猫箱ただひとつ

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凪のあすから 4話 心象強度という精神の強さ (2333文字)

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わたしがやった……

わたしがぼこぼこにした!!

 

 

 

 

 

 

心象強度という精神の強さ

 

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どうして大丈夫なんだよ、

どうして苛められているのに、

嫌われているのに大丈夫なんだよっ!!

 

 

関係ないからだよ。

自分にとって大切じゃない、関係のないやつらになんて思われたって構わないんだ

 

――さゆ、みな

 

 

みなとさゆの会話を聞いてて思ったのが、みなっていう女の子は心象強度が高いなあと。


心象強度とは____自分自身の心象領域が、何人たりとも冒されない、そういった心象世界を持っているということ、その強度を誇っているということをさす言葉(私の造語なんだけどね)。

 

もっと言うならば、自分の内側に価値を置き、外側に対しての干渉を受けにくい心の在り方。

私はこういう強度を保っている人間が好きなんです。そういう子をみたら心の中で

 

……うおおお!!!

 

と感激するくらいに。

 

 

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みなちゃんは以前、学校で苛められていたそうなんです。

 

それなのに外側からみた彼女は痛くも痒くもなく、平然としている。そのことに疑問をもった、さゆという女の子はこう聞くんです。

 

 

「どうして大丈夫なんだよ、どうして苛められているのに、嫌われているのに大丈夫なんだよっ!!」

―――

 

当然ですよね。”ふつう"なら暗い顔をして、痛がる表情をして学校生活を送っていますから。

そういった予測・想像を完全に跳ね除けている人を見ると、疑問が浮かぶのもとうぜんです。

 

 

 

関係ないからだよ。

自分にとって大切じゃない、関係のないやつらになんて思われたって構わないんだ

 

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もうほんっとおおおおおううに、シビレルネー。

 

例えこれが、見栄張りでも、虚言でも、意地でも、欺瞞でもいいんです。こういった強がりを言えるってだけで、もうずきゅんとキます。


こういう強い子好きなのだわ。

 

 

んで本題本題。

 

 

 

こういった優先順位(プライオリティ)の設定って大事だと思うんですよ。

大事なものと、無価値なものを選り分ける、設定するというのは。だって優先順位を設定すると、よりハッキリと、意識するようなりません?

 

これは大事で大切なものだけど、これはそうでもない私にとっては無価値であると。

 

世の中は、”自分にとって" 無価値な人間が多すぎます。無意味で無益で無為な人たちで溢れかえっています。

そんなどうしようもない人たちの、「言葉」に「行動」にいちいち心を乱されたいたら持ちません。

 

だから、優先順位をつけるんです。

 


特別な人の言葉には、めいっぱい価値を付随させ

意味のない人たちの言葉は、無価値と切り捨てる。

 

そういった意識……またはちょっとした覚悟みたいなものが私的に大事だと思うんですよね。

だって負担じゃないですか。自分にとって無価値な人間の、汚くも醜い言動は。そんなものばかりに考えることを使っていたら疲れちゃいます。


―――無価値な人間と選り分け、切り捨てる。

 

無価値な人間から、なんと言われようと気にすることなんてないんです。

 

 

 

 

 

 

贖罪は赦すことしかできない

 

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今回、「罪を犯し、許してもらう」ということが3回出現しました。



1、まなかが手渡したちらし寿司を、落としてしまう。
2,光が犯人を誤解し、暴力で訴える
3、光たちが作っていた人形を、さゆは破壊した

 

このどれも誰かが「罪を犯し」、最後には誰もが「許され」ています。

 


この一連の出来事を見ていておもったのが、「あーうんそうだよねー」と。罪は裁くものではなく、贖い、赦すものでしかないんだろうなと。

 

 

罪は贖い、赦すもの。

そうそれはとても聴こえがいいです。被害者は加害者が贖い許しを請うてきたら、許すということです。

でもそれって、すんごく難しくありません?

 

自分の大切なものを壊されて、それは復元できなくて、修復もできない。それを「どうか許してください!」と本気の誠意を見せつけられたとしても、

 

許せるものなのかな? って考えてしまいます。

 

極論してみましょう。恋人を他者に殺され、その他者が許しを請うて来たら私は許せるんだろうか? それが本当に反省して贖いを求めているんだったとしても?

 

許せるのだろうか? と。

 

きっと許す"べき"だとは想います。犯した罪に、罰をもって裁くのは、どうにも釈然としません。できることならば、私はその他者を許したいとは思う。____けれど果たしてできるのか?

 

人間は感情の生き物です。いくら理想論、理屈、筋が通っても、心が拒絶してしまえば、どうにもなりません。

本当に大事なものを失ったとき、失わせた誰かが許しをこうてきたとき、私はその罪を許せるのかな? って。

 

”贖罪は出世間させて、老化して死ぬのを待てば良いのです"

 

 

っていう考え方がありますが、まだ私には厳しい……というか聖人のようにも見える……でももうちょっと考えていきたいテーマだなあと。

 

んじゃ今日はここまで! まったねー!

 

 

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