎると)、内圧がどんどん高まっていくんですよね。ようは精神の負担が大きくなっていくと思うんです。



こういう人って、「一人」でなんでもどうにかしようとする人が多いです。他人に頼ろうとしない、他者により掛かるのが下手くそなのです。一人でいることが多い、または一人になりたい。

そうやって一人でぐるぐるぐるぐると思案したり、何かに打ち込んでいく。他人の感性や価値観にあまり干渉されずにのめり込んで行くと、個人の独自性(=魅力・価値)が強まっていくのかもしれないなー?と。

 

5,人の気持ちはどこまでいってもわからない。断絶されている。でも「わかる」といってしまうその気持について。「欺瞞であれ」と肯定する感情について

 

誰かの心情の吐露や、不安な気持ちの吐き出し、どうしうようもできない感情を知ってしまったとき、

それを少しでも想像でき理解できるのなら「わかる」と、私は思ってしまうんですよね。

それが実際問題、わかって"いない”のは承知なんですけど、そう思ってしまう。そう思いたい気持ちがあったり。

人の気持ちはどこまでも断絶されています。「わかる」なんていうのは、気休めであり、不理解の現れであり、うそかもしれません。

でも、たとえそれが気休めでも、不理解の現れだとしても、うそでも欺瞞でも承知の上で、「その気持はわかるよ」と言いたくなるときってあるんですよね。

これってなんでなんだろうなーと。

 

人は他人の心を読解できる力を持っています。それは完璧ではないにせよ、他動物から見ればもはや「テレパシー」の域の力だと私は思うのです。

痛そう、苦しそう、楽しそう、辛そう、悲しそうなど、私達は相手の感情を汲み取ることができる。もしくは汲み取ったと錯覚できる。

「同情をするなら金をくれ」なんていう言葉があります。あたかも同情することが悪いような言い方です。(というかこの言葉のせいで同情が”悪”だという固定観念が生まれていて割と厄介だなーと以前の私とか)

私的に同情という行為に"悪”い要素を見つけられません。それはみんなが持っている読解性の力ゆえのものなので、むしろ同情という概念が消失してしまったら争うしかなくなっちゃうと思うんですね。

おっとズレつつ、結論放棄。

 

 

 

6.歌によって共同体は作れるかもしれない。

 

 

「歌う人」がいて、その歌う人や、歌自体を好きな人がいたら____もうそれは共同体なのかな? と思いました。

たとえば、さきの藍井エイルさんの涙ながらの独白にてファンの方が「大丈夫だよ!」と一斉に声をかけるという事象。これは彼女にとって、肯定者になりえるなーと。

「歌」というか細い先ながらも、自分と他者を繋げられる。そして歌(もしくは自分自身)の練度を高めれば、好きになってくれる人がいる。歌(もしくは自分自身)を好きになってくれれば、それは一種のコミュニティとなりえる?……と。


それは顔が見えつつも、顔を識別しない他者なのかもしれないけど、こういう形もあるんだなーと思ったんです。

ゆるしゆるされる、肯定し肯定できる関係性というものを。

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

AURORA

 

 

藍井エイルさんに興味がない私でしたが、ライブに行ってみると、それは楽しい一時でした。

 

ライブは2時間あったんですけど、ほんっとあっという間だったなーと。(ここまで時間は圧縮されるのか!)

知っている曲が出てくる(シリウス、INNOCENCE、MEMORIA)と、テンションがあがって楽しかったです。 やっぱり曲自体に思いいれがあるともっと楽しめなーとも思いました。



 

――――と少し不安ながらも、行って良かったです。  それと最後の彼女の独白は、ファンでもなんでもない私でもグッときてしまったり。




雑文1(アンコール掛け声が「えい・えい・るー」だったのでちょっと笑ったり)

雑文2(「えいるーっ!!」という叫びが飛び交う中、「えいる~↑」(ももくろのかなこ風の叫び方)の人がいて笑いました)

 

 

 

 

 

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